3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 2020年05月

なぜ、前方後円墳でなければならなかったのか? 仁徳天皇陵をめぐる3D的考察 後編

さて後編では具体的に前方後円墳について考察(かなりな言い回し)してみたいと思います。まず、世界の陵墓と比べてみて唯一日本にしかない特異な形をしています(一部、朝鮮半島の南部に見られますが、そこは日本の影響下)。その特異性を物語る文系的指摘が「前方後円墳はどちらが正面かわからない」ということです。これは今だにハッキリしていません。古墳の一番重要な部分は大王の埋葬された円墳です。普通、そこが墳墓の中心・前...

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レインボー様
コメントありがとうございます。
拙い3Dですが褒めて頂きとても嬉しいです。遥かな古代に思いを馳せ作ってみました。
引用して頂ける由、ありがとうございます。
多少なりともレインボーさんの大仙陵古墳の論説に色を添えるようでしたら有難いですね。

大仙陵古墳の3DCG画像、素晴らしい * by レインボー
>以上、3DCG画像を並べてみました。

〇大仙陵古墳の3DCG画像
 拝見しました。素晴らしい出来具合に感動です。
 そして、特に古墳を囲む石壁ですが、朝鮮半島にあるツングース系の墳墓そのものの印象を受けました。
 関連し、後に引用させていただきます。
 草々
 

なぜ、前方後円墳でなければならなかったのか? 仁徳天皇陵をめぐる3D的考察 前編

前方後円墳には周濠がよく似合っていると思う。前方後円墳は水濠があることを前提とした姿形をしている。だから美しい。古代、設計した人は水濠を防御性、あるいは灌漑機能だけでなく古墳を神域として荘重に美しく見せるためには周濠が不可欠と認識していたに違いない、と、3Dで仁徳天皇陵を創りながら想像を巡らしました。大阪平野の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)を始めとした45基からなる百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録された...

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レインボー様コメントありがとうございます。
古代史のエキスパートのレインボーさんからコメント頂くとは冷や汗ものです 笑。
小生のブログでは3D制作がメインで、それに解説を添えたもので適当な部分もあるかもです。
>朝鮮半島系のツングース系大王の陵墓ではない>かと観ています
ツングース系とは思いもつきませんでした。天皇家のルーツも天孫系なので渡来民族の一派だと思いますが何処から来たものか判然としません。ひょっとして本家が戻ってきた?などということもあるかもしれないと個人的に思ってます。仁徳陵の円墳と方墳の間を”馬の背”と表現しましたが、古墳を側面から眺めていたら、何やら馬の頭と背とお尻に見えてきました 笑。また、大仙陵古墳の記事書かれましたら教えてください。

大山陵古墳はツングース系大王の陵墓では! * by レインボー
たいへん興味深い記事でした。

大仙陵古墳は拙ブログでも検討予定ですので、見ていただければ幸いです。

拙ブログでは、大山陵古墳は朝鮮半島系のツングース系大王の陵墓ではないかと観ています。

その結果、王墓名がが分からないように闇に葬られたのではないかと観ています。
草々

ショートコラム 家康殿ありがとう

つい先日の12~13日にかけて拙ブログのアクセス数が二日連続で650を数えました。普段は日当り200~400の間、たまに500越え、というのが通常のパターンなのですが、連続600は初めて。「えっ?何があったの」と鳩に豆鉄砲をくらった気分になりました。何が原因か?記事の人気ランキングを見るといきなり「飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 後編」がトップに出ています。そこで、察しのいい?小生は「ははぁん、そういうこ...

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五反田猫様
コメントありがとうございます。

五反田猫さんが言われるように「権威があるものには、実力を与えない」という家康の統治方法は、明治以後、戦後になっても、「キャリア官僚は実務権限はあっても報酬はほどほど」という風に現在まで続いていると思います。逆に退官して天下りからが”役得”という面があると思います。
昨日?でしたか、検察庁法改正案が著名人も交えてハッシュタグ”#検察庁法改正案に抗議します”がツィッター上で拡散され、法案の採決は見送りになりました。これも何となく検察権力にあまり力を持たせたくない、という原理がどこからか湧いたのかもしれません。安倍内閣もあっさりと引き下げました。
でもこれって一般国家公務員の65歳定年と抱き合わせですから公務員の方からすれば面白くないと思いますがどうなんでしょう?
今一、背景がよくわかりません。

いつもありがとうございます。 * by 五反田猫
京一朗さん

遅ればせながら「ビジュアル 日本の住まいの歴史 ① 古代」での資料掲載、おめでとうございます。
専門家が認めているというのは、客観的に見ても、価値があるコンテンツの証ですね。

京都新城の話も有難うございます。
何と「高臺院殿」が、そうだったのですか。
よく見ると、西に門がある点(道路付きの制限か?)なのと、南西の隅に町屋があるのが面白いですね。
流石の太閤も退けと言えなかったのか? 初期の御所もそうですが、結構 旧来の町屋の制限を受けています。
マルクス史観の人は信じませんが、当時でも個人の土地の権利というのは尊重されていたのではと想像しています。

>貴種ヒエラルキーの利用
この辺りのバランス感覚が凄いですね。
何よりも、権威があるものには、実力を与えないという原則もあります。 だから高家も公家も、中級から小旗本程度の禄高しかありません。これは政治的権力のある譜代大名も同じで石高は低い、 10万石を越える、国持ち大名などには、絶対に権威や権力も与えない。このバランス感覚が凄いと思います。