3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

夏祭り

7月に入って冷房病というか夏バテ気味で頭も朦朧。
短歌もこちらから作るのではなく、あちらの世界?からやってくるので、ただ口を開けて待っている。
まったく受け身。

結社誌に所属しないのも、毎月の投稿のノルマとかあったら、自分はすぐに根を上げてしまうだろう、
と思っているからブログに好きなように載せている。

ブロガーの方には定期的に休まず歌をアップしている方もみえて私からみればまさに驚異の対象。
中には作りだめして上手に運営している方もいる。そういう方は人生をエンジョイするのが得意な方なんだろうなぁ、
と思っている。

短歌が一番できやすいときは、とくに考えごともせず、車なり、電車なり、街を歩くなり、とにかく何らかの移動手段に
自分が乗っかっていとき。要は猫がお腹を上にして寝ている状態。

何かに惹かれよう
と思っても器用に出来るものでもなく、胸騒ぎは前触れもなく意表を突いてやってくる。

個人的に感じることだが、旅を詠んだ歌で名歌だと思える歌は少ない気がする。
旅は能動的なものであり、美しい景色や情緒ある町、美味しい食べ物。それらがストレートに心に入ってきて
歌などは忘れている。

だから旅でないような旅をした芭蕉は名句ができたのかもしれない。

短歌は群れてはできない。友人と談笑したり宴会中などもってのほか。

明確に言えるのは独りのときだけにできる。私の場合。

独りだから共感できる。そんなパラドックスを抱え詠っている。


★ 夏祭り 花火の音を 聴かせたく 君にかければ そちらからも返りにき

夏祭の花火


夏は祭りの季節。連凧のように毎日どこかの空に繰り広げられている。
LINEで画像を送るより爆ぜる音を直接聴かせる方がインパクトがある。

だから君にもかけた。そしたら振動が伝わってきた。君の方からも花火の音が返ってきた。
驚ろかしてやろう、どころじゃない。君に私が驚かされた。

何年か前、進入禁止の看板があるのを知らず打ち上げ花火のど真ん中に入ってしまったことがある。
打ち上げ花火は45度に見上げるものだと思っていたが、そのときはホントに90度、真上に花火が炸裂した。
すごい迫力だった。そしてあまりの大輪な美しさに見惚れた。しばらしてパチパチッと火の粉が
眼の前に落ちて来た。手筒花火で髪を焼いた経験があったのでとくに気にしなかった。感動の余韻に浸りながら
不思議と祭りの関係者に叱られることもなく外に出られた。
ただ、家族から叱られた。

花火が返歌にもなる夏祭り。今夜もどこかで上がっている。

★ 品川駅 ビルに隠れている 屠殺場 込み合うホームに 風が巻いている


品川駅3
  

品川駅

品川駅で待ち合わせしたときのこと。その方から「あそこが屠殺場なんですよ」と聞き、駅のすぐ傍にあることに驚いた。まったく知らなかった。今は「東京都中央卸売市場食肉市場」といい、屠殺場とは言わない。屠殺場という言葉自体を避けている。

屠殺場というと、何らかの感傷を伴う歌になりそうだけど今の自分にはない。

昔、私は菜食主義者だった。半信半疑ではあったけど人間たちが肉を食べるのを止めれば、ライオンたち肉食獣もそれに見習って止め、草を食べる平和な共存社会ができると、そんなユートピアを夢想していた。

でも食べないと、肌がカサカサしてきて活力がなくなる。栄養バランスが崩れるから。だから今は食べている。元々好きではなかったから量は少ないけど。

それにしても今の日本は焼肉店がやたら増えている。消費量もうなぎ上り。

最近、ニュースで、フランスの食肉店などに菜食主義者の嫌がらせとも言える「肉食反対」のチラシが無断に貼られ問題になっていると聞く。肉食文化が主流の欧州でこんな出来事が起こるとは思わなかった。

欧州には一定数の菜食主義者がいる。イギリスなどとくに。知識人、芸術家に多い。

日本の菜食主義者(主義者という言葉自体が違和感のある日本)は健康の為とか、ダイエットの為とか、あまり深く考えていないが、欧州の人たちは違う。長年、肉食をしてきた習慣・文化自体を否定する、半ばイデオロギー的緊迫感がある。キリスト教的に言うならば、人間の趣向で動物たちを食べて来た事に対する「懺悔」の気持ちが背景にある。だから徹底している。(一部、スピチュアル的要素もあるが)。

日本の場合は、肉食の文化は明治までなかったから、逆に今、増えている。

肉を食べる食べないが善悪に繋がることなのか?私にはわからない。
ただ、最近思うのは、地球上に生きている生物たちは互いが食べ食べらながら生きている。
これは頑とした事実であり、自然界の循環の要素にもなっている。

人間には動物たちと違って「何を食べるか」という裁量権がある。
この権限が、未来、どのようになっていくのか?文明の消長にも関わってくるだろう。

何か、大層な方向へ行ってしまった。

小さい時、母から「ご飯の米粒は残さず食べること」とうるさく言われた。「もったいない」の精神だ。

肉を食べるとき、残さず食べることが屠殺した家畜たちへの最低限の礼儀だと、最近言われるようになった。
昔は「米粒を残さず」。今は「肉を残さず」へと時代は変わっている。

良いも悪いもない。
ただ、駅のそばにある屠殺場。そして駅のホームで私の足元を風が巻いていた。

なぜか、その風が気になった。これも感傷と言うのだろうか・・・。


★ うだる夏 白いネットに 覆われた ブルーベリーが 岩に見えてくる

白い岩

好きなブルーベリー。最近はガーデニングでも人気がある。防虫ネットも張られる。
言い方はなんだが、湯気の立っているようにみえる真夏日がある。そしたら、そのプランターが白い岩に見えてきた。
ただ、それだけのことだけど。
白昼夢という言葉を、ふと、思い出した。


★ 梔子から 蝶の生まれる 幻影の 糸杉を描く ゴッホが見える

幻影のクチナシ

ゴッホが描いた糸杉は太陽のように自転したり、熱放射に歪んだりしている。普通の眼に見るならそれはありえないことだ。
でも。ゴッホの命を削って描いた点描画を見ると、糸杉が渦を巻いて回っているのも、歪んでみえるのも、それは事実、そう見えたままを描いたものだと思った。糸杉が暑い太陽の元で生命のエネルギーを発散している。
その生命の息吹をゴッホは心の眼で見えていた。

だから、今も、多くの人がゴッホに魅了されているのだろう。

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