3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

枯山水


★ 枯山水 白い砂地を 歩いたら どんな緑が 見えてくるのだろう

枯山水の庭


枯山水といえば京都の龍安寺が有名だ。練り壁に囲まれた白い砂地にたった15個の石組だけで庭を表現している。水がなくても橋が架かっていれば、その下には水が、池があると見なす抽象的な庭。龍安寺は空池さえもない。15個の石組は何を表現しているのだろう?禅問答のようで凡人の私にはわからない。

枯山水は室町時代に特に禅宗寺院で多く作庭された。禅宗の大本である中国の禅宗寺院もやはり枯山水だろうか?


以前、江南、杭州や蘇州を旅したとき、有名な禅寺も幾つか回ったがどんな庭だったか覚えていない。ただ、中国の庭園で見かける庭石は多くが溶岩流が冷えて固まったような形をしていてアチコチ穴が開いている。聞けば、中国では穴がたくさん空いている石が珍重され価値がある、とのこと。これも、なぜだろう?思うに中国には火山が少ない。だから溶岩流状の石も少なく、そんな石を多く持つことがステータスになったのかもしれない。日本だったら多分、無価値だろう。


蘇州の庭園を巡ると、どこもそんな穴岩・奇岩で溢れている。わざわざ幾つもの石をくっ付けて奇岩にしたりしている。やはり、桂林のカルスト地形から生まれた山水・奇山の風景が江南の風流人士の憧れとなったのだろうか?

禅宗で枯山水というと、無駄な物を省いたひたすら壁に向かって禅を組む質素なイメージを抱くけれども、実は禅宗が日本にもたらされたとき、当時の日本人からは、とてもハイカラに見えたのではないかと思う。

銀閣のような実際に二階に上れる楼閣造りもこのころ流入された。苔寺で知られる西芳寺の瑠璃殿(夢窓疎石によって作庭された庭にあった二層・二階楼閣)など、その走りだった。寺院の軒を見れば三手先、四手先と幾重に重なった豪壮な木組み、建具も透かし彫りを多用している。上部がアーチを描く花頭窓も、やはり禅宗とともに日本に到来した。橋だって屋根を載せた楼閣風の反り橋もこのころ流行った。全体から見れば十分華麗で異国情緒に溢れたものだった。ただ建物の色が彩色されてなかった。素木のままだった、それが禅宗の質素というイメージを植え付けた気がする。それまでの寺院といえば薬師寺や平等院のように朱色されるもの、という観念があったから。

だから、一見、質素だけど実は豪華、そのへんが武士のお気に入りになったかもしれない。

枯山水の石庭が売りの龍安寺なのに、一方で広大な鏡容池がある。実は平安時代には藤原北家の流れを汲む公家の徳大寺家の山荘だった。だから、龍安寺そのものは優雅な池泉回遊式庭園が主役で75坪の狭い石庭は元々は脇役だった。

石庭の背後を練り塀が取り囲んでいる。練り塀は菜種油を混ぜて練られた塀で姫路城にもあるなど強固な塀なのが特徴。そんな城向きのようなゴツイ塀がなぜ枯山水の庭を囲んでいるのか?不思議でもある。創建時、先に練塀ありきで石庭はその後に作られた? それか同時? 同時だったら、この庭を作った・指図した人物は只者ではないと思う。もし、現在みる石庭の塀が普通の白い漆喰塀だったら、今ほど評価されてなかったかもしれない。それほど塀の存在は大きいと思う。

私が一番惹かれるのは、熊手で筋線を付けた真っ白な砂地。直線と石組の周りを渦のように巻いた曲線。その両方が絶妙な清廉な美を醸し出している。


その清廉な白洲の筋線。それは古代から天皇の御所に敷かれていたものだ。もっと遡れば神道の清浄観に結び付くものだろう。

やっと、白洲まで辿り着いた。

一つ、私が言いたかったのは石庭は禅宗の伝来により出来たかもしれない。しかし、地面の白洲は日本古来からのもの。白は質素で無垢な美の象徴だ。この白洲の上に石を置いたから日本独自の枯山水庭園が生まれたと思う。

白洲に降りて筋線に沿って歩いてみたい。

そんな願望が湧いてきた。実際にやったら、即、警察行だけど。

歩いてみたら、どんな風景が見えるだろう?

緑を見たい!

実はそう思わせるのが、枯山水の本明なのかもしれない。



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