3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 >  ★テーマ別 >  建築全般 >  なぜ、前方後円墳でなければならなかったのか? 仁徳天皇陵をめぐる3D的考察 前編

なぜ、前方後円墳でなければならなかったのか? 仁徳天皇陵をめぐる3D的考察 前編

前方後円墳には周濠がよく似合っていると思う。前方後円墳は水濠があることを前提とした姿形をしている。だから美しい。古代、設計した人は水濠を防御性、あるいは灌漑機能だけでなく古墳を神域として荘重に美しく見せるためには周濠が不可欠と認識していたに違いない、と、3Dで仁徳天皇陵を創りながら想像を巡らしました。

大阪平野の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)を始めとした45基からなる百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されたのは2019年。最初は現皇室の御先祖様の陵であり「それが遺産?」と少々首を捻りましたが、今は素直に受け止めている感じ。なので、「世界遺産にもなったし、一度、3Dで想像復元してみたいな」と思うようになってきて今回、「えぃっ!」とばかり作ってみました。

百舌鳥エリア

古市エリア
百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議のサイトより一部紹介。

作る過程で自分なりに色々感じたこと、考察、思い入れ等を3DCGの紹介アップに交えて幾つか書いてみたいと思います。

始めに前方後円墳とは何か?ということですが、Wikipediaによれば、古墳の形式の1つ。円形の主丘に方形の突出部が接続する形式で、双丘の鍵穴形をなしている主に日本列島3世紀中頃から7世紀初頭頃(畿内大王墓は6世紀中頃まで)にかけて築造され、日本列島の代表的な古墳形式として知られる、と定義しています。

2020-03-26-仁徳天皇陵図-3-(応神天皇)
前方後円墳及び円墳、方墳の比較形状(百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議のサイトより紹介)。ちなみに描かれている前方後円墳は応神天皇陵のものです。仁徳天皇陵の三分の二ほどの大きさ、形状は少し違います。

仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の基本データですが、これもWikipediaを読めばそれでOK、となる訳ですが、それでは終わってしまうので一部抄出してみます。

大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)または大山古墳(だいせんこふん)は、大阪府堺市堺区大仙町にある古墳、天皇陵。形状は前方後円墳。百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、日本最大の古墳である。成程。

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)として仁徳天皇 (皇居・宮殿は大阪市にある難波高津宮 (なにわのたかつのみや) ) の陵墓に治定されている。仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)や仁徳陵古墳とも言う。成程。

ユネスコは2019年7月6日、仁徳天皇陵古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産として登録することを決定した。
となっています。

築造時期ですが、採集されている円筒埴輪や須恵器の特徴から5世紀前半から半ばにかけ築造されたとしています。

規模ですが、
古墳最大長:840メートル
古墳最大幅:654メートル
墳丘長:486メートル -> 525.1メートル
墳丘基底部の面積:103,410平方メートル -> 121,380平方メートル
後円部 - 3段築成
直径:249メートル -> 286.33メートル
高さ:35.8メートル -> 39.8メートル
前方部 - 3段築成
幅:307メートル -> 347メートル
長さ:237メートル -> 257メートル
高さ:33.9メートル -> 37.9メートル
(以上、2018年4月12日、宮内庁の三次元測量調査による修正値)。

仁徳天皇陵航空写真-1600-117
空から見た仁徳天皇陵。

市街地の仁徳天皇陵
さらに近づくと古墳に見えません・・・デカすぎる。

今回、3D化にあたっては、東京書籍刊行、大林組プロジェクトチーム編集による「よみがえる古代 大建設時代」の仁徳天皇陵の項を参考に作りましたが、同書が刊行されたのは平成14年。20年近く前に編集されたもので、現在の規模データより少し小さい感じ。大林版では、墳丘の前後の長さは475m、後円丘の高さは30mとなっていますが現在では同後円丘も5.8m高くなっています。この5.8mの差ですけど、そんなに違わないようにも見えますが実際に3D化してみると違います。35.8mの方が圧倒的に大きく迫力があります。なので高さ等、寸法的なものは現在値に修正しました。ちなみに現在見る仁徳陵は全域に森に囲まれていますが明治初年までは実は森ではなく萱や笹に覆われていました。明治以後になって植林され現在の姿になったのです。森もいいけど、萱の方が開放感もあって明るく、古墳の形も分かり易く、自分的にはこの方が良かったなぁ、と思っています。

