3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 2019年01月

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(十) 今出川通界隈

前記事で、御苑外の公家屋敷シリーズもその(十)で最終話となる旨お伝えしましたが、どうも無理筋に思えてきまして二話に分けることにしました。いつもの気まぐれで申し訳ない・・。ということで今回は御苑の北に接する今出川沿いの公家屋敷跡、及び室町時代に足利義満によって建立された相国寺七重塔のあった塔ノ段町近辺にあったと思われる六角家の屋敷跡を巡ってみたいと思います。            &n...

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追記 * by 京一朗
五反田猫様、

記事のなかの冷泉家ですけど、”直系子孫”から”嫡流子孫”に訂正しました。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 いつもコメントありがとうございます。

冷泉家のご当主と面識があるとは知らず失礼なこと書きましたかね・・・。

現在のご当主ですけどBSで拝見したことあります。お婿さんであるとは知っていましたがどこぞのお公家さんの子孫にあたる方ですか?

私のなかでは公家社会は養子にでたり、また入ったりと女系で継いでいるお家もけっこうあり、元を辿れば皆公家の出ということであまり女系に拘りはなかったのかな、と思ってます。

戦国時代、上冷泉家は北陸へ下向していましたが、そのときは大事な古典籍の山はどう守っていたんでしょうね?

馬や荷車に積んで避難したのか、内裏に置かして頂いたり?とか、どうなんでしょう? まだ戦国時代は耐火性に優れた蔵はあまり無かったと思いますし。

六角氏ですけど、どうしても鎌倉、室町期の守護大名を連想してしまい、公家さんイメージ少ないですね。家禄30石もまだ蔵米ならそれなりに安定してますけど知行30石だと収入ゼロもあり得るし暮らしも大変だったんだろうなぁ、と平公家の苦労が偲ばれます。

でも、私なりの価値観のなかでは六角氏>徳川宗家なのですよ。日本の貴族は帝との距離で決まると思ってますから。

あれこれ * by 五反田猫
京一郎さま、 まさにお名前に相応しい京の公家屋敷のお話し、写真と合わせて楽しみました。 有難うございます。

>冷泉さん
ご当主とは和歌関連でご面識がありますが、「冷泉家は二番手主義」だと仰っていたのが印象的でした。
和歌宗家は、長く二条流、京極流だったのですが、結局 トップに立つと風当りも強くいのですね。 明治になって二条流の中心 三条西家は歌道宗家の役割を終え、地道に歌道をつないだ冷泉家は、現代では定家の流れを伝える家となりました。 現代のお公家さん達のご子孫は女系が多いのですが、冷泉さんの所もずっと女系ですね。 それでも代々 優秀な男性が婿として入られるので、それも素晴らしいと思います。

>竹内家、六角家
足利将軍家の侍が、公家になった家で、こういう家の存在自体、室町時代は公家と室町武家の境目が曖昧になっていたのでしょうね。 お公家さんでも将軍についてって戦死したり、御所よりも将軍家に入り浸って親を嘆かせたりなど。
江戸になると固定化しますが、それでも武士から公家侍への転身は続いているのですね。

次回でまとめになるとの事で楽しみです。

お知らせ

読者の皆様方には日頃、拙いブログではありますがご愛顧頂きありがとうございます。さて、降ってわいたような「お知らせ」に、何? と当惑される方もみえるかもしれません。が、実はそんなに大袈裟なことではないのですが、当ブログの都合でブログのレイアウト、というよりもブログパーツの配置換えを行いました。従来より、メインの記事欄の右サイドバーにプロフィール、ランキングバナー、人気ページランキング等のブログパーツ...

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No Subject * by 京一朗
hige様コメントありがとうございます。

弊ブログへ夜来られた読者の方の内訳はPC52%、スマホ48%。流石に夜はpcの方が若干多いです。

でも、私のような人文系のブログはPCからのアクセスが多いと思っていましたが時代は変わっているのですね。

ブログのテンプレートもレスポンシブタイプに変えたので安心仕切っていましたが油断は禁物ですね。スマホにはスマホの特性があるので、これからも注意してより見やすいよう努めます。

などと神妙なこと書いてますけど、今回はランキングのことばかり気にしてカスタマしていました。

higeさんの言われるように、スマホをいかに読みやすくするか、読まれる人の視線で自分もアレンジしなければ、と少々、反省してます。

>ブログ管理者が気にしてるほど訪問者は気になってないというか

そうですね、じゃ自分は他のブログを読んで気にしているかというと無自覚な所があります。

今まで生きてきて、自分なりの処世訓にしているのは、「自分が理解されようと求めるよりも、関わった人、相手の方を理解することに努めよう」です。そう思うと何か心が軽くなります。

