3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

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桃林荘と板ガラス

私事ですみませんが、つい先週、東京の明治神宮で娘の結婚式がありました。
ここは、灯篭を撮ろうと構えていたら、盗撮犯?と間違えられ、その女性(中年)から無理やりカメラの写真をチェックされるという目に合わされた地。また、何かあったら大変と、「もう明治神宮も見納めだなぁ」と思ってた矢先、何と娘からここで挙式を挙げると言ってきた。「ここで式を挙げると拝殿周囲を何回も花嫁行列するので写真パチパチ撮られて早い話、見世物になってもいいのか?」と私なりに牽制したつもりが「全然、平気」と言われ、そのまま明治神宮で行われることになった。実は花嫁行列に混じるのが少々恥ずかしいということもあったのですが。

明治神宮の花嫁行列
明治神宮の花嫁行列

でも、慶事ですから参拝にみえて撮る方も撮られる花嫁側もみんな喜んでいて、なんとも言い難い祝福の一体感がありました。何の気兼ねもなく他人を撮れる。それがどこでも通じたら、世の中、平和になるなぁ、と青空のもと、しずしず歩きました。

危うく盗撮犯にされかけたときと、この違いは何だろう?とも思いますが、そんなこといいです。今は神宮が好きです。
明治天皇様に感謝です。
明治陛下は生涯に10万首、和歌を詠まれたそうですが、一日あたりに換算すると5首は詠んでみえる計算。すごい!との一言しかありません。これはもう詠むというよりも自然と湧き上がってくる泉の如くです。大御心の発露ですね。

有名な一首、「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」。
いい歌ですね。

神宮外苑銀杏並木
明治神宮外苑、聖徳記念絵画館前の銀杏並木、ライトアップされてました。綺麗でしたよ。

そういえば、今回、神宮周辺の地図を見ていたら、神宮のすぐ傍に全国八万社の神社を束ねる神社本庁があるのですね。
知らなかった。一時期、神宮は本庁から離脱していた時期もありましたが今は元の鞘に収まってるとのこと。これも良かった。こんな近くで仲違いしてても良いことないですからね。
つい一昨日、東京深川の富岡八幡宮で後継をめぐっての諍いがあり、女性宮司さんはじめ近親の3人が亡くなるという痛ましい事件が発生しました。刺殺された女性宮司は神社本庁からは正式な宮司としては認められず、それもあって本庁から離脱、という経緯がありましたが、、そこに兄弟間のドロドロの争いが表面化というところでしょうか。なにも年末の、正月の初詣を迎える前にそんなことしなくても・・・全国の八幡さんにはいい迷惑と思いますが、やってしまったことはやりきれないばかりです。
最近、幾つかの神社が後継やお家の事情、経済的な面等から同本庁から離脱する動きがあります。
八幡宮の総家・九州の宇佐八幡宮でも、やはり女性宮司の後継をめぐって離脱の動きがあります。

それぞれに事情はあるでしょうが、そこは日本のため、神道界のため小異を捨てて一つにまとまってほしいです。で、ないと、それこそ、神道を貶めようとする輩に付け入る隙を与えてしまいます。

本庁関連とは関係ありませんが、つい先々週、週間新潮で、出雲大社国造家・千家の嫡男國麿さんに降嫁した高円宮家の次女典子様が離婚する準備?に入っている、との記事が出ました。あくまで憶測ですが。問題は、新潮が離婚の事を書くことの意味が奈辺にあるか?・・・です。千家は天皇家につぐ由緒ある家系です。代々の宮司は年間70程もある神事をこなし、毎朝5時に起きて、誰も入れない特別の部屋で一人だけで朝食をし大国主の神様に供し、祈るそうです。また、毎年の11月・神無月、全国の神様が出雲大社に集まるときには、ひたすら物言いを控え神様に迷惑をかけない、という風習が出雲、とくに大社の門前町にはあるそうです。1300年以上続くこの出雲大社の伝統は個々人の人智を越え連綿と今に続いてきました。

DSC_0092.jpg
出雲国造・千家の屋敷門

今夏、大社を参拝したときすぐ隣にある千家のお屋敷の門(長屋門)も拝見しました。大きな注連縄が厳かでさすがに風格がありました。でも、屋敷の造りはそれこそ庄屋屋敷をちょっと大きくした感じで意外と簡素な構えでした。
典子様が降嫁されたとき、やはり東京と出雲との環境や習慣の違いはあると思います。神の末裔の家ですからご苦労も多いかと思います。だからと言って、離婚の計画がある、と大きく記事にして誰が喜ぶのだろう? 誰が幸せになるのだろう?
斎む、という言葉がある。出雲大社は国譲りに始まる国つ神の御霊を鎮めるため鎮座している。

