3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 2018年02月

京都盆地をリニューアルしました。

久し振り、京都盆地の3D地形の色直しをしました。これからもっと有効に活かそうと思いまして。あくまで、仮想空間ですけど、東西16キロ、南北20キロの範囲で実寸大で作ってあります。ですから建物を配置した場合でも、見た目の遠近感は出てくるとと思います。地形の凹凸はポリゴンが粗目なのであまり滑らかではありませんが、それでも前よりかは良くなっているかな。田園風景、それらを縁取る緑のテクスチャ(模様)は実はバングラ...

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YouTubeに古代出雲大社神殿をアップしました。

YouTubeに古代出雲大社神殿をアップしました。久し振りの動画ですが見てやってください。神代が終わって人間の時代になろうとした上古、神殿の高さは32丈、96mもあったと伝わっていますが、その姿形はわかっておりません。幻の神殿なのです。ピラミッドのパクリと思われるかもしれませんが、そうではありません。古代文明の黎明期にとって、そのピラミッドは神と人を繋ぐ共通の装置だったのです。エジプトのピラミッド、メソポタ...

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何と公家屋敷の玄関先を撮った古写真があった!

久し振りに、京都府立京都学・歴彩館(京都府総合資料館から名称が変わりました)の所蔵する『京の記憶アーカイブ』を覗いてみたら新しく目にする御殿、公家屋敷関係の古写真があったので紹介がてら載せます。すでに見られた方はパスしてください。最近は国立国会図書館をはじめ各地の図書館・資料館で古文書の電子コレクション化が進みネットでも一部見られるようになりました。では、まず、今回取り上げる屋敷の古写真の位置を航空...

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NoTitle * by -
レインボー様
コメントありがとうございます。
出雲大社神殿の復元の記事でもコメント頂き、その節も励みになりました。ありがとうございます。
最近、記事を書く関係で内裏・公家町の絵図をもっと見たいと思い昨日、「新修 京都叢書 本巻23冊」を購入しました。まだ届いてませんけど。本には絵図集もあり慶応4年から明治にかけての流れがまた少しわかるかな、と楽しみにしています。また、公家屋敷指図の収集もしています。幾つか探しだしました。東京・立川の国文学研究資料館にも何点かありそうなので行く予定です。それでは、ごきげんよう、です。

公家の家、火災など * by レインボー
>不思議と同川の左岸(下流に沿って)にはほとんどありませんでした。右岸より左岸の方が位は上?なのに。やっぱり京童にとっては鴨川を渡ったら洛外ということで、みんな無理してでも洛中が良かったのかな。

〇記事と写真、興味深く拝見しました
 公家の家、昔の屋敷を思い出させる写真でした。
 また、火災などいろいろと面白い考察でした。
 草々

『文久改正内裏御絵図』を落札しました!

昨夜11時、ヤフオクで『文久改正内裏御絵図』を落札しました! 落札額は5500円。最初は2000円から始まって最後は5500円。無事落札できました。入札はほぼ6人ほどの間でデッドヒートし、最終は1万円越えかな、と思いましたが越えずになにより。絵図って結構人気あるんですかね。落札した絵図は、ちょうど「新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった!」で、証拠材料の一つに使った絵図ですからグットタイミング! 「京都...

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新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 後編

後編となりました。後編では中院家の指図に集中します。さて、問題の中院家の指図ですが、先回も書きましたように京都大学の「中院文庫」のなかに所蔵されています。中身は「当家拝領屋敷」として、明和度下屋敷一袋にまとめられています(図はクリックするとどれも拡大します)。年次的には明和度(1764年)から慶応2年(1866年)にかけて行われた中院家・拝領屋敷の替地の記録と、替地を証明する禁裏付き武家等の裏書きした証明文を添...

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訂正 * by -
大さんでなく、近衞忠大さんでした。失礼しました。

NoTitle * by -
takaさん、コメントありがとうございます。
摂家の場合、玄関脇の詰所は客の案内とチェックが主ですが、それ以上に進物の受け取り業務が多かったとか。蔵なんか直ぐ一杯になったと思いますよ。近衛家さんは明治になっても常に来客が絶えず家人の方ももう、疲労困憊したとか・・・。華族の方も大変ですね。
今の近衛家の当主は近衛大さんでしたよね。この前、BSで見かけました。見るからにただならむ雰囲気で流石に名家中の名家ですね。
常に陛下のためお支えする気構えを持っている、というようなことを言ってみえました。
今度は文麿公のように時流の波に押しつぶされないようお願いしますよ、と、一庶民の私は思いますね。

NoTitle * by taka
お久し振りです。非常に見応えがありました。大臣家の指図というのは非常に珍しいですね。いやあ、ホント主さんには頭が下がる思いです。

七千坪というのは結構広大ですが、やはり江戸時代にはよくある副収入がそれなりに大きかったのではと思います。職業柄高家と繋がりも深い武家伝奏の役割を担い、朝廷運営に三代に渡って携われたのが原因だと思います。

主さんが以前書かれていた吉田神道の力の源泉もやはり神位ですから、やはりそれは重要な収入源だったでしょうね。

しかし大相撲問題、評議会の話題の時に 村上源氏 の邸宅の指図書が見つかるとは何か運命的な物を感じます。

前回仰られていた皇統問題については、改めて深く考えさせられますね。確かにそういう考え方もありと思いながら、皇家の苦難の歴史に思いをはせました。奈良時代後期から平安時代は藤原氏にあらずんば皇家にあらずだったのが、良くも悪くも律令制が崩壊して逆に「皇家にあらずんば藤原氏にあらず」になった。これも 後三条天皇様 のおかげですね。

ちなみに臣下から皇位に就かれた方は二柱でした。

ただ、だからと言って誰でも宮家というのも危険ではあります。例えば今の 近衛家 の当主は父系が 肥後細川氏 で政治家のあの方の実弟ですから(苦笑