3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 2018年11月

曇りのち晴れたら修学院離宮へ行こう!

昨日、京都からみえた方から「今、京都は紅葉シーズンで大変ですよ!バスも満員だらけで地元の人も乗れないような有様」と言ってみえましたが、それを聞くと、先々週に行ってきて良かったなぁ、と思いました。修学院離宮ですけど、日帰りで行ってきたのですが、天気予報は晴れ後曇り。降水確率は午後には20%と書いてあって(ネットの天気情報)、20%なら大丈夫、さぁ行こうと新幹線に乗って京都駅に着いたのは朝の8時少し前。新幹...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

窮邃亭など板壁が一部剥がれ落ちていました。
木造建築、というよりも日本の風土はメンテがたいへんだと思います。

先日、萱の群生を見ました。亜麻色に輝きとても綺麗でした。幕末・明治、日本を訪れた白人さんたちが日本のカントリーの美を賞賛していますが、やはり茅葺屋根と、里の萱山が美しかったのでしょうね。さらに炭焼きのため、結構な山が雑木林で、多分、奈良の若草山のような風景が広がっていたと思います。今のように杉の人工林ばかりだと重く暗い感じがします。痩せた土地、草しか生えない草原。そこに風が吹くとメルヘンが生まれます。

日本の深い森、豊穣はメルヘンを必要としていない。そこに日本の原初文化を解く一つの鍵があると思います。

今のパリの騒乱を見ていると複雑な気持ちですね。石畳の路は歩くととても重いですよね。

にしても、あのパリのデモ、いや暴動ですけど、デモ者たちが一様に着ている黄色のジャケットは誰が用意したものでしょうか?

修学院 素晴らしい * by 五反田猫
修学院の写真とお話し有難うございます。
二十年以上前 京都千二百年祭のドサクサで、見せて頂いた事がありましたが、その頃とも変わっているようですね。

千歳橋の鳳凰は、ピカピカですね。
網をかぶった鯉は、随分と鮮やかになった気がします。
障壁画類も、予算がついて修復されたのでしょうね。
当時聞いた話では、周辺の農地は風景に溶け込むように近代的な農耕具やビニルは使わないと感心したのですが、やはり時代の流れなのですね。 それはそれで、近代の農村風景だと受け入れる必要があるのでしょうね。

「まだまだ振り返ってはいけません」 これは当時もありました(笑)

SSLの件教えて頂きありがとうございました。 * by 京一朗
hige様 コメントありがとうございます。

SSLの件では不具合の情報頂きありがとうございました。

私の方でもクロームを立ち上げ拙ブロイグを開いたところ、確かにアドレスバーの右に×のマークがありました。いろいろ調べてみましたらi2iのアクセス解析(無料版)のタグがテンプレートのhtmlに残っていてそれが邪魔をしていました。消したら×マークも消え何とかSSL状態が保たれるようになったかと思います。教えていただきありがとうございました。

また、ブログ記事にも、higeさんのブログを引用・リンクさせて頂きました。higeさんのSSLの記事はとても有益で他の人にも伝えるべきと思ったからです。よろしくお願いします。

No Subject * by hige
 ついに桂離宮が有料になりましたか。
 宮内庁管轄の施設はずっと無料で、しかも撮影フリーだったのですが。
 大昔、私が若かった頃は入場は制限されていて一般人はなかなか入れませんでした。
 いつから入場制限が緩くなったのですかね。
 最近は、通常の神社仏閣を訪れたとき、少しでも施設の維持にお役に立てばとできるだけ拝観料を払って見る様にしています。
 修学院離宮の周辺を景観保護の為、宮内庁が買い取ったという話を私も聞きましたが、私はそのことに
は震えました。
 すごい と

 いつも、私の様な人間とは違う立場の記事を面白く拝見させていただいてます。

No Subject * by 京一朗
Hakkaさんコメントありがとうございます。

そうですよ。写真撮るの大変でした。時には最前列へ立ち、時には最後列へ潜り抜けるなど、忍者のように撮ってました。幸い、今回の参観では最後列から警護?して頂いてる皇宮警察の方かな? 男女の若いペアでしかもスーツというソフトな恰好だったので、「すみません、すみません」と言いながら結構撮らさせて頂きました。でも、池に落ちないよう気を付けないといけないですよね 笑。