それでは、おやすみなさい。

モバイル対応は重要ですよね。 * by hige
 スマホで自サイトがどう表示されるのかは、今では最重要事項と私は思ってます。あとタブレットも。
 モバイルの訪問者が50%は多いですね。私のブログでは30%ぐらいですが、それでももう無視はできないです。
 なので文字の大きさとか、リンク部分がタップできる様に周囲との離隔が確保できているとかには結構対処しました。
 時々、自サイトがスマホでどう表示されるのかを確認してますが、でも私が望んでる表示と、訪問者が望んでる表示は違うのかもしれない。ここら辺は私と訪問者の評価はめっちゃ評価がずれるかもしれません。

 あとカウンターはある日、私もPVにしました。
 あるカテゴリーの記事を集中して次々に読んでいただける事が多かったのに気づいてからです。京一郎さんがおっしゃる様に、カウンターは所詮自己満足の世界ではあります。

 で、ねえ、
 じつは、ブログ管理者が気にしてるほど訪問者は気になってないというか。
 

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(九) 陰陽師 VS 吉田神道

公家屋敷の跡を巡る旅 その(九)では公家のなかでも特別に異能な存在である吉田家とその分家・萩原家、そして土御門家、そして久世家と西大路家の五家を取り上げます。そのなかでも、吉田家は吉田神道の総本家であり江戸時代、全国の神社、神職の任命権を持つ絶大な権力を持ちました。一方、土御門家は平安時代の陰陽師としてカリスマ的存在の安倍晴明の子孫であり、江戸時代、朝廷に天文、暦道で仕え国家に変事が起きたときは吉...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

御師の屋敷ですけど、拙ブログで、「新選組のまぼろしの本営・不動堂村屯所を想像復元してみる」 https://3dkyoto.blog.fc2.com/blog-entry-223.html と題して伊勢の御師屋敷を参考に平面図ですけど再現してみました。宜しかったら読んでみてください。

稲住神社は絶対メジャーにはならないです。現地に行かれたら分りますが何か妖気が漂っている・・・雰囲気ですから。

神道の変遷 * by 五反田猫
現代の神道(神社本庁系)では経典や戒律などの縛りが希薄なのが特徴ですが、吉田神道では仏教や儒教に対抗できるように、経典やドグマを整備したのですよね。
明治維新では廃仏面のみが印象に残りますが、江戸期の教派神道である吉田神道、伊勢神道なども、ほぼ廃絶されたのですね。
お伊勢さんに行くと、江戸期に存在した御師の屋敷は消滅。
吉田家の明治以降の衰微を見ると、同様なのだと良く判りました。 「魔王尊」とは、何やら封じられているのでしょうか? これも珍しいものを有難うございます。

色々と気になる記事は沢山あるのですが、とりあえず御礼まで。

>土御門家
まさに仰る通り、天地明察! 西欧の科学を取り入れて日食を見事予測し、正しい暦を復活。 これぞ江戸の陰陽術と思いきや、科学は独占出来ず、当然 カレンダーも同じ。
明治以降は大きく衰退しましたね。

稲住神社のお話し有難うございます。
不審者と誤解されたようで、お気の毒様でした。
京都の清明神社は大人気ですが、本来はこちらのお社の方が所縁は深そうですね。 

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(八)

引き続き、京都御苑外にあった公家屋敷跡の旅、その(八)を書きます。鷹司家は書いたので、残る鴨川沿いの九条家、近衛家、有栖川宮家、鴨川を渡った丸太町通沿いの近衛家桜木邸、澤家、桑原家の六家を周ります。                                 © OpenStreetMap contributors 青く囲った所が訪ねた屋敷跡です。改めてですけど、今回のシーリズでは、基本、京都御苑外にあった...

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Swipetken様
コメントありがとうございます。
お礼のコメント遅れて申し訳ありません。
HP拝見しました。情報ありがとうございます。
以前、拙ブログで取り上げた「先賢の住まい」という本に新村出邸が載っていまして、言われる通り近衛家の下屋敷・河原邸から譲り受け移築したものと記載してありました。本には六つの室からなる書院と玄関・台所が残っているとのことでしたが今も残っているのかなぁ、と思いました。京都へ行く機会があったら重山文庫へも訪ねてみたいですね。
ちなみに、愛知県の西尾市の西尾城にも近衛家の邸宅遺構が移築され残っています。河原邸ではないと思います。近衛家は幾つも屋敷を持っていて探せば他にもひっそり残っているかもしれませんね。

近衛邸について * by Swipetken
京一朗様 興味深い話をありがとうございます。

近衛河原町邸について、現存は現地に残る2階建ての建物のみとされていますが、木戸孝允旧宅は一部が大正12年に広辞苑の編者である新村出邸として移築されており、現在も京都府京都市北区小山中溝町19−1に現存しています。もしかしたら旧近衛邸の遺構かもしれません。(http://s-chozan.main.jp/?page_id=605
このコラムを読んで冷泉家以外にも公家住宅の遺構はたくさんあるのだと驚きました。もっと京都のまちをよく見てみようと思います。ありがとうございます。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

