3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 >  平安-院政期 1086年⇒

無事、放送されました。

12日(火曜)にお知らせしました、NHK・BSプレミアム「偉人たちの健康診断」・平清盛 体から黒煙? 怪死の真相、に自分の描いたイラストが使われる件ですけど、昨日13日夜、無事、放映されました。番組の中では画面一杯に大きく取り上げられ、画面右下のクレジットには「CG制作 梅村京一朗 3D京都 監修 川本重雄」と表示され、やぁー、うれしかったです。使用されたCG、アイソメ図(等角投影図)は平清盛の住まいであった...

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No Subject * by -
五反田猫様
コメントありがとうございます。

五反田猫さんから教えて頂けるまで、和歌と現代短歌の本当の違いについて分かりませんでした。学校では学びませんから。
詩人の中野重治が「花鳥風月」を詠うな、と言いましたが、五反田猫さんの言われる「現代短歌は単独で鑑賞できるものを重視しますが、古典和歌は披露される場(饗応や歌会)があって存在するもの」という解説を改めて伺って、成程なぁ、と頷いている次第です。
もっと日本の古典について理解を深めないといけないですね。

たとえば、普段している挨拶のお辞儀ですが、あんなに昔からペンギンのようにヒョコヒョコ頭を下げていたんですかね?何かあんまりみっとも良くないです。
外国人などよく日本人のお辞儀の真似をしたりしますが多少、侮蔑の感情が入っている感じがします。品のある所作とか、礼法とか昔の日本人にはあったと思います。
幕末、アメリカを訪問した幕府の侍たちの立派な挙手、振る舞いに感心したとか聞いたことあります。いろいろと温故知新を掘り返すのが大切だな、と思いました。

五反田猫さんも新型コロナには気を付けてくださいね。

色々な事があったのですね * by 五反田猫
残念ながら番組は見られませんでしたが、お話しを伺うだけでも興味深いです。
川本重雄先生は、建築の専門家ですが、生活 特に饗応という観点で貴族邸宅を研究されており、独自の視点がとても興味深いです。
和歌の世界も共通したものがあり、現代短歌は単独で鑑賞できるものを重視しますが、古典和歌は披露される場(饗応や歌会)があって存在するもの。何か共通したものを感じます。

京一朗さんも、文献も御覧になり指図から3Dをおこされているので、専門家の話から対応が容易に出来るのですね。これも素晴らしい。
アイソメ図というと聞きなれませんが、まさに絵巻に出てくる寝殿の図。
屋根を取り払って内部を描き、斜め上からの視点で関係する人物を描く。

>インフルエンザや感染症
清盛も、当時最先端であった中国との貿易。 利益の面でも技術の面でも得るものは多かったのでしょう。 同時に疫病も呼び込んだのは、奇しくも現在の日本と同じですね。
コロナウイルスは密閉環境で感染するので、むじろ隙間風の吹く開放環境の方が感染防止には良いかもしれません。 2月の和歌関連のイベントが2つありますが、現状ですとどうなるか不明です。とは言え、出来るだけの準備をしております。
京一朗さんも、どうぞお元気でお過ごし下さい。

No Subject * by -
AzTak様コメントありがとうございます。
過分な言葉を頂き恐れ入ります。
果たせない夢だからブログで作ってみようと始めましたが何とか途中、休みつつもここまで続けてきました。私は AzTakさんの鉄のような意思で続けられている日々のブログこそ尊敬しております。きっと何か突き動かせるものがご自身にあるからだと思います。私も少しある気がします。

素晴らしいです * by AzTak
NHKの番組内で使用され、しかも、その作品を見ながら重鎮の住まいの先進性についての解説まであったようで、素晴らしいことだと思います。真似しようにもできない高みを極めたレベルだと思います。
ただただ仰天する場なりです。

法勝寺フォト集

えぇ、今回は「法勝寺フォト集」と題して、CG写真を掲載します。いままで法勝寺については記事でいろいろと書いてきたので、ここは単純にCGだけ載せます。京都盆地を背景にしたもの、霧に浮かび上がる法勝寺、夜景と法勝寺、等々いろんな角度から。似たようCGもありますので辛抱して見てみてください。ちなみに京都盆地の背景写真ですが、4年前の雪降る寒い京都、某ホテルの展望スペースから撮ったものです。パチパチ一一心...

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院政期最大の建築・法勝寺金堂を復元しました。

先回は院政期を代表する法勝寺八角九重塔を復元しましたが、今回同じく法勝寺の金堂を復元してみました。これもブログ初期に作っていますが、今回、新たにリニュアールしました。今日の記事では八角九重塔も含めた3DCGをアップしようかと思いましたが、時間の制約もあって次回に譲ります。さて、金堂ですが、過去に記事も書いているので重複しますが、その点はご容赦を。法勝寺及び六勝寺ですが、1077年(承暦元年)白河法皇の法...

