3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

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実は京都御所は江戸城より豪華だった! 前編

24日、皇居の本丸北に位置する宮内庁の公文書館へ行ってきました。同館は宮内庁書陵部に属し明治以後の宮内省・宮内府・宮内庁が作成又は取得し,同館に移管された特定歴史公文書等を所蔵している所です。同じ書陵部には明治以前の代々皇室に伝わってきたものを中核とする古典籍・古文書類を所蔵している図書寮があります。どちらも同じ書陵部の建物の中にあります。以前、数度、図書寮の方へは行ったことがありますが公文書館の方は初めてです。

24日は皇居周辺は警察官が100mおきに配置されているなど物々しい雰囲気でした。そういえばトランプ大統領が来日するのは翌25日でした。うっかり忘れていました。

記事タイトルに「実は京都御所は江戸城より豪華だった!」とつい思わせ振りに書いてしまいましたが、公文書館で閲覧した京都御所の「京都御所屋根之圖明治十三年七月改正」という絵図資料を見て、本当にそう思ったのです。いや、正確に言うならば、軍事要塞としての江戸城の巨大な縄張り、石垣、櫓群との対比ではなく将軍の住んだ本丸御殿と帝のおわした京都御所という両御殿の比較においてそう思ったものです。

ちなみにまったく関係ないことですが記者時代に記事の〆に「何々~ものです」という書き方をするとデスクから「そんな安易な書き方はするな!」とよく怒鳴られたものです(また使っている 苦笑)。とても便利で曖昧な慣用句ですから。記事を書きながらふと昔の事を思い出しました。

前記事で書いた情報提供の方ですけど、ハンドルネーム”i love 京都御所”という方から御所の古写真の紹介を頂いて自分の書いた屋根形状の推測が間違っていた事が分かり、また、今回、失われた御所の殿舎の屋根形状を知る上でとても役立った絵画資料「京都御所屋根之圖明治十三年七月改正」が公文書館ににある事を教えて頂いたのも同氏です。

同氏のおかげで、幕末、安政度内裏の建物屋根の全貌を知ることが出来ました!。3Dで御所を再現する上でこの上なき資料です。資料そのものも色彩豊かで絵画を見る如く、後にも先にもこのような優れた「小屋伏図(屋根の小屋組を上から見下ろした図)」は二度と現れないかも、と心底思いました。欲しい!と思わず思いましたが詮無いことなので、せめて複写でもとお願いしました。出来上がるのは7月ごろ。手元に届いたらブログにもアップする予定です。とても大判のサイズです。

その”i love 京都御所”さんから御所の古写真のネタ元を「ぜひ公開して下さい」とのお返事を頂いたので紹介しますね。

e国宝サイト

それは「e国宝」というサイトです。

国立文化財機構の4つの国立博物館 (東京国立博物館、京都国立博物館、 奈良国立博物館、九州国立博物館)が 所蔵する国宝・重要文化財の高精細画像を、多言語(日本語、英語、フランス語、中国語、韓国語)による解説とともにネット上で見ることができます。記事中にリンク先を貼りたいのですが、まだサイトがSSL化(暗号化)されずリンクすると拙ブログ自体が「常時SSL化」状態ではなくなってしまうので残念ながらリンクできません。ですので、Google等で”e国宝”と検索すると出てきます。サイトの内部検索で”京都御所”と打ち込むと沢山の御所の古写真が出てきます。その中の写真が間違いを指摘してくれたのです。

前記事で載せた番所の写真、
旧切手番所の写真

この屋根の形状について、「翻刻 安政御造営図志(編集:庄司成男、荒川玲子の二氏、庄司氏は元宮内庁京都事務所長、荒川氏は元宮内庁書陵部編修課主任研究官をされた方。発行は宇土條治氏)」中に書かれた番所の仕様から、”屋根は葺詰”を寄棟と解釈し、現在みる番所の入母屋屋根は明治になってからの改築で付け足されたものと推測しましたが、

「e国宝」で検索したら同じ番所(切手番所)の古写真が出てきまして、

京都御所公家門

現在のとまったく同じ屋根で当初から入母屋であったことがわかりました。隣の門は宣秋門です。この古写真は明治5年に撮られたものです。ですから、御所の建物が解体される前のものです。

この明治5年。「壬申検査」といって、当時、古器旧物の保存と海外流出防止のために、社寺や華族の所蔵する古器旧物の本格的な実地調査が行われ、その時の記録がなされた年の干支をとって壬申検査と呼ばれるようになりました。明治以後の初めての国による文化財保護政策と言われています。

