3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 御所・公家町を3Dで再現

京都御所の御殿へ上がってみようシリーズ Vol.2 Twinmotionでレンダリングしてみた。

今回は普段スケッチアップで作っている3Dモデルをレンダリング専用のソフト・Twinmotionを使って3Dをより質感のあるリアスティックな表現ができるようチャレンジしてみました。ブログの読者の方からの紹介です。Twinmotion前々からもっとリアルな表現で3DCG・動画にエクスポートしてみたいと思っていたのですが、重い腰が中々動かず、今回、読者の方から背中を押される感じで習い始めた次第です。モデル作りはスケッチアッ...

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No Subject * by -
Hakka様
コメントありがとうございます。
雰囲気作りですけど、ソフトの機能をいろいろ視ながら試しています。そのなかで機械的に光陰を出すのではなく、世界各地の気候や太陽、季節の推移や変化を表現する機能がありまして、日本でありながらイギリスの季節に合わせる形で表現してみると、日本であって日本でないような、ハーフ的世界が広がります。この感覚を日本建築にミックスしたら面白いかなと思っています。

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五反田猫様
コメントありがとうございます。
多少なりとも御所の3Dが小春日和に感じられた、と、言われると何か気持ちもホカホカします。御拝道廊下の畳の縁ですが、帝が通られる御拝道廊下の方は、紅絹縁(もみべり)です。隣の非蔵人廊下は蘇芳縁(すおうべり)となっています。蘇芳縁は地味ですが、御所らしい地味さでいいですね。


No Subject * by Hakka
こんばんは。

最後から2・3枚目あたり、ぱっと見、写真かと思いました笑。光と影が入ると、雰囲気だけでなく立体感や遠近感も増しますね。というか、立体感と遠近感が増すから、雰囲気が出るのか…笑

拝見している側としても、今後の3Dがさらに楽しみになります。

御拝道廊下 * by 五反田猫
光と陰が入ると、ぐっと感じが良くなりますね。
低い位置からの陽が、小春日和の夕方のような雰囲気

ところで御拝道廊下の畳の縁、見たはずなのに覚えていません。高麗縁でも無いようで、何なのでしょう。

京都御所の御殿へ上がってみようシリーズ Vol.1 大反省会

新型コロナウイルス、感染が続いています。なかなか終息しないですね。早く収まって皆が普段通りの生活に戻れるといいなぁ、と切に願います。さて、暫く間が空きましたが御所の記事をアップしたいと思います。今回は「京都御所の御殿へ上がってみよう」シリーズとして、3Dで作った御所の御殿に上がって”御殿から御殿、廊下から廊下”へと巡ってみたいと思います。続き物で何回かに分けてアップする予定です。京都御所と言えば今は通...

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YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.4-部屋紹介-後宮編」をアップしました。

ご案内の通り「京都御所3D案内 Vol.4-部屋紹介-後宮編」をYouTubeにアップしました。視て頂けたら嬉しいです。でも、書きながらやっぱり気になるのは新型コロナウイルスの感染の広がりです。世界に感染が広がっているし国内でも全国の公立小中学校が休校に入ります。北海道は非常事態宣言を出しています。今はもう感染を防ぐ水際作戦は失敗し、いかに市中感染、クラスター(集団)感染を抑え日本全体にパンデミック状態を引き起こさ...

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No Subject * by -
五反田猫様
丁寧な解説ありがとうございます。
丁寧過ぎて余計混乱してしまいました すみません冗談です 笑。
一つ自分なりに感じるのは、
例えば、京都御所の記事で天皇陛下に触れるときは、いつも帝、と書きます。天皇と書くと何となく御所に合わないというか馴染めない・・・自然と帝になってしまうのです。やっぱり御所が雅だからそうなるのかな、とも思ってます。

光格天皇様は傍系の宮家出身なので、逆に天皇の権威を高めようと努められた御方です。今の御所があるのもこの方の御蔭かと思います。

それにしても太上天皇号はホント、不思議と使われましたね。その辺も何でだろう? とつい思ってしまいます。

称号 * by 五反田猫
京一朗さん
称号の問題は難しいですよね、私も専門ではありませんがご参考まで。
今では当たり前の「天皇」「皇后」という名称。
天皇という称号は村上天皇以来900年近く絶え(後醍醐天皇、安徳天皇という例外を除く)、光格天皇で復活しました。
ですからそれ以前の江戸時代の天皇の称号は「**院」です。以後、仁孝天皇・孝明天皇の2代にも諡号
面倒くさいのは、「上皇」にあたる「太上天皇」
これは天皇号が絶えていた時期にも、太上天皇号は変わらず用いられていたので、ご存命で隠居された場合には「太上天皇」(略号は上皇)
ですから江戸期の上皇は、108後水尾上皇、109明正上皇、111後西上皇、112霊元上皇、113東山上皇、114中御門上皇、115桜町上皇、117後桜町上皇、119光格上皇となります。

皇后は、江戸時代にはおられず、正室にあたる最上位が「中宮」で、皇后は明治になり復活しました。

「准后」は、もっと面倒で、女性に限りません。
太皇太后・皇太后・皇后の三后(三宮)に准じた処遇を与えられた者という地位の称号です。
男性の場合には、臣下でも摂関を経て隠居後に准后になる場合があります。(名誉会長のようなものでしょうか?)
江戸期でも、摂家出身の男性の准后がおります。
皇族で帝位につかないが、生母や父などで准后になる場合もあります。
江戸時代では皇族女子(内親王)が准后になります。院(天皇)の御生母などは、後に格上の皇太后、女院になる場合もあります。
そして京一郎さんがお書きになった後宮出身
中宮には皇族以外でもなりますので、中宮でも御生母の場合は女院になる場合もありました。
女院になると「**門院」という院号がつき、女院御所に入られます。
以上ご参考まで

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五反田猫様
コメントありがとうございます。
五反田猫さんも武漢ウィルス気を付けてくださいね。
皇后の件ですが、
私の中では、皇后、中宮、女御、更には准皇后と混乱している面があります。皇后=中宮、その下が女御、准皇后は追号とか・・・よくわかりません。安政度内裏を見ると後宮部分を切り離している指図が意外と多いです。後宮の方は准皇后御所として半ば皇太后の御所のような感覚がしてきます。独立状態ですね。調べたら幕末の孝明名天皇は九条凪子を妃とされ皇后にしようとしましたが、幕府に断られたとのこと。何なんでしょうね。普通、王&王妃で宮廷が成り立つと思うのですが、正室なのに皇后の地位が曖昧なのは、やはり幕府の影響でしょうか?

こういう時こそ * by 五反田猫
京一朗さん いつも興味深い記事を有難うございます。
こういう時期だからこそ、記事や動画を拝見するとホットします。
ちょっとだけ気になったのが「皇后」という記載です。
江戸時代は中宮のみで皇后はおりませんよね。(死後の送皇后を除く)
現代感覚だと天皇の配偶者は皇后なのですが、当時は中宮、女院というのが相応しい気がしました。

世情喧しい時期ですが、どうぞお元気にお過ごし下さい。

広いようで狭い京都御所

新年1月ももう半ばになって記事の更新が大幅に遅れ申し訳ありません。3D動画も続編がまだ出来てない・・・続編では御所の各建物の部屋名や用途等について、またその後では御所の室内から見た風景など、すでに失われた建物をメインにウォークスルーしようかと思ってますが3Dの場合、ちょっと集中力が必要なので少し充電してからにします。有名ユーチューバーなど毎日のように動画をアップしていますが、実際、編集にかかる時間...

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No Subject * by -
五反田猫様 コメントありがとうございます。
>「二重虹梁」は、背高になったから採用したのか、
そうですね、よく見たら二重虹梁ですね。江戸時代初期に御所の紫宸殿が現在の仁和寺へ移築され金堂となっていますが、内部も二重虹梁になっているそうです。軒先の垂木も御所だけ(紫宸殿)三重になっていて一般では許されません。やっぱり御所の格式故、このような二重虹梁を持つ回廊になったのかな、と思います。

江戸時代、御所の北東が大きく欠けていましたが、当時の人はあまり気にしなかったのでしょうか?自分だったら落ち着いておれないです 笑。幕末の公家町の絵図を見ても北東、鬼門に
あたる部分は空地もあります。江戸時代、北向き、南向き等は気にしなかったけど、鬼門だけは気にしたみたいです。そもそも城下町の武家屋敷でも拝領屋敷ですから北も南もないですよね。今は建築基準法で隣地から最低50cm離れて建てないといけないですけど、それだと、かなり狭く北側がジメジメします。北向きが嫌われるようになったのは明治以後かもしれませんね。