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法勝寺八角九重塔を作り直してみました。

ちょうど四年程前からブログを始め、ブログトップのブログ名の背景をどんな感じにしようかと思い、そのとき思いついたのが、法勝寺八角九重塔(京都市左京区岡崎)をランドマークにした京都の街並みでした。で、最初に作った3Dがこの「法勝寺八角九重塔」。今思えばよくこんな難しい八角の塔にチャレンジしたなぁ・・・と思いましたが、とにかくブログタイトルの背景ですから、何が何でも作らなければ、という勢いで作ったものです...

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第二期鳥羽離宮の3Dパノラマ画像です (後編)

前編に続き鳥羽離宮の後編をご紹介いたします。 鳥羽離宮も、あれこれ数えて12回ほど記事を書いてます。もちろん、同離宮は、何回書いても語り尽くせないほど広大で興味の尽きない離宮ですが今回でひとまず完結させて頂きます。PCの負担の件もありますから。 それでは前置きはこのへんにして、早速、後編のアップを致します。 まず、鳥羽離宮の湖面に揺らぐ竜頭船と貴族?たち。 竜頭船は箱根神社の竜頭船をお借りしました。 貴...

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寒くなってきましたね * by 梅のコージ
takaさま、
こちら愛知は初雪?が降りました。
朝、起きると屋根にうっすらと積もっておりました。
寒いには違いないのですが、なにか歌心を誘うものがあります。
そんなこと言ったら、東北や北海道の大雪み見舞われている方々に申し訳ないですけどね。

改めて、3Dについて評価頂きありがとうございます。本当はもっと完成度を高めたかったのですが、我が技術とパソコンの能力が足りませんでした。

おいおい腕を磨き、パソコンも能力アップします。

ところで、足利氏がこちら愛知県の三河の八条院の地頭職だったとは知りませんでした。地元では吉良様は名君と言われて銅像まであります。

室町のころはバサラ大名の佐々木道誉とかのさばって下克上の戦国へと突き進んでいきましたね。

日本にとって幸せだったのは、武士の棟梁が皇室の男系子孫である源氏と平家に束ねられていたことですね。

もうちょっと、道誉のような人間が増えていたら、とんでもないことでした。やれやれ、綱渡りの日本ですね。

では御身大切に頑張ってください。

鳥羽離宮、見事な出来です * by taka
本当に素晴しい技術力をお持ちで羨ましい限りです。また鳥羽離宮をこの様に復元していただき、まさに感謝感激の言葉でいっぱいになります。

残念ながら南北朝の兵乱で南朝方の拠点の一つであったために焼失してしまい非常に残念な気持ちでしたが、このように実際に在りし日の姿を見る事が出来て感動しています。

ところでこれに伴って今年3月28日の記事、院政期 八条院領と長講堂領、非常に興味深く読ませていただきました。特に後白河天皇の上皇時の勢力拡大の失敗に対する考察は非常に興味深いですし、これは主要な要因の一つであると私も同じ考えです。

この頃の事を語ると長くなりますので、室町幕府に対する疑問について。答えは簡単です。足利家はs下野足利荘はじめ、三河においても足利一族の大半が八条院領における地頭なのです。また高師直こそ「王など必要ない」等と妄言を並べ立てていますが、大半の考えは公家社会保守主義=後醍醐天皇vs武家社会保守主義=朝廷からの任命→武家源氏棟梁政治足利尊氏という対立軸に過ぎません。

従って当初は後の守護大名における荘園を没収するような過激な行動はしていませんし、恐らく八条院領没収という考え自体そもそも思いつかなかったのではないのではないか?と考えております。

また仮にそういう構想を思いついたとしても、承久の乱後の足利側が言う簒奪者の北条氏と同じ手法を取るのか? といわれると、そうではないと思います。



第二期鳥羽離宮の3Dパノラマ画像です (前編)

第二期の鳥羽離宮の3Dパノラマ画像が出来ましたのでご紹介します。 離宮全体ではいろんな角度から撮ったので、前編、後編の二回に分けて掲載します。 今回は、主に離宮の左サイト、西側の南殿(証金剛院)や勝光明院、北殿などの俯瞰パノラマ及び個々のクローズアップ画像など紹介します。 この鳥羽離宮の3Dファイルですけど、全体で700MBほどにもなりました。ですから実は離宮の全体像を同時に離宮内に配置することは出来ませ...