修学院もぜひ行ってみてください。

No Subject * by Hakka
こんばんは。
修学院離宮、とても美しいですね。でも写真を撮るのが大変そうですね。

以前、桂離宮を訪ねたことがありますが、人は多いし、ガイドがどんどん先へ行ってしまうのでゆっくり撮っている時間はないし、大変でした。

修学院も行ってみたいし桂も再訪したいのですが、そんな訳でなかなか踏み切れずにいます。

修学院離宮 甦る止々斎

先回の記事で修学院離宮へ行ったことを書きましたが、制作していた3Dが出来上がりましたのでスクリーンショットを何枚かアップロードします。アップするのは止々斎という建物。修学院離宮の創建当時に上御茶屋の浴龍池側に建てられた数寄屋建築です。今は存在していません。ここで、改めてというか修学院離宮についてざっと纏めてみます。修学院離宮は京都の北部、比叡山麓に、17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年)...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

「斎」は書斎の斎か、勉強になります。としますと、止々斎とは文人墨客がしばしば脚を止めて風情を愛でる、みたいな感じですかね。

3D制作で戸袋を作るのをしばしば忘れてしまいます。昔の人は雨戸と舞良戸が兼用で内側が明障子になっている場合が多く、用心も含めて雨に関係なく夜間は締めていたのではと思います。

露台はオマケで付けました。露台へ出る戸口を作ろうかと思いましたけどカット。

実際の止々斎の位置はちょっと岸から高く、外からヨッコイショ、っていう想定です 笑。

止々斎 * by 五反田猫
森 蘊さんの庭園や建物に関する本、良いですね。 私も好きでした。
止々斎の3D有難うございます、瓦葺の土間とは!
水位が上がった場合を考えてか、足が濡れても大丈夫!? とか、想像を掻き立てられます。

斎号は、部屋が転じて書斎・居間の意味で、医者や芸術家に与えられたと聞きました。 構造から考えれば、書斎、居間なのでしょうね。 座敷から庭を見た開放感は素晴らしいのですが、風雨の時が気になってしまいます。
雨戸などはあるのでしょうね。

正面左に露台がありますが、ここへのアクセスが気になります。 瓦の土間から入れるのか、それとも外から回ってお供が待つ場なのか、色々 想像して楽しんでおります。

15本の赤い薔薇

先日、もう秋も終わるかと思ったら急に京都の修学院離宮に行きたくなって新幹線に飛び乗った。離宮を見て回って触発されたこともあった。記事に書きたくもなった。いや、正確に言うと失われた離宮のある建物を再現したくなった。だから、今、作ってます。「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅」シリーズですけど、人気ページランキングの上位を占めるようになって読まれる方も増えてきました。引き続き、その(四)を書きたい...

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京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(三)

最初から幻の旅とはわかっていたけど、流石にビルの下、駐輪場の下に公家さんの屋敷があったのか・・・と思うとちょっと辛いものがあります。目的はあっても目的のない旅。そんな京の旅は今回初めて。今までは、あそこの社寺に行こうとか、資料館に行って調べものしようかとか、それなりの目的がありました。でも、不思議なもので公家屋敷の跡を巡るなかで偶然出会う名もない史跡、寺社を見つけると新鮮な喜びが湧き上がります。副...