ご明察 * by 五反田猫
いつも興味深い内容を有難うございます。

なるほど、ご指摘されてみれば、回廊に対して日華門、月華門は、何となく背高な感じです
構造は、切妻屋根に「二重虹梁」という古式な特殊構造。
「二重虹梁」は、背高になったから採用したのか、これを採用したから背高になったのか気になる点です(笑)
 承明門と建礼門の距離は、近いなぁと思っていましたが、これもご指摘で納得です。
周囲が町屋と大路に囲まれているから、敷地が足らないと周囲を変更できない。
そうなると、限られた範囲で、復古した建物を配置してゆく。
結局 南側にしわ寄せが出てしまったのでしょうか。 本来ならば、承明門と建礼門の間には、馬場か松原などを設けたかったでしょうが、これは諦めためたのでしょうね。
こうした制限の中で、よくぞまとめられたものです。

御所が長方形になったのは、慶應になってからなのですね。
確かに、それ以前の絵図をみると、東北が欠けておりました。私達は、現在の御所しか知らないので、どうしても長方形だと思い込んでしまいますが、そうでなかった期間の方が長いのですね。

重ねて貴重な指摘と情報に感謝いたします。

謎の人物X氏より新たなミッションを受け宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました 後編

引き続き後編ですが、〇〇卿(メールではそう呼ばせて頂いておりますが、実際にお会いした時は言いませんよ 笑)と会食した際、公家の廣幡家の話が出ました。私の方から切り出したのですが、「廣幡家といえば公家でも摂家に続く家格の清家家の名門なのに本邸が御所から1キロ以上も離れていたのは何故ですかね?」。お公家さんの本邸の殆どは現在の京都御苑にあった公家町と御苑の西に接する烏丸通、同じく御苑の北に接する今出川通...

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No Subject * by -
澪標様 コメントありがとうございます。
第54回京の冬の旅のHP貼り付けて頂きありがとうございます。光照院の一番上に出てくる書院が桂宮邸の遺構ですかね。欄間が何となく桂宮邸風です。本堂も昭和天皇即位に使われた建物も何となく近代和風な感じですね。
>なぜ、二条城に移築した後も残り続けたのか、また他の現地に残った桂宮邸がどうなったか気になりませんか?

そうなんですか、残っていたんですね。朽ち果てるままにしていたのか?何か理由があるのですかね?その理由教えてください。隣の中山邸跡も明治天皇の産湯に使われた祐井が残ってると聞いてます。他にも遺構が残っているかもです。

No Subject * by 澪標
ご無沙汰しております。
三井家は新政府に色々と貢献していますから、移築したのは雑役を担う者たちが集う部屋では無いと思いますが、いくら貢献があったとはいえ商人ですから、天皇が使用するような部屋ではなく、高級女官が使った煌びやかな障壁画がある部屋ではないでしょうか?
話が変わりますが、第54回京の冬の旅で見学した光照院(旧常磐御所)に、大正時代に京都御所の近くにあった桂宮邸を移築した書院がありました。
係員に話を聞いてみると、二条城に桂宮邸を本丸御殿を移築した後も跡地にはいくつも建物が残っていたようで、その一部を寄付されて移築したようです。
ウィキィペディアによると、桂宮邸は1847年(弘化4年)に桂宮家が京都御所の北(今出川御門内)に建てた御殿の主要部を、1894年(明治27年)に明治天皇の意向により、二条城本丸に移築したものということですので、単純計算でも20年近く主要部以外は残置されていたみたいです。
なぜ、二条城に移築した後も残り続けたのか、また他の現地に残った桂宮邸がどうなったか気になりませんか?
https://ja.kyoto.travel/specialopening/winter/2019/special/public01.php?special_exhibition_id=35

No Subject * by 京一朗
澪標様 コメントありがとうございます。
ご無沙汰ですね。

リンク先拝見しました。
まさか福井県の小浜市に幕末の御所の遺構が移築されているとは思いませんでした。情報ありがとうございます。
最初に三井家が拝領した御殿は、10畳と7・5畳の2部屋ですね。御所のどこだろう?当ててみてください 笑。拝領ということですからそれなりに立派なものを頂いたと思います。
外観はかなり改築されていますが中はどうなっているか興味尽きないですね。

No Subject * by 澪標
以前は戦時中の京都御所における建物疎開に調べていただきありがとうございました。
今回、京都御所が明治時代に建物の払い下げを行なっていたという絵図をされていますが、三井家が10畳と7・5畳の計2部屋を拝領し、東京に移築していたのを小浜市に、三井家が小浜藩の両替商だったなどの縁で、調度品とともに市に寄贈されたという記事を見つけました。
下記にネットニュースのリンクを貼っておきます。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/927310
ご興味がおありと思い、以前のお礼としてはささやかではございますが、お伝え致します。

謎の人物X氏より新たなミッションを受け宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました 前編

先日、謎の人物X氏より新たなミッションを与えられ宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました。謎の人物とは誰か? まったく分かりませんが今まで京都御所に関する文献・資料について「ここに、こんな資料がありますよ。一度調べられては?」とアドバイスを非公開経由のコメントで頂き、御所の3Dを制作する上でとても役立ちました。X氏がいなかったら3Dも途中で挫折していたと思います。同氏は御所に関して非常に詳しく並みの人...

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No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。
お公家さんも長い歴史で色々とありましたが仮に公家がいなくて武士ばっかりだったら、その分、戦国時代のように、国がもっと荒れたかもしれません。
時代劇は幕末や戦国時代物ばかり多くて、たまには公家さん主役の大河ドラマやってほしいですよ。信長や秀吉、家康と同時代に生きた近衛前久とか取り上げたら面白いと思うのですが。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様、
アップして頂いたPDF「戦時下建物疎開の執行目的と経過の変容」拝見しました。眼から鱗というか、全国的に建物疎開が行われていたことがわかりました。名古屋の栄の100m道路も疎開で家が除去されたから戦後出来た面があるみたいですね。
京都はちょっと油断していたんですね。大阪や神戸が空襲にあって慌てて京都も建物疎開したんですね。消防用道路とか確かに必要ですね。でも、この混乱のなかで御所も一部が解体されたのは残念です。戦争を何とか防げなかったのかと思います。今の北朝鮮を逆に見習ってノラリクラリな外交戦術もあってもよかったと思います。米大統領が共和党に変わるまで、じっと耐えるとか・・・。
為になる情報提供ありがとうございます。

女院御所は幕末時、上皇が不在だったのでなかったのではと思います。

昭和20年のどさくさ * by 五反田猫
京一朗さん

>御一新で真っ先に解体
>皇后御常御殿のある後宮エリア
そういえば、仙洞御所は残っているのに、女院御所が残っていないのも同様な理由でしょうか?
戻らないという意味に加え、文明開化で一夫一妻制の導入というのも理由かも、気になります。

昭和20年のどさくさは、戦中体験者の聞き取りでも、色々と聞いております。
東京では1943 年(昭和 18 年)12 月の閣議決定「都市疎開実施要綱」および翌年2月の「決戦非常措置要綱」に基づいて実施。記録を見ると5万五千戸とありますが、実際はもっと多かったように思えます。 それほど記録と実体がいいかげんなのですね。

京都の場合には、こちらに資料がありますが、東京、大阪の状況もみて、木造家屋は防火帯を作る事で急いで実施。 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/76/666/76_666_1509/_pdf

他の都市にも共通していますが、場所は決めたら町内会や挺身隊などボランティア組織が実行なので記録がないのだと思います。 公務員(軍人含む)や公共施設は、国民の範となるように進んで応じると言われたので先に進められたものも多かったようです。 御所の場合には、文化財ならば名古屋城のように記録が残りますが、皇室財産だったから却って記録が残っていないのかもしれません。なにしろ当時の天皇陛下は陸海軍元帥という軍人でもありましたので。



No Subject * by 大原かずのり
長きにわたり続いてきたものは、やはり魅力がありますよね。日本は天皇家はもちろんのこと、お公家さんも本当に歴史が長い。それだけに重みを感じます。

木造の例えはなるほどと。最近、尼崎城天守が再建されましたが、その陳腐なこと(苦笑) 木造再建の大洲城の足元にも及びません。

名古屋城天守木造再建に反対する人の心理、理解できませんね。お金の問題ではなく、長きに渡り育んだ、木造文化の問題ですよね。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

御所の建物疎開ですけど、ホント、解体した部材だけでも何処か倉庫に残していたら再建もできたのに・・・と残念です。

3Dで御所を作りながら一つ思ったことなのですが、御一新で、御所のどこから先に建物が消えていったといいますと、東西の対屋、そして皇后御常御殿のある後宮エリアだと思いました。
明治2年に明治天皇が東京へ奠都した際、もう戻る意味もないよう後宮部から壊したのか?あるいは、薩長の志士たちが、富国強兵のためには、女官に囲まれた御所は軟弱過ぎると思って一目散に解体したのか?なにか意味深な所があると思いました。

