3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 >  ユーラシア大陸一人行

ユーラシア大陸一人行 vol.1 旅のプロローグ 資金作りと人間模様

雪が降ったら書こう・・・とも思っていた過去の旅の記憶。 昨日、その雪が薄っすらと屋根に積もり、書くことにしました。 「ユーラシア大陸一人行」。 もう30数年も前のことで、多くの固有名詞は忘れてしまいました。それでも断片的に残っている旅の記憶は、忘れることが出来ません。今でも欧州や西南アジア地域で何か事件が発生すると、その原因や背景、現地の人たちの思いが空気伝染のように肌に伝わってきます。金銭的なものは...

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ユーラシア大陸一人行 vol.2 旅のプロローグ 甘い言葉には乗るな

よく都市伝説に出てくるアルバイトとして、死体洗い?、試薬試験のモルモット、血を売る、指を故意に切断して医療費を得る?、などといった類のバイトがまことしやかに語られることがありますが、さすがに、いくら旅の資金が必要だとからいって、それらに手を出すことはありませんでした。 しかし、いろんなバイトを経験しました。後から、とんでもないお返しがかえってきたバイトもありました。そのときのバイトで得た教訓、「甘...

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娘に「キッモー」と言われてしまいました * by 梅のコージ
takaさま。

コメントありがとうございます。
幾つかご質問あったのでお答えしますが、その前にちょっと。

僕にとって、ユーラシア大陸の一人旅は一大イベントでしたけど、いつか何かに書いて残しておきたいと思ってました。人生の黄昏?がやってくる頃になって書き始めた次第です。

冒頭の深夜のバイトやマスターのこと、自分が関わった人たちのことを思い出しながら書いていましたけど、なぜか、うっすらとこみ上げてくるものがありました。

ちょうど、娘が通りかかって、「お父さん、なに悲しんでるの?」と聞くものだから、これこれしかじか、と話したら、「キッモー」と言いながら行ってしまいました。

そうだよなぁ・・・いい歳した親父が・・・様にならないよなぁ・・・と思いましたけど、
それでも泣けるものは泣けるのです。

一休さんの風狂のようには、まだまだ成れないんです。

さてご質問の件ですが、
「美しい店主の奥さんって、10万円貸した喫茶店の奥さんって事ですよね?」、はい、そうです。

「マスターが口利きをしたのって半分店主の奥さんに気があったのでは?」、どうかな?それはないと思います。マスターは喫茶店の店主と長い付き合いですから。しかもマスターは金がないくせに「何とかしてやるよ」と空手形切るような、人は良いけど、栓の抜けたような人でしたから。

そんなマスターだからかな。駆け落ちした年上のホステスさんのことも、そのホステスの方からモーションかけてきて、マスタは半ば引きずられるように一緒になってしまったんです。自分も何遍も「一緒になるのはやめてください」と言ったけど、行ってしまいました。

「船乗りとか船長とか憧れたことは無いのでしょうか?」、特別にはありません。ただ海辺から海を眺めるのは好きですね。こんなこと言うと、またか、と、思われるかもしれませんが、あの浪の永遠のリフレインが母の胎内のように、心地よいんですよ。

ただ、船は怖いです。船宿の友人宅で、一度、シラス採りの小舟に乗ったら、もう、ゆれる、ゆれること!、今にも浪にさらわれそうで、生きた心地がしませんでした。タンカーだったから良かったんですよ^^。

にわか神主はダメですか。
もうしないですよ。

それにしても、「正式には伏見稲荷大社以外は宮司と言う」のお答えは詳しいですね!先日のNHKの朝ドラの「あなた何者?」というセリフを思い出しました^^。

では、おやすみなさい。

面白い話 * by taka
ですね~ どこか昭和の香りがする体験話ばかりで楽しめました~

まずVol1、お酒を飲むと人が変わり庖丁を振り回す。今の寛容さが失われた時代なら即警察ですが、それをなんとなしに受け入れられていたというのはやっぱり凄いですね。ただ私に言わせれば世界を旅した梅のコージさんなら解かると思いますが、甘えというのは道は舗装され、電化製品が満ち溢れた恵まれた先進国人だからこそ出来るものであって、自分以上に不幸な人間が居るという認識が足りないからこそ戒めにならなかったのではないか? と思いますね。私もお酒は飲めますが、普段はなるべく飲んでいません。それは自分の都合によって公共に迷惑が掛かる恐れがある、とキチンと認識しているからです。

