確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 旅のプロローグも終わって、いよいよ日本を旅立ちます。 何だかんだありましたけど、約10...
確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 vol.4では中・南欧編を書きたいと思いますが、最近、一つ気になったニュースがあったので...
いつも解説ありがとうございます^^。
先日、母が軽い接触事故を起こし、その後始末に終われ返信が遅れました。申し訳ありません。
さて、イザベラ女王の異端審問の件で思い出したのは、
中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長であり神秘家、作曲家でもあったヒルデガルト・フォン・ビンゲンです。中世、最高の知性といわれた女性ですけど、その敬虔な彼女でも、たとえば修道院でさえも、貴族と庶民の差別、階級差を当然のごとく認めていたのですから、当時の感覚は今とは違っていたんでしょうね。
ご質問の、
「ところで質問ですが、梅のコージさんはお金は何を持って行きました? 当時は、まあ今でもですが㌦帝国で欧州でも㌦決済が出来ますが、㌦でしょうか? それともドイツではDEM(ドイツマルク)に、オーストリア共和国に行けばATS(オーストリアシリング)に両替していたのでしょうか?」
ですけど、当時も機軸通貨は米ドルであり、世界で一番通用すると言われたアメリカン・エキスプレスのトラベラーズ・チェック、今の小切手みたいなものですけど、それを腹巻の内ポケットに入れていました。盗まれてても再発行できました。パスポートなども首からぶら下げたポシェット?に入れ、下着の中に入れていました。
「それと欧州では置き引きが多いそうですが、当時ユースに宿泊して身の危険を感じた事はないのでしょうか?」
ユースではありませんでしたけど、一度、イタリアの夜行列車で寝ているすきに1万円ほど盗まれたことはありました。
「質問、南仏では何泊くらいしたのでしょうか? それとフランスのワインは飲みました? それから、ジプシーの集落とかに泊まろうと思った事はありましたか?」
カルカッソンヌやコート・ダジュールのアンティーブなど四、五日間ほどですかね。ドイツやオーストリア、スイス、フランスなどは一等席のコンパートメントが乗り放題だったので国境越えの夜行に乗ったりして宿代をうかしていました。本格的な旅はスペインに入ってからです。
ワインはスペインに入ってから酒豪の女性に手ほどき?を受けました。フランスではイタリアへ向かうコート・ダジュールのアンティーブなどで。味は忘れました。香りが日本と違う感じがしたような覚えがあります。
自分的にはフランスパンとハム、牛乳、ピクルスがあれば満足でしたから。
ジプシーさんたちは洞穴などに住んでいる人もいて、近づかず泊まる機会はありませんでした。
それにしても、張景子氏という女性はけしからんですね。プライドとかないのかな?
後に初めて中国を訪ねたとき、現地の人の、あの血走った目つきが今も忘れられません。
それでは、おやすみなさい。
以前東アジア研究家の張景子氏がこういう事を言っていました、「日本のパスポートは世界で一番信用がある。どこ行っても入管の審査は甘いし。だから私は日本人なんか嫌いだけど日本に帰化した。日本に帰化したのは便利だからであって私が中国人である事に変わりはない」って。それくらい信用があるという事ですね。
南仏を北海道に例えたのは見事ですね。南仏は意外ですが緯度でいえば北海道よりやや上という位置ですから、北海道の様な雰囲気になったのでしょうね。
アルハンブラ宮殿は美しいですよね。キリストイスラム文化を融合した建築はまさに芸術的だと思います。この建物を異教徒の物という理由で破壊せずに後世にまで残し、アメリカ大陸を発見したコロンブスを支援したイザベラ女王は素晴しい名君だと言えますが、一方でイザベラ女王とその側近ドミニコ会のトルケマーダは異教徒や他修派から当時最も恐れられた異端審問のやり手というのですから人間の精神構造は複雑ですよね。彼女の一族の子孫が居れば是非会いたいですね~
パリに行くな、という噂がパッカーの間で広がっていたというのは驚きました。パリ市民というのはどこか中華意識と似ていて他を馬鹿にしている部分があるようで、治安が悪く所得が低いと言われる19区ですらそんな感じだそうですから、その噂はある意味的を得ているかも知れません。
質問、南仏では何泊くらいしたのでしょうか? それとフランスのワインは飲みました? それから、ジプシーの集落とかに泊まろうと思った事はありましたか?
確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 一ヶ月、二ヶ月前?のことだったかな?TVで海外で暮らすユニークな日本人特集を放映し...
質問、トリノで別れたとの事ですが、彼女と一緒にパリに行こうと思った事はありませんでした? 旅先とか遭難とかの危険な所とかだと身近の人と恋愛感情になりやすい、という話は聞きましたけど。
それと向こうの気候はどんな感じでした? 例えば日本と比べて暑いとか寒く感じだとかそういうのはありませんか?