過去の記録 * by 五反田猫
いつも貴重な記録の紹介を有難うございます。
明治の御所払い下げの実体が良く判りますね。

>西洞院家 38円
当時は、城、武家屋敷、公家屋敷、寺(特に廃仏運動での堂宇)は、過去の遺物として積極的に取り払わられたようですね。
建物も、移築が目的ならば良い方で、酷いのは釘や金具など金属回収が目的の場合もあったようです。
西洞院家の屋敷は普通サイズですから、他も似た様なものだったのでしょうか。 値段が安いのは、もしかすると拝領屋敷だから政府に返納という意味があったかもしれませんが不明です。 御苑として整備され御所の建物が残っただけでも岩倉公に感謝です。

>昭和20年の建物疎開
この時点は、本当に混乱して記録が残っていませんね。 松本大本営への移転話もあり、敗戦後は資料も大量に焼かれましたね。
敗戦のドサクサで、物資の横流しもあったでしょうから、当時を知る人が居なくなると闇の中でしょうか。

それにしても、こうして資料調査の結果もまとめられ、 3Dで建物を復活されると、活き活きと見えてくるものがあります。


YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.1 飛翔」をアップしました。

皆さんこんにちは。三日遅れの暑中お見舞い申し上げます。京都御所の動画第一弾がようやくできあがりましたのでアップします。御所にはどんなBGMがいいかなぁ、とか、いろいろ思案の末の労作?です 笑。今回は空からの俯瞰をメインにした動画です。動画の終盤の方にちょっとしたサプライズも揃えましたので少し期待してください。動画は取り敢えず3本ほど作る予定です。まだまだ動画編集に慣れていないのでお見苦しい所もある...

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管理人のみ閲覧できます * by -

No Subject * by 京一朗
sazanamijiro 様 コメントのお礼遅れて申し訳ありません。

>あまりの完成度に絶句!
>もはやこの映像自体が文化遺産ですね。
過分なお褒め、軽い自分はすぐ舞い上がって喜んでしまいました。すぐその気になって勘違いしてしまうタイプなんです。
でも、嬉しいです、励みになります。ありがとうございます。

まだまだ完成度も低く、所々、動画がカクカクと流れが悪くなったり修正点があります。直して行こうと思ってます。
過去の動画も画質が悪いです。YouTubeの解像度も良くなって、御所の動画も以前より鮮やかになりました。古い金閣や相国寺七重塔など、もう一回、新たな動画に置き換えたいなぁ、と思っています。YouTubeのチャンネルもなぜか複数になってしまいアップ動画も分散してしまいました。

今回整理し、チャンネルは”3Dkyoto”に統一し、動画も再アップし直しました(金閣は除く)。ですのでアクセス数もリセットされてしまいました。でも、今後、ここをプラットフォームに動画を充実させていきたいと思ってます。

>御所から見て夏至の夕日の方向にある愛宕山>の山影が、ちらっとでも登場すればさらなる>感涙です。
京都へ行ったとき、山々の写真撮ってますけど中々、クリアーな写真がとれません。いい背景写真ができたら愛宕山をバックに作ってみるのもいいなぁ、思いました。けど、京都盆地から愛宕山視えるんでしたっけ?、確認もしなければ。
では、暑い夏、お互い夏バテに気を付けましょうね。

No Subject * by sazanamijiro
あまりの完成度に絶句!
もはやこの映像自体が文化遺産ですね。
もしわがままが許されるなら、いつの日か、御所から見て夏至の夕日の方向にある愛宕山の山影が、ちらっとでも登場すればさらなる感涙です。
(右京区の田舎者なので)

No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

お褒めいただき恐縮です。励みになります。
動画何とか作りました。
YouTubeだったら何かあっても動画が残るかもしれません。少し要領がわかったので次も頑張ります。
大原さんも楽しい盆休みお過ごしください。

No Subject * by 大原かずのり
最初からこの完成度は、さすがです!ドローン気分を味わえました。

特にお気に入りが、承明門が開いてシシンデンに向かう場面です。承明門から眺めるシシンデンが、特に好きなんですよね。

連日の猛暑ですが、3D動画を見たら涼しくなれました(笑)
実に心地よい動画ですね(^^)

京都御所、御殿の中から外を見てみよう。

前記事では、京都御所第一期3Dプロジェクトの完了に伴って外観を東西南北、空から、斜めから、といろんな角度から俯瞰した3DCGをアップしましたが、本記事では今度は「京都御所 ― 御殿の中から外を見てみよう」と題して、普段、御所の建物は外からしか見学できませんが、だったら3DCGを駆使して「中から外を見みよう、どんな風景が待っているだろうか」と興味もあってチャレンジすることにしました。きっと御殿の上から御所の...

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京都御所第一期3Dプロジェクトが完了、紫宸殿から飛香舎まで渡り廊下で繋がりました!

本題に入る前に一言。何気にトータル記事数を見ましたら400記事になってました。途中、サボったりしましたが何とか400を超えることができました。読者の方のコメントや励まし、応援を頂いたからこそ続けてくることが出来たと感謝しております。ブログの人気ページランキングを見ますと、いつも上位に位置している記事を見かけます。きっと、その記事を評価する方々が順位が下がらないよう、いつもクリックして頂いているからだと思...

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No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

激励の一文とても励みになります。自分で言うのも何ですが、こうして渡り廊下で結ばれると改めて御所の美しさを感じます。江戸時代だけでも8度の火災にあってますが、その都度、類焼の恐れがあっても渡り廊下で繋いできました。帝が土を踏まれずに御所を渡られる為とも思いますが、結果的にそれが御所の美しさに反映されていると思います。
これからもコツコツと3D作りに励みます。



No Subject * by 京一朗
五反田猫様
南禅寺勅使門のこと教えて頂きありがとうございます。
さっそく写真を拝見しましたが、品格があって立派な四脚門ですね。さすが御所から拝領した門です。明正天皇からどのような経緯で拝領されたものかわかりませんがこうして寛永期の御所の建物が残っているのは喜ばしいですね。

No Subject * by 大原かずのり
400突破、そして渡り廊下の繋がり、おめでとうございます❗
3Dでコツコツ、実に頭が下がりますね。

ブログを続けるのは実に大変だなあと、私のような稚拙ブログですら思いますが、これほどの3Dを駆使した貴ブログなら、一体どれだけ大変かと思います。しかしそのお陰様で、私は楽しませて頂いております。

今後の活躍、そして500目指して頑張って下さいね(^^)

日御門 * by 五反田猫
京一朗さん
詳しいお話しを有難うございます。

建春門になったのは、安政度御所からなのですね。
門院号があるから、つい昔からあったように勘違いしてしまいますが、それ以前は日御門だったのですね。ご教示有難うございました。
それならば、南禅寺勅使門として残っております。 門には「禁中日御門拝領 寛永第十八歳舎 辛己 九月如意珠日建立 住持比丘元良誌焉」
とあります。

こちらは唐破風はありませんので、後についたのですね。
http://www.nanzen.net/keidai_chyokushimon.html


追記 * by 京一朗
五反田猫様

日御門は幕末の安政度の御所から建春門と呼ばれるようになったとも。それと公家が通用門にした日御門脇の穴門は「日御門代」でした”代”が抜けてました。失礼しました。機会があれば、各御門の使用勝手について教えてください。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

ご指摘の建春門ですが、確認しましたら、近世では皇后が出入りされた門と書かれています。節会など重要な時だけ大臣、公家の参内が許されたとか。は北の遡平門は女御など高貴ま女性が出入りしたとか。宣秋門は公家の通用門で摂政、関白、宮、大臣が出入りし、一方で建春門は有職故実の大家・裏松固禅の考証ではまだ日御門と呼ばれ、その日御門の脇に設けられた穴門(日御門)が公家たちの通用門だったと書かれています。なんだか分からなくなってきました。儀式用とか日常用とか分れていたのでしょう?
将軍が建春門から入ったとは以前読んだ本の聞きかじりです上皇もここと書いてありましたがどうなんでしょう?唐門は武家にとつては一番格式ある門なのでココを通ったと思ってました。ここだと内侍所を通るのでホントにここかなぁ、とも思いました。

五反田猫さんご指摘のように施薬院は清め衣冠に装束を替える所ですからわざわざ建春門から入る必要もないですね。いろんな本をみて混乱、間違ってました。すみません、記事、訂正します。

武家ルート? * by 五反田猫
いつも興味深い記事を有難うございます。
何と400記事とは素晴らしいアーカイブです。

本旨と関係ない部分ツッコミで恐縮ですが、疑問がありご教示頂けると嬉しいです。

江戸の御所の参内は、公家衆は西側の宣秋門より入り、御車寄より建物に入ったと思います。
所司代や高家なども、西側に武家玄関がある事から、同様とおもいます。(諸役や出入り業者は清所門)

記事には将軍は建春門より入るとありますが、この場所は東側ですよね、
ここから入ると、建物にはどこから入るのでしょうか? 
徳川家茂が230年ぶりに参内した時には、中立売門脇の施薬院に入り、単の衣冠に装束を替え、宣秋門より入り、武家玄関?より建物へ入り、麝香間で控え、小御所にてご対面のようです。
それ以前で参内したのは、家康、秀忠、家光のみ。 この時のお話しで、当時の御所の構造は全く異なり、建春門入った辺りに将軍用の玄関や建物があったのでしょうか?


