3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 >  ★時代別

無事、放送されました。

12日(火曜)にお知らせしました、NHK・BSプレミアム「偉人たちの健康診断」・平清盛 体から黒煙? 怪死の真相、に自分の描いたイラストが使われる件ですけど、昨日13日夜、無事、放映されました。番組の中では画面一杯に大きく取り上げられ、画面右下のクレジットには「CG制作 梅村京一朗 3D京都 監修 川本重雄」と表示され、やぁー、うれしかったです。使用されたCG、アイソメ図(等角投影図)は平清盛の住まいであった...

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五反田猫様
コメントありがとうございます。

五反田猫さんから教えて頂けるまで、和歌と現代短歌の本当の違いについて分かりませんでした。学校では学びませんから。
詩人の中野重治が「花鳥風月」を詠うな、と言いましたが、五反田猫さんの言われる「現代短歌は単独で鑑賞できるものを重視しますが、古典和歌は披露される場(饗応や歌会)があって存在するもの」という解説を改めて伺って、成程なぁ、と頷いている次第です。
もっと日本の古典について理解を深めないといけないですね。

たとえば、普段している挨拶のお辞儀ですが、あんなに昔からペンギンのようにヒョコヒョコ頭を下げていたんですかね?何かあんまりみっとも良くないです。
外国人などよく日本人のお辞儀の真似をしたりしますが多少、侮蔑の感情が入っている感じがします。品のある所作とか、礼法とか昔の日本人にはあったと思います。
幕末、アメリカを訪問した幕府の侍たちの立派な挙手、振る舞いに感心したとか聞いたことあります。いろいろと温故知新を掘り返すのが大切だな、と思いました。

五反田猫さんも新型コロナには気を付けてくださいね。

色々な事があったのですね * by 五反田猫
残念ながら番組は見られませんでしたが、お話しを伺うだけでも興味深いです。
川本重雄先生は、建築の専門家ですが、生活 特に饗応という観点で貴族邸宅を研究されており、独自の視点がとても興味深いです。
和歌の世界も共通したものがあり、現代短歌は単独で鑑賞できるものを重視しますが、古典和歌は披露される場(饗応や歌会)があって存在するもの。何か共通したものを感じます。

京一朗さんも、文献も御覧になり指図から3Dをおこされているので、専門家の話から対応が容易に出来るのですね。これも素晴らしい。
アイソメ図というと聞きなれませんが、まさに絵巻に出てくる寝殿の図。
屋根を取り払って内部を描き、斜め上からの視点で関係する人物を描く。

>インフルエンザや感染症
清盛も、当時最先端であった中国との貿易。 利益の面でも技術の面でも得るものは多かったのでしょう。 同時に疫病も呼び込んだのは、奇しくも現在の日本と同じですね。
コロナウイルスは密閉環境で感染するので、むじろ隙間風の吹く開放環境の方が感染防止には良いかもしれません。 2月の和歌関連のイベントが2つありますが、現状ですとどうなるか不明です。とは言え、出来るだけの準備をしております。
京一朗さんも、どうぞお元気でお過ごし下さい。

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AzTak様コメントありがとうございます。
過分な言葉を頂き恐れ入ります。
果たせない夢だからブログで作ってみようと始めましたが何とか途中、休みつつもここまで続けてきました。私は AzTakさんの鉄のような意思で続けられている日々のブログこそ尊敬しております。きっと何か突き動かせるものがご自身にあるからだと思います。私も少しある気がします。

素晴らしいです * by AzTak
NHKの番組内で使用され、しかも、その作品を見ながら重鎮の住まいの先進性についての解説まであったようで、素晴らしいことだと思います。真似しようにもできない高みを極めたレベルだと思います。
ただただ仰天する場なりです。

戦前まで残っていた京都御所の大台所再現にチャレンジ! 愚痴編

※ 書きながらどこかで読んだ記事だなぁ、と思ったら、2月11日の記事「御所の台所を見てみたい」とのコメントにお応えします-翻刻・安政御造営図志の紹介」と内容が特に前半被ってます。それでも、大台所の古写真を見たい一念でアレコレ調べました。なので愚痴が重なるかと思いますが読んで頂けると嬉しいです。こんにちは、今回は読者の方の「京都御所の大台所を見てみたい」とのご要望に応えるため同御所の大台所の再現にチャレン...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様

コメントありがとうございます。
家の用事で少しバタバタしてましたけど御所の大台所が完成しました。
といっても台所だけでは寂しく正確には大台所廻りの作成のなかで取り敢えず台所が完成した・・・という感じですね。