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コメントありがとうございます。 * by 梅のコージ
shimashima様

コメントありがとうございます。

唐・長安の大明宮の想像図とかベトナム・フエの阮朝王宮の午門の写真など見たことありますが、宇治の平等院鳳凰堂のような翼楼付の阿弥陀堂も中国の庭園建築の影響を受けているとは・・・そこまで深く考えていませんでした。勉強になります。

北京を訪ねたとき、故宮その他の古建築を観ましたが、人によっては中国の歴史建造物は北京を尋ねればそこにすべてある、とも聞いたり、

蘇州の庭園を見ても、溶岩のような庭石が多く、しかも積み重なって孔が空いているほど嘆賞される、とのことですが、日本の庭園感とはちょっと違うかもです。

日本の場合、平等院鳳凰堂とか、苑池を背景にした自然との一体感が柔和でより円やかな感じを醸し出している気がします。

平安期の離宮など、建築に左右対称の影響を受けていますが、もし、近世の日本で、朝廷の財力があったなら、上皇の離宮の院家建築の様相もどうなっていたんだろう?
より左右非対称で雁行型になっていたのかなぁ?

とか。

いろいろ想像してみました。

とても勉強になるコメントありがとうございました。

                         梅のコージ

鳳凰堂形式は水面から見るのがツボ? * by shimashima
湖面からの勝光明院の3D画像がいいですね。
宇治の平等院鳳凰堂のような翼楼付の阿弥陀堂は中国の庭園建築が元になったと言われています。
古い仏画にあるように、複廊といわれる1階吹き放しの2階建ての建物の前面が空を映す鏡池になっていて、建物を雲上にあるように見せるものです。
ベトナム・フエの阮朝王宮の午門にその形式が残っています。http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ab/09/kaientai1867/folder/1048327/img_1048327_43526888_4?1320059320

中国古代の陵墓園林の建築では陵墓の高い基壇の上にこういう楼閣が下図中央のような白河の六勝寺伽藍のように並び建ち、周囲の森の上に浮かんで見晴らしていたのです。
http://merosu.com/img/hosshoji2.jpg

宇治の平等院鳳凰堂の翼楼の2階の立ちが低いのは、池に舟を浮かべて遥拝した時に仏堂をより遠くで水平に長く伸びているように見せるためかもしれませんね。
平安時代の貴族たちはそうやって彼岸の阿弥陀堂を観想していたのではないでしょうか?

3Dでいろんな角度から再現して見ると気づくことが多くあって有意義ですね。

鳥羽離宮南殿&証金剛院の3Dが完成しました

訪問者の方、こんにちは。 まずは、御礼から。 ブログランキングの日本史部門で第二目標の五位以内、瞬間的には四位を獲得しました! 皆様のご協力ありがとうございました。 上位三位の方々のブログはとても素晴らしく、まだ新米の自分にはとても太刀打ちできませんが、皆様のネットを通じた応援をささえに今度はトップを目指して頑張ります。 今後もどうかご支援宜しくお願い致します。 と書いたら、何と、本日、9位に下がってし...

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平唐門を造りました * by 梅のコージ
takaさま、

こんな時間にすみません。午前零時を超えてしまいました。ブログにもアップしました鳥羽離宮用の平唐門や三間四面堂、六角堂、三十三間堂のお色直し?などに時間がかかり、コメント返信遅れて申し訳ありません。

改めて、院の近臣について深い説明を頂きありがとうございます。自分もいろいろ勉強になります。

前、雑学で、江戸時代までの天皇陛下は、玉体という天皇位の間は、病気でも滅多やたらにお体を触れなかった・・・とか聞いたことがあります。

こんな一面も上皇に譲位されたかも・・・です。

それでは、おやすみなさい。


瞬間四位 * by taka
達成おめでとうございま~す^0^/ そして鳥羽離宮南殿の3D画像アップ、ありがとうございます。やはりこういう分野がいまだに興味を持たれている方がいらっしゃる事に我が事の様に嬉しくなりますね。

皇居東御苑から望んだ離宮、宮島とのコラボ、本当に素晴しい出来栄えで感激しました。やはり平家縁の宮島とのコラボは特別な感情が湧きあがります。

さて、前回の畳の件ですが、あれは『延喜式』と『海人藻芥』の中の畳事から出典しております。

>院の近臣とは、官位を飛び越こえた存在なんですね。まるで徳川将軍のお側用人みたいですね。

そこは非常に重要な部分であります。そもそも何故上皇・法皇にならなければいけなかったか? 何故院政なのか? と申しますと、それは天皇位におられる限り宮中での決まり事は守らなければいけません(徳川政権で言う秀忠ですね)。ところが退位された場合は宮中での決まり事を越えた存在で縛られる事はありません(大御所、家康です)。従ってそれなりの力さえあれば自由に席次も決められ、自由な意思で政治が出来るようになり大権を持てるようになり院宣が詔勅の上に行くといった事態になります。