No Subject * by 京一朗
Hakka 様コメントありがとうございます。
ご丁寧に祝辞も頂きとても励まされます。

非公開にした記事や下書きのまま残しているものも含めれば430記事ほどあります。

拙い記事ですが3Dで御所や他の建物を再現する過程で得た知識や自分なりの発見もあります。これらのことも参考にしてより納得できる京都の3Dを作っていきたいと思います。500記事まて達したらひょっとして読み継がれていくレベルになるかも、と思ったりしてます。ただ、fc2が消えてしまったらおじゃんですけど・・・。歴史ブログの大御所”しばやん”さんのようにWordPressの立ち上げも一つの手と思いますが、今はそれ以前のレベルなので、とにかく500記事達成に向けマイペースでやっていきます。

ところで、今朝は、地元の神社の祭礼の関係で山の上でのお籠り当番から帰ってきました。徹夜で太鼓を叩いたり酒のんだりお餅を配ったりし夜露に濡れたりとぐったりです。また8年後にあります。でも、長老から白狐に出会った昔話や伝説、知らなかったことなど聞かされそれなりに楽しくもありました。こういう昔話も段々と消えていのくでしょうね。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

戦前の住宅などで廊下の内部が畳敷と板敷で分かれているのはたまに見ますが、屋根の葺き方が左右で違うというのは、城や寺社を含め見た記憶がありません。さすが御所ですね。

3D第一期終了と400記事達成おめでとうございます。京一朗さんの記事は毎回内容がとても濃くて、勉強になります。このボリュームで400記事は真似できません。500記事達成まで、頑張って下さい。

アインシュタインが愛した京都御所-長橋局内観編

冒頭に書かずにはおれないので書きます。昨日、一人の放火犯によって、京都アニメーションのスタッフの方33名がお亡くなりになり、今も36名の重軽傷の方が病院で治療を受けておられます。火傷はとても痛ましく人に寄っては後々まで後遺症になって苦しむ場合も多いと聞きます。火傷から治ってもペンを握れない人も出てくるかもしれない。若い女性も多く、顔に火傷の後が残ったら可哀そうの一言です。昨日はNHKの取材の直前で、主要...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 いつもコメントありがとうございます。諸大夫の間ですけど、指図を見たら天井は猿頬天井と書いてありました。やはり部屋に応じて天井も差別化していたんだな、と思った次第です。

高麗縁の蘊蓄ありがとうございます。
>親王・摂関・大臣は大紋高麗縁、公卿は小紋高麗縁です。
う~ん、覚えても直ぐ忘れそうです 笑。
そのときは八条様のHPへ飛んでいきます。

繧繝縁も難しい字ですね。でも、今後の3d作りに活かしたいと思います。
色々と教えて頂き感謝しています。

車寄 * by 五反田猫
資料を見直すと以前拝観したのは「御車寄」とあり、諸大夫の間に続いているもので、ここでお書きのものとは違うかもしれません。

例により以下は、八條さんのページを参照です。
高麗縁には紋の大小があり。
親王・摂関・大臣は大紋高麗縁、公卿は小紋高麗縁です。

最上位の繧繝縁は最も格の高い畳縁で、天皇・三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・上皇が用いました。親王や高僧、摂関や将軍などの臣下でも、「准后」(准三宮)という称号が与えられると三宮扱いとあります。


No Subject * by 京一朗
五反田猫 コメントありがとうございます。  

車寄せを拝見されたことがあるのですか?一度、見てみたいと思ってます。参内殿の前、西側一帯は幕末の頃の御所でも空いている感じです。何か理由でもあるのかな?と思ってます。
高麗縁はわかるのですが、どこまでの身分がそこまでなのか?今一、わからないとこがあります。

参内殿 * by 五反田猫
いつも素晴らしい資料を有難うございます。
参内殿は現存していますが車寄せを除き、拝観は出来ませんよね。(最近は知らないのですが)
こうして3dで拝見出来ると、大変 参考になります。 障壁画を入れた大変結構な景色です。
内部の畳は、しっかりと高麗縁で、細かい所まで行き届いております。

御所の天井を比べてみました。

なかなか京都御所から抜けられません。このままではニッチな世界をひたすら突き進んでしまう・・・。などと多少は思いますが、「思えば遠くへ来たもんだ」というのが心境です 笑。後、二か月もあれば動画も含め御所の「第一期3D制作」が終えるかな、です。本日は、長橋局の内部を中心に3DCGが出来上がりましたのでアップしようと思いましたが、悪い癖で天井の事とか書き出して、それで一記事に纏まりそうなので3DCGは次...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

日本は何事も花鳥風月の国ですから動植物の名称も多いですね。アメリカだと空母のドナルド・レーガンとか人名もありです。

明治以後、花鳥風月は古いから歌うな、と唱えた詩人もいましたが、披講のように声や楽器に合わせて唱和すると本来の和歌の響きが伝わってくるようですね。現代の日本人ももっと風流を介さないと日本に生まれた意味が薄れていくような気がします。

天井 * by 五反田猫
いつも詳しい話を有難うございます。
なるほど、竿縁にも種類があり、猿頬ですか。
格子欄間にも良く合って、御所や書院も雰囲気が出ますね。

そういえば、建築用語には動物の名称が多いですね。  千鳥格子もあるし、螻羽、鯖の尾に懸魚など。 これからも楽しみにしております。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

皇室が質素、清浄にこだわったのは、皇室のプライドというか、武家文化への抵抗みたいなものもあったのでしょうか?

二条城や名古屋城の御殿を観ると、すごいなと思う反面、建築としてはやり過ぎな気がしてしまいます。桂離宮を絶賛して陽明門を酷評したタウトの気持ちがよく分かる気がします。もっとも、彼も自身の日本での作品では結構派手なことをやっていますが…笑

やはり建築はシンプルで美しいのが良いですね。

No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

日本建築の天井の位置づけですけど、建築家によっては書院造りの定型化で天井はあまり顧みられず置き去りにされてきた・・・という見方もあります。正直言って格天井と竿縁との格差が大きすぎて、その間にもっと中間的ないろんな形の天井があっても良かったな、とは思います。日本の場合は住宅は地味目に、一方、社寺で個性を出す、という面があって、おっしゃられるように内陣、外陣に赴きのある変化を与えていますね。

多彩な天井が生まれた近代和風建築が震災で建築規制が入って以降、萎んでしまったのは残念です。

No Subject * by 大原かずのり
猿頬天井という名前は知りませんでした。お猿さん高級感ありますね。

天井は面白いですよね。仏堂でも内陣と外陣で分けて作り、内陣をより格式高くしてたり。格式高くても品があり、ケバくないのが日本の天井のように思います。

京都御所から抜け出せないのはやはり、京一朗さんの前世が関係してるでしょう(笑)

アインシュタインが愛した京都御所-参内殿廻り外観

訂正します。(令和元年7月12日付)記事中にてアップしました長橋局の屋根の煙出し屋根の位置について間違っていましたので、正しい位置に置き替えました3DCGを再アップさせて頂きます。アドバイス頂いた読者の方、ありがとうございます。事前にヤフー地図の航空写真で確認はしましたがハッキリは見えませんでした。ところがGoogleマップで見たら明瞭に視えました。最近、Googleマップの拡大倍率ですけど上がったんですかね? ...

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アインシュタインが「これまで見た建築物の中で一番美しい」と讃えた京都御所 弐-参内殿内部

引き続き本編では参内殿の内部についてご紹介します。引用させて頂いた障壁画及び解説文は、宮内庁協力・毎日新聞社刊の「皇室の至宝 御物 障屏・調度Ⅲ」です。同書に載っている参内殿の障壁画は全体の一部のみですので、室内イメージの作り込み上、襖絵等について本来の位置から別の向きに設置しているものもあります。ですので、正確な室内ではなく、あくまで3D用に変更を加えました。ただ、それ以外については出来るだけ本物...