お金の貸し借りは基本的にはあっても良いと思います。私も20万程借りたこともあれば15万ほど貸した事もありましたが、やっぱりそういう怪しげな話しには注意しないと駄目ですねw 私自身同じ状況なら、マスターに対する15万は戻ってこない物として処理します。

で、質問、美しい店主の奥さんって、10万円貸した喫茶店の奥さんって事ですよね? マスターが口利きをしたのって半分店主の奥さんに気があったのでは? で、駄目だったので今度はその子持ちのホステスさんの方に、って感じになったのでは? 美しい国づくりを目指している人が聞いたらマジで怒りそうな状態ですねw

そして知り合いが殺人で刑務所に。でも、酸いも辛いもそれぞれが大切な思い出になるんですよね~

vol2、大型タンカーの試運転の乗組員、是非やりたいですね~ 楽(らく)そうですからw そんなバイトが今でもあればな~ ちなみに梅のコージさんは、船乗りとか船長とか憧れたことは無いのでしょうか? ホモは勘弁してほしいと思います。

工場、特に女性が多い工場というのは、才能があってたちどころに覚えられれば人妻さんだろうが若い女性だろうが食せますが、酷い腕だと最悪で惨めな気分になりますねw

神主のバイトというのは、昔はよかったのかな?^^; これはチョット不正に近いかも知れませんよ。まず神主(正式には伏見稲荷大社以外は宮司と言う)は一つの神社に一人の宮司を置かなければいけない上に、村社・郷社の神社でも宮司職になる場合は権正階以上の資格が必要で、もし資格者が居ない場合は各都道府県の神社庁に届けなければいけません。

富士浅間神社奥宮でのバイトは羨ましいですね~ 私も一度そういうのをやってみたいです。

ユーラシア大陸一人行 vol.3 宝くじに当たったら気をつけよう 欧州編

確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 旅のプロローグも終わって、いよいよ日本を旅立ちます。 何だかんだありましたけど、約10...

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ヒッピー * by taka
来ましたねw 正直な所私の親の世代で彼等に関心を持っている人や、体験者というのはあまり関心していませんでした。特に今置かれている自分達の幸せを気付きもしないで反戦等と美辞麗句を並べて、邪悪な共産主義者との戦いをしている最中に内部から足をひっぱる。そしてその行き着いた先がヒッピーでしたから。

そして日本でもそういう輩が企業に大量就職して、今では名古屋の某大手商社のトップとして経済界の重鎮として初の民間大使になるまでになっていますからね。私の親の年代というのは正直安全保障上の重要な問題にまでなっていると思っております。

さて、やっぱりヨーロッパ大陸に行くとなるとフランクフルト空港ですね。英国に次いで二番目に大きい空港で欧州の玄関口と言われていますね。ちなみに旧西ドイツ人は今でも自国を西ドイツ、もしくはボン共和国と言っている人が多いそうです。

ところで質問ですが、梅のコージさんはお金は何を持って行きました? 当時は、まあ今でもですが㌦帝国で欧州でも㌦決済が出来ますが、㌦でしょうか? それともドイツではDEM(ドイツマルク)に、オーストリア共和国に行けばATS(オーストリアシリング)に両替していたのでしょうか?

それと欧州では置き引きが多いそうですが、当時ユースに宿泊して身の危険を感じた事はないのでしょうか?

ハイデルベルクはドイツ最古の大学の街ですね~ 学問の街らしく赴きのある街と聞きました。バイエルンのノイシュヴァンシュタイン城は芸術的で非常に美しい城ですね。これを作ったルートヴィヒ二世は芸術家としては尊敬していますが、王としてはやはり?と言ったところですね。プロイセンのホーエンツォーレルン皇家やビスマルクとはやはり格が違いすぎました。

オーストリアに正教の文化を見出したのは流石ですね。元々オーストリアハプスブルク家は一介のスイスの小貴族の出で、神聖ローマ皇帝となってウィーンに移ったのですがボヘミア王国領であった時代から地形上東方正教会の影響を無意識に受けていたようで、建築どころかイコンを掲げている教会もあるそうです。

ちなみに東方正教会とはローマ帝国の正当な後継者である東ローマ帝国のキリスト教であり、ローマ皇帝がキリストの生まれ変わりで首座であるという正当な教義であって、対してカトリックは異民族の侵入のどさくさにまぎれてローマ司教が代理者であり首座であると主張して独立したものです。