そっとしておいてほしい。

新聞やテレビが黙殺する事を書くのが文春や新潮といった週刊誌の役目だ。
ただし、特ダネだからといって何でも書いていいものではない。
条件がある。「日本を不幸にする」記事は書かないことだ。

娘の挙式なのに、あらぬ事を書いてしまった・・・。
桃林荘の話に持っていきます。以下はネットでの紹介記事から。
桃林荘は元々、明治天皇第二皇子建宮敬仁(たけのみやゆきひと)親王の御殿でした。 明治 14年昭憲皇太后のご生家である一條家に下賜され、 一時期、国が所管していたのを 昭和34年、明治神宮が御祭神由縁の建物として神宮へ移築。そして今日に至る由緒ある建物です。神宮の広い森のなかにあります。
ここで披露宴がありました。

桃林荘
明治神宮の森にある桃林荘

私は近代和風建築も大好きなので、ホントはじっくり拝見したかったのですが、今回は披露宴がメイン。集まった方々にお酌してまわり、結局、写真も一枚も撮りませんでした。というか、新郎・新婦と披露宴ばかり撮っていました。
ちなみに明治神宮の挙式は意外とお値打ちで白無垢もお色直し着物も洗練されていて上品です。親族の人も「ここはいい」と言ってました。一日、20組もあるそうです。


桃林荘内部
桃林荘の披露宴の間

で、結局、桃林荘の何を書きたいの?ということになるのですが、
それは桃林荘の縁側を囲む波(板)ガラス」についてです。

波ガラスは手作りのため手間がかかり、独自の「揺らぎ」のある波状の表面がレトロ感いっぱいで、近代和風建築のいわば定番の窓用板ガラスのことを言います。
桃林荘の板ガラスも揺らいでいて何ともいえない高級感、工芸感があります。

そこで素朴な疑問。
「なぜ日本では近代になるまで窓や建具に板ガラスが使われなかったのか?」。

ガラス自体は紀元前4000年より前にエジプトやメソポタミア地方で発生したといわれています。今でいうビーズ系の形ですね。日本においても、弥生時代までさかのぼります。日本ではガラスの事を瑠璃 (るり) とか班璃 ( は り) とか、戦国時代には南蛮貿易の関係でビードロとかギヤマン。江戸末期には「江戸切子」などのカットグラスの工芸品も現れ裕福な大名や商人等に人気があったそうです。
ただ、日本の場合は、古墳時代の勾玉のように近代になるまで装飾品・調度品・工芸品の域を出ることはありませんでした。良質な板ガラスを作る製法が鎖国政策もあって確立せず量産化できなかったのです。ごく一部、輸入されていたに過ぎません。
では板ガラスそのものはいつから使われた?

単発的には、たとえば、元禄時代、伊達綱宗が江戸品川の居宅の障子に高価な輸入品の板ガラスをはめ込んだのが最初といわれ、同じ元禄、大阪の豪商・五代目淀屋辰五郎が天井にガラスの水槽を設け、金魚を泳がせたという逸話(奢侈過ぎるということで幕府から取り潰しにあったとか)がよく知られますがこれはあくまで例外。
富裕層で板ガラスが使われるになったのは明治40年頃から大正にかけて入ってから。大正ロマンというレトロな時流文化を生み出したのも、実は従来の日本建築に必ずあった紙の障子の代わりに舶来の板ガラスやステンドグラス、窓を幾何学模様の格子で装飾した青海波ガラスなどを取り入れた和洋混合の、いわゆる「近代和風建築」がそのリード役だったと思います。もちろん、板ガラスあってこそです。

起雲閣
起雲閣、まさに大正レトロですね。

もし板ガラスが明治以前、信長や秀吉の頃広まっていたら、あるいは鎖国もせずガラス技術も発展していたら日本建築の様相はもっと西洋と融合した形になっていたと思います。そして、建築文化にみられたように、近代以前の日本と近代以降の日本との間に乖離した表層文化の断絶が今ほどにはならなかった気がします。紙障子は室内を明るくしてくれても外は見えない。内面を重視する日本文化。しかし過度過ぎた。庶民からすれば寒い冬でも中から外の景色が見えた方が楽しいし面白い。

