3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

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ショートコラム 家康殿ありがとう

つい先日の12~13日にかけて拙ブログのアクセス数が二日連続で650を数えました。普段は日当り200~400の間、たまに500越え、というのが通常のパターンなのですが、連続600は初めて。「えっ?何があったの」と鳩に豆鉄砲をくらった気分になりました。

何が原因か?記事の人気ランキングを見るといきなり「飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 後編」がトップに出ています。

そこで、察しのいい?小生は「ははぁん、そういうことか」と原因が分りました。キーワードは”京都新城”です。アクセスが急増した同日、ニュースに「京都新城」遺構 初めて発見」とあって、その京都新城の事が拙ブログの同上「飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 後編」で取り上げたことがあってそれが急増に結び付いたのです。多分。
  

飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 後編

今、後編を書き出しているところですが、14日のブログで東京帰りのついでに背景用写真を撮ってこよう、と書きましたが確かに撮ってきました。足に豆ができるほど歩きました。でも、皇居東御苑は金曜はお休みで入れないんですよね、知らなかった。いきなり出鼻をくじかれた感じ。仕方なく明治神宮に移動。そこでパシャパシャ撮ってましたが、そのときのこと。灯篭を撮っていたら突然背後から40代くらいの女性から「今、撮りましたよ...


京都新城ニュース

京都新城は聚楽第の廃城・解体後に秀吉が京都に最後に建てた城郭風の屋敷・居所で現在の京都御苑の仙洞御所あたりに存在しました。慶長16~元和元(1611~15)年頃の御所を中心として描かれた「中むかし公家町絵図」の中に”高臺院殿”とあるのがその新城で秀吉亡き後に正室の高台院おねねが住んだところです。

2020-05-25-中むかし公家町絵図

絵図で見るとその高台院殿、即ち京都新城の広大さが分ります。内裏より大きいです。倍はありますね。で、小生の記事中に「飛雲閣は聚楽第の解体後、京都新城に移築され、さらに同城の破却後に現在の西本願寺に移築された」との仮説記事があって、それが今回のネットの検索ヒットに至ったと思われる次第です。

最近は細やかな事業や3D制作の仕事等あって記事の更新もかなり遅れがち。そのなかでのアクセスアップ、有難くも申し訳ない・・・と少々、複雑な心境です・・・。

さて、最近は新型コロナの件で全世界が震撼しています。各国・各地で緊急事態宣言や自粛、休業といった出口のない息苦しさ、閉塞感が漂っています。私もこのような惨事に遭遇するのも生まれて初めて。いっぺんに人類の歴史に遡って、いかに災害、疫病、飢饉、戦争の惨禍が繰り返されてきた事か・・・と、まざまざとフラッシュバックしてきて、今、自分も人々もその当事者になってしまったのだなぁ・・・と悲しさがこみ上げてきます。ホント、早く収まって欲しい。

そんな思いが去来するなか、ふと「徳川家康」のことが頭に浮かんできました。先ごろ、テレビで戦国時代の武将の人気ランキングを発表する番組が放送されましたが、そのなかでトップ人気は織田信長、続いて2位に上杉謙信、3位に伊達政宗と続き、ひと昔前まで常にトップだった太閤秀吉は6位落ち、家康は5位、という結果でした。秀吉は晩年の我が子可愛さ故の秀次切腹、愛妾30人を処刑するなど残酷性が知れ渡るようになったこと、家康は秀頼を自刃に追い込むなどの謀略性。とくに家康は表裏使い分けた「喰えないタヌキ親父」のイメージがずっーと付きまとって一番になったこと自体がありません。もう理屈抜きの感情嫌われな家康です。

徳川家康肖像画

でも、コロナじゃないですが、いかに世の中が平穏であることの大切さが身に沁みる今、私のなかで家康の存在がクローズアップされてきたのです。

江戸時代、寛永15年(1638年)の島原の乱を最後に幕末まで230年間、戦争、クーデター、内乱といった国を揺るがす争乱が全くありませんでした。もちろん、飢饉による米騒動、大塩平八郎の反旗などありましたが、それは一部、強訴レベルのものでした。

この230年間に渡って国内的にも争乱のなかった国は世界史的にみてもとても稀なことです。絶対な権力をもって統治し数百年続いた王朝は多くありましたが、その栄華の裏に熾烈な権力争いと国と民の血なまぐさい闘争がありました。

その一方で道中を女性一人で歩いたり、無銭でも伊勢参りまでできる、真の意味での平和、治安の良さ、秩序だった社会、またその礎を築いたのが他でもない徳川家康だと思います。感情的にはタヌキ親父などあまり好きではありませんが客観的にみると家康が本来のランキングトップであると思います。カッコ良さや戦上手ではなく、何よりも230年間続いた平和の実績があるのですから。

家康の平和の基を築いた能力・資質は色々あると思いますが、一つ考えられるのには家康の「貴種好み」があったからでは?と個人的には思っています。

天下を統一すると家康は、足利氏を始め没落した戦国の名家・守護大名の子孫を高家(儀礼担当)に迎えたり、帰農した地方豪族を庄屋として地域行政の長に据えたり、朝廷の権威の回復と制限、公家の地位の担保と武家との役割分担、各種文化・職能集団のトップに貴種を据える(公家等)。たとえば和歌の冷泉家、全国の神社の任官・許認可を統べた吉田家、荻原家。陰陽道(暦)の土御門家、盲人(按摩)を統率した久我家、全国の鋳物師(いもじ)を支配した真継家(地下官人)、寺院による過去帳(今でいう戸籍簿)の管理など、各所の長に貴種を配しました。