そして治君の君を守衛し、摂関政治を打倒した中心勢力として活躍したのが所謂院の近臣です。側用人というのは幕府の公式アドバイザーですが、院の近臣は院の個人的なアドバイザーと行ったところと申したほうが良いでしょう。院の近臣の代表者として藤原道長の孫能長(最終贈太政大臣)や、夜の関白と異名を取った葉室中納言顕隆等がおります。

以上の事から考えると、やはり鳥羽離宮における院の側の紫座というのは院の近臣と見ざるを得ないのです。院の個人的アドバイザー→公式の納言以上の官職という道筋をたどるのが当時の流れだったのでしょうね。

さて、これから寒くなり風邪もひきやすい季節になりましたがお体に気をつけながら、無理の無い範囲で続けてください。

鳥羽離宮の南殿間取図を載せます。

鳥羽離宮の3D製作もいよいよ佳境に入ってまいりました。 今まで、何度も離宮のことを書いてきたので、かなり重複してると思うんですけど、「こいつ、また同じこと書いてる」と思わないでくださいね(笑)。ブログによっては記事中の下線をクリックすると、その場でブログ内の過去記事へ案内してくれる、という便利な所もありますが、管理人もおいおいブログの勉強して「おぉ!」と言われるようなレベルになりたいと思っています。 ...

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* by 梅のコージ
taka様、

いつもながら詳しいフォローありがとうございます。もう「そだったのか!」と驚きの連続です。一体、その豊富な知識は何処から泉のごとく湧き出てくるんだろう?と感嘆してます。
今回も、繧繝縁はうんげんべり、もしくはうげんべりと読むんですね。
紫座の推測もさすがです。院の近臣とは思いもよりませんでした。 院の近臣とは、官位を飛び越こえた存在なんですね。まるで徳川将軍のお側用人みたいですね。

また、いろいろ教えてください。

そうそう、黄緑は地下、縁なしは無位だそうです。なるほど、初めて知りました。

これも貴重な資料 * by taka
です。梅のコージさん の意欲溢れるチャレンジ精神と、資料の提供にはいつもながら頭の下がる思いです。

繧繝縁はうんげんべり、もしくはうげんべりと読みます。ご存知だと思いますが、天皇・上皇・三后・准后は繧繝縁を、大紋高麗縁は親王・摂関・大臣(准后宣下を受けない者)、小紋高麗縁は公卿、という具合に決められていました。

そこで大問題なのはここに書かれている字です。梅のコージさん も書かれていますが、私もこの高麗というのは畳の縁の事だと教えられました。これが非常に問題なのです。何故か? と言いますと、宮中においても院政においても所謂席次というのは君主から見て左が官位が高く右が官位が低いというのが原則ですが、それと同様に重要なのは君主に近いか? 遠いか? も重要な位置づけになります。

で、紫座というのを畳の縁の彩りだとすると、宮中儀礼の畳には紫縁というのがあります。これは小紋高麗縁より一つ下、殿上人が座る畳み(従五位下~正四位上)なのです。席次でいえばある意味分不相応な位置ですが、恐らくは院の近臣と呼ばれる殿上人で、官位を飛び越した席次で着座された可能性が非常に高いと思われます。

ちなみに黄緑は地下、縁なしは無位だそうです。

串団子と水煙

相変わらず鳥羽離宮が続きます。 今回は鳥羽離宮に存在した三重塔を3Dで作ってみました。 もちろん、当時の建物はないので、現存三重塔で年代的に一番近い興福寺三重塔を参考にしました。 三重塔及びその関連記述については、今回、堀内明博氏の「日本古代都市史研究」の鳥羽離宮編に絞って参考にさせて頂き、文章も引用させて頂きました。 現在、白川法皇、鳥羽法皇、そして近衛天皇の御陵が安楽寿院及び周辺に存在しています。...

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綺麗な三重塔です * by taka
串団子、受けました。受けすぎました^0^ 確かに水煙というのはある意味大事な部分、全体像を見てこれではやはり見栄えが悪すぎますね~ しかし、本当に見事な出来栄えです。素晴しいです。

院号に関しては確かに記述の通りなのですが、院という号自体やはり仏教の影響がかなり強く現れております。実際寺院と言われるように、寺の中でも特に格式の高い物は院という言葉が使用されていましたし、即位の礼では即位灌頂と呼ばれる仏教様式の儀礼が中心だったようです。

ちなみに明治になるまで第六十三代冷泉天皇から第百十八代後桃園天皇までは、安徳・後醍醐両天皇を除いて全て○○院という諡号でした。それを○○天皇と本来のあるべき姿に戻したのは、偉大とも言える第百十九代光格天皇陛下です。