折角ですから、台所に続いて清所、武家玄関、溜まり間、賄い部屋、後、御拝廊下へ繋がる渡り廊下まで作ろうかなと思ってます。

これに、後御常御殿から対屋と皇后宮御常御殿へと繋がる渡り廊を作ると御所の見栄えもいいかなぁ、と思ってますが第一次でどこまで作るか思案のしどころです。公家屋敷も作りたいし、その合いに聚楽第とか再現してみたいとか、いろいろ浮かんできて頭が整理できてません 笑。

それにしても、ホント、国内に長局の遺構とかありませんね。長屋はありますが、所謂、女官や大名の奥女中が住んだ長屋です。徹底的にありませんね。その辺、日本人の建築の考え方とか探ってみたいですね。

生活空間 * by 五反田猫
いつも貴重な資料によるお話し、有難うございます。

台所や女儒部屋などは、遺構も少なく、資料も少ないですね。御所に限らず、城でも 本来は台所や中間長屋などの使用人が中心に使われた空間は、一番 機能していたはずなのですが、日常の生活空間との事で保存は考えられなかったのでしょうね。

今になれば、当時の生活や食事の重要な遺構になるのですが、殆ど判りません。 幕末の宮廷で、御所の給食制度があったから、当時の質素な食事の実態が判るくらいでしょうか。
こうして3Dで再現頂けると、歴史的遺構に、生活の息吹が通う気がします。

京都御所のことを書きながら色々思ったこと 後半

後半では何から書こうかと逡巡してますが、御所の平面図・間取りにいつてもう少し触れてみたいと思います。また横道に逸れるといけないので出来るだけ簡潔に書きますね 笑。御所の帝が住まわれる常御殿の西側、少し奥まった所に「鍵番囲炉裏間」という板敷きの大きな部屋があります。赤く囲ってます。 図を見て頂くと中央あたり、常御殿そして御三間の下にあります。わかりますか?ココ、鍵番の詰所あるいは囲炉裏間としては...

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No Subject * by 京一朗
sazanamijiroさん
コメントありがとうございます。

小生は「3D京都」の看板背負っているので京都の人の悪口書けません 笑。

今まで、京都でイヤな思いをしたことありますが、とても親切な方に出会ったこともあるし。

京都はずっと日本の中心でしたから政争で破れて殺されたり、戦で殺しあったり、三条河原で首がさらし者になったりと、色々ありましたから古都の光と陰があると思います。

明治維新で帝が東京に行かれてしまったのも影響してるかもです。

>京都人の屈折した意識について考えてみたいと思っています。

考えがまとまったら聞かされてください、参考にしますから 笑。

No Subject * by sazanamijiro
こんばんは、sazanamijiroです。

やはり御所はすごいところですね。説明を読んでいるとつくづく思いました。
うちの母方の家系は、今出川通りの上七軒交差点から北へ少し上ったところの小地主だったようです。
普通の町衆なのでしょうが、(大きな声では言えませんが)代々あまり帝を特別視というか神聖視していた感じがしません。あくまでも「天皇はん」であって、おそらく戦前戦中も含めて、京都以外の土地での「天皇陛下万歳」的な意識が薄かったような気がしてならないのです。
そのうち、京都人の屈折した意識について考えてみたいと思っています。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。

>御給仕だけでなくて、平公家から摂家方に声を掛ける事も出来ません。

そこまで徹底していたのですか・・・
なんか女官の命婦が帝に直接話してはいけない・・・の似たところがありますね。

幕府の巧妙な朝廷工作には恐れ入りました。

でも、人間の自尊心を徹底的に傷つけることは後々になって刃となって跳ね返ってきますね。

これは現代での社会、会社でも同じことが言えますね。経営者は不当な扱いを社員にしてはならない、と改めて思いますよ。

パワハラをする前に社員の適性を考え業務配置するのが結果的に企業の業績にも繋がると思います。非正規雇用が広がってから社員は”人財”であるという企業風土がどこかへ行ってしまった感があります。