ところでオーストリアに行ったのなら是非ウィーンに行って欲しかったです。ハプスブルク家のシェーブルン宮殿があり、ウィーン国立歌劇場があり、ウィーン楽友協会大ホールも凄く立派な建物ですよ。モーツァルトやヨハン・シュトラウスの銅像もありますし、マーラー大ホールで行われるニューイヤーコンサート等は一度生で聴きたいものです。

南欧編、楽しみにしていますね^^ あ、ちなみにザルツブルクはモーツァルトの生まれ故郷です。

追記
昔を思い出すとこみ上げてくるものがある、というその気持ちは良く解かります。私自身も小学校時代の友人や初恋の思い出や、昔の彼女の思い出なんかもふと考える事があります。

そういう事をブログの類いに書くというのは良い事だと思いますよ。何かあった時にはいつまでも残る物ですし、それが時代を下れば資料になるかも知れません。私自身も小学5年生になった頃から毎日日記を書き続けています。日々の天気や出来事、出会いや思った事等を書き続けていますよ。

娘さんもいつかはそういう感情が理解できるようになると思いますよ。

ユーラシア大陸一人行 vol.4 パリには行くな? 中・南欧編

確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 vol.4では中・南欧編を書きたいと思いますが、最近、一つ気になったニュースがあったので...

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インドまでなかなか辿りつきません・・・ * by 梅のコージ
taka様。
いつも解説ありがとうございます^^。
先日、母が軽い接触事故を起こし、その後始末に終われ返信が遅れました。申し訳ありません。

さて、イザベラ女王の異端審問の件で思い出したのは、
中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長であり神秘家、作曲家でもあったヒルデガルト・フォン・ビンゲンです。中世、最高の知性といわれた女性ですけど、その敬虔な彼女でも、たとえば修道院でさえも、貴族と庶民の差別、階級差を当然のごとく認めていたのですから、当時の感覚は今とは違っていたんでしょうね。

ご質問の、
「ところで質問ですが、梅のコージさんはお金は何を持って行きました? 当時は、まあ今でもですが㌦帝国で欧州でも㌦決済が出来ますが、㌦でしょうか? それともドイツではDEM(ドイツマルク)に、オーストリア共和国に行けばATS(オーストリアシリング)に両替していたのでしょうか?」

ですけど、当時も機軸通貨は米ドルであり、世界で一番通用すると言われたアメリカン・エキスプレスのトラベラーズ・チェック、今の小切手みたいなものですけど、それを腹巻の内ポケットに入れていました。盗まれてても再発行できました。パスポートなども首からぶら下げたポシェット?に入れ、下着の中に入れていました。

「それと欧州では置き引きが多いそうですが、当時ユースに宿泊して身の危険を感じた事はないのでしょうか?」


ユースではありませんでしたけど、一度、イタリアの夜行列車で寝ているすきに1万円ほど盗まれたことはありました。

「質問、南仏では何泊くらいしたのでしょうか? それとフランスのワインは飲みました? それから、ジプシーの集落とかに泊まろうと思った事はありましたか?」

カルカッソンヌやコート・ダジュールのアンティーブなど四、五日間ほどですかね。ドイツやオーストリア、スイス、フランスなどは一等席のコンパートメントが乗り放題だったので国境越えの夜行に乗ったりして宿代をうかしていました。本格的な旅はスペインに入ってからです。

ワインはスペインに入ってから酒豪の女性に手ほどき?を受けました。フランスではイタリアへ向かうコート・ダジュールのアンティーブなどで。味は忘れました。香りが日本と違う感じがしたような覚えがあります。
自分的にはフランスパンとハム、牛乳、ピクルスがあれば満足でしたから。

ジプシーさんたちは洞穴などに住んでいる人もいて、近づかず泊まる機会はありませんでした。


それにしても、張景子氏という女性はけしからんですね。プライドとかないのかな?