それと、梅のコージさんは中部地方で京都出身じゃなかったんですね。中部地方と言えば、私の母方の実家が名古屋ですから良く行くんですよ。ちなみにハーフとは言っても味噌煮込みは大好きですし、手羽先は綺麗に食べられますよ。

多宝塔を作ってみました。

鳥羽離宮には、当時、三つの塔が建っていました。多宝塔が二つ、三重塔が一つ。現在の安楽寿院があるあたりに建っていました。鳥羽殿で言う東殿、泉殿の区画で同離宮の東側にありました。 白川上皇はこの東殿付近に三塔を建てました。天仁二年(1109年)建立の三重塔から天永三年(1112年)にかけての二基の多宝塔です。上皇は大治4年(1129年)崩御され、この三重塔を御墓所とされました。で、管理人もよくわからないのですが、保延五年...

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いやあ * by taka
この多宝塔も素晴らしい物ですね~ 同時代の建築物なら、恐らく細かい所まで二基とも全く一緒だと思いますよ。

ところで中御門中納言が寄進した三重塔について一言。三重塔は結局焼けましたが、三重塔が焼失したので寄進したわけではありません。当時天皇陵は白河天皇の例にならって三重塔を造営する事になっておりました。

で、梅のコージさんの仰っていた三重塔も先帝の例にならい安楽寿院に本御塔と新御塔を保延五年(1139)に建立されました。

そして本御塔が鳥羽天皇陵=安楽寿院陵となり、新御塔は記述どおり美福門院陵となるはずが遺言によって高野山に葬られたため、近衛天皇陵=安楽寿院南陵となったのです。したがって新御塔は多宝塔ではなかったと記憶しておりますが。

ちなみに白河天皇陵の三重塔は天永二年(1111)に建立され、建長元年(1249)に焼失しております。

梅のコージさんはネパールにも行った事あるんですね~ 私もインド・ブータン・ネパールには行ってみたいと思っていますが、今のネパールは中国の犬毛主義派が跋扈していますので行けそうにもありません。

一応30代になるまではインド・ブータンに行こうか?とは思っているのですが。

第一期鳥羽離宮のパノラマ3Dです

今夜も大河ドラマ「清盛」に鳥羽離宮のことが触れられていました。先週は後白河法皇が鳥羽離宮に幽閉されたお話でしたね。いよいよ清盛も最後の時が近づいてきました。何故か平家一門の物語は滅亡に至る過程がドラマチックで胸に迫るものがあります。ドラマ的に言うといよいよ佳境に入る、ってところですかね。 平家は京都に構えたことにより貴族化しました。足利氏もそうですけど。 ただ、日本の文化は、たとえば江戸の始めの寛永...

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テンプレート変更しました。 * by 梅のコージ
takeさま、
いつもいつもメール頂きありがとうございます。

今回、鳥羽離宮のパノラマを掲載しましたが、もう、あまりにも広くて、金剛心院、勝光明院だけでは間延びしてしまいます。今、白川院の御陵の多宝塔を作っていますが、「一筆書きで、キーを押すだけで一発変身?みたいなことを考えてしまって、ついそっちの方に走ってしまいます。

国会議事堂ですが、
渡辺福三という方のデザイン設計を元に建築されたんですね。いつもながら博識に頭が下がります。今後とも、いろいろ教えてください。自分は本の飛ばし読みばかり得意で、読んでも忘れてしまいます(笑)

見事な * by taka
離宮のパノラマですね~ 概略図もアップしてくださりありがとうございます。

鳥羽離宮・勝光明院(平等院鳳凰堂のそっくりさん)が完成しました。

衆議院もようやく解散の運びとなりました。野田総理には「近いうちに・・・」に言われ続け、本当に年内?とヤキモキしていましたが、この師走、本当に約束を守ったわけですね。やれやれ、気ぜわしい年末になりそうです。 今回、鳥羽離宮の北殿に付属する勝光明院の3Dを作りましたが、テレビで国会議事堂を見てると、何となく勝光明院(実際には平等院鳳凰堂)と似てるなぁ?と思いました。なんか、似てるのは「左右対照だけだ!」...