門流 * by 五反田猫
いつも興味深いお話し有難うございます。

囲炉裏の間が能舞台だったとは、全く知りませんでした。
灰に火箸で機密事項を書いていたのかと想像していましたが、大外れでした。 勉強になります、有難うございます。

>平の公家が五摂家の配膳・給仕役をしていた
御給仕だけでなくて、平公家から摂家方に声を掛ける事も出来ません。 摂家による門流支配は、公家のトップに公家を管理させるという、巧妙な管理体制で、これが朝廷の一体化や独立性を防いでいたのですね。その摂家も、江戸から高家がくると、建前上の身分が下なのに、摂家方がそれなりの扱いをしなければならない。こういう間接的な身分差を、現実の中で見せつける事で、幕府の権威は保たれておりました。 それがお書きになったような、列参事件のように朝臣という意識が出てくると、全てが崩れてきます。
結局、公家の中の「朝臣」という考え方が、日本の民、日本人という意識につながって、それが幕末の討幕運動につながったのでしょうね。 そういう意味では、貯められていた位置エネルギーが、運動エネルギーに変わったようなものですね。

京都御所のことを書きながら色々思ったこと 前半

ブログを始めて6年と少し経ちました。今まで使った写真やCG、図は5700枚。結構ありますが、それでもfc2の無料ブログ上でのデータ使用量は全体の10%ほどです。自分は大判サイズの図を載せることが多いのですがそれでも10%。計算上だと100%使いきるには後50年はかかります。そのころはもう生きていません。そういう意味で言うとfc2は太っ腹だなと思います。沢山、写真を載せたい人にはお勧めですよ 笑。さて、今回はタイト...

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えっ!幕末の京都御所には1000人も勤めていた!!

先の記事で「京都御所ってどんな部屋があったの? さっそく見てみよう!」の補遺を書く旨お伝えしましたが、いざタイトルを見てみると「えっ!幕末の京都御所には1000人も勤めていた!!」、に変わりました。補遺は何処?とお叱りを受けるかもしれませんが、実は補遺の記事用に資料を漁っていましたら「幕末の御所にはこんなにも大勢の人が働いていたのかぁ!」と改めて驚き、「だったら一度、幕末の御所の職制と職務、人数とか調...

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「御所の台所を見てみたい」とのコメントにお応えします-翻刻・安政御造営図志の紹介

 読者の方からコメントを頂き、「御所の台所を見てみたい」というリクエストを頂きました。残念ながら現在の京都御所には御台所は存在しません。先の大戦の建物疎開で撤去されたからです。存在しないなら、せめて戦前の写真や当時の絵図なり外観・指図、またそれに基づいて作成した3Dの台所を見てみたい、というのが読者の方のお気持ちだと思います。しかし私の手元にも平面図しかなく当時の御台所がどのような外観・内観を...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

引越しで忙しいなか、しかもネット環境が不便ななか、わざわざコメ頂き恐縮です。

名古屋城の本丸御殿は素晴らしかったですよ。言われる通りに日本の伝統技能を継承していく上でもこのような復興事業は欠かせないですよね。前、建築史家の平井聖先生が「江戸城本丸御殿はいつでも創建当時のままに建てれますよ。それだけ資料が整ってます」と言われてましたが、だと、すると今度は江戸城の番ですね。天守閣だと揉めるかもしれませんが、本丸御殿でしたら官民力を合わせできると思います。完成したら「ここが松の廊下かぁ」、「ここが大奥かぁ」と見学するのも楽しくなります。NHKさんも喜びますよ。大河のロケにいつでも使えますから。

あの、安政御造営図志の中の絵ですが、原典の方の絵は京都本が白黒、書陵部本がカラーになっていて、絵については書陵部本を採用したそうです。翻刻された方も書かれていますが、絵の方はイマイチで素人ぽい感じなんだそうです。間違った描写もあるそうです。当時の正規の担当者が描いたのではない気がします。

ただ、小生にとっては間取りも細かい仕様・寸法もわかるのでお宝です。

早くネット繋がるといいですね。

名古屋城と大太鼓 * by 五反田猫
引っ越しで通信環境が無かったので暫くアクセスできませんでした。(まだネット開通していません 怒)

名古屋城の建築復興は、行政が行う事業としてすばらしいですね。
河村市長の英断だと思います。
短期的には、観光客を呼べるのは言うまでも無く、仕事が無くて苦労している伝統工芸の人々に、安定して長期的に仕事を生み出す事が出来ます。 これにより、経済が回るだけでなく、幅広い伝統の継承や保護が出来ます。 ハコモノ行政としても、数十年で使えなくなる建物ではなくて、数百年先にも伝えられる建築を目指すのは素晴らしい事ですね。

御所の台所のお話しも有難うございます。 調度類のお話しも素敵です。
本旨に関係ないツッコミで恐縮ですが、雅楽の太鼓の絵が気になります。
右側は、二つ巴に鳳凰に月がお約束ですが、飾り物がどうにも太陽に見えてしまいます。
現代のものは銀色なのですが、当時はこれでも月だったのでしょうか。
左と比較すると、多分 旭日を表す棒が多いとかあるのでしょうね。