向こうの山だと放牧が多いですから、家畜の糞だらけというのは仕方ないのかもしれませんがやはり何とかして欲しいですね~ そこの所は考え方が根本的に違うのでしょうか? まあ、ルイス・フロイスも日本について「清潔な国」とビックリしているくらいですから、元々そこは気にしないのかも知れませんが。
そうそう、チロルのおばあさんの住所は未だに解からずじまいですか?
ヴェネツィアは美しい水の都ですよね~ イタリアを考える時、ヴェネツィア共和国とトスカーナ大公国とどちらが裕福だったのだろうか? と妄想してしまいます。
さてルネッサンスと分裂国家についてですが非常に興味深いですね。確かにあの問題国家中国も、大いに発展して基礎が出来た原動力は百家争鳴と言われた春秋戦国時代でしたから。ただイタリア諸侯及びドイツ諸侯を独立した国家と見るか? それともローマ・カトリック及び神聖ローマ帝国領の内臣の所領と見るか? で、見方は変わるでしょうね。
ですがドイツ諸侯と違いイタリア諸侯は裕福でありながらローマ皇帝がイタリアから出ない所に不満がたまる原因があったのかも知れませんね。ローマも一度行ってみたい所ですね。基本的に古代ローマ帝国も大好き、特にユリウス・カエサルやアウグストゥスを尊敬していますから。
ギリシアのキリル文字はギリシア人にとっては誇りですから一様にキリル文字であっても不思儀ではありません。現在は観光地ではキチンと主要言語では表記されているそうです。
今回、まさかTVの話題から入るとは思いもしませんでした。しかも私も観た番組です。「真性ヒッピー」とは上手い言葉ですが私もまさに同感ですね。彼は自分の信念を曲げていないのである意味立派ですが、やはり自分を根本的に勘違いしているように思えました。
安保闘争や左派運動、その中心となっているのは学生でした。では自分で働いて学業に勤しんだのか? と言えば、運動家もヒッピーもそうではありません。親にお金を出してもらい、裕福な生活をして余分な事を考える時間を持っていたのが殆んどです。
当時は中学を卒業して集団就職しなければならなかった人達が圧倒的大多数であり、労働者の味方や権利を標榜していたその当の労働者は家族の命運を背負い、人生の大半を自己の楽しみを犠牲にして故郷の家族の為に、そして国家の為に一生懸命生きていました。
労働者は高校生から責任という考えを持っていましたが、彼等は大学生にもなっていつまでも子供で責任という考えが全く無かったみたいです。だからこそ彼等は味方と思い込んでいた労働者から見捨てられる結果になったのでしょう。彼等から見れば、人のお金で努力もしないで好き勝手に騒ぎを起こす人種にしか見えなかったでしょう。
その年代以降は未だに責任という感覚が抜けているように見えます。件のテレビの男性は家族に対する責任という感覚が抜けていますし、今社会で上の方になっている方々等も一般企業から官僚まで責任を全く取らない状態になっています。もちろん私と同年代の人達は言うまでもありません。
あの頃の歴史を学んだ時に、今の無責任社会になった日本の現状について「ああ こうなるべくしてこうなったんだな」と納得出来ましたね。安倍新首相の教育改革に期待したいですね。
確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。vol.5に続きます。 アテネを後に一路、イスタンブールへ。 途中、確かギリシャ東部の都市...
いつもコメントありがとうございます。
実、この旅、30数年も前のことで、年数を勘違いしてしまい、その結果、矛盾した内容の所も生じ、途中で記事を訂正しようかどうか迷っていましたが、takaさんから改めて指摘されたので訂正することにしました。訂正したこの記事が、自分の正しい内容です。再度、ご覧ください。
申し訳ありませんでした。
質問、今現在アヤ・ソフィアの入場料は20TLですが、当時の入場料とかはどうだったのでしょうか? またトプカプ宮殿の中に入ってもハーレムに入るには別途15TLが必要ですが、当時別途料金はやはり発生したのでしょうか?