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素晴しい * by taka
出来ですね~ 感動した、の一言につきます。まさに当時の皇族を中心とした新しい政治を作ろうと意欲に燃えた強い意志がこちらにもヒシヒシと伝わって来るようです。

これだけの壮麗な建物、芸術性に加えて院政の中心地という歴史的な価値がありながら南北朝の兵火で焼けたという事に対しては残念の一言ですね。

>>テレビで国会議事堂を見てると、何となく勝光明院(実際には平等院鳳凰堂)と似てるなぁ?と思いました。

日本の国会議事堂は渡辺福三氏デザイン設計を元にされています。今の日本の教科書は勝手に「1928年(昭和三年)に完成したロス市庁舎を参考にした」等と勝手に妄言を吐いているみたいですが、日本人のデザインで大蔵省建築局が所々改変したのであれば平等院は絶対に参考にしたと思います。

何故なら平等院の建物というのは、英国建築の所謂シンメトリー、とくにジョージアンスタイル建築にも通じるものがあるからだと思うからです。

民主党政権は本当に最低な政権でしたがw 惑星直列の年に解散してくれて良かったと個人的には思います。独身の私も一人ジックリ考えて投票しなければなりませんね^^

鳥羽離宮-金剛心院の3Dが完成しました!

鳥羽離宮-金剛心院が完成しました!昨日、一応、完成したのですが、見直す所が出てきて修正にちょっと手間取りました。やっぱり、和風建築は屋根の形状と色合いで決まりますね。今回も造ってみて、やはり入母屋屋根の軒の反りの曲線・角度が重要だと改めて感じました。今後も様々な屋根の形を作りストックしておきたいと思います。さて、金剛心院の各建築物の大雑把な寸法等の説明は、ちょっと前に書きましたので、今回は同心院に...

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コメントありがとうございます * by 梅のコージ
takaさま
コメントありがとうございます。

鳥羽離宮の3D、お褒め頂いてこそばゆいです(笑)。
これからも続けてまいります。

それにしても嫡孫維盛流の子孫の方とは恐れいりました!ルーツが平安時代にまで遡れるなんて素晴らしいですね。

実は当家ですけど、どこまで本当か?わかりませんが父から伝え聞くには、斎藤別当実盛 の傍流?の子孫だと聞いております・・・。

世が世ならば、梅のコージはtakaさまの家来筋だったんですね(笑)

それとブログ記事の見た目を少し変えカラフルにしました。バナーへのクリックも平身低頭、心よりお願いするよう表現を切実?なものに変えました。効果はいかに?

また、感想とか聞かせてください。

それにしてもtakaさまは博識ですね!
ブログ始めたら絶対人気でますよ。
あっ! すでに始めていたり?かもかもです。

では、また、よろしくお願いします。

金剛心院の3D画像完成が嬉しいです * by taka
いざ実際に見てみると「こういう建物だったのか~」と改めて感心するとともに感動しますね。鳥羽離宮は藤原氏の専横から脱し、皇室主導の政治として本来のあるべき姿を取り戻した期の重要な政治の中心地ですからその中の一つの寺院をを見るだけでも胸がつまりますね。

ちなみに鳥羽離宮内の五つの寺院のうち、証金剛院だけが白河天皇時代の建物だそうですね。

大河ドラマ関係の記事ですが、私は一応伊勢平氏(嫡孫維盛流)の子孫と言われていますので平相国は尊敬しておりますし、個人的にはご落胤であって欲しいと思っています(笑)

それはともかくとして海外放送でkingという言葉を使わないように、という事を願っても無駄なように思えます。普段からNHKというのは韓流ドラマを推進してきており、竹島問題では国会質問中不可解な中断をしていたり、従軍慰安婦模擬裁判では先の昭和天皇陛下を諱で呼び捨てにした上に絞首刑等という放送を平気でしてきております。

このドラマにしても無理矢理歴史を捻じ曲げて王家という表現をした上に、批判が集中するや「我々がそういうのだから王家が事実だ」と反論する等厚顔無恥な連中です。しかも「物の怪の血が呼ぶ」と皇室に対してその様な表現をしている事自体、NHKという放送局がどういう放送局か? 解かると思います。

まあ、ナムドンセンワン(弟王)という呼称を使用されるよりはマシと思わないと駄目かも知れませんね~

鳥羽離宮-金剛心院の南側から見た3D作品をアップします。

まだ一部製作が残っているので、 取り合えず鳥羽離宮-金剛心院の南側から見た3D作品をアップします。 いかにファイルの重さを押さえ、かつ、それなりに見れる作品ができるか? 一人で出来る範囲内で作成してみました。 今回も作ってみて、後で「ここをこうすれば良かったのになぁ・・・」と反省することしきりです。 とにかく、ファイルの軽さと、見た目、クォリティーの高さとの両立、その辺の兼ね合いが難しいですね。 と言う...

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鳥羽離宮の3Dと絵図 * by taka
とても感激しています^^;

個人的に、後三条天皇・白河天皇は尊敬していましたので、両天皇関係の建物というのは思い入れがあります。

是非頑張ってください。

鳥羽離宮-金剛心院の間取図(指図)が完成しました。

当ブログ訪問者の皆様方、こんにちは。寒くなってきましたね。 そろそろ炬燵のほしい季節になりました。と、そんなことを書くと、「日本の家屋は夏向きじゃ」と徒然草の兼行法師さんが出てきて説教されそうですが、実際問題、平安時代にも炬燵はありました。けれど、限りなく火鉢に近い代物でした。しかも「寝殿造」には一部、塗り籠めの壁がありましたが、そこは主に納戸に使用。他の母屋周りは蔀や遣り戸で囲うだけ、隙間風もぴ...

