これが ↓これに ↓なりました。記事、嫉妬を生まない御所の後宮システム 後編で描き添えました典侍等高級女官の住居(長局)である東西の「対屋」ですが、現京都御所には遺構は存在しません。明治維新後解体されました。ただ、一部の室、古材、及び襖絵が泉涌寺に移築されている、との事ですが、非公開なので確認することはできません。移築後の改造もあって、全体としての対屋がどのような建物だったのかは不明です。そこで無謀...
なるほど、木皮による葺きかたでも格の違いがあるのですね。
瓦が下というのも、故実が重視されてきた結果でしょうか。
防火の意味では、当然に瓦が良いのですが、せっかく瓦にしてもお隣が瓦でないと、結局 延焼するのでしょうね。
3Dを拝見して気になったのが、追加された建物の東西に飛び出た部分。 これは玄関なのでしょうか?
平面図を見ると東西両方についています。 こういう構造は面白いですね。
コメントありがとうございます。
本瓦だったら、檜皮葺の次かもしれませんね。でも完成した名古屋城本丸御殿の屋根は杮葺きですね。戦災で焼ける前は本瓦でしたから創建時に戻ったということですけど、だと、やっぱり、杮葺きの方が格上?よく、わかりませんね。
東西の対屋には下家の北側に計四カ所の玄関があります。たとえば西対屋だと西端の玄関は「大御乳人(命婦の序列二位の女官)」が使用しました。東端の玄関は典侍が使用、という風にある程度身分に応じて使い分けされていました。