後に初めて中国を訪ねたとき、現地の人の、あの血走った目つきが今も忘れられません。

それでは、おやすみなさい。

日本はともかく * by taka
独や北欧の人も結構信用があるんですね。それは驚きました。やはり独や北欧といった国々は日本同様特殊なのでしょうね。菊の御紋のパスポートは信用第一でしょう。人の物を盗るという犯罪行為をおこなう人は少ないですし、受けた約束はキチンと守る民族ですからね。

以前東アジア研究家の張景子氏がこういう事を言っていました、「日本のパスポートは世界で一番信用がある。どこ行っても入管の審査は甘いし。だから私は日本人なんか嫌いだけど日本に帰化した。日本に帰化したのは便利だからであって私が中国人である事に変わりはない」って。それくらい信用があるという事ですね。

南仏を北海道に例えたのは見事ですね。南仏は意外ですが緯度でいえば北海道よりやや上という位置ですから、北海道の様な雰囲気になったのでしょうね。

アルハンブラ宮殿は美しいですよね。キリストイスラム文化を融合した建築はまさに芸術的だと思います。この建物を異教徒の物という理由で破壊せずに後世にまで残し、アメリカ大陸を発見したコロンブスを支援したイザベラ女王は素晴しい名君だと言えますが、一方でイザベラ女王とその側近ドミニコ会のトルケマーダは異教徒や他修派から当時最も恐れられた異端審問のやり手というのですから人間の精神構造は複雑ですよね。彼女の一族の子孫が居れば是非会いたいですね~

パリに行くな、という噂がパッカーの間で広がっていたというのは驚きました。パリ市民というのはどこか中華意識と似ていて他を馬鹿にしている部分があるようで、治安が悪く所得が低いと言われる19区ですらそんな感じだそうですから、その噂はある意味的を得ているかも知れません。

質問、南仏では何泊くらいしたのでしょうか? それとフランスのワインは飲みました? それから、ジプシーの集落とかに泊まろうと思った事はありましたか?

ユーラシア大陸一人行 vol.5 真性ヒッピーに涙 イタリア ギリシャ編 

確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 一ヶ月、二ヶ月前?のことだったかな?TVで海外で暮らすユニークな日本人特集を放映し...

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本題 * by taka
さて、梅のコージさんはトリノに行ったんですね。イタリアで凄く憧れている地方です。イタリア統一運動を成し遂げたサヴォイア王家、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世をはじめガリバルディ、カヴール、マッツィーニを生み出した土地(出身地は違いますがw)ですから是非にも行って体感してみたいですね。

質問、トリノで別れたとの事ですが、彼女と一緒にパリに行こうと思った事はありませんでした? 旅先とか遭難とかの危険な所とかだと身近の人と恋愛感情になりやすい、という話は聞きましたけど。

それと向こうの気候はどんな感じでした? 例えば日本と比べて暑いとか寒く感じだとかそういうのはありませんか?

向こうの山だと放牧が多いですから、家畜の糞だらけというのは仕方ないのかもしれませんがやはり何とかして欲しいですね~ そこの所は考え方が根本的に違うのでしょうか? まあ、ルイス・フロイスも日本について「清潔な国」とビックリしているくらいですから、元々そこは気にしないのかも知れませんが。

そうそう、チロルのおばあさんの住所は未だに解からずじまいですか?

ヴェネツィアは美しい水の都ですよね~ イタリアを考える時、ヴェネツィア共和国とトスカーナ大公国とどちらが裕福だったのだろうか? と妄想してしまいます。

さてルネッサンスと分裂国家についてですが非常に興味深いですね。確かにあの問題国家中国も、大いに発展して基礎が出来た原動力は百家争鳴と言われた春秋戦国時代でしたから。ただイタリア諸侯及びドイツ諸侯を独立した国家と見るか? それともローマ・カトリック及び神聖ローマ帝国領の内臣の所領と見るか? で、見方は変わるでしょうね。

ですがドイツ諸侯と違いイタリア諸侯は裕福でありながらローマ皇帝がイタリアから出ない所に不満がたまる原因があったのかも知れませんね。ローマも一度行ってみたい所ですね。基本的に古代ローマ帝国も大好き、特にユリウス・カエサルやアウグストゥスを尊敬していますから。

ギリシアのキリル文字はギリシア人にとっては誇りですから一様にキリル文字であっても不思儀ではありません。現在は観光地ではキチンと主要言語では表記されているそうです。

テレビについて * by taka
お母様の接触事故という事ですが、お体とかは大丈夫でしょうか? 車というのは本当に危険なので気をつけないといけませんね。何事もないようお祈り申し上げます。

今回、まさかTVの話題から入るとは思いもしませんでした。しかも私も観た番組です。「真性ヒッピー」とは上手い言葉ですが私もまさに同感ですね。彼は自分の信念を曲げていないのである意味立派ですが、やはり自分を根本的に勘違いしているように思えました。