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幕末裏面史 一枚の禁裏絵図を巡って 後編

前編では長尾名鳥が描いた「安政新造内裏全図」について他の絵図・指図も絡めて「禁裏絵図とはどんなものか?」、そのへんを書きましたが、後編では名鳥その人について足跡を追ってみたいと思います。前編でアップしました長尾名鳥の略歴を書いた唯一の情報がネットに上がっている旨を書きました。そして、ネット以外にも一つだけ滋賀県の大津市歴史博物館に名鳥の痕跡を残す資料が残っているとも書きました。どんな資料か? 同歴...

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No Subject * by 京一朗
AzTak様
コメントありがとうございます。

平田篤胤は学問としての国学、神道だけでなく当時としては珍しく心霊を体系的に実証研究した人で、そのへんが教祖的なカリスマのイメージがあるのだと思います。

No Subject * by AzTak
後半に出てくる平田篤胤に興味があって、この記事を拝読しました。
実は西新宿の超高層ビルに職場があったとき、ごちゃごちゃした新宿から通うのが嫌で代々木から通っていました。決して共産党信奉者じゃありません。その道筋に高野辰之の旧居跡があったり、平田神社があったりしました。
当然のことながら、篤胤のことはスーパーマンのごとく書かれてあります。どんな人物なのか気になっていました。
今で言う原理主義者のような側面があったのかなあ、などと思いました。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

そうか、「なか濱」の長浜ですね。
江戸時代の近江は大名、公家、寺社、幕府などの所領が入り乱れて分かりにくい面がありますね。勤王家、国学者、志士も集まっていますし。商売上手ですし。大津宿が東海道で一番大きな宿場町とは今回まで知りませんでした。いつも思うのですが、愛知県から滋賀県へ入ると風土の違いを感じます。町や村と自然、田園がしっくり溶け合っているのです。

長尾名鳥大人の短冊が売りにでていたので速攻で買いました。最後の一枚?かも。

内裏図の文字と比較しようと思っているのですが、内裏図の方は楷書、短冊は崩し文字なので単純には比較できないなぁ、と首を捻ってます。

昔の短冊は長いんですかね。
お宝箱?に入らない 笑。

寒くなってまいりました。
風邪など召されませんようご自愛くださいませ。

幕末の宮廷 * by 五反田猫
これはこれは、興味深いお話しを有難うございます。
これだけ材料があれば、幕末時代小説がかけるくらいワクワクしますね。

平田篤胤の写真があって不思議に思ったのですが、そうした背景があったのですね。 国学者、神道と言っても色々な流れがありますが、平田篤胤の考え方は実は西欧の影響が大きいと私は思っています。 それは、西欧の科学的な考えも取り入れて天地の理を明確にしようという行動に出ていると感じています。この話は切りがないので簡単な感想にて、

実は、今回のお話しで一番気になって引っかかったのは、名鳥が居たという三井寺喜見院住職という記述です。
現在の三井寺に喜見院は無く、もう少し調べる必要がありますが、淡海対岸の百済寺に喜見院はあります。
名鳥の歌には、同じ湖東の「長浜」が出ています。
一方で、絵図の面には明白に「逢坂山下」とあるので、湖西か湖南の住人なのは間違いないですね。 もう少し掘り下げてみます。

それにしても、こうやって文献や、その周辺を調べると当時の人々が活き活きと見えてきますね。
そうしたものを見せて頂き、有難うございました。

幕末裏面史 一枚の禁裏絵図を巡って 前編

最近、一枚の安政度内裏(1855年)の絵図を入手しました。これから書くことは、その、「安政新造内裏全図」を描いた一人の名もない国学者の足跡を辿る物語です。5%の真実もないかもしれません。しかし、僅かな史料から浮かび上がってくる人物像は、幕末維新のまさに渦中に生き、そして謎の死を遂げた志士の姿です。歴史に名を刻むこともなく死んで行った多くの志士たち。真実を抱えて逝った者たちも多くいたと思います。今回はそん...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。