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No Subject * by 京一朗
sazanamijiro様 コメントありがとうございます。
御所も結構、漢文化というか昔の中国の文物を色々取り入れています。即位礼にも被り物など影響受けてます。紫宸殿にも古代中国の賢聖の画像32人が描かれていますよね。昔の教養人にとって孔子始め理想像を求めたのでしょうね。
自分的には清涼殿や小御所の大和絵が好きです。

No Subject * by sazanamijiro
おはようございます。sazanamijiroです。

御所に漢画とは、意外でした。
平安京に「古き良き中国」のノスタルジーを見る漢民族の知識人にも、かなりアピールしそうですね(^^♪

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

今は参内殿の隣り合わせの長橋局と奏者所を作っています。どれも現存していますが、参内殿以外は瓦葺になっています。再建時は杮葺きでした。ですので杮葺きで再現しています。
3Dを作りながら、たまに「ひょっとして、こういうことでは」と自分なりに感じる時があります。また機会を見て書きます。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

縁座敷に折上げ格天井、数々の襖絵… 見事な空間ですね!本当に参内殿の中に潜入した気分です笑。3Dでしか出来ないことですね。

襖絵や杉戸絵の解説も勉強になります。ありがとうございます。

アインシュタインが「これまで見た建築物の中で一番美しい」と讃えた京都御所 壱-参内殿外観

皆さん、あのアインシュタイン博士が京都御所のことを「これまで見た建築物の中で一番美しい」と日記の中で書き残しているのをご存じですか? 御所の事を調べていたら偶然、知った挿話です。アインシュタイン博士。アインシュタイン博士といえば誰もが知ってる相対性理論(物理的理論は別)で世界的に有名な方ですよね。ノーベル物理学賞も受賞し、天才、人類の叡智とまで言われた御仁です。その方が京都御所を一番美しいと讃えた、...

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戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 第一期完結編

大台所廻りの建物ですが、今回、賄い部屋(商人溜まり)が完成しました。後は清涼殿へ繋がる渡り廊下、帝の御常御殿から後宮の皇后御殿まで繋がる渡り廊等を作って第一期分の3D完成としたいと思ってます。そこで今後の京都御所に係る3D作りですけど、当初案になかった、ちょうど大台所廻り建物群の北隣にある参内殿も作った方がいいかな、と思い直してます。この参内殿のエリアは3Dの建物もない空地になっていて第一期3D工事の...

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No Subject * by 京一朗
TAKATSUKASA 様 コメントありがとうございます。

下手の横好きですけど励ましの言葉を頂くと元気になります。最近はずっと京都御所の3Dを作ってます。

平安の王朝美にずっと憧れてきました。御所を拝見すると、王朝の雅をいかに醸し出すか、公家人たちの情熱が伝わってくる思いです。

No Subject * by TAKATSUKASA
素晴らしい出来ですね。様々な状態を精査されて、感動いたしました。また楽しみにしております!

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

励ましを頂き感謝しております。以前にも御所の動画云々のこと書きましたがまだ実現しません。というか、予定になかった参内殿も急遽3Dで作ることにしました。

後で御所を空から俯瞰する動画を作るにしても御所の建築群のバランスを考えたとき、やはり参内殿は必要かな、と思った次第です。後、紫宸殿と清涼殿と渡り廊内部を歩く動画が完成したら、やっと御所の一期工事?が完成です。

で、次は公家町へ移ります。蛤御門から作ろうかな。実は御苑に残る諸門には今はない内枡形の構造になっていたのですよ。よく城などで見かけます。幕末、禁裏も堀とかそれなりに防御していたと思います。

いろいろ作りたい3Dがあっても時というゴールポストは遠ざかるばかりです・・・笑。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

上空からの3D俯瞰、壮観ですね。幾重にも重なる入母屋が見事です。それと、庭園の地割までもしっかりと再現されていますね。

もうすぐ第1期完成なんですね。おめでとうございます。YouTubeも楽しみにしています。

実は京都御所は江戸城より豪華だった! 前編

24日、皇居の本丸北に位置する宮内庁の公文書館へ行ってきました。同館は宮内庁書陵部に属し明治以後の宮内省・宮内府・宮内庁が作成又は取得し,同館に移管された特定歴史公文書等を所蔵している所です。同じ書陵部には明治以前の代々皇室に伝わってきたものを中核とする古典籍・古文書類を所蔵している図書寮があります。どちらも同じ書陵部の建物の中にあります。以前、数度、図書寮の方へは行ったことがありますが公文書館の方...

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読者の方から情報を頂きました!

情報を下さった方ありがとうございます。とても有益な情報です。さっそく、前記事の屋根の記述について間違いがわかりこの場で訂正させて頂きます。宣秋門側の切手番所。切手番所の屋根ですが、前記事では「入母屋の屋根は明治以後に改造に伴って付け足され、下の庇の方が創建当初からあった寄棟屋根」というふうに書きましたが、それは間違いでした。頂いた情報の古写真から、最初から写真で見るような入母屋屋根に庇が付くもので...

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どなたか教えてください!

本記事では「賄い部屋」を作る予定で準備を進めていますが、今、屋根の形状をどうしたらよいか思案に暮れています。どんな箇所? と聞かれれば一口では言い表せません・・・。日本建築にとって屋根の占めるウェイトはとても大きいものがあると思います。その屋根について分からない点が多く自分の不甲斐なさを情けなく思っているところです。最初に一言、お願いさせて頂きますと、近代以前の日本建築に詳しい方教えてください!と...

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戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 武家溜まり間

「溜まり場」と「溜まり間」とどう違うのだろう? そんな軽い疑問から始まった武家溜まり間(正確には溜まり之間)の3Dが完成しました。溜まり場、というと何となく良いイメージがありません。○○の溜まり場になっている、最近だと”半グレ”の集団がたむろしている場とか、という感じ。語源を調べると「仲間がいつも寄り集まる一定の場所」とか「なすべき物事が処理されず、しだいに増えていったりとどこおったりしたままである」と...

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戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 武家玄関&休息所

大台所廻りの一つ、武家玄関及び式台、休息所が完成しました。武家玄関・式台及び休息所位置図(出典:京都御所 完-大正3年/日本皇道會編)上記周辺詳細図。赤く囲ったところが該当する建物です。この武家玄関・式台は御所に伺候する幕府方のトップ・禁裏附武家の出入りする所です。禁裏附は役料千石、公家の摂家よりも威張っていたといいます。ここから奥・東に向けて幕府武家方の口向役人、即ち金勘定から日々の暮らしの用向き、...

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No Subject * by 京一朗
分部光隆様 コメントありがとうございます。

武家玄関は御所に勤務する幕府方口向役人のトップ・禁裏附旗本の出入りする玄関で直ぐ隣の内玄関が部下たちの入り口だと思います。摂家や宮家は隣の参内殿から上がり帝に年賀のご挨拶とかしました。大名・高家は、現在の御所の見学でも最初に目に入る諸太夫の間の車寄せから入ったと思います。
将軍は御所の東側にある唯一の門、また唯一の唐門でもある建春門から入ったようです。

そうすると所司代はどこから上がったか迷う所ですね・・・。調べておきます。

洋館は一度3Dで作ってみたいと思ってます。洋館は色んなデコ・スタイルで飾っていますが建物自体は直線、曲線含め左右対称が多いので
意外と作り易いかもです。和風建築の反りやむくり屋根の方が表現しずらい面があると思います。

流石に明治宮殿や伏見宮等の宮邸まで3Dで作るとなると、来世になってしまいます 笑。

宮内庁の公文書館には明治以後の皇室関連の書籍や記録が沢山残っています。もちろん明治宮殿や他の宮邸、離宮など多くの写真も保存さています。

同公文書館のHPのデーターベースで”写真”で検索すると公開されているものが見られます。

宜しかったら見てみてください。

No Subject * by 分部光隆
誤りがありました。千駄ヶ谷時代の徳川宗家邸です。十万坪の敷地に屋根がひしめき合う大邸宅だったようです。

No Subject * by 分部光隆
大変勉強になりました。ありがとうございます。

武家玄関は京都所司代や高家が使用していたのですかね(他の記事で既にご説明済みでしたら申し訳ありません)。将軍は車寄からでしょうかね?

御所の中を所司代は籠で移動できたと言う話が「幕末の宮廷」(高額なのでCiNiiで引用論文を読む程度ですが)にあったかと思いますが、実際の武家玄関の写真を見ると色々と想像が膨らみますね。公家の秩序に照らすと四位侍従以下の諸大夫たる怪き譜代大名に公家はどれだけ悔しい思いをしたでしょうか。

話は全く変わりますが、いつか明治宮殿や東京の旧伏見宮系の諸宮家の邸宅や代々木時代のの徳川宗家の邸宅も3Dで再現された様子を是非見てみたいです。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

台所廻りの武家関連建物ですけど、玄関横(南)の武家溜まり之間が完成しました。後ほどアップしますので、もうちょっと賑やかになると思います。

同じ玄関棟等ですけど、檜皮葺バージョンも作ってみました。比較すると面白いかも。3Dならでは?というところですかね。

No Subject * by 京一朗
五反田猫 様 コメントありがとうございます。

御所の建物を3Dで作っていると御所風というのが何となくわかる気がします。

屋根の格付けでいうと明治以前は寄棟より切妻屋根の方が格が上なんですね。江戸城の本丸御殿など主要御殿以外は寄棟が多い印象です。

御所は蔵以外、意外と寄棟が少なく、最も格上の入母屋が多いのは、やっぱり御所の拘りだと思います。

他にもいろいろありますが、

我々が考えている以上に御所は拘りの宮殿だと思います。

ところで、簾懸渡翠簾直打四尺の現物はどんなものでしょうか?
また機会があったらネットで見れる所とか教えてください。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