2020-03-26-仁徳天皇陵図-1
平成14年に刊行された大林組プロジェクトチーム編集の「よみがえる古代 大建設時代」に載っている仁徳天皇陵の平面図。

俗に仁徳天皇陵をクフ王ピラミッドや秦の始皇帝墓陵とならぶ「世界三大墳墓」と言われていますが、最近の宮内庁の三次元調査によれば、水濠は8mものヘドロが堆積し、仮にヘドロを除いた堀の水底から計測すると墳丘の前後の長さは600m近くにも拡大し体積は300万㎥を越え、面積だけでなく体積的にも世界最大の墳墓の可能性もあるとのこと。濠の水底部から測った場合、後円丘の頂までは48m前後もあることになります。

今でこそ六本木ヒルズなど超高層ビルが立ち並ぶ東京ですが、1961年の都市計画法が改正されるまでは東京のビル街は高さ31m(10階前後)まで、と規制されていました。それと比べても俄然、陵の方が高いですね。石垣も含めた江戸城天守の高さは58m。いい勝負だと思いません?

三大墳墓の比較図
※ 仁徳天皇陵の濠下まで含めると体積300万㎥を越えます。ちなみにクフ王のピラミッドも始皇帝の墓も周濠はありません。百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議のサイトより紹介。

前方後円墳の始まりですが、奈良県桜井市箸中にある箸墓古墳(はしはかこふん、被葬者は不明だが、宮内庁により第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓とされている)が最も古く3世紀中頃から後半に築造されたとされています。この年代は、ちょうど邪馬台国の卑弥呼がいた時代で箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないか?とする説も良く知られています。邪馬台国畿内説の根拠の一つですよね。

前方後円墳は3世紀から7世紀初頭にかけ北海道・青森県・秋田県、沖縄県を除いたほぼ全国に4800~5200基が築造されたと言われています。また、朝鮮南部にも見つかっています。これに円墳、方墳を含めると凡そ16万基もの古墳が全国に広がっていました。膨大な数とエネルギーです。

そして、その最盛期となったのが仁徳天皇陵です。

古墳規模比較
前方後円墳の比較(百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議のサイトより紹介)

仁徳天皇陵の築造された5世紀は4世紀とともに日本の歴史において謎の世紀と言われています。文献等に当時の記録が残されていないからです。

しかし、残された巨大古墳からみるに大和王権がほぼ全国を掌握し強力な中央集権体制を築いたのは確かですし、何よりも同じ前方後円墳が流行のように全国に広がっていたのがその証左と言えると思います。地方豪族にとって同後円墳を作ることが大和王権への臣従になるからです。

この時代、朝鮮半島南部には倭の民、同じ同胞の日本人がかなり住み属領化されていたと思います。あの有名な高句麗の19代王の好太王の業績を讃えた広開土王碑(子の長寿王が西暦414年10月28日に建てたとされる)には、当時、倭が百済と新羅を臣下としていた旨が刻まれ、新羅の王族には倭(日本)の血も入っていたと言われています。

秦の始皇帝が墳墓を築造するには70万人の人間が労役に従事したと言います。当時の秦の国の人口は凡そ2000万人と言われています。一方の日本においては人口は4~500万人ほどと推定。秦の四分の一程の人口です。しかし始皇帝陵と肩を並べる陵墓を築いた大和王権はとても大きな力を持っていたと考えます。全国に無数に築造された前方後円墳は当時の日本の古墳文化、文明が世界史的にみてもとても躍動に満ちた時代であると、もっと評価されてもいいと考えます。