木戸邸の屋根の先ですけど銅板で葺かれていますよね。数寄屋造りにはよく見られる屋根ですが何時頃から始まったのかな、と思ってます。ちなみに、江戸中期に現在のような桟瓦が作られ一気に普及しましたが(おかげで幕末の公家屋敷はみな桟瓦になってしまいましたが)、面白いのは数寄屋造りには桟瓦が似合うんですよね。そこへ銅板を加えれば又違った高級感が出てきます。

利休の生きた頃は、まだ桟瓦がなく本瓦葺きでしたが、それだと重い感じだし、そうなると茅葺か杮葺きの二択しかなかったのかなぁ、と思ったりします。お寺の本堂を見て桟瓦だと安っぽく感じますが、それが数寄屋の屋根なら見事に軽妙感がでる。素材も活かし方次第ですかね。

言われてみれば法服、確かにそうです。思い出しました。紹介頂いた装束のHP拝見しましたが、東京美術学校の制服もこんな感じだったんですね。

何かの写真で、冠と三角帽を交ぜたような頭巾を被った岡倉天心を見たことがありましたが、そうか、この法服シリーズだったんですね。

もう、ネクタイにスーツも飽きましたから、日本発の新しい装束を生み出せたらいいですね。

No Subject * by 五反田猫
いつも興味深いお話しを有難うございます。

近衛家三本木邸の遺構が木戸孝允所縁の建物として残っているのですね。 屋根は四方寄せなのでしょうか、屋根の上にある構造物が面白いですね。

桜木邸は、天理教さんの河原町大教会なのですね。
天理教さんは雅楽の支援をされておりますね、わりとフレンドリーで、私の町内にも教会がありますが餅つきなどでお世話になっております。
本旨でない話しで恐縮ですが、教服は明治の法務官の制服に似ていますね。
http://www.kariginu.jp/kikata/igyou-syouzoku.htm



No Subject * by 京一朗
Hakka様

屋敷地の坪数間違えました。3千坪でした。自分で記事に書いておきながら、公家シリーズでいろんな屋敷を取り上げ混同してしまいました 笑。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

>内部に入れないとのことだったので断念しました。

そうでしたか。私も外から撮らさせて頂きましたが(多少、苑内に入り東側から撮りました・・・)。室内はやはりダメでしょうね。
ここも明治天皇の行在所ということで一棟残されたと思います。

当時は2千坪近い敷地を有していたようです。鴨川の流れも綺麗だったでしょうね。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

先日、京都に行って来ました。旧木戸孝允別邸も行ってみようかと思ったのですが、内部に入れないとのことだったので断念しました。かつてはかなりの規模のお屋敷だったそうですね。

絶対!住んでみたくなる鷹司家常磐井別邸

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(八) - を書こうと思って鷹司家の事を調べていたら、とても素晴らしいお屋敷の指図と出会い、急遽「絶対!住んでみたくなる鷹司家常磐井別邸」と題して単発記事で書くことにしました。ですから、その(八)はオアズケ、次回に回すことにしました。ほんと、カントのような規則正しい思索を守れない自分です。その、単独で書こうと思った鷹司家常磐井別邸とは何ぞや? どこに在った...

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No Subject * by 京一朗
TAKATSUKASA様コメントありがとうございます。

敢えて「鷹司」とか野暮な漢字変換はしませんが(笑)、記事に感想を頂きありがとうございます。少しでも楽しい気分をされたなら幸いです。暑い夏でも川床は涼しいと思います。ぜひ、鴨川で避暑を楽しんでください。あぁ、今は冬でした。半年後ですね 笑。

ダイアモンドソサイエティ * by TAKATSUKASA
楽しく拝見させて頂きました。ダイアモンドソサイエティの会員でもありますので、もし機会がありましたら、鷹司家の下屋敷跡でのんびり鴨川の流れを愛でられたらと思います。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

明治に入って常磐井別邸がどうなったのか気になるところです。能舞台はきっとどこかへ移築されたと思うのですが、これだけの別業建築が跡形もなく消え去ったのは残念なことです。京都を周って思ったのは、京都といえども三代遡れば家も土地の持ち主も変わって忘れ去られてしまう、ということが意外のほか多かったことです。とくに商業地ですけど。

その意味ではお公家さんはよく1000年間、帝の傍を離れず御守したと思います。

常盤井別邸 * by 五反田猫
常盤井別邸が、幕末の政治における重要な舞台であり、迎賓館であったとのお話し、有難うございました。
建物の構造から見ると、まさに仰る通りですね。
能楽は江戸時代は一般教養ですから、おもてなしとしても式楽としても使えますね。

住宅における三階楼は江戸後期から出て来ますね。
それだけ建築構造が発展したのでしょう。
一方で、街並みから見れば、飛び抜けた存在。
摂家の別邸でも無いと、建てられませんね。
鴨川沿いならば、東山や比叡も見えたのでしょうね。