玄関棟が加わって、一気に雰囲気が増しましたね。入母屋が連続する様が見事ですし、杮葺と瓦葺とのアクセントも美しいです。

桂離宮や修学院離宮もそうですけど、皇族ゆかりの建築は武家の御殿と違って過度な装飾がなく、それでいて美しいのが良いですね。

武家玄関 * by 五反田猫
京一朗さん

いつも興味深く、勉強になるお話しを有難うございます。

禁裏附旗本や高家など、「幕末の宮廷」でも出て来ますが、幕府の威を背負って凄かったでしょうね。
その専門玄関ですから、当然に二条城書院の大玄関のようなものを想像していたのですが、何と杮葺きですか。
実は、明治の古写真は見たので、「やはり武家玄関は瓦葺き」と思い込んでいました。 こうして資料を元にしたお話しを伺えると、大変勉強になります。 有難うございます。
二条城と違い唐破風や欄間が無いのが、御所らしくて良い感じです。

>簾懸渡翠簾直打四尺
これも凄いですね、実際に見てみると良く判ります。

戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 清所編

前回の御台所に引き続き東に隣接する清所の3Dが完成しました。清所は囲炉裏があって魚を焼いたり身体を温めたり、食膳の用意・盛り付け、食事などする場所で現代で言うなら社員食堂。台所では大釜五つを使って沢山のご飯を炊き御所のみんなのお腹を満たしました。当時、御所での給食はとても有難いものでした。安月給の人が多かったから・・・です。念のため位置図を載せます。 御所の3D作成計画図。右が南にあたります。...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 情報提供ありがとうございます。

連子窓というと何となく社寺の回廊の窓とか思い浮かべてしまうのですが、一般住宅でもいろいろ使われているのですね。参考HPとしてブックマークさせて頂きます。

木格子連子窓 * by 五反田猫
想像するに木格子連子窓ではありませんか。 
こんな感じでしょうか?
ハズレていたらすみません。
https://www.tanihata.co.jp/monyou/senbonkousi.htm

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。
>テラスというか、ウッドデッキというか..
そうですね。ウッドデッキと言った方が解りやすいですね。

台所の北側ですけど実際には禁裏附きの武家の各部屋が廊下を挟んで戸障子で仕切られてましたけど、今回は台所だけなので壁と格子窓でぐるっとまとめました。安政度の造営図誌の絵でみると格子窓の位置が結構高く描かれていたのでそうしましたが、作った後で高すぎたなぁ・・・と思いました。

指図の建具名について判読不明や何?という部分もあって自分もまだ勉強中です。”キ?コウシレンシ”? 何だろう? 連子窓?、他の所には”上コウシ”とかあってこれが小壁の上の明り取り窓かなぁ、と手探りです。どうか、教えてください 笑。

清所 * by 五反田猫
いつも興味深い内容の再現、有難うございます。

食堂のような普通の設備は、遺構が少ないですね。
それだけに、このような再現は参考になります。

北側の建物は、塗籠の中部辺りに、明かり取りの障子があるのでしょうか? 大きな壁面ですから、明かり取りがないとまっくらですよね。 下から高さがあるので、開閉が大変そうです。

テラスというか、ウッドデッキというか..
BBQがしたくなる雰囲気、または傘つきテーブルとイスでお茶をしたいですね。



No Subject * by 京一朗
sazanamijiro様
コメントありがとうございます。

sazanamijiroさんは洛中様だったんですね 笑。

簀子テラスには朝顔とか、いろんな花の棚や鉢植えもあったでしょうね。江戸時代の人は花好きでしたから。

今は想像できない御所の普段の暮らし振りなど3Dマンガで描きながら浸っています。

sazanamijiroさんは毎日でも御所へ行ける?と思いますので、いろんなネタを探して記事にしてください。楽しみにしてます。

No Subject * by 京一朗
Hakka 様
コメントありがとうございます。
嬉しいと言って頂き嬉しいです 笑。

>煙出しの下見板ですが、無塗装という選択肢は無しでしょうか?京都の冷泉家住宅にも、無塗装の下見板張りの部分があるようなので…

そうなのですか、以前撮った冷泉家の写真見直しましたら内玄関の横の角あたりそれらしき板(縦の羽目板ぽいですね)が漆喰壁にありました。

改めて冷泉家の写真を見ましたら漆喰壁の長押塀や石の井戸もそっくり!いろいろ共通点があるなぁ、と思いました。

ただ、公家屋敷は屋根が”むくり”好みですが御所はみな反っていますね。一か所、兜屋根風の廊下があったような・・・

昔の建物は興趣があって尽きないですねぇ。やめられませんわぁ 笑。

No Subject * by sazanamijiro
かつて、旧大極殿跡の並びに邸宅があったsazanamijiroです。
(実は、昔住んでいた狭い借家の位置が、たまたま大極殿跡のはるか真西にあることを発見しました(^^♪

それにしても85坪の簀子テラスには驚きました。長屋だった我が家がいったい何軒このスペースに乗るかな、などと想像してしまいます。

御所って、なかなかナウい(昭和世代なもので)造りだったんですね。
そのうちウン十年ぶりに御所行って、ブログのネタにしようと企んでおります。

「ブログ読者の皆さんはご存じないと思いますが、御所には簀子テラスなどもありました。旧御所のナラビに邸宅のあった私はそのへんのことはよく知っているのですが・・・・」
なんて書いたら、共通の読者の方から総スカンを食らいそうなので、我慢します。



No Subject * by Hakka
こんばんは。

清所が付いて、一気に立派になりましたね。自分が作った訳でもないのに、なんだか嬉しくなりました笑

煙出しの下見板ですが、無塗装という選択肢は無しでしょうか?京都の冷泉家住宅にも、無塗装の下見板張りの部分があるようなので…

戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 御台所編

皆さんこんにちは、御所の大台所(御台所)の3Dが完成しましたのでCG画像を幾つかアップします。タイトルが今回は「戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ!」と、”大台所”が”大台所廻り」”に変わっています。これは台所単体ではなく付属する清所や武家玄関、賄い部屋、そして渡り廊下等を合わせて再現する方が御所の構成美が引き立つと思いそうすることにしました。やはり御所の美しさは各殿舎を繋ぐ渡り廊下...

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No Subject * by 京一朗
kotodayori 様
コメントありがとうございます。

3Dですけど最近は結構楽しみながら作っています。作るなりの発見とかあって自分で満足してる面があります。小生のホームグランドは京都御苑。いつかバーチャル公家屋敷で埋めたいと思っています。

No Subject * by kotodayori
こんにちは、3D画像、イメージがわきやすくて、わかりやすいです。でも、大変な手間をかけられているのですね、ご苦労様です。そして、御所に下見板で張った壁や塀は見かけないのですね。いままで全く気付かなかったので、こんど入る機会があったら、見てみます。
また、よろしくお願いいたします。

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京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 (最終話)  哀しからずや染殿町

「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅」もついに、というほどでもないですけど「最終話」を迎えました。当初、その(四)ぐらいで終わるだろう、と思っていた読みも完全なる私の甘々でした。思いのほか、御苑外の公家屋敷って多かったですね。数を稼ぐため、結構、Wikipediaに頼ってしまい申し訳ありませんでした。いずれ機会があったら個々の公家さんをもっと掘り下げてみたいと思ってます。さて、タイトルにも書きました...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。
>京都の家元で茶道研修をしていた時に、早朝に染井の水を汲みに行きました。

いろんなことされてますね。京都は地下水の都でもありますから、御所でも築地塀の中と外では高さ違うんですよね。明治のころまで京都は多くの掘割に水が流れ、内裏も公家町もたくさんの泉水がありましたから、高低差を緻密に設計した用水が流れていたと思います。

庭田家だと、和宮様のお付きの女性いましたよね。

江戸の当時からすでに参内行列は人気があって庶民も手弁当片手に見物したとか、屋台も出たそうです。公家の姫たちも物見からその様子を見るのが気晴らしだったとか。江戸時代、公家町が意外とオープンだったのは、公家、庶民それぞれに見るのが楽しかったんでしょうね。

そうそう、後桜町上皇(女帝)様など林檎を集まった庶民たちに配った逸話がありましたね。

染殿町 * by 五反田猫
いつも興味深い記事を有難うございます。

>梨木神社
30年以上前、京都の家元で茶道研修をしていた時に、早朝に染井の水を汲みに行きました。 女性に力仕事をさせる訳にも行かず、巨大なポリバケツをリヤカーに積んで早朝5時前(寅の刻に汲むのが最上らしい)に汲みに行きました。
早朝でも近隣の人から、料理屋、豆腐屋など、結構 多くの人でにぎわっていたのですが、今ではどうなったのでしょうね。 当時は、そんなマンションは無かったので時代の変遷を感じます。

>庭田さんの建物
流石に宇多源氏のトップですから、立派なものですね。
こうした建物が、御苑の中に再興出来ると、とても良い観光資源になると思っています。 建物だけでなく、参内の行列などがあれば、とても素敵でしょうね。

No Subject * by 京一朗
Hakkaさん
コメントありがとうございます。

Hakkaさんに「好きなシリーズだったので少し寂しい」とのコメント頂いてとても嬉しいです。連載した甲斐があります。

お公家さんは昔から興味もってましたが、一つには、いつも戦後大名とか武士ばかり取り上げられてきたので判官びいきな面もあります。

これからも京都を自分なりの視点で書いていきたいと思ってます。
Hakkaさんも為になる情報発信、今後も期待しております。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

公家屋敷の旅、終わってしまうんですね。好きなシリーズだったので少し寂しいですが、また3Dの方も楽しみにしております。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(十) 今出川通界隈

前記事で、御苑外の公家屋敷シリーズもその(十)で最終話となる旨お伝えしましたが、どうも無理筋に思えてきまして二話に分けることにしました。いつもの気まぐれで申し訳ない・・。ということで今回は御苑の北に接する今出川沿いの公家屋敷跡、及び室町時代に足利義満によって建立された相国寺七重塔のあった塔ノ段町近辺にあったと思われる六角家の屋敷跡を巡ってみたいと思います。            &n...