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写真のお借りありがとうございます。 * by 京一朗
hige様 ご丁寧にコメント頂き、また、府民ホール「アルティ」の庭の写真について利用させて頂きありがとうございます。

少しお公家さんの記事に偏り過ぎていると思いますけど、それが拙ブログの個性だと思っています。

>殆どのブログには©表示がされてます。これは世界標準での著作権表示だと理解しております。

そうなのですか。知りませんでした。著作権については気にしています。ブログ上も写真家の撮った写真や建築作品ですけど。

たとえば、非公開の建築については道路側からだったらOK。芸術作品(古美術、建築も含む)については美術展の図録のように普通の採光で正面から寫した画像等については、芸術表現の面は少ない、ということで、引用元を強調文字で表記しながら利用させてもらってます。、もちろん商用には使いません。

もし、指摘されたら削除。それでも使いたい時は、引用元さんに趣旨を説明しお願いあるのみです。よく素材サイトは利用してます。

私の場合の3DCG画像の掲載ですが、他のブログでの掲載も歓迎します。ただ、やはり「3D京都」と表記してほしいですね。画像自体は3D作品のほんの二次元の細切れなのでパクリなど心配してません。

>まとめサイトを極力訪問しないよう努めています。 URLにNAVERとあったら絶対に見ません。

そうなんですね。自分も気を付けます。いろいろ教えていただき勉強になります。

今後ともよろしくお付き合いください。


京都府公館(旧知事 公舎)庭園見学 * by hige
 ご訪問いただきありがとうございます。
 また拙ブログをご紹介いただきありがとうございます。
 なかなか視点の違ったアプローチと新鮮に感じて拝見させていただいてます。
 ご存知かもしれませんが、京都府公館(旧知事公舎)の庭園(府民ホール「アルティ」内)は期間限定の公開で、庭園の見学はいつもできるわけではありません。
 http://www.pref.kyoto.jp/bungei/machikado30.html
の広報のように、今年度は下記の日程のみ見学可能だったようです。
  10月20日(土)、21日(日)
  10月27日(土)、28日(日)
  11月10日(土)、11日(日)
   10:00~15:00
 御承前であればお聞き流しください。

 貴ブログに
 ※ ブログに掲載する3DCG、加工済画像等の無断転載は固くお断りします。
と書かれておられますが、殆どのブログには©表示がされてます。
 これは世界標準での著作権表示だと理解しております。
 色々画像をパクられた話とかをネットで見受けたり、大手おまとめサイト(ネーバーのような)も最近では訴訟で敗訴してたりします。
 なので、ググった時にはおまとめサイトを極力訪問しないよう努めています。
 URLにNAVERとあったら絶対に見ません。
 ブログでは大きなサイズの画像をアップするとパクられるとかで、小さな画像をアップするのが常識らしいです。
 また対策に画像に透過文字を入れたりするのがいいらしいとの話が多いですね。
 私はそんな細工はしていません。
 パクられるようになったら、いよいよ私の画像も一人前になったのかと思うかもしれないと。
 デジカメで撮った写真を、いつも茶の間で見ている地デジ用のでっかいテレビ画面で見てみると、その表現力に圧倒されます。
 でっかい画像はすごい、と思ってます。

 これからもよろしくお願いいたします。
 
 

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 いつも為になるコメントありがとうございます。
醍醐中将は立派な方だったんですね。華族の軍人と言えば前田侯爵家の前田利為陸軍大将も思い浮かびますね。東条首相と反りが合わず前線に出され戦死したと聞きますが、東条さんのことも悪くは言いたくないですね。負ければ敗軍の将は兵を語らずですから。

学習院大学には西園寺家の指図が一式揃ってます。立面図も一部あります。なので、これも3Dで再現したいです。御所の動画もまだだし、何から作ろうか迷ってばかりいます。今回の御苑の外にあった公家屋敷を巡る旅の記事も、これから公家町を作っていく前に取り上げておかなければ、と、衝動的に旅だった次第です。一邸あたりの文量もダラダラ書くのでつい長くなってしまいます。もうシリーズもので何回続くやらです。

醍醐中将 * by 五反田猫
現地を見ての詳しいお話し有難うございます。
醍醐家は建物の図面があって、精華の家の規模が良く判りますね。 長屋門があって、表長屋は二間間口に奥行き三間=六坪と見れば宜しいのでしょうか。 
母屋や奥の様子も判ります。
表門は中立売通りに北側で面し、東が烏丸通、西が室町通に挟まれているのですね。