この中には多数の古写真があり建物関係も含まれています。そして御所の写真も残された訳です。私自身も壬申検査の事は知っていましたが断片的にしか古写真を見たことがありませんでした。御所の写真も紫宸殿や清涼殿を撮った数枚程度でした。それが、今回、「e国宝」を通してより沢山の写真を拝見する機会を得たのです。

何枚か紹介します(御所関連)。

京都御所内侍所-2

現在の御所の小御所前に広がる御池庭越しに見る内侍所の写真。もし、今も残っておればかなりの迫力であったと思います。内侍所は三種の神器の一つである神鏡(八咫やたの鏡)を安置する御殿で高床の建物形式でしたからさぞ存在感があったと思いますし御所の醸し出す神聖さの象徴であったと思います。

京都御所台所門

これも大変珍しい写真です。現在の御所参観の出入り口である清所門から見た御所です。最も奥に見えるのは御茶所。茶葉の保管庫か?手前、煙出しの屋根のある建物は御釜殿でここでお茶や湯を沸かしたり、お米も炊いたりしました。御所の生活・裏方のわかるとても珍しい写真です。

京都御所築地

これも珍しく御所の築地塀に沿った通りと公家屋敷の塀です。築地塀は仙洞御所、右は廣橋家、奥正面は長谷家の屋敷塀と思われます。以前、この位置から撮った写真をブログに載せたことがありますが、その時は画像も小さく不鮮明でした。

他にも色々ありますが、「e国宝」にてご覧になってみてください。御所以外にもとても興味深い写真が見られますよ。そうそう、拙ブログの左サイドバーの一番下にある情報リンクの最後に「e国宝」の外部リンクが載ってます。ここからもダイレクトにサイトへ飛ぶことができます。

さて、ここで、e国宝関係の紹介は終わりまして、”i love 京都”さんから教えていただいた「京都御所屋根之圖明治十三年七月改正」について、その中味に触れていき、いよいよ「実は京都御所は江戸城より豪華だった」、という記事タイトルに至った理由、核心部分について述べていく訳ですが、その前にバランス上、宮内庁書陵部、公文書館、皇居周辺の建物や風景を撮った写真を先にアップさせていただきます。下手くそながらせっかく撮ったし、核心部分について述べた後ではホントに蛇足になってしまいますので、

まず、皇居の周辺図と書陵部のある位置を示します。小さく赤く囲ったところが書陵部(公文書館)。
書陵部の地図
                          © OpenStreetMap contributors


書陵部へは本丸の北に位置する北桔橋門から入ります。一般客はここからは入れません。
北桔橋門


書陵部の建物
森に囲まれた書陵部。静かで目立たない所にあります。


書陵部の玄関

色々、注意書きが書いてあります。神妙にしなければ。
書陵部で閲覧を終えた後、折角ですから本丸跡を見学しにいきます。

桃花音楽堂
途中、桃華音楽堂も見えます。

天守台跡
おぉっ、天守閣の石垣だぁ!

さっそく天守台へ上ってみます。
天守台誰もいない
天守台には誰もいない・・・ただ雲一つない晴天が東京の中心であることを忘れさせてくれます。

本丸跡-誰もいない
天守台から降りていきます。やっぱり誰もいなさそう・・・何か自分だけ地球に取り残された気分。

天守台誰もいない-2

本当に誰も、猫一匹いない! 一体どうしたのだ!
で、二の丸庭園でも行こうかと思ったけど行けない。誰もいないので聞けないし・・・。
仕方なく北桔橋門から出て皇居のお堀沿いに東京駅まで歩きました。

お堀
さり気なく堀端を眺める。

例によって警察官が物々しい。ふと、案内板を見たら、「第四金曜日は東御苑はお休みで入れません」と書かれている。そうか、そういうことだったのか。しかも書陵部も第四金はお休み。なぜか公文書館だけは開いている。どこも門は閉ざしているのに北桔橋門だけ閲覧者なら入れる。

だから江戸城本丸を独り占めできたのか!
何か得したようで、取り残された気分も味わって、不思議な感覚。

東京駅

でも東京駅に着いて現実に戻りました。
大勢の人波に揉まれ、人も皆一様に速く歩いている。そんなに急いで何処へいく?再び空を見上げる。

高層ビル

高層ビルが槍の穂先のよう。東京に疲れた・・・。

さぁ、次回、後編で思いの丈を書きます。

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