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追記 * by 京一朗
五反田猫様、

記事のなかの冷泉家ですけど、”直系子孫”から”嫡流子孫”に訂正しました。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 いつもコメントありがとうございます。

冷泉家のご当主と面識があるとは知らず失礼なこと書きましたかね・・・。

現在のご当主ですけどBSで拝見したことあります。お婿さんであるとは知っていましたがどこぞのお公家さんの子孫にあたる方ですか?

私のなかでは公家社会は養子にでたり、また入ったりと女系で継いでいるお家もけっこうあり、元を辿れば皆公家の出ということであまり女系に拘りはなかったのかな、と思ってます。

戦国時代、上冷泉家は北陸へ下向していましたが、そのときは大事な古典籍の山はどう守っていたんでしょうね?

馬や荷車に積んで避難したのか、内裏に置かして頂いたり?とか、どうなんでしょう? まだ戦国時代は耐火性に優れた蔵はあまり無かったと思いますし。

六角氏ですけど、どうしても鎌倉、室町期の守護大名を連想してしまい、公家さんイメージ少ないですね。家禄30石もまだ蔵米ならそれなりに安定してますけど知行30石だと収入ゼロもあり得るし暮らしも大変だったんだろうなぁ、と平公家の苦労が偲ばれます。

でも、私なりの価値観のなかでは六角氏>徳川宗家なのですよ。日本の貴族は帝との距離で決まると思ってますから。

あれこれ * by 五反田猫
京一郎さま、 まさにお名前に相応しい京の公家屋敷のお話し、写真と合わせて楽しみました。 有難うございます。

>冷泉さん
ご当主とは和歌関連でご面識がありますが、「冷泉家は二番手主義」だと仰っていたのが印象的でした。
和歌宗家は、長く二条流、京極流だったのですが、結局 トップに立つと風当りも強くいのですね。 明治になって二条流の中心 三条西家は歌道宗家の役割を終え、地道に歌道をつないだ冷泉家は、現代では定家の流れを伝える家となりました。 現代のお公家さん達のご子孫は女系が多いのですが、冷泉さんの所もずっと女系ですね。 それでも代々 優秀な男性が婿として入られるので、それも素晴らしいと思います。

>竹内家、六角家
足利将軍家の侍が、公家になった家で、こういう家の存在自体、室町時代は公家と室町武家の境目が曖昧になっていたのでしょうね。 お公家さんでも将軍についてって戦死したり、御所よりも将軍家に入り浸って親を嘆かせたりなど。
江戸になると固定化しますが、それでも武士から公家侍への転身は続いているのですね。

次回でまとめになるとの事で楽しみです。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(九) 陰陽師 VS 吉田神道

公家屋敷の跡を巡る旅 その(九)では公家のなかでも特別に異能な存在である吉田家とその分家・萩原家、そして土御門家、そして久世家と西大路家の五家を取り上げます。そのなかでも、吉田家は吉田神道の総本家であり江戸時代、全国の神社、神職の任命権を持つ絶大な権力を持ちました。一方、土御門家は平安時代の陰陽師としてカリスマ的存在の安倍晴明の子孫であり、江戸時代、朝廷に天文、暦道で仕え国家に変事が起きたときは吉...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

御師の屋敷ですけど、拙ブログで、「新選組のまぼろしの本営・不動堂村屯所を想像復元してみる」 https://3dkyoto.blog.fc2.com/blog-entry-223.html と題して伊勢の御師屋敷を参考に平面図ですけど再現してみました。宜しかったら読んでみてください。

稲住神社は絶対メジャーにはならないです。現地に行かれたら分りますが何か妖気が漂っている・・・雰囲気ですから。

神道の変遷 * by 五反田猫
現代の神道(神社本庁系)では経典や戒律などの縛りが希薄なのが特徴ですが、吉田神道では仏教や儒教に対抗できるように、経典やドグマを整備したのですよね。
明治維新では廃仏面のみが印象に残りますが、江戸期の教派神道である吉田神道、伊勢神道なども、ほぼ廃絶されたのですね。
お伊勢さんに行くと、江戸期に存在した御師の屋敷は消滅。
吉田家の明治以降の衰微を見ると、同様なのだと良く判りました。 「魔王尊」とは、何やら封じられているのでしょうか? これも珍しいものを有難うございます。

色々と気になる記事は沢山あるのですが、とりあえず御礼まで。

>土御門家
まさに仰る通り、天地明察! 西欧の科学を取り入れて日食を見事予測し、正しい暦を復活。 これぞ江戸の陰陽術と思いきや、科学は独占出来ず、当然 カレンダーも同じ。
明治以降は大きく衰退しましたね。

稲住神社のお話し有難うございます。
不審者と誤解されたようで、お気の毒様でした。
京都の清明神社は大人気ですが、本来はこちらのお社の方が所縁は深そうですね。 

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(八)

引き続き、京都御苑外にあった公家屋敷跡の旅、その(八)を書きます。鷹司家は書いたので、残る鴨川沿いの九条家、近衛家、有栖川宮家、鴨川を渡った丸太町通沿いの近衛家桜木邸、澤家、桑原家の六家を周ります。                                 © OpenStreetMap contributors 青く囲った所が訪ねた屋敷跡です。改めてですけど、今回のシーリズでは、基本、京都御苑外にあった...

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No Subject * by -
Swipetken様
コメントありがとうございます。
お礼のコメント遅れて申し訳ありません。
HP拝見しました。情報ありがとうございます。
以前、拙ブログで取り上げた「先賢の住まい」という本に新村出邸が載っていまして、言われる通り近衛家の下屋敷・河原邸から譲り受け移築したものと記載してありました。本には六つの室からなる書院と玄関・台所が残っているとのことでしたが今も残っているのかなぁ、と思いました。京都へ行く機会があったら重山文庫へも訪ねてみたいですね。
ちなみに、愛知県の西尾市の西尾城にも近衛家の邸宅遺構が移築され残っています。河原邸ではないと思います。近衛家は幾つも屋敷を持っていて探せば他にもひっそり残っているかもしれませんね。

近衛邸について * by Swipetken
京一朗様 興味深い話をありがとうございます。

近衛河原町邸について、現存は現地に残る2階建ての建物のみとされていますが、木戸孝允旧宅は一部が大正12年に広辞苑の編者である新村出邸として移築されており、現在も京都府京都市北区小山中溝町19−1に現存しています。もしかしたら旧近衛邸の遺構かもしれません。(http://s-chozan.main.jp/?page_id=605
このコラムを読んで冷泉家以外にも公家住宅の遺構はたくさんあるのだと驚きました。もっと京都のまちをよく見てみようと思います。ありがとうございます。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

木戸邸の屋根の先ですけど銅板で葺かれていますよね。数寄屋造りにはよく見られる屋根ですが何時頃から始まったのかな、と思ってます。ちなみに、江戸中期に現在のような桟瓦が作られ一気に普及しましたが(おかげで幕末の公家屋敷はみな桟瓦になってしまいましたが)、面白いのは数寄屋造りには桟瓦が似合うんですよね。そこへ銅板を加えれば又違った高級感が出てきます。

利休の生きた頃は、まだ桟瓦がなく本瓦葺きでしたが、それだと重い感じだし、そうなると茅葺か杮葺きの二択しかなかったのかなぁ、と思ったりします。お寺の本堂を見て桟瓦だと安っぽく感じますが、それが数寄屋の屋根なら見事に軽妙感がでる。素材も活かし方次第ですかね。

