前回、公家町土地区画整理事業の割り当てが決まった段階で、何となく思った「こぼれ話」でも書こうかな、と思いましたが、予期せぬ「悩んでます」で書かずじまいでした。今日はちゃんと書きます(こぼれ話ですから肩肘張ることないけど)。ちなみに、拙ブログでたまに載せてます短歌ですけど「はてなブログ」に引っ越しし独立することにしました。短歌ブログのブログ名ですが、せっかくだから一つ捻ってやろうと思いましたが、結局「...
冷泉家についてですが、家の前の今出川通拡張の際に随分と土地を収公されたようです。冷泉布美子さんの手記に書いていたのを覚えています。冷泉邸の前はよく通りますが今は890坪もありそうにありませんね。
素晴らしい趣味をお持ちですね!
私も雅楽とか好きですけど、和歌披講・・・とは雅な。まさか、冷泉家の歌会ではないですよね? 笑。本格的な活動をされているんですね。
普段から公家文化に接している方からコメント頂き本当にうれしいです。
拙い3Dではありますが、励ましを力に頑張ります。ちょうど明日は名古屋で3Dセミナーがあるので勉強してきます。
それでは、これを機縁に今後ともよろしくお願い致します。
かしこ
これからも楽しみに拝見いたします。
地下官人のこと詳しく説明頂き感謝です。そうですか、小佐野家は甲府でしたか。
それにしても、形だけとは言え、平安朝の律令組織が幕末まで残っていたのは驚きですね。財務省も大蔵省のままでも良かったのに。
朝廷は石高収入10万石以外にも幕府や諸大名からの献金、公家の家職や免状
等により裕福な公家もいましたね。一時期は公家さんにも奢侈禁止令が出されたそうですから、公家=貧乏、という訳でもないですよね。30石蔵米は確かにそうでしょうけど。子供だって20人もいた子だくさんの公家さんいましたからね(死産含む)。今に残る桂離宮も桂宮家所領3000石で十分維持管理できたのでしょうか? そのへん、調べていくと面白そうですね。
ちなみに 壬生家 は算術、真継家 は河内鋳物師の頭領という縁から鋳物師系統の権威、ですね。真継家 については 加賀藩 との間で鋳物師集団の今でいう税制特権について大揉めに揉めた経緯もあったそうです。江戸時代の朝廷は免状とかそういうのが主要な収入源だったみたいですが、こと収入に関する事となると 加賀藩 とでも渡り合うたくましさがあるんだなと感心します。
しかしこういうのを見るにつけて、本当に当時の朝廷というのは歪ですね。藤原国主体制を延々とひきずってる体制には、正直眉をひそめてしまいます。北小路家 や 押小路家 ですら地下ですからね。
まあ、歴史上の人物で嫌いな人を一人挙げろ、と言われれば 藤原道長 をあげますね。
そうそう、主さんの疑問ですが、件の 小佐野 は血筋的にも全く関係ありません。配偶者は 旧堀田伯爵家 ですが、本人は代々甲府の貧乏農家です。
分部さんのようなとても若い学生さんからコメント頂きとても喜んでおります。よろしくお願いします。
冷泉家の敷地ですが890坪は間違いでした。正確には東西に21間、南北に22間の約500坪ほどです。「冷泉家住宅座敷及び台所ほか三棟修理工事報告書(京都府教育委員会刊)」で確認しました。
以前、公家町の面積・坪数を計算したとき、京都市編「京都の歴史 第七巻 維新の激動」に所載の”明治元年の京都絵図及び公家町”をベースに算出しましたが、絵図をそのままトレースして坪数を算出するのはとても誤差を生むと、今、反省をしております。