海軍の醍醐重忠中将は、人柄を見込まれて昭和二〇年六月に潜水艦の第六艦隊司令長官に着任されました。
それまで米国駆逐艦に沈められ作戦可能な艦はたった九隻。意気消沈だった潜水艦部隊の士気が多いに上がったそうです。人づてですが当時のお話しを伺った事があり、大変立派な方だと印象に残りました。

No Subject * by 京一朗
大原様、コメントありがとうございます。

東本願寺行って参りました。飾り金具がキンピカに輝いてきれいでした! 堂内の写真も撮りたかったですけど残念。ここでは、気づきませんでした・・・(撮影禁止)が通りませんでした。ガードマンさんがしっかり警備してました 笑。
下手なタイムスリップですけどお褒め頂きありがとうございます。

大原さんも組み物巡り頑張ってください。

No Subject * by 大原かずのり
お東さんに参拝なさったのですね^^
祖母の喉仏をお東さんに納骨してあります。

タイムスリップ画像は素晴らしいです(笑)
こんな感じで現代的な街と公家屋敷が目に見える形で共存していたら、さぞかし面白いでしょうね^^

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(二)

「アレ? 地面に足が届かない・・・俺、こんなに足短かっかったけ?」 自転車に乗ってさぁ公家屋敷巡りするぞ! と張り切った矢先、ホテルの前で立ち往生した。サドルを下げようとしたけど固くて下がらない。ホテルの人に下げてもらったけど、「何でまたこんなにサドルの位置高いん?」と聞いたら「あぁ、前日、外人さん使いましたから」との返事。そうかぁ・・・これがインバウンド効果って奴かぁ、と変なところで感心する自分...

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No Subject * by 京一朗
Hakka様コメントありがとうございます。

ブログ拝見しました。例の、とか言ったら失礼ですが、ちょくちょく伺うブログ主さんとはありがたいです。友好親善ですね 笑。その(三)アップしたので宜しかったら覗いてやってください。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

古い城址などであれば古老に聞けば情報が得られたりする場合がありますが、公家屋敷跡ではそうもいかないようで、さぞご苦労されたようですね。

それでも、古地図と照らし合わせての痕跡探しはとても面白そうですね。

第三回も期待しております。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

そうですね、前も五反田猫さんから教えていただきましたね。30石でも蔵米の方が安定していていいですね。仮に30石の知行地だと実収入15石ほど。領民は三世帯ほどですかね 笑。

「華族建家坪数控」を読んでいると公家の家令のいろんな署名見比べますけど、五摂家の家令はさすがに達筆ですね。さっぱり読めない崩し文字もあれば、楷書で書いていてすごく解り易いのもあります。字も下手な自分よりさらに下手?という人もいる。名前もいかにも、という人もおれば”山田孝男”君みたいな今時の名も。幕末の資料を見ていると、別に維新じゃなくても、当時の人々も確実に近代の感覚へ意識が変わっていると思いますね。

石井家の御屋敷ですけど明治30年頃の写真です。雨樋とかもあって結構改造されていると思います。建てられた当時はもう少し瀟洒だったのでは?と思います。

No Subject * by 五反田猫
いつも興味深いお話しを有難うございます。
前のお話しも含めてのコメントです。

>三十石公卿
これは蔵米支給なので、作柄にかかわらず三十石全部貰えますので、知行で言えば六十石並ですね。とは言え、当然に少ないので、親兄弟、親戚で、能力があれば朝廷に出仕し役料を貰うのが普通です。 能力があれば同じ家でも何人も出仕できる点が、武家と違う点ですね。 武家でも幕末は人材登用で能力次第で、採用するようになりましたが、朝廷は 下級公家や地下は、結構 実力主義なのです。

>石井家
珍しい写真を有難うございます。 下級公家の屋敷の資料は少ないので参考になります。 御師や神官の家と言っても通じるくらいの雰囲気ですね。 破風は簡素ですし、屋根瓦は普通のものです。 切妻の棟割長屋風で、チープ感があって、三十石公卿ってこんなものだと納得してしまいました。