日本の表面文化は西洋に飲み込まれた・・・・。
悔しいけど現代日本を見るとそう思わざるを得ない。

元はといえばイスラム圏の方がガラス文化は発展していた。
それが12~14世紀、ヨーロッパのキリスト教会が、より空高く、より広き窓を得るため生まれたゴシック建築様式が流行すると、板ガラスの主役は西洋にとって代わられた。そして、華やかな「ガラス文化」が花開き、より富を求め、西洋諸国は新世界に向けて勢力圏を広げていった。ガラス恐るべしです。

では、お隣の中国ではどうだったのか?
中国の板ガラスの歴史も遠く漢の時代まで遡るといわれますが、はっきりとした根拠がある訳でもありません。
実質、窓や建具に板ガラスが使われるようになったのは清朝中期(1700年代)、清が最も栄えた乾隆帝の時代、西洋の吹きガラスの技法が中国に伝わってからです。紫禁城にも多く使われています。それ以前は紙や絹、明瓦(半透明のかき殻を磨いて薄く仕上げ貼り付けたもの)などを格子に貼り付けていました。
ちなみに中国の桟や格子工芸はとても装飾性に溢れていますね。窓そのものが芸術品です。江南の庭園都市・蘇州に行っても様々な技巧を凝らした窓が楼閣や亭にはめられています。
日本の愚直過ぎるほどのシンプルな直線交差の窓格子とは大きく違いますね。中国の影響を受けながら、なぜ日本の格子窓は装飾性が少なかったのか(明治以降の工芸品な格子は別)?。ここもまた疑問がわきます。ひょっとして日本人からすれば、中国の過度な装飾は今でいうワイヤーアクション(それはないだろう)的に見えてちょっと引いたのかもしれません。

中国の窓
中国の装飾性に富んだ窓格子、travel.jpさんより引用させて頂きました。

中国では1700年代には板ガラスが使われるようになった、ということですが、だったら徳川幕府の鎖国時代においても一部交易が黙認されていた中国からの板ガラスの流入があってもおかしくない、と思うのですが、ありませんでした。

結局は窓を見るためには建築を見る。建築を見るためには現地へ行かざるをえない。
この行為が鎖国では出来なかったことが大きいでしょうね。進取の気風がある日本人なら「いいなぁ」と思ったら即現地へ行って、見分して買ったでしょうからね。

端々で「鎖国」の言葉が出ましたが、今回はその功罪云々よりも、
やっぱり国同士、人同士、交流があってこそ新しいものを生み出すことができる・・・との再確認で記事は〆とします。何を言いたいのか? 板(波)ガラスなのか、波(板)ガラスなのか・・・なんか消化不良な記事になってしまった。

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NoTitle * by -
AzTak様
コメントありがとうございます。

娘に祝福を頂きありがとうございます。

AzTakさんは教会で和服で挙式をあげられた、とはホント珍しいですね。戦前からの信者さんの家系ですかね。私はキリスト教でもカトリックが好きですね。先の大戦でもチベットとならび日本を支持してくれました。プロテスタントは何か味気ない感じです。文化的にもですね。

ブログ拝見しました。
迫力ある写真で素晴らしいですね。ご自身の写真も堂々と掲載されている。怖いものなしですね 笑。

お互いですけど、ブログ頑張ってください。

今後ともよろしくお願いします。

NoTitle * by AzTak
お嬢様の結婚おめでとうございます。
私たち夫婦はカトリック教会で二人とも和服で式を挙げました。教会での和服での式は非常に珍しいことだったようで、かなり注目されました。嬉し恥ずかし状態でした。
明治神宮での挙式も似たような感じがあったことだろうと思います。それもあとになれば、懐かしい思い出に転化していくのではないでしょうか?

PS.神社本庁と共産党本部も至近距離にあります。

NoTitle * by -
takaさん誤りを指摘頂きありがとうございます。ゴシック建築でしたね。ゴシックと書いたつもりがバロックになっていたとは・・・歳だなぁ・・・。

ガラスの記事について * by taka
私の好きな 明治天皇様 の歌が紹介されていてとても喜ばしいです。自分はあと一つ
目に見えぬ かみの心に 通ふこそ  ひとの心の まことなりけれ
という歌も好きですね。明治天皇様 の御歌は深遠にして雄大、スケールが非常に大きくまた深い歌が多いので『古今和歌集』や『勅撰和歌集』よりも好きです。

続けてコメントを差し上げるのはどうかと思ったのですが、気になった点があったので。

板ガラスの話題についてなのですが、12~14世紀だとバロックではなく中世のゴシック様式の建築です。ステンドグラスに関してはサン・ドニ大聖堂やルーアンのジャンヌダルク教会等が有名ですね。ローマにはあまりステンドグラスで誇れるものは無いように思えます。