もう年末も近いということもあって後編ですけど、夜中、一気に書きました。寝たのは午前3時過ぎ。

この書くという衝動何なんですかねぇ。

土曜というか今から用事で出かけるし眠たいです。

平田篤胤まで出て来るとは自分も予想していませんでした。

安政度内裏 * by 五反田猫
様々な絵図面と文献の比較のお話し、大変参考になりました。

図面の内容にも様々あり、木材、床処理、調度など、目的により盛り込まれる情報は様々なのですね。

長尾名鳥のお話し、楽しみにしております。

修学院離宮 甦る止々斎

先回の記事で修学院離宮へ行ったことを書きましたが、制作していた3Dが出来上がりましたのでスクリーンショットを何枚かアップロードします。アップするのは止々斎という建物。修学院離宮の創建当時に上御茶屋の浴龍池側に建てられた数寄屋建築です。今は存在していません。ここで、改めてというか修学院離宮についてざっと纏めてみます。修学院離宮は京都の北部、比叡山麓に、17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年)...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

「斎」は書斎の斎か、勉強になります。としますと、止々斎とは文人墨客がしばしば脚を止めて風情を愛でる、みたいな感じですかね。

3D制作で戸袋を作るのをしばしば忘れてしまいます。昔の人は雨戸と舞良戸が兼用で内側が明障子になっている場合が多く、用心も含めて雨に関係なく夜間は締めていたのではと思います。

露台はオマケで付けました。露台へ出る戸口を作ろうかと思いましたけどカット。

実際の止々斎の位置はちょっと岸から高く、外からヨッコイショ、っていう想定です 笑。

止々斎 * by 五反田猫
森 蘊さんの庭園や建物に関する本、良いですね。 私も好きでした。
止々斎の3D有難うございます、瓦葺の土間とは!
水位が上がった場合を考えてか、足が濡れても大丈夫!? とか、想像を掻き立てられます。

斎号は、部屋が転じて書斎・居間の意味で、医者や芸術家に与えられたと聞きました。 構造から考えれば、書斎、居間なのでしょうね。 座敷から庭を見た開放感は素晴らしいのですが、風雨の時が気になってしまいます。
雨戸などはあるのでしょうね。

正面左に露台がありますが、ここへのアクセスが気になります。 瓦の土間から入れるのか、それとも外から回ってお供が待つ場なのか、色々 想像して楽しんでおります。

見果てぬ夢 岩倉具視と一枚の肖像写真

今回、岩倉具視のことを書こうと思ったのは、京都御所の3Dを作る過程のなかで、京都御所が今日まで残ったのには、岩倉具視による熱心な保存事業があったからこそ。という事実を知ったからです。経緯は明治天皇が京都を行幸されたとき、御所の傷みを憂い、保存を命じましたが、それを中心となって進めたのが岩倉公でした。当時は西欧化に追い着き追い越せ、という気風のなかで日本の伝統的なものが軽視されました。御所でさえ、桑畑...

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NoTitle * by 京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。

後宮の記事にコメント頂いたのに何か岩倉公の記事に付いてしまい失礼しました。ブログのスタイルシートの記事№の更新を忘れてました。

帝の御常御殿の御寝所ですけど、襖12面に虎の絵が描かれて怖いですよね。不届き者から帝をお守りする絵ですけど、女官も怖がるかもです。

NoTitle * by 五反田猫
京一朗さん 建築から見た比較というのは面白い観点ですね。 今まで宮廷の後宮についての論文もありますが、文学関連が多いので、新しい見方で楽しみです。

全編の図面をみて感じるのは、江戸の居住環境は貧しいですね。
急成長の都市では宿命なのですが、庶民は六畳一間に家族が住んでいるのですから、大奥でも似たようなものですね。
その点 御所では和歌を詠むには自然が必要で...壺は大事ですよね。

後半を楽しみにしております。

NoTitle * by 京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。
伊勢にお参りすると、神域の厳かさと御神楽の音曲・舞に感激しますが、明治の日本、国家神道の導入、過激過ぎたかな。現在、信仰の自由の見地から公の機関が神社に地鎮祭をお願いしたりすると、左派の人たちから「憲法違反、信仰の自由を守れ!」とか声が出ますが、これも過激過ぎると思います。日本はやはり神道と仏教をベースに続いてきたのですから、この宗教風土を行政サイドでも大切にするのは大事だと思います。日本においての信仰の自由とは、その神道・仏教を風土のベースにしながら、一方で他宗教も自由に認める寛容さ。そのバランスが必要だと思います。何でも反対ではダメだと思います。

廃仏毀釈 * by 五反田猫
今でも海外で国宝級の仏像がオークションに出て話題になりますが、これらの殆どは、その時に流出したものですね。
大規模なものは、八幡、熊野、愛宕、厳島、諏訪など、明治以前は寺が主体だったものや、神仏習合だったものを、神社にするんだと塔や堂宇を毀った時に中にあったものです。
影響を受けたのは仏教だけでなく、伊勢講などは、伊勢神宮を天皇家の神社にする為に廃止、御師達は神宮神職になるか廃業の二択を迫られました。