江戸時代は士農工商に定められた身分制度がありましたが、身分が低く貧しい民衆でも、職業集団・座に加わり、その組織の長に公家や寺社を据えることで身分外の一定の勢力を得ることができました。貴種には成り上がりにはない「安定と信用」があったからだろうと思います。

このようにして、家康は身分秩序に「貴種ヒエラルキー」を据え、江戸時代230年間の平和を保たせた功績があると思います。

余談になりますが、今回の京都新城ですけど、当時の絵図で見るとおり内裏の直ぐ傍にあって大きさも倍。聚楽第も戦国時代でさえも嘗ての大内裏跡として民家も建てず公園のように保存されてきたものをぶち壊し築城しました。よく秀吉が尊皇家と言う人がいますが、もし尊皇家なら内裏そばに権力を誇示するような巨大な城を建てなかったと思います。

何度も言いますが新型コロナの影響で世の中が不穏と不安に襲われるなか、家康の「貴種好み」を上手く利用して社会の平穏と平和を永く成しえた手腕に「家康殿ありがとう」と、つい言いたくなるのです。


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No Subject * by -
五反田猫様
コメントありがとうございます。

五反田猫さんが言われるように「権威があるものには、実力を与えない」という家康の統治方法は、明治以後、戦後になっても、「キャリア官僚は実務権限はあっても報酬はほどほど」という風に現在まで続いていると思います。逆に退官して天下りからが”役得”という面があると思います。
昨日?でしたか、検察庁法改正案が著名人も交えてハッシュタグ”#検察庁法改正案に抗議します”がツィッター上で拡散され、法案の採決は見送りになりました。これも何となく検察権力にあまり力を持たせたくない、という原理がどこからか湧いたのかもしれません。安倍内閣もあっさりと引き下げました。
でもこれって一般国家公務員の65歳定年と抱き合わせですから公務員の方からすれば面白くないと思いますがどうなんでしょう?
今一、背景がよくわかりません。

いつもありがとうございます。 * by 五反田猫
京一朗さん

遅ればせながら「ビジュアル 日本の住まいの歴史 ① 古代」での資料掲載、おめでとうございます。
専門家が認めているというのは、客観的に見ても、価値があるコンテンツの証ですね。

京都新城の話も有難うございます。
何と「高臺院殿」が、そうだったのですか。
よく見ると、西に門がある点(道路付きの制限か?)なのと、南西の隅に町屋があるのが面白いですね。
流石の太閤も退けと言えなかったのか? 初期の御所もそうですが、結構 旧来の町屋の制限を受けています。
マルクス史観の人は信じませんが、当時でも個人の土地の権利というのは尊重されていたのではと想像しています。

>貴種ヒエラルキーの利用
この辺りのバランス感覚が凄いですね。
何よりも、権威があるものには、実力を与えないという原則もあります。 だから高家も公家も、中級から小旗本程度の禄高しかありません。これは政治的権力のある譜代大名も同じで石高は低い、 10万石を越える、国持ち大名などには、絶対に権威や権力も与えない。このバランス感覚が凄いと思います。

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五反田猫様
コメントありがとうございます。

五反田猫さんが言われるように「権威があるものには、実力を与えない」という家康の統治方法は、明治以後、戦後になっても、「キャリア官僚は実務権限はあっても報酬はほどほど」という風に現在まで続いていると思います。逆に退官して天下りからが”役得”という面があると思います。
昨日?でしたか、検察庁法改正案が著名人も交えてハッシュタグ”#検察庁法改正案に抗議します”がツィッター上で拡散され、法案の採決は見送りになりました。これも何となく検察権力にあまり力を持たせたくない、という原理がどこからか湧いたのかもしれません。安倍内閣もあっさりと引き下げました。
でもこれって一般国家公務員の65歳定年と抱き合わせですから公務員の方からすれば面白くないと思いますがどうなんでしょう?
今一、背景がよくわかりません。
2020-05-20 * [ 編集 ]

いつもありがとうございます。

京一朗さん

遅ればせながら「ビジュアル 日本の住まいの歴史 ① 古代」での資料掲載、おめでとうございます。
専門家が認めているというのは、客観的に見ても、価値があるコンテンツの証ですね。

京都新城の話も有難うございます。
何と「高臺院殿」が、そうだったのですか。
よく見ると、西に門がある点(道路付きの制限か?)なのと、南西の隅に町屋があるのが面白いですね。
流石の太閤も退けと言えなかったのか? 初期の御所もそうですが、結構 旧来の町屋の制限を受けています。
マルクス史観の人は信じませんが、当時でも個人の土地の権利というのは尊重されていたのではと想像しています。

>貴種ヒエラルキーの利用
この辺りのバランス感覚が凄いですね。
何よりも、権威があるものには、実力を与えないという原則もあります。 だから高家も公家も、中級から小旗本程度の禄高しかありません。これは政治的権力のある譜代大名も同じで石高は低い、 10万石を越える、国持ち大名などには、絶対に権威や権力も与えない。このバランス感覚が凄いと思います。
2020-05-19 * 五反田猫 [ 編集 ]