日本中国でガラス文化が反映しなかった謎を改めて考えた事はありませんから、そこに気付かされるというのは良い経験になりましたね(苦笑)

これは個人的な感想なんですが、当時のヨーロッパ、特に地中海文化から北の海の文化に変わった中世では、気候風土に加えて『聖書』の後押しもあって太陽の光を欲していたんだと思います。『新約聖書』ヨハネの「神は光である」やマタイの「あなたがたは世の光である。」という一文に、当時の寒冷気味の気候でそうなったのでしょう。

反対にイスラム圏では太陽や光は地獄だったでしょう。だから暦も純粋な太陰暦ですし、月をあがめてるというのもそこなのかも知れません。だからガラスは発達しなかった。

以上は一神教文化圏の事情ですが、中国は非常に複雑な国です。孔子自身『論語』でも占い等スピリチュアルな部分というのは「50歳になって学べばよい」という位に軽んじていて、あくまで人間の行動に重きを置いている文化という一面があります。道教等もあくまで人間の修行です。

その反面、暦というものに異常な労力を裂いていて、日食の時期を外すと最悪凌遅の刑に処される程太陽が隠れるという事に恐れを抱いていました。ただだからと言って、太陽を崇めるという事もしてないように思えます。中国の歴代の暦も科学というのに相応しいですから尊崇の念というものが根本的に無いのでしょうし、個人的にどうしても光を欲していたという感覚もないのでしょう。

日本は太陽神が最高神である事は言うまでもありませんが、多神教で自然その物に感謝の意を示して尊崇をあらわす古き良き文化です。ですので元来が恐らくあるがままを受け入れる、無理をして光を取り込まなくても良いという感覚だったのでは?

以上あくまで、個人的な感想です(汗)

最後にそれほど神社界に詳しいというわけではありません。例えば靖国神社の場合、昨今徳川宮司の発言で騒がれてますが、それ以前にハングル文字で「独島は我が領土」という絵馬の存在を指摘しても放置している事や、日本の国旗が MADE IN CHINA である事等、英霊を冒涜している行為を平気でおこなっている事に腹を据えかねてるってだけです(苦笑)

NoTitle * by -
takaさんご無沙汰しております。
娘へお祝いの詞を頂きありがとうございます。
私は先に結論を言って明確な起承転結の文章を書けばいいのですが、いつも思うまま話があちこち飛んでまとまりません。直さなければと思うのですが、なかなか癖は直りません。すると短歌なら31文字の定型ですから、これほど明瞭な起承転結はないのではないかと、また都合のいい解釈をする訳ですが、考えてみれば、短歌こそ詞の凝縮ですから、言葉を選んでいたら朝を迎えかねない・・と、取り留めもないことを呟いています。

takaさんは神社界のこと詳しそうですね。また耳よりな話あったら聞かせてください。

おめでとうございます!! * by taka
娘さんがご結婚なされたという事で、大変めでたいですね。察するに年齢的には非常に近しいんでしょうかね。

それと、神社本庁・靖国神社・そして件の宮司や、江東区民の氏子に対して言いたい事は山ほどありますし、特に今の靖国神社や件の宮司・江東区民の氏子にはどれだけの罵詈雑言を言っても言い足りない部分がありますが、流石にめでたい話題の中にこの話題を入れるというのはよくありませんね。

主さんも、何より娘さんの結婚の話題なんですから気をつけてください(苦笑)

これからも末永くお幸せになってください、と心よりお祈り申し上げます。

コメント






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NoTitle

AzTak様
コメントありがとうございます。

娘に祝福を頂きありがとうございます。

AzTakさんは教会で和服で挙式をあげられた、とはホント珍しいですね。戦前からの信者さんの家系ですかね。私はキリスト教でもカトリックが好きですね。先の大戦でもチベットとならび日本を支持してくれました。プロテスタントは何か味気ない感じです。文化的にもですね。

ブログ拝見しました。
迫力ある写真で素晴らしいですね。ご自身の写真も堂々と掲載されている。怖いものなしですね 笑。

お互いですけど、ブログ頑張ってください。

今後ともよろしくお願いします。
2017-12-11 * [ 編集 ]

NoTitle

お嬢様の結婚おめでとうございます。
私たち夫婦はカトリック教会で二人とも和服で式を挙げました。教会での和服での式は非常に珍しいことだったようで、かなり注目されました。嬉し恥ずかし状態でした。
明治神宮での挙式も似たような感じがあったことだろうと思います。それもあとになれば、懐かしい思い出に転化していくのではないでしょうか?

