2012-01-28 (Sat)
幕末の京都御所を取り巻くように存在した公家町の地図をアップしました。ピンクの枠線内が現在の京都御苑の敷地内です。これでみると幕末は公家数も約130家と増えて御苑外にはみ出ていたのがわかります。また東の鴨川沿いや京洛外にも別屋敷とかあって数軒の家を持つ公家も珍しくはなかったそうです。元となる地図は京都市刊行の「京都の歴史・第七巻維新の激動」に付録の地図からです。ちなみに地図上の公家さん宅に引いてある赤線は現在自分が持っている公家屋敷の指図(間取り図)の印です。「公家町再建プロジェクト」の一環として、除〃に建てていこうと思ってます。なんと言うか公家オタクここに極まれり・・・ですね(冷や汗)。他に地図に記載のある”100坪区画”とはですね、お公家さんでも一番お宅の敷地が狭い単位が約100坪だったのでその区画を表記してみました。一方、最大の面積は九条家の1万坪、建坪も4000坪もありました。あの江戸城本丸の御殿が約1万4千坪ですから、九条さん頑張ってますね(笑)。
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