明治維新の文明開化は西洋知識だけでなく、外来ではなく日本固有の神道への宗教革命でもありました。 キリスト教に対抗できる日本の国教を作ろうと壮大な構想のもとに、神祇官が復興、これは教部省となり、最後は内務省社寺局へとスケールダウンしました。 結局、国家が宗教に手を出して成功した例は少ないですから、日本でも同じでした。
江戸時代まで天皇家も公家も仏教の信徒でしたし、伝統仏教には、それだけの伝統の積み重ねとノウハウがあったのですね。 結局 信仰の問題は、心の中のものですしね。

明治の宗教改革は、調べているので、つい熱くなってしましました。
 

NoTitle * by 京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。

明治維新で神仏分離令が出され、政府の意図を越えて廃仏毀釈が燎原之火のごとく全国に飛び火しましたが、あれは何だったんでょうか?

自分だったら、ご先祖様の位牌が眠る代々の菩提寺の仏様やお堂を壊すなど考えられません。ご先祖様が泣いているゾ、とは思わなかったのでしょうか?

それとも檀信徒の反感を買うほどお寺の檀家制度は腐敗していたのでしょうか?

それとも、神官たちが仏僧の上に位しようと煽動したのでしょうか?
それとも、維新に乗り遅れまいと、個々の人たちが暴走したのでしょうか?
日本らしくもっと宗教に寛容なはずが、維新は人の心まで変えてしまったのでしょうか?

先の大戦で、あれほど鬼畜米兵と言っていたのにイザ負ければ掌返しに戦前は軍国主義の悪い国だったと競って言い合うなど、何か情けないですね。
また、愚痴でした。すみません。
台風気を付けてください。

NoTitle * by 五反田猫
尊敬する岩倉公の事を取り上げて頂き、有難うございます。
この人の先進性は、王政復古といいつつ、旧来の公家社会の問題点を理解し、排除した事とおもいます。
すでにお書きになっているように、摂家による二重支配「門流」の廃止。 そして臣下による摂政と、関白の廃止。

これにより、天皇の元に臣下が働く体制、ここに四民平等が加われば、立派な近代的国家の基礎が出来ました。
今の大河ドラマでは、何とも怪しいオッサンで、金に汚いように描かれていますが、多分 明確なビジョンは持っていたと思います。 それだけに、維新後の京都の凋落や、公家文化の衰退には心を痛めていたようですね。

多くの人々が「文明開化」の名の元に、古いものを捨て、新しいものを求めてゆく中で、失ってはいけないものに目を向けていたのは、やはり素晴らしいと思います。



王政復古のクーデターが成功したのは実は小御所の間取りのせいだった!?

小御所までの3D完成に漕ぎつけました。後は御学問所と御常御殿。それに渡り廊を加えれば御所の雰囲気もかなり出て来るのではと個人的に期待しています。さぁ、今回取り上げる小御所ですが、幕末の慶応3年12月9日(1868年1月3日)に京都・小御所で行われた王政復古の最初の会議で実質クーデターが行われた舞台として知られています。、同日、先に御学問所で正式に王政復古の大号令が発せられ京都守護職・京都所司代の廃止、幕府の...

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NoTitle * by -
五反田猫様
コメントありがとうございます。
拙い3Dながらお褒め頂きこれもありがとうございます。「内覧をもつ関白の廃止、公家社会を二重支配していた「門流」の廃止で堂上公家が天皇の直臣である事が組織上も明確になりました。」、このコメントですが眼に鱗でした。勉強になります。直臣かぁ、だから門流外の公家は外様といわれ御所での詰所も別々になっていたのですね。

摂家を優遇することによって公家をコントロールする。幕閣も考えたものですね。英国みたいです。

また、いろいろと教えてください。

小御所会議 * by 五反田猫
京一朗さま とても素敵な小御所の景色ですね。

御学問所との比較の話も興味深く読みました。
どちらも、池に面しているのですが、随分と建物の雰囲気が違いますね。 

「王政復古の大号令」は、公家社会にも大きな影響を与えました。 内覧をもつ関白の廃止、公家社会を二重支配していた「門流」の廃止で堂上公家が天皇の直臣である事が組織上も明確になりました。
裏返せば、公家社会でも幕府と結んだ摂家による支配があり、これが朝廷の独立性を制限おりました。
それが無くなる事で、朝廷でも王政復古になったのですね。