安保闘争や左派運動、その中心となっているのは学生でした。では自分で働いて学業に勤しんだのか? と言えば、運動家もヒッピーもそうではありません。親にお金を出してもらい、裕福な生活をして余分な事を考える時間を持っていたのが殆んどです。

当時は中学を卒業して集団就職しなければならなかった人達が圧倒的大多数であり、労働者の味方や権利を標榜していたその当の労働者は家族の命運を背負い、人生の大半を自己の楽しみを犠牲にして故郷の家族の為に、そして国家の為に一生懸命生きていました。

労働者は高校生から責任という考えを持っていましたが、彼等は大学生にもなっていつまでも子供で責任という考えが全く無かったみたいです。だからこそ彼等は味方と思い込んでいた労働者から見捨てられる結果になったのでしょう。彼等から見れば、人のお金で努力もしないで好き勝手に騒ぎを起こす人種にしか見えなかったでしょう。

その年代以降は未だに責任という感覚が抜けているように見えます。件のテレビの男性は家族に対する責任という感覚が抜けていますし、今社会で上の方になっている方々等も一般企業から官僚まで責任を全く取らない状態になっています。もちろん私と同年代の人達は言うまでもありません。

あの頃の歴史を学んだ時に、今の無責任社会になった日本の現状について「ああ こうなるべくしてこうなったんだな」と納得出来ましたね。安倍新首相の教育改革に期待したいですね。

ユーラシア大陸一人行 vol.6 ガラタ橋でまた、会いましょう トルコ編

確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。vol.5に続きます。 アテネを後に一路、イスタンブールへ。 途中、確かギリシャ東部の都市...

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お読みください * by 梅のコージ
taka様
いつもコメントありがとうございます。

実、この旅、30数年も前のことで、年数を勘違いしてしまい、その結果、矛盾した内容の所も生じ、途中で記事を訂正しようかどうか迷っていましたが、takaさんから改めて指摘されたので訂正することにしました。訂正したこの記事が、自分の正しい内容です。再度、ご覧ください。
申し訳ありませんでした。

* by taka
イスタンブールは独特の雰囲気がありますよね。あの都市こそまさにイスラム・キリスト融合文化の結晶であり、なおかつ寛容なオスマン帝国そのものを現していますね。

質問、今現在アヤ・ソフィアの入場料は20TLですが、当時の入場料とかはどうだったのでしょうか? またトプカプ宮殿の中に入ってもハーレムに入るには別途15TLが必要ですが、当時別途料金はやはり発生したのでしょうか?

オスマン帝国は王では無く皇帝です。例えばスレイマン大帝(ラテン語読みでソロモン)の場合は立法帝(カーヌーニー)と呼ばれている事からも明らかですし、コンスタンティノープルを征服した後はローマ帝国の後継者を自認している事、政治と神権双方のトップであるカリフの称号を持つ事、ウィーン包囲時にハプスブルクに送った書簡で自らをインペラトル(ラテン語で皇帝)としている事等から皇帝であると認められます。

ガラタ塔の裏通りの売春宿って歴史的なものなのかな~ 当時から売春宿だったんですね。オリエント美女、私だったら100%吸い込まれています。白人美女、オリエント美女に誘われたら抗う精神力なんて持ち合わせていませんw その点、梅のコージさんはシッカリしているな~ と関心してしまいます。

外国の旅で同じ国の人に会った時はやはり話が弾むんですね。仲間から聞いた話の範囲で良いのですが、実際パルパライソって日本人パッカーも多く永住しているものなんでしょうか? 今でこそパルパライソは気軽にいけますが、確か共産政権誕生に対する為にピノチェト大統領の独裁が始まったばかりだと思うのですが。住んだとしても共産ゲリラと軍隊の間で大変そうな感じですが。

アナトリア高原、ヴァン湖、美しい景色でしたが、有名なカッパドキアの遺跡は行かなかったのですね。あそこも見る価値はありますよ。

トルコの親日度というのは嬉しい話です。確かに日露戦争で大日本帝国軍が勝利したのも大きいですが、和歌山沖で沈没したエルトゥールル号沈没事件に対する救出活動も大きいでしょう。救出するだけでなく弔慰金も送った事で日本ブームが置き、日土友好の架け橋となった山田寅次郎も士官学校で教鞭をとってその生徒がケマル・アタチュルクというのも大きかったでしょうね。日本のその精神をクルド人やアルメニア人に対する対応にも学んでくれればと思いますが。

アメリカ人女性、良く守れましたね。車掌からクスリだのなんだのと警察を呼んだりとか嫌がらせはされなかったのでしょうか?