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鳥羽離宮の3D製作を始めました。

タイトルの通り鳥羽離宮の3D製作を始めました。鳥羽離宮と申しましても五つの広大なブロックから構成されており、そのすべてを復原するのはとても手に負えないので、一部について3D化したいと思っています。まずは、手始めに御所の一つ田中殿に関係する寺院・金剛心院について再現してみます。同金剛心院は鳥羽離宮のなかでも規模、壮麗さにおいて当時から「一番!」と言われていた建築で、どこまで3D化できるかわかりません...

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御回復 * by taka
おめでとうございます。鳥羽離宮の3D、楽しみにしております。

よみがえる鳥羽離宮

最近のブログでは法住寺殿や伏見城など洛南の地域の建物を取り上げていますが、今回もまたまた真打登場というか、あの鳥羽離宮の登場です。ちょうど名神京都南インターが離宮跡とも被るので、いままで発掘調査もなされてきて全体概容がおぼろげながらわかってきました。ただ、細かいところになるとまだ不明な点が多く、建築史上もまたしかりです。太田静六氏の書かれた「寝殿造の研究」のなかに鳥羽南殿の推定間取り図が描かれてい...

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法住寺殿と方広寺大仏殿の夢のコラボです。

またまた定番というか京都・東寺五重塔から定点観測した法住寺殿と方広寺大仏殿です。いくら京都の地形図を等高線にそって3D化したとはいえ一面のグリーンは「実際ありえん!」と思われるのは当然かもしれませんが、それでもこの信州の「美ヶ原高原」状態の京都盆地も良いものです。現実は一面の灰色のビルと住宅群が連なっているなか、夢のようなお伽の世界があったっていいじゃないですか! ということで今回も後白河法皇の法...

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後白河法皇の法住寺殿に最勝光院が完成しました。

記事のタイトル通り最勝光院が取り合えず完成しました。指図は参考にしましたが立面はまったくわからず100%想像力で造りこみました。もし、本物の設計者さんが見たらどう思うだろう?改めて思うのは、まったくの白紙から斬新な建築を設計することはとても難しいことだということです。どうしても既存の固定観念に縛られてしまいますからね。そういうことで、まったく別物の最勝光院かもしれませんが見てやってください(笑) ところ...

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管理人のみ閲覧できます * by -

法住寺殿に三十三間堂や塔が出来ました。

今日は春の嵐と呼ぶにはあまりにも暴風雨が吹きあふれた一日でしたね。中には強風で亡くなった方もみえました。大地だけでなく空も今の時代に震えているのですかね・・・。 さて人も亡くなったのに時候代わりに使ってすみません。ご冥福をお祈り申し上げます。 法住寺殿の方ですけど、初代三十三間堂や五重塔が出来ましたのでアップします。当時は朱塗りの寺院が定番でしたからそうしました。まだ最勝光院とか残っているので頑張っ...

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もう一つの平家物語の舞台 法住寺殿南殿の完成です。

前回一期工事で法住寺殿南殿の建物の方を取り合えず3Dで製作してみました。室内は未定ですけど、いずれかの機会、寝殿造りの室内を造作してみたいと思ってます。 で、今回、建物周りの外溝工事をメインに大池や中島、二階釣り殿、門や塀などを造りこみました。外溝についてはわからない事も多く、多分に想像力で造ってみましたので、あるいは史実とずれているところもあろうかと思いますけど、そこは単純に目の保養と思って見て...

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法住寺殿南殿3D製作 第一期工事完了です。

法住寺殿南殿の3D製作のうち、 第一期分の工事が完了しましたのでパース図をアップします。 実際に寝殿造りのホンマものの遺構は残っていませんから、指図やいろんな資料の画像等みて、だいたい、こんなんでは+比較的手早く(失礼)ということで製作しました。まだ、南殿一つとっても広い池や反り橋、二重楼閣もこれから製作です。法住寺殿のは広いです!(笑)。 今回、正殿である寝殿の間口は約22メートルほどにしました。指図の...

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後白河法皇の法住寺殿・南殿の間取り図を作成してみました。

京都千年というといつの時空に飛ぼうかと迷うときがありますが、今年は大河が「平清盛」を取り上げているということで、やはり注目の目は院政及び源平期にいってしまう面があります。今、流行のものに合わせて点数稼ごう・・・などとどこか世間に「阿る(おもねる)」気持ちが自分にあるのかぁ・・・とも思ったりしてますけど、そう思う自分こそが「何様のつもり?」とまぁ、あれこれ自問自答してますけど、そんなことより乗り出した...