オスマン帝国は王では無く皇帝です。例えばスレイマン大帝(ラテン語読みでソロモン)の場合は立法帝(カーヌーニー)と呼ばれている事からも明らかですし、コンスタンティノープルを征服した後はローマ帝国の後継者を自認している事、政治と神権双方のトップであるカリフの称号を持つ事、ウィーン包囲時にハプスブルクに送った書簡で自らをインペラトル(ラテン語で皇帝)としている事等から皇帝であると認められます。
ガラタ塔の裏通りの売春宿って歴史的なものなのかな~ 当時から売春宿だったんですね。オリエント美女、私だったら100%吸い込まれています。白人美女、オリエント美女に誘われたら抗う精神力なんて持ち合わせていませんw その点、梅のコージさんはシッカリしているな~ と関心してしまいます。
外国の旅で同じ国の人に会った時はやはり話が弾むんですね。仲間から聞いた話の範囲で良いのですが、実際パルパライソって日本人パッカーも多く永住しているものなんでしょうか? 今でこそパルパライソは気軽にいけますが、確か共産政権誕生に対する為にピノチェト大統領の独裁が始まったばかりだと思うのですが。住んだとしても共産ゲリラと軍隊の間で大変そうな感じですが。
アナトリア高原、ヴァン湖、美しい景色でしたが、有名なカッパドキアの遺跡は行かなかったのですね。あそこも見る価値はありますよ。
トルコの親日度というのは嬉しい話です。確かに日露戦争で大日本帝国軍が勝利したのも大きいですが、和歌山沖で沈没したエルトゥールル号沈没事件に対する救出活動も大きいでしょう。救出するだけでなく弔慰金も送った事で日本ブームが置き、日土友好の架け橋となった山田寅次郎も士官学校で教鞭をとってその生徒がケマル・アタチュルクというのも大きかったでしょうね。日本のその精神をクルド人やアルメニア人に対する対応にも学んでくれればと思いますが。
アメリカ人女性、良く守れましたね。車掌からクスリだのなんだのと警察を呼んだりとか嫌がらせはされなかったのでしょうか?
確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 35年前、ユーラシアを旅しころは、インターネットもパソコンも携帯もありませんでした。...
そして日本でもそういう輩が企業に大量就職して、今では名古屋の某大手商社のトップとして経済界の重鎮として初の民間大使になるまでになっていますからね。私の親の年代というのは正直安全保障上の重要な問題にまでなっていると思っております。
さて、やっぱりヨーロッパ大陸に行くとなるとフランクフルト空港ですね。英国に次いで二番目に大きい空港で欧州の玄関口と言われていますね。ちなみに旧西ドイツ人は今でも自国を西ドイツ、もしくはボン共和国と言っている人が多いそうです。
ところで質問ですが、梅のコージさんはお金は何を持って行きました? 当時は、まあ今でもですが㌦帝国で欧州でも㌦決済が出来ますが、㌦でしょうか? それともドイツではDEM(ドイツマルク)に、オーストリア共和国に行けばATS(オーストリアシリング)に両替していたのでしょうか?
それと欧州では置き引きが多いそうですが、当時ユースに宿泊して身の危険を感じた事はないのでしょうか?
ハイデルベルクはドイツ最古の大学の街ですね~ 学問の街らしく赴きのある街と聞きました。バイエルンのノイシュヴァンシュタイン城は芸術的で非常に美しい城ですね。これを作ったルートヴィヒ二世は芸術家としては尊敬していますが、王としてはやはり?と言ったところですね。プロイセンのホーエンツォーレルン皇家やビスマルクとはやはり格が違いすぎました。
オーストリアに正教の文化を見出したのは流石ですね。元々オーストリアハプスブルク家は一介のスイスの小貴族の出で、神聖ローマ皇帝となってウィーンに移ったのですがボヘミア王国領であった時代から地形上東方正教会の影響を無意識に受けていたようで、建築どころかイコンを掲げている教会もあるそうです。
ちなみに東方正教会とはローマ帝国の正当な後継者である東ローマ帝国のキリスト教であり、ローマ皇帝がキリストの生まれ変わりで首座であるという正当な教義であって、対してカトリックは異民族の侵入のどさくさにまぎれてローマ司教が代理者であり首座であると主張して独立したものです。
ところでオーストリアに行ったのなら是非ウィーンに行って欲しかったです。ハプスブルク家のシェーブルン宮殿があり、ウィーン国立歌劇場があり、ウィーン楽友協会大ホールも凄く立派な建物ですよ。モーツァルトやヨハン・シュトラウスの銅像もありますし、マーラー大ホールで行われるニューイヤーコンサート等は一度生で聴きたいものです。
南欧編、楽しみにしていますね^^ あ、ちなみにザルツブルクはモーツァルトの生まれ故郷です。
追記
昔を思い出すとこみ上げてくるものがある、というその気持ちは良く解かります。私自身も小学校時代の友人や初恋の思い出や、昔の彼女の思い出なんかもふと考える事があります。
そういう事をブログの類いに書くというのは良い事だと思いますよ。何かあった時にはいつまでも残る物ですし、それが時代を下れば資料になるかも知れません。私自身も小学5年生になった頃から毎日日記を書き続けています。日々の天気や出来事、出会いや思った事等を書き続けていますよ。
娘さんもいつかはそういう感情が理解できるようになると思いますよ。