3D京都

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なぜ、前方後円墳でなければならなかったのか? 仁徳天皇陵をめぐる3D的考察 後編

さて後編では具体的に前方後円墳について考察(かなりな言い回し)してみたいと思います。

まず、世界の陵墓と比べてみて唯一日本にしかない特異な形をしています(一部、朝鮮半島の南部に見られますが、そこは日本の影響下)。
その特異性を物語る文系的指摘が「前方後円墳はどちらが正面かわからない」ということです。これは今だにハッキリしていません。古墳の一番重要な部分は大王の埋葬された円墳です。普通、そこが墳墓の中心・前方であって背後の方墳が後墳と呼ぶべきだと思いますがそうではありません。なぜでしょう?

前方後円墳の成立は、当初は独立していた円墳と方墳が時代の流れで合わさっていった、と曖昧な説明をされることが多いですが、では、なぜ、円墳と方墳を繋ぐ部分に把手のようなものが付いているのか?それもハッキリとは解かってはいません。

では、同前方後円墳を上下逆さまにしてみます。

マナの壺

壺とそっくりです。当時の須恵器を形に取り入れたものでしょうか?でも、「お墓がなんで須恵器?」、「五穀豊穣を願ったもの?」等々、いろんな説がありますがこれも実の所不明。中には古代ユダヤの伝説にある、十二氏族の一つガド族が継承していたイスラエル王国の三種の神器のひとつ「マナの壺」を象ったもの、という説まであります。いわゆる日ユ同祖論ですね。さらに地上300メートルからでないと濠も含めた全体像はわからないという、まるでナスカの地上絵みたいなことから、空からでも分る宇宙人の目印?と、ここまで来ると混迷するばかりです。

世界の王者・支配者の墳墓やピラミッドに共通するのは、その墳墓の中心をなす頂点は一つだけである、ということです。エジプトのピラミッドをみても四角錐の頂点は一つ、まさに唯一の絶対者であり現人神と称されたファラオの権力と権威を象徴しています。他の始皇帝墓もそう、マヤ、アステカもそう。墳墓に二つの頂点は要らないのです。円墳、方墳もみなそうです。

でも、前方後円墳には頂きが二つある・・・そう、円墳と方墳。円墳は大王の墓所で方墳は葬送の祭祀が行われた所と言われています。で、両墳の高さの違いは円墳の方が2m高いだけ。これは何を意味するのでしょう? そして、両墳を繋ぐ緩やかにカーブする馬の背の存在。

このような形からはファラオのような強権的な絶対性を感じさせません。ほぼ同じ目線から大王の墓丘を望んだ当時の人たちにとって大王とは「自分たちの代表として神に五穀豊穣を祈り、民の生活と安全を保障してくれる豪族連合の首長」のような存在ではなかったかと思います。

大和王権が全国を統一していく過程で前方後円墳は大きな役割を果たしたと思います。武力による統一よりも、より大きな大王の陵を造り、それを人々、各地の豪族に見せ圧倒させることで「戦わずして降参、臣従させる」という手段に用いたのでは、と。各地の豪族もこれを真似、あっという間に全国に前方後円墳が広がってゆきました。もちろん、当時における公共事業的な側面もあったと思います。

円墳の竪穴式石室は大王が天と直接繋がることを意味し、また円卓の原理で平等さを表し、方墳は民、豪族が祭祀に集まり、円墳を遥拝する丘であった。両墳の間の馬の背は、その穏やかなカーブが「大君は荒ぶる神ではなく人々に安寧をもたらす現人神である」という気持ちを抱かせる舞台装置であった。また、墳丘は周濠に囲まれ渡れる橋はなく唯一、舟が渡る手段だった。その舟の舟着き場が、あの”把手”であった。

という自分なりの3Dを作りながら感じ取った解釈です。

仁徳天皇陵の構造図

仁徳陵には倍塚が幾つもあり中には濠にくい込んでいるいるものもあります。また、方墳の方にも大王に近かった人などの石棺も納められました。これは、ある意味、左右対称形で整った古墳に不整形な要素を加える行為です。それでも、それが成されたということは、やはり融和的な古墳だったのだな、と感じました。

では、3DCGをアップし時折、説明を加えてゆきますね。

仁徳天皇陵-船着き場
船着き場。把手がそうであったと個人的に解釈してます。

仁徳天皇陵-斜めから
陵を囲む濠と無数の円筒埴輪。

流石に円筒埴輪には参りました。幾つ作るというよりコピーしても、コピーしても終わらない。腕が疲れました。この埴輪ですけど、全国的にみても中には2.4mもの高さのものもあります。ここは仁徳陵ですから少し盛って高い方は2.8mにしました。この巨大な埴輪が1.5万基ほども連なっていたのですから壮観この上ない! 当時の技術力、生産能力、そのエネルギッシュさに脱帽です。いかに大和王権の勢威と中央集権体制が出来上がっていたか、仁徳陵が如実に示しています。(埴輪の数量は大林組プロジェクトチーム編「よみがえる古代・大建設時代」の算出値)。