言われてみれば法服、確かにそうです。思い出しました。紹介頂いた装束のHP拝見しましたが、東京美術学校の制服もこんな感じだったんですね。

何かの写真で、冠と三角帽を交ぜたような頭巾を被った岡倉天心を見たことがありましたが、そうか、この法服シリーズだったんですね。

もう、ネクタイにスーツも飽きましたから、日本発の新しい装束を生み出せたらいいですね。

No Subject * by 五反田猫
いつも興味深いお話しを有難うございます。

近衛家三本木邸の遺構が木戸孝允所縁の建物として残っているのですね。 屋根は四方寄せなのでしょうか、屋根の上にある構造物が面白いですね。

桜木邸は、天理教さんの河原町大教会なのですね。
天理教さんは雅楽の支援をされておりますね、わりとフレンドリーで、私の町内にも教会がありますが餅つきなどでお世話になっております。
本旨でない話しで恐縮ですが、教服は明治の法務官の制服に似ていますね。
http://www.kariginu.jp/kikata/igyou-syouzoku.htm



No Subject * by 京一朗
Hakka様

屋敷地の坪数間違えました。3千坪でした。自分で記事に書いておきながら、公家シリーズでいろんな屋敷を取り上げ混同してしまいました 笑。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

>内部に入れないとのことだったので断念しました。

そうでしたか。私も外から撮らさせて頂きましたが(多少、苑内に入り東側から撮りました・・・)。室内はやはりダメでしょうね。
ここも明治天皇の行在所ということで一棟残されたと思います。

当時は2千坪近い敷地を有していたようです。鴨川の流れも綺麗だったでしょうね。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

先日、京都に行って来ました。旧木戸孝允別邸も行ってみようかと思ったのですが、内部に入れないとのことだったので断念しました。かつてはかなりの規模のお屋敷だったそうですね。

絶対!住んでみたくなる鷹司家常磐井別邸

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(八) - を書こうと思って鷹司家の事を調べていたら、とても素晴らしいお屋敷の指図と出会い、急遽「絶対!住んでみたくなる鷹司家常磐井別邸」と題して単発記事で書くことにしました。ですから、その(八)はオアズケ、次回に回すことにしました。ほんと、カントのような規則正しい思索を守れない自分です。その、単独で書こうと思った鷹司家常磐井別邸とは何ぞや? どこに在った...

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No Subject * by 京一朗
TAKATSUKASA様コメントありがとうございます。

敢えて「鷹司」とか野暮な漢字変換はしませんが(笑)、記事に感想を頂きありがとうございます。少しでも楽しい気分をされたなら幸いです。暑い夏でも川床は涼しいと思います。ぜひ、鴨川で避暑を楽しんでください。あぁ、今は冬でした。半年後ですね 笑。

ダイアモンドソサイエティ * by TAKATSUKASA
楽しく拝見させて頂きました。ダイアモンドソサイエティの会員でもありますので、もし機会がありましたら、鷹司家の下屋敷跡でのんびり鴨川の流れを愛でられたらと思います。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

明治に入って常磐井別邸がどうなったのか気になるところです。能舞台はきっとどこかへ移築されたと思うのですが、これだけの別業建築が跡形もなく消え去ったのは残念なことです。京都を周って思ったのは、京都といえども三代遡れば家も土地の持ち主も変わって忘れ去られてしまう、ということが意外のほか多かったことです。とくに商業地ですけど。

その意味ではお公家さんはよく1000年間、帝の傍を離れず御守したと思います。

常盤井別邸 * by 五反田猫
常盤井別邸が、幕末の政治における重要な舞台であり、迎賓館であったとのお話し、有難うございました。
建物の構造から見ると、まさに仰る通りですね。
能楽は江戸時代は一般教養ですから、おもてなしとしても式楽としても使えますね。

住宅における三階楼は江戸後期から出て来ますね。
それだけ建築構造が発展したのでしょう。
一方で、街並みから見れば、飛び抜けた存在。
摂家の別邸でも無いと、建てられませんね。
鴨川沿いならば、東山や比叡も見えたのでしょうね。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(七)

五日の記事で油小路家の屋敷跡を訂正した事もあって「御苑外にあった公家屋敷の跡を巡る旅」シリーズもますます完結編が遠のきそうです。いつも横道それてしまうんですよね。でも、そんなことも言ってられない、その(七)いきますね。今回は、その(七)」として、坊城、愛宕、油小路、町尻、高辻、七条の六公家について屋敷跡地を巡ります。また六家も書けるかなぁと心配ですが頑張って書きます。さて、訪問先の位置図をアップ。青く...

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明治28年、京都には公家屋敷がまだ幾つも残っていた。

正月三が日も過ぎてもうおとそ気分も何処へやら? さぁ、気分を変えてブログの記事始めです。旧年からの続きもの「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(七)」を書くため、油小路家の事を調べていましたら、どうも屋敷跡の場所が御苑東の荒神口であることは確かなのですが、荒神口といっても荒神口通りに沿って結構広いので、前回まで示した、荒神口の地名の元ともなった護浄院(清荒神)の南裏手の推定場所は間違ってい...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

今年も宜しくお願いします。

自分の中では、旧年中に紫宸殿の高御座を作って御大典がどんなものかブログにも書いてみたいと思ってましたが年を越えてしまいました。

公家屋敷跡の巡礼旅シリーズも想定より続編が続き、かつ、その間にまた新たな屋敷跡、別宅跡とか見つけてしまう・・・という感じでなかなか解放してくれません 笑。でも、まぁ、楽しく書こうと思ってます。

浩宮様の大礼がつつがなく挙行されることを願ってます。殿下の髪にも白髪が見えますね。時の流れを感じます。

五反田猫様も今年も良き年でありますように。

謹賀新年 * by 五反田猫
京一郎さま

昨年は素晴らしいコンテンツを有難うございます。
本年もどうぞ宜しくお願いします。

明治維新は京都の公家にとっては大変革でしたよね。
朝廷側の中心にいた公家は明治維新では勝ち組のはずですが、時代の変化についてゆけない人や家も多かったようです。
特に二百年やってきた家職を棄てて、皇室の藩屏となり文明開化を率先せよと言われても、後者は大変な事だと思います。

東京に移った側も大変で、高位や蓄えの多い家はともかく、従来 武家の下級武士程度の収入だった平堂上が子爵だと言われても身に着いた貧乏はどうにもなりません。
東京への移動は、行列に紛れ込んで旅費を浮かしたり、東京での住まいが手配できず、新宿御苑の中に仮設住宅を作って頂き、ここに住まいした家もあったと聞きました。

今年は、御代替りの年、色々な事があると思いますが、良いお年である事をお祈り申し上げます。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

今年も宜しくお付き合いください。

京都の古図を見ていると意外な発見とかありますね。御所のある上京区の住宅地図もあるのでそれと照合しようかな 笑。

自分は主に公家屋敷のことを書いてますが、一つのものを追っていくと、予期せぬ展開とかあるものだな、と最近思います。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

新撰京都古今全図の地図、興味深いですね。

京都には名もない古民家が多く残されているので、その中にかつての公家屋敷があるかもしれないと考えると、わくわくしますね。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(六)

「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る」の初回現地取材をしたのが先月11月の初旬。もう一か月以上経って旅の記憶も忘れがちになってますが撮った写真とか見ながら思い出し書きしてゆきます。今回の訪問先は、伏見宮家、梶井宮家、日光御里坊、正親町家、山階宮家の五邸です。全部書けるか心配ですがとにかくやってみます。例によって各屋敷の位置図を載せます。                           © Open...

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No Subject * by 京一朗
higeさん
コメントありがとうございます。

そうですね、番組小学校の一つですね。各番組小学校には公家屋敷の門や御殿はもちろん藩邸やお寺の建物も移築され利用されました。

欧州の都市が一番美しく見えるスポットは丘から見下ろした風景だと思います。やはり屋根が統一されてますからね。街路を歩くと石畳は疲れる。落書きも多い。

高階宮邸の五層楼も長い江戸時代の建築規制(二階以上禁止)縛られた反作用で、地震も関係なくまさに解放感あふれたされた当時の人たちの高揚感を感じる思いです。

higeさんには今年いろいろお世話になりました。良き年をお迎えくださいね。

※ higeさんは髭生やしてみえるんですか? 失礼な愚門すみません。

日影小学校は * by hige
いつも興味深く拝見させていただいてます。

記事中の日影小学校は、日彰小学校ではありませんか。

http://www.kyotodeasobo.com/art/search/museum/gakureki/choshu-no-energy-kyoto-bangumi-shogakukou#.XCl8ZM3gpMM

この日彰小学校は明治2年に建てられた番組小学校の一つです。
この五層楼はもう残ってないようですね。
太鼓望楼であれば

https://blgid1974.blog.fc2.com/blog-entry-1111.html

な形で残ってるものがあります。

明治天皇が遷都されてから、京都御苑の公家屋敷が荒れ放題になって、それをお知りになった天皇が京都御苑の整備をお命じなったのだとか。
また、昭和になって、ビル化が進み古い建物が次々壊されたことがあったらしい。
最近でこそ古い街並みを残すことに注意が傾けられてますが、壊された遺産は戻ってきません。

そんな古い景観を京一郎さんが再現されるのが楽しみです。