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後白河法皇の法住寺殿はどんなイメージだったのだろう?

NHKの大河の方もこれから清盛と後白河法皇との丁々発止が展開されてゆきますが、その舞台ともなった後白河法皇の院御所である法住寺殿はどのようなイメージだったのだろうか?管理人も当然、そんな興味があったのでここで一つ無謀にも「法住寺殿」を再現してみよう!ということになりました。なにせ、当時、治天の君とも言われた最高権威・後白河法皇の御所ですから方十町四方と広いこと広いこと!御所内には、広い池から三十三...

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院政期 八条院領と長講堂領についての閑話

次の3D製作の対象として後白河法皇の院御所・法住寺殿を取り上げてみようと思っていますが、その前に院政期の白河、鳥羽両上皇、そして後白河法皇の権力の基盤ともなった院の御領(荘園)について後白河法皇を中心にお話してみたいと思います。 何故ならば、なぜ、後白河法皇は白河、鳥羽両上皇に比べ独裁権力を発揮できなかったのか?また武士の台頭をなぜ許したのか?それから何故南北朝に皇統が分裂したのか?また室町幕府は何...

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Re: お礼 * by 梅のコージ
M.K さま、

コメントありがとうございます。
少しでも参考になれば幸いです。

また、今後も、当ブログに起こしください。


> 八条院領と長講堂領がわからなくていろいろみてまわっていました。
> このページが一番わかりやすかったです。
> やっと理解することができました。
> ありがとうございました。


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* by Gくん
こんにちは!

本記事、興味深く拝見いたしました。

東寺から法勝寺八角九重塔を眺めたら・・・

白河法皇の建立した法勝寺、いまだ八角九重塔と金堂しか完成してませんが、心配になった管理人は定点観測の定番地・東寺五重塔から眺めることにしました。と・・・いきなりのこんな書き出しで戸惑われたと思います。実は久し振りに京都の3D地形図を引っ張りだして来て、そこに法勝寺を貼り付けたんです。どんな感じかなぁ・・・と東寺5重から眺めたパース図が一枚目。クリックすると拡大します。以下4枚ともです。 意外と近いじ...

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清盛邸東泉廊の内観です。

江戸時代、あまりにも派手過ぎて幕府に財産を没収された難波の豪商・淀屋辰五郎という人物がいました。なんでも天井をビードロ、今でいうガラスで一面に覆い、そこには鯉がゆうゆうと泳いでいたという話です。どこまで本当かわかりませんが、江戸の豪商の気概みたいなものは伝わりますね。でも鯉が泳いでいたということは水が張ってあったんですよね?で・・・そこから水繋がりで清盛の泉殿にたどり着く訳です(笑)。今も昔も人は新...

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平清盛邸の外観図が出来上がりました。

皆さんおはようございます。今日は結婚式出席のため早朝にアップしておきます。といっても清盛の邸宅の想像図だけですが。前回でも書きましたが清盛のお宅は延建坪240坪ほど。邸宅の名前が「泉殿」というのは母屋寝殿東側の「東泉廊」の床下から泉がこんこんと湧き出ていたからです。当時、都では「風情のある屋敷」として評判でした。ですからお屋敷はそんなに広くなくても「泉」がカバーしたんですね(笑)。それと前記事で徳子(後...

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何と清盛邸には障子紙が貼ってあった!?

今日も寒かったですね!外は晴れているのに霙が時々降ってました。 ところで建築中の清盛邸(あくまでバーチャルの世界ですよ)はまだまだ完成にはちょっと遠いですが、とりあえず外観だけでも二日ほどで仕上げようと思ってます。そうそう11日の土曜は知人の結婚式でしたっけ。多分、お酒も入りますし当日はブログの記事も休筆かなぁ・・・。今回のタイトル名、またまた意味不明?な題名になってしまったかもです。ですから、まずは...

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平清盛はどんな家に住んでいたのだろう?

平清盛は一体どんな家に住んでいたのだろう? この素朴な質問は歴史好きな方だったら一度は思ったこともあるかと思います。 一時期は全国のほぼ半分を領国に占め、公卿は十六名、殿上人は三十四名、そのほか諸国の受領は数知れず・・・まさに「平家にあらずんば人にあらず」の権勢を誇った平家一門でした。そんな清盛たちですから「さぞかし豪奢な寝殿に住んでいたんだろうなぁ」と憶測はするのですが、たまに資料を見ても、京の六...

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* by -
「大田静六」ではなく、「太田静六」ですよ。