NoTitle * by 京一朗
Hakka様
コメントありがとうございます。
お褒め頂いてなんか痒くなってきました 笑。
でも、ホント励みになります。

御所の庭園ですが一部3D化する考えはあります。
反り橋の図面もありますし。

ただ、拘ると限りがないので、第一期、二期工事みたいに分けて徐々に作っていこうと思ってます。

3Dは手間もかかるので夜更かししてしまう時もあります。妻からはいつも叱られています。最近は食事の後にお茶を出したりしてご機嫌とってます。

にしても、何か突き動かされるものがあって作ってしまうのです。

NoTitle * by 京一朗
はむこたん様
コメントありがとうございます。
とても励みになります。
私も御所の大和絵は大好きです。
二条城の金碧障壁画とは違った優雅さ、上品さがありますね。

NoTitle * by はむこたん
襖障子が鮮やかで、すごく映えますね。
見ていて物語が感じられて、ぜんぜん飽きません!

こんばんは * by Hakka
3D、襖絵までお見事ですね。一般参観では建物内までは見学できないので、参考になります。
同様に、隅々まで見学できない庭園も3D化して頂けたら…と、勝手な願望を抱いてしまいます。

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飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 中編

前編に引き続き後編です、もとい中編になりました。前編で『そもそも聚楽第には飛雲閣自体が存在しなかった。天守さえも存在しなかった?』、について、その書きかけというかまだ、ほとんど入口にも入っていない状況ですが、一つづつ解明?してゆきます。というか書きながらどういう方向へいくのか?自分でもわからないです。そもそも浅学菲才の私が聚楽第に挑もう?と思うこと自体が間違っていますが、3Dで再現するとう流れのな...

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飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 前編

前回も申しましたが、あくまで「飛雲閣は聚楽第に存在した」、ということを前提に「事実」はわからないままですが、今回は自分なりに論点整理して飛雲閣の数奇な物語?に取り組んでみたいと思います。何度も書きますが、飛雲閣が聚楽第からの移築か?いまだ事実は定まっていません。ただ西本願寺の寺伝を根拠とするものであり、これまでの修築によれば移築の痕跡はなかった・・・従って移築ではなく、最初から同本願寺の回遊式庭園...

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秀吉の聚楽第に在った頃の飛雲閣を想像してみた 「外観編」

一応、飛雲閣の外観3Dができたので3DCG図をアップしてみます。今回はCG図をメインにアルバム風に載せます。飛雲閣についての「聚楽第からの移築説」や「聚楽第の何処に存在したのか?」、「そもそも存在したのか?」などの考察については次回私見も含め書いてみたいと思っています。まずは現在の飛雲閣の姿から、現在の飛雲閣聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅として天正15年(1587年)9月に完成されました。した...

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建築雑感 明治の童話

私は幕末から明治かけての古写真を見るのが好きです。眼は如実に物を語るではないですが、今は失われた当時の風景や風俗、社寺、城、街並み、大名屋敷などを見ると「江戸はまるで庭園のなかに都市があるようだ」と当時の来朝した外国人たちも讃えた、その美しさがモノクロームなトーンで目に入ってきます。そのなかでも、自分の夢を底抜けに実現し、まるで明治期の大人の童話を地で描いたようなこの邸宅建築が好きというか、とても...

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新選組のまぼろしの本営・不動堂村屯所を想像復元してみる その(二)

少し前、ビデオリサーチというところから突然電話がありアンケート調査に協力してください、とのお願いがありました。あぁ、あのテレビ視聴率の会社ね。多少、好奇心もあって「あぁ、いいですよ」と承諾しましたが・・・さっそく調査資料が届き、見たらその大判の分厚いデカい封筒にビックリ!一瞬、後ずさりし、とりえあず後でまた中身見ようと思っていたら、電話がけたたましく鳴り催促のお願い、また数日たって督促。まるで最後...

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新選組のまぼろしの本営・不動堂村屯所を想像復元してみる その(一)

新選組といえば知らぬ人はいないほど、歴史上の人物(集団)のなかでも大人気を誇っています。なぜに好きかと言えば、一歩間違えれば単なる人殺し集団、強請タカリの愚連隊になるところを、幕末の時世、幕府の汚れ仕事を一身に受け、諸藩が官軍に靡くなか最後まで幕府に殉じた姿。また、近藤勇や土方歳三、沖田総司、斎藤一など魅力的な登場人物たち、それに山南敬助の悲恋など隊士たちの人情話、はたまた、池田屋事件の凄惨を極めた...

