3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

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清涼殿を作ってみた 外観編

京都御所の清涼殿を作ってみました。とりあえず外観。多少、内部も作り込んでいます。ここ清涼殿と紫宸殿は江戸末期の安政二年(1855年)に再建された御所の殿舎のなかで最も平安朝の寝殿造の古性を伝える建物です。従って両御殿については外観のみならず、内部、そして部屋毎に設えた大和絵の襖障子や家具調度品などインテリアについても3Dで作る予定です。


清涼殿位置図
清涼殿の位置図です。紫宸殿の西北にあります。

今回は渡り廊下までは作ってないので、清涼殿単体では結構寂しいかな。

御所の主要建築を作った後は、宣秋門から入り承明門を抜け回廊経由で紫宸殿内部に入り、また渡り廊伝いに清涼殿の南廂から同清涼殿の内部へ入る。そして殿内の母屋と各廂をウォークスルーしながら周遊、という動画作成を計画しています。その後は他の失われた諸殿舎の平面表示、そして御所を出て、かつての公家町の守り、通用門であった蛤御門等の高麗門型の筋鉄門を作成、その後も公家町にあった多様な塀や門、物見等と指図が残っている公家・宮家の平面図の作成と設置、そして一軒づつコツコツ立体・建物化してゆく、という長~い道程を計画しています。

国内の江戸城始め各地の城・社寺等の3D化はよく見受けられるますが、かつての公家町を3Dで再現する試みは今まで国内ではなかったと思うので、人によっては多大なる「無用の長物」と思われるかもしれないし、中には「よくやった、幕末まで日本の権威の中心であった内裏・公家町の再現は、貴重な視覚史料になると」と評価してくれる人もいるかもしれない。とにかく言えるのは寿命が3年は縮まるだろう・・・という細やかな覚悟?・・・苦笑・・・そんなところです。

内裏・公家町を作っていく過程では、私は建築のプロではないので、おかしな?部分とか間違い、簡略化とか出てくると思いますが、私自身のスタンスとしては素人なりに視て楽しむ、夢を膨らませてくれる、そんな作品作りを心掛けていきます。

さて、前置きが長くなりました。

清涼殿を作ってみて改めて思ったのは、現代人も見てみたい平安の寝殿造への想い、それは江戸時代に生きた人たちも同様な思いを描いていた、ということです。近世、寝殿造はすでになく、当時の人も分からなかったのです。

そこで、上述した安政期の再建にはかなり力を入れて平安の復古に拘りました。とくに住空間であった清涼殿は家具調度品の類にも拘りました。

ただ、棟高、建物、屋根の高さだけは近世的に高くしましたが他はよく古性を伝えていると思います。

江戸時代、天子様が実際に住まわれたのは書院形式を含めた常御殿で、清涼殿は住まず儀式だけに使われました。

丁度、私たちが寝殿造のジオラマを見るように江戸時代の清涼殿もすでに展示コーナーだったのです。

そんな事を思いながら作成しました。

清涼殿は紫宸殿の西北に位置し渡り廊で繋がっていました。
規模は簀子(縁側)も含めて南北の長手方向が約23mほど、東西の妻側は18mほど。高さは14mほど。今回は単体での清涼殿なので実際には北廂や南廂(殿上間)も含めると南北はさらに長くなります。

清涼殿平面図(ブログ掲載用)
清涼殿の平面間取り図。上が北方向です。

普段、御所参観の順路で見る清涼殿は東の孫廂(弘廂)側からのものです。弘廂は建具もなく吹き抜けで天井・柱がとても高い。見学された方も、その高さ、広壮さに驚いたと思います。でも、紫宸殿より一回り小さいのですよ。

参観ルートからは、この東側からしか同殿は見れません。

京都御所参観順路図
京都御所参観順路図。やはり、東側からしか見れません。

で、問題なのは清涼殿の妻側(側面)がどんな形状をしているか?でした。いろいろ立面図も探しましたがはっきりしたものはなく、紫宸殿と同じ形式か、あるいは常御殿のような飾り金具で飾った豪華なものか?いまいち、判断が付きかねませんでした。

となると、実際に見るしかない、でも順路には妻側はない。
そこで改めて撮った写真をチェック、そしたら一枚ありました!
清涼殿妻側屋根の形状
こんな感じ。

左上、赤く囲った屋根がまさしく清涼殿の屋根。
これで、妻側の形式がわかりました。紫宸殿と同じです。やっぱり、というか平安の復古建築なんですから近世のコテコテではありませんね。ふぅ、これで3Dも作れる。