仁徳天皇陵-円筒埴輪
その円筒埴輪のアップ。実際には他にも家形、動物形とか色々ありました。

仁徳天皇陵-後円丘を仰ぐ
見上げる円墳。

仁徳天皇陵の前方部、後円部の斜面全体に葺石が葺かれていました。その数536万5千個(同大林組プロジェクトチーム算出値)にも上ります。これも驚きです。

仁徳天皇陵-正面俯瞰-2
方墳から見上げる後円墳。途中の緩やかなスロープが荘重さと優美さを醸し出しています。

仁徳陵には沢山の葺石があったことは上で記述しましたが、後円部頂きまで35.8m。途中段差こそあれ斜度30度近くあります。長い斜度、しかも葺石の上をよじ登るのは大変ですし危険でもあります。これは前方墳も同じです。ですので階段は必要かなと思い付けました。別の記事でエジプトのピラミッドは登ることは想定されず逆に仁徳陵は登ることを前提にした斜度だった。だから高さは30mに収めた、云々と書いた覚えがありますが、今後、もし本格的な発掘調査が行われれば出て来るかも、と密かに思っています。

仁徳天皇陵-正面
正面? 前方墳を見上げます。中央部の帯丈のものは階段です。護衛の武者とくらべ円筒埴輪がいかに大きいかがわかると思います。

仁徳天皇陵-正面ズームアップ
さらに近づきます。

仁徳天皇陵-正面俯瞰-2
上から全体を俯瞰してみました。

仁徳天皇陵から見下ろす沃野
後円墳から望む俯瞰。

仁徳天皇陵-周濠を見渡す
周濠を見渡します。ここも円筒埴輪がどこまでも続きます。

仁徳天皇陵-側面
側面から見た円墳と方墳。

仁徳天皇陵-大王の竪穴式墓室と石棺
御恐れながら大王の石棺を少しだけ見せて頂きました。

後円部は大王が埋葬されていますが、江戸時代には埋葬施設の一部が露出していたらしく、江戸中期の1757年(宝暦7年)に書かれた「全堺詳志」には長さ318cm幅167㎝の巨大な長持型石棺が認められ、しかも盗掘されている旨が書かれています。

その例をもとに石棺を作ってみました。石棺の長さは大王の石棺ですから一回り大きく作りました。長さ6m、幅4.3m。石室は10m×7.5m。大きく作り過ぎたかなぁ・・・・
でも、こうしてCG化してみると小さく思えてしまうんですよね。後円部頂きの広さがわかりますね。

また、前方墳正面の二段目の斜面から竪穴式石室が見つかっています。1872年(明治5年)に、風雨によって同方墳の斜面が崩壊して埋葬施設が露出し、その際の発掘調査で石室と石棺が掘り出されています。残された絵図面によれば、その埋葬施設は長持形石棺を納めた竪穴式石槨で、東西に長さ3.6~3.9メートル、南北に幅2.4メートル。周りの壁は丸石(河原石)を積み上げ、その上を3枚の天上石で覆っていたそうです。

仁徳天皇陵古墳_石室・石棺図
前方部中段で発見されたとされる竪穴式石室と長持形石棺の絵図。堺市博物館に複製が展示されています。

仁徳天皇陵-方丘から円墳を見る
方墳から円墳へと繋がる滑らかなカーブの斜面を見ます。


仁徳天皇陵-二段目側道
前方墳から後円墳へと繋がる二段目の側道を歩きます。前方には船着き場?も見えます。


仁徳天皇陵-前方丘から沃野を望む
前方墳から沃野を見渡します。

以上、3DCG画像を並べてみました。


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No Subject * by -
レインボー様
コメントありがとうございます。
拙い3Dですが褒めて頂きとても嬉しいです。遥かな古代に思いを馳せ作ってみました。
引用して頂ける由、ありがとうございます。
多少なりともレインボーさんの大仙陵古墳の論説に色を添えるようでしたら有難いですね。

大仙陵古墳の3DCG画像、素晴らしい * by レインボー
>以上、3DCG画像を並べてみました。

〇大仙陵古墳の3DCG画像
 拝見しました。素晴らしい出来具合に感動です。
 そして、特に古墳を囲む石壁ですが、朝鮮半島にあるツングース系の墳墓そのものの印象を受けました。
 関連し、後に引用させていただきます。
 草々
 

コメント






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No Subject

レインボー様
コメントありがとうございます。
拙い3Dですが褒めて頂きとても嬉しいです。遥かな古代に思いを馳せ作ってみました。
引用して頂ける由、ありがとうございます。
多少なりともレインボーさんの大仙陵古墳の論説に色を添えるようでしたら有難いですね。
2020-06-04 * [ 編集 ]

大仙陵古墳の3DCG画像、素晴らしい

>以上、3DCG画像を並べてみました。

〇大仙陵古墳の3DCG画像
 拝見しました。素晴らしい出来具合に感動です。
 そして、特に古墳を囲む石壁ですが、朝鮮半島にあるツングース系の墳墓そのものの印象を受けました。
 関連し、後に引用させていただきます。
 草々
 
2020-06-02 * レインボー [ 編集 ]