ユーラシア大陸一人行 vol.7 砂漠は風向きしだい イラン・アフガン編 

確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 35年前、ユーラシアを旅しころは、インターネットもパソコンも携帯もありませんでした。...

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ユーラシア大陸一人行 vol.8 少女の祈り パキスタン編

確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 35年前に旅した頃は、すでに幾度か書いておりますけど、ホントに幸いと言ったら失礼だと...

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コメント * by 梅のコージ
taka様 
コメントありがとうございます。

自分の旅したころの事をネットで調べると、ホント、後、一年遅れていたら、アフガンも行けなかったかも、二年遅れていたらイランも行けなかったかもしれない・・・そんな直前の時期に行けたんだなぁ、と、今更ながら感慨に耽っています。

ヘラートは、ホントに、オアシス都市はこんな町の事を言うんだなぁ、思いました。今も懐かしく、現在の状況をみると怒りがこみ上げてきます。

30年以上も前だと、指で学生時代まで数えて、未だに77年?、78年?と首をひねってしまう程ですが、あのような事件が発生したことで、逆に自分が旅した年次がわかるというのは皮肉なものです。

それと自分は今、56歳になりますけど、ネットの世界で多少なりとも若くなりたい?、と、乙男みたいな気持ちになってしまい、今、とても恥じているところです。

多少なりとも、自分の中に残っている良心のカケラが疼いているところ、takeさんからコメントいただけたこと、うれしく思います。もっと正直な自分になろうと反省してます。

さて、ご質問の件ですが、

「ペシャワールは戒律が厳しそうな感じで書いていますが、やはり偽者の仏教遺物とか販売できる程の寛容さは当時は持ち合わせていたような印象を見受けたのですがそういう感じだったのでしょうか? 」

答:商人はどこもそんなものですよ。バザールなどそれを楽しんでいる風情がありましたから。

「アレクサンドロス大王の遠征の子孫というのは信憑性がありますが、もともと金髪碧眼というのはギリシア人(アテネ市民やスパルタ市民)は少ないのです。ですから、どこでアングロ・サクソンが混ざったのか? そこの所でも興味がわきますね。ちなみに一般研究でもナチスの研究でも実証されていますがアーリア人というのは元々はインド源流で、パシュトー人もアーリア人の源流の一種です。」

答:インドでも北部のカシミール地方は肌も白いですよ。あちらの人は赤毛の人もいるし、元々、アーリア人の遺伝子に 金髪碧眼があったかもしれません。それとアレキサンダー大王はマケドニア出身ですし、北方からの兵士の招集もあったかもしれません。

「三大聖地にゴアが入っているとは驚きました。質問ですが、欧米系のヒッピー達というのは現地に永住して子供を設けて住み着くという事もあったのでしょうか?」

答:それは無いと思います。ヒッピーといえどもインド人に対する偏見、蔑視はありましたから。日本の終戦時のGHQみたいに、やり逃げ(下品ですみません)はあったと思います。また、あちらの女性は男性に対して結婚以外は受け入れない強い気風があります。と。いうか、そうしたら親に殺されてしまいます。バルパライソは自由で、実際に永住した日本人はいたということです。
ゴアはポルガトルの植民地でしたし、インドの海岸部は意外とキリスト教徒が多いんです。魚といえども殺生する民はカースト外だったからです。


* by taka
まいど楽しく読ませていただいております。

あの当時は今ではとても行けそうにも無い所に行けたという事で、本当に羨ましくおもいますね。

ペシャワールは戒律が厳しそうな感じで書いていますが、やはり偽者の仏教遺物とか販売できる程の寛容さは当時は持ち合わせていたような印象を見受けたのですがそういう感じだったのでしょうか?

アレクサンドロス大王の遠征の子孫というのは信憑性がありますが、もともと金髪碧眼というのはギリシア人(アテネ市民やスパルタ市民)は少ないのです。ですから、どこでアングロ・サクソンが混ざったのか? そこの所でも興味がわきますね。ちなみに一般研究でもナチスの研究でも実証されていますがアーリア人というのは元々はインド源流で、パシュトー人もアーリア人の源流の一種です。

ミンゴラといえばこの間も自爆テロがありましたが、あの頃は自由に行