では、具体的に一枚一枚、いろんな角度からとらえた3DCGをアップしますね。設計図などないので細部の間違いはお見逃しを・・・です。(クリックすると何れも拡大します)

今回、大和絵の障子等の絵画も貼り付けましたが、
毎日新聞社刊「宮内庁協力 皇室の至宝 障屏・調度Ⅰ」から引用させて頂きました。


まずは、この一枚から、
清涼殿が加わった御所
清涼殿が加わった御所。

殿舎が一つ加わっただけで前回とあまり変わり映えしないかも・・・。

後、定番というか東西南北から見た清涼殿をアップ
東から見た紫宸殿と清涼殿
東から見た紫宸殿と清涼殿。やっぱり渡り廊下がないと絵にならないかなぁ・・・。


西から見た清涼殿
西から見た清涼殿。これも地味ですみません。


もう一つ北からみたもの。
北から見た清涼殿
北から見た清涼殿。

北、そして南も廂を伴ってない単体の清涼殿なので、ちょっと間が抜けた感じかな。次回は渡り廊下などと一緒に作らねば。
左側に見える障子は「荒海図」、土佐光清の画。
北東から見た清涼殿
北東から見た清涼殿。

紫宸殿南庭の朱塗りの回廊まで続いている様がいいかな。弘廂の高さもわかる。と、自分で言ってみる。

それでは、次からは細部編から。

まず、
東側から見た清涼殿と弘廂
東側から見た清涼殿。高い角柱の列と広壮な吹き抜空間の弘廂が印象的です。

さらに、その正面アップ、
清涼殿弘廂正面



清涼殿弘廂のアップ
斜め構えの東・弘廂です。


南から見た弘廂内部
弘廂の内部に入って南からみたCGです。

虹梁(こうりょう)が何本も見えますね。
虹梁とは主に柱と柱を繋ぎ安定させる化粧施した梁のことで社寺建築ではよく使われます。

東側からはもっぱら蔀ばかり目立ちますが、一つだけ部屋らしきものを紹介します。
東南隅にある石灰壇です。ここは床を漆喰で白く塗り固めた床臺で、
天子様が神々への遥拝を行ったところです。
石灰壇
石灰壇


石灰壇アップ
さらにそのアップ


次に参観ルートにはない、普段は見れない西廂の方を見ていきます。

清涼殿西廂(正)
清涼殿西廂の正面です。

背後に紫宸殿も見えます。

西廂アップ(正)
西廂のアップです。

襖障子や鳥居障子(はめ込み式障子、開閉は出来ない)等の並び大和絵が美しいですね。


斜めから見た清涼殿西廂
斜めから見た清涼殿西廂(正)

北の奥から蔀で囲った御湯殿(実際は蔀でなく絵障子で飾りたかったのですがどの絵かわからず蔀に)、御手水の間、朝餉の間、台盤所、鬼の間から構成されています。
御手水間と朝餉の間は明確な仕切りはなく大和絵の描かれた衝立が立っています。

御湯殿は主上が沐浴されるときの奉仕する内侍、典侍、上臈等の女官の控えの間とされるそうです。じゃ、主上様はどこで沐浴?ということにもなるのですが、それは置いといて。

御手水の間は主上が沐浴された後、ここで髪や衣服を整え手水を使われる間です。

朝粥間は主上の食事をされる所。手水の間とのあいだに猫を描いた衝立障子があります。

台盤所は、女房達が調理した料理を盛り付け・揃えるところで、また、女房たちの食堂でもありました。

鬼の間は、毒味したところと言われています。

では各間をアップします。

西廂湯殿と朝粥の間(正)
西廂の湯殿と手水の間、朝粥の間です。

奥には妻戸があり、左の障子二枚は天橋立図、妻戸を挟んで右に住吉浦。同住吉浦は鳥居障子といってはめ込み式。パネル的感じですね。

西廂台盤所(正)
台盤所です。

朝粥間との仕切りの障子画題は「音羽山」。背後は左から形見浦、衣手杜、三輪山の各画題。

西廂鬼の間(正)
鬼の間です。

右手奥には紫宸殿が見えます。障子の大和絵は左が玉河里、右が伊香保沼です。

後、オマケといっては何ですが、最後にお外を眺めます。
清涼殿と築地塀
清涼殿と築地塀。

以上、長々と掲載しました。お付き合い頂きありがとうございます。


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