ここまで書いて、記事の内容はもっぱら既に言われてことを追認した形ばかりになってしまいましたが後編では世界でも日本にしかない前方後円墳の特異性、3D制作する過程で考察した事など、いろんな角度から捉えた3DCG画像も交え自分なりに解いていきたいと思っています。

どんな画像かと申しますとこんな感じです。

仁徳天皇陵の全景CG

仁徳天皇陵の全体像です。三重の濠に囲まれています。これだけ見ても、その巨大さが表現されている、と思うのですがいかがでしょうか? 現在の鬱蒼とした森を除くと古代の姿が蘇ってくるのです。造形的にもクフのピラミッドや始皇帝陵と較べても全然見劣りしません。いや、逆にその二つとない斬新性に惹かれますね。陪塚は今回はカットしました。すみません。

そしてもう一枚。

方墳の祭祀と円墳を望む

これは遥拝丘であったと考えます前方墳から望む大王の墓室である後円墳です。何やら巫女が舞っています。きっと大王の御霊をお慰めしているのでしょう・・・と想像する私は中二病でしょうか? 笑。人物像は光琳社出版刊、井筒雅風著の「原色 日本服飾史」から一部紹介させて頂きました。また敷物は株式会社植山テキスタイルの御座素材を紹介させて頂きました。
以上、次回に続きます。


※ コメントの書き込み欄は下にあります。 

※ お問合せのメールフォームは左サイドバーにあります。 
 
ランキングアップします。お手数掛けますが励ましの二押しお願いします!

 

にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ 
※ ブログに掲載する3DCG、加工済画像等の無断転載は固くお断りします。
関連記事
スポンサーサイト



No Subject * by -
レインボー様コメントありがとうございます。
古代史のエキスパートのレインボーさんからコメント頂くとは冷や汗ものです 笑。
小生のブログでは3D制作がメインで、それに解説を添えたもので適当な部分もあるかもです。
>朝鮮半島系のツングース系大王の陵墓ではない>かと観ています
ツングース系とは思いもつきませんでした。天皇家のルーツも天孫系なので渡来民族の一派だと思いますが何処から来たものか判然としません。ひょっとして本家が戻ってきた?などということもあるかもしれないと個人的に思ってます。仁徳陵の円墳と方墳の間を”馬の背”と表現しましたが、古墳を側面から眺めていたら、何やら馬の頭と背とお尻に見えてきました 笑。また、大仙陵古墳の記事書かれましたら教えてください。

大山陵古墳はツングース系大王の陵墓では! * by レインボー
たいへん興味深い記事でした。

大仙陵古墳は拙ブログでも検討予定ですので、見ていただければ幸いです。

拙ブログでは、大山陵古墳は朝鮮半島系のツングース系大王の陵墓ではないかと観ています。

その結果、王墓名がが分からないように闇に葬られたのではないかと観ています。
草々

コメント






管理者にだけ表示を許可する

No Subject

レインボー様コメントありがとうございます。
古代史のエキスパートのレインボーさんからコメント頂くとは冷や汗ものです 笑。
小生のブログでは3D制作がメインで、それに解説を添えたもので適当な部分もあるかもです。
>朝鮮半島系のツングース系大王の陵墓ではない>かと観ています
ツングース系とは思いもつきませんでした。天皇家のルーツも天孫系なので渡来民族の一派だと思いますが何処から来たものか判然としません。ひょっとして本家が戻ってきた?などということもあるかもしれないと個人的に思ってます。仁徳陵の円墳と方墳の間を”馬の背”と表現しましたが、古墳を側面から眺めていたら、何やら馬の頭と背とお尻に見えてきました 笑。また、大仙陵古墳の記事書かれましたら教えてください。
2020-06-01 * [ 編集 ]

大山陵古墳はツングース系大王の陵墓では!

たいへん興味深い記事でした。

大仙陵古墳は拙ブログでも検討予定ですので、見ていただければ幸いです。

拙ブログでは、大山陵古墳は朝鮮半島系のツングース系大王の陵墓ではないかと観ています。

その結果、王墓名がが分からないように闇に葬られたのではないかと観ています。
草々
2020-05-31 * レインボー [ 編集 ]