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法勝寺フォト集

えぇ、今回は「法勝寺フォト集」と題して、CG写真を掲載します。いままで法勝寺については記事でいろいろと書いてきたので、ここは単純にCGだけ載せます。京都盆地を背景にしたもの、霧に浮かび上がる法勝寺、夜景と法勝寺、等々いろんな角度から。似たようCGもありますので辛抱して見てみてください。ちなみに京都盆地の背景写真ですが、4年前の雪降る寒い京都、某ホテルの展望スペースから撮ったものです。パチパチ一一心...

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院政期最大の建築・法勝寺金堂を復元しました。

先回は院政期を代表する法勝寺八角九重塔を復元しましたが、今回同じく法勝寺の金堂を復元してみました。これもブログ初期に作っていますが、今回、新たにリニュアールしました。今日の記事では八角九重塔も含めた3DCGをアップしようかと思いましたが、時間の制約もあって次回に譲ります。さて、金堂ですが、過去に記事も書いているので重複しますが、その点はご容赦を。法勝寺及び六勝寺ですが、1077年(承暦元年)白河法皇の法...

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創建時の「修学院離宮」を再現してみました。

まずは修学院離宮の景色で一番よく知られる上茶屋の浴龍池越しに見た離宮の写真を一枚。今回は再現ということですが、実際は離宮内に今も現存する建物、そして廃絶した建物を案内図や航空写真地図に配置して二次元的に再現したものです。それなりに往時の姿を想像する手立てにはなると思いますので読んでみてください。で、離宮について概要を述べておきますね。修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや...

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法勝寺八角九重塔を作り直してみました。

ちょうど四年程前からブログを始め、ブログトップのブログ名の背景をどんな感じにしようかと思い、そのとき思いついたのが、法勝寺八角九重塔(京都市左京区岡崎)をランドマークにした京都の街並みでした。で、最初に作った3Dがこの「法勝寺八角九重塔」。今思えばよくこんな難しい八角の塔にチャレンジしたなぁ・・・と思いましたが、とにかくブログタイトルの背景ですから、何が何でも作らなければ、という勢いで作ったものです...

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もう一つの桂離宮

当ブログへ来られた方こんにちは。例によって現在進行形で公家・九条家のお屋敷の3D作りをしていますが、愚痴言いますと、お屋敷全体のセットですから、建物のパーツをいくつも作る必要があります。ですからふぅふぅ言いながら作っていて、完成は7月になりそう・・・・。でも各パーツを作ることによって、今後の3D作りの再利用につかえ時間短縮も可能・・・とひとり自分で期待してます。さて水曜がきました。そこで今回は「も...

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薩長同盟の締結地・近衛家別邸「御花畑」の場所がわかった!

現在、九条家のお屋敷の3Dを制作中ですが、まだしばらくかかりそうです。指図に基づいてますが、あくまで平面図なので屋根の仕様をどうするか?また、指図の寸法も今でいう手書きの下書きレベルのもので、柱間数だけ表記され柱間の具体的な寸法はわからない・・・他の資料等参考に今、中心である寝殿を基準に屋根からもう一度作り直しています。さて、今日は水曜なので別の記事をアップします。題して、薩長同盟の締結地・近衛家...

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朝堂院の3DCGが出来上がりました。

朝堂院が完成したのでブログにアップしますが、その前に、今回の九州熊本から阿蘇、大分と群発地震で亡くなった方々にお悔やみ申し上げます。また怪我や避難生活で辛い思いをしている住民の方の一日も早い生活復帰を願うばかりです。日本にはたくさんの活断層があり、いつ、どこで地震が起きても不思議ではありません。人事とはとても思えません。国民みんながお互いに助け合っていかなければならない、と改めて痛感しました。平安...

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リンクありがとうございます * by 梅村京一朗
乱読F様
遅ればせながらこちらもリンク致しました。

不思議な世界を送っていただき
ありがとうございます。



NoTitle * by 乱F
はじめまして。とても力作で面白いので、勝手にリンクしてしまいました。今後とも宜しくお願いします。

平安京の中心・朝堂院の正門「応天門」を3D製作してみました。

みなさん、こんにちは。平安京大内裏の朝堂院シリーズですが、同朝堂院の正門であり見所の一つ応天門を作ってみました。(クリックすると何れも大きくなります)朝堂院全体図応天門というと、どうしても平安時代前期の貞観8年(866年)に起こった政治事件である「応天門の変」を思い出しますがでは、門はどんな形をしていたのか?についてはあまりわかっていません。そこで果敢?にも3Dに挑戦してみました。まったくの空想ではなん...

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