PS.神社本庁と共産党本部も至近距離にあります。
2017-12-11 * AzTak [ 編集 ]

NoTitle

takaさん誤りを指摘頂きありがとうございます。ゴシック建築でしたね。ゴシックと書いたつもりがバロックになっていたとは・・・歳だなぁ・・・。
2017-12-10 * [ 編集 ]

ガラスの記事について

私の好きな 明治天皇様 の歌が紹介されていてとても喜ばしいです。自分はあと一つ
目に見えぬ かみの心に 通ふこそ  ひとの心の まことなりけれ
という歌も好きですね。明治天皇様 の御歌は深遠にして雄大、スケールが非常に大きくまた深い歌が多いので『古今和歌集』や『勅撰和歌集』よりも好きです。

続けてコメントを差し上げるのはどうかと思ったのですが、気になった点があったので。

板ガラスの話題についてなのですが、12~14世紀だとバロックではなく中世のゴシック様式の建築です。ステンドグラスに関してはサン・ドニ大聖堂やルーアンのジャンヌダルク教会等が有名ですね。ローマにはあまりステンドグラスで誇れるものは無いように思えます。

日本中国でガラス文化が反映しなかった謎を改めて考えた事はありませんから、そこに気付かされるというのは良い経験になりましたね(苦笑)

これは個人的な感想なんですが、当時のヨーロッパ、特に地中海文化から北の海の文化に変わった中世では、気候風土に加えて『聖書』の後押しもあって太陽の光を欲していたんだと思います。『新約聖書』ヨハネの「神は光である」やマタイの「あなたがたは世の光である。」という一文に、当時の寒冷気味の気候でそうなったのでしょう。

反対にイスラム圏では太陽や光は地獄だったでしょう。だから暦も純粋な太陰暦ですし、月をあがめてるというのもそこなのかも知れません。だからガラスは発達しなかった。

以上は一神教文化圏の事情ですが、中国は非常に複雑な国です。孔子自身『論語』でも占い等スピリチュアルな部分というのは「50歳になって学べばよい」という位に軽んじていて、あくまで人間の行動に重きを置いている文化という一面があります。道教等もあくまで人間の修行です。

その反面、暦というものに異常な労力を裂いていて、日食の時期を外すと最悪凌遅の刑に処される程太陽が隠れるという事に恐れを抱いていました。ただだからと言って、太陽を崇めるという事もしてないように思えます。中国の歴代の暦も科学というのに相応しいですから尊崇の念というものが根本的に無いのでしょうし、個人的にどうしても光を欲していたという感覚もないのでしょう。

日本は太陽神が最高神である事は言うまでもありませんが、多神教で自然その物に感謝の意を示して尊崇をあらわす古き良き文化です。ですので元来が恐らくあるがままを受け入れる、無理をして光を取り込まなくても良いという感覚だったのでは?

以上あくまで、個人的な感想です(汗)

最後にそれほど神社界に詳しいというわけではありません。例えば靖国神社の場合、昨今徳川宮司の発言で騒がれてますが、それ以前にハングル文字で「独島は我が領土」という絵馬の存在を指摘しても放置している事や、日本の国旗が MADE IN CHINA である事等、英霊を冒涜している行為を平気でおこなっている事に腹を据えかねてるってだけです(苦笑)
2017-12-10 * taka [ 編集 ]

NoTitle

takaさんご無沙汰しております。
娘へお祝いの詞を頂きありがとうございます。
私は先に結論を言って明確な起承転結の文章を書けばいいのですが、いつも思うまま話があちこち飛んでまとまりません。直さなければと思うのですが、なかなか癖は直りません。すると短歌なら31文字の定型ですから、これほど明瞭な起承転結はないのではないかと、また都合のいい解釈をする訳ですが、考えてみれば、短歌こそ詞の凝縮ですから、言葉を選んでいたら朝を迎えかねない・・と、取り留めもないことを呟いています。

takaさんは神社界のこと詳しそうですね。また耳よりな話あったら聞かせてください。
2017-12-10 * [ 編集 ]

おめでとうございます!!

娘さんがご結婚なされたという事で、大変めでたいですね。察するに年齢的には非常に近しいんでしょうかね。

それと、神社本庁・靖国神社・そして件の宮司や、江東区民の氏子に対して言いたい事は山ほどありますし、特に今の靖国神社や件の宮司・江東区民の氏子にはどれだけの罵詈雑言を言っても言い足りない部分がありますが、流石にめでたい話題の中にこの話題を入れるというのはよくありませんね。

主さんも、何より娘さんの結婚の話題なんですから気をつけてください(苦笑)

これからも末永くお幸せになってください、と心よりお祈り申し上げます。
2017-12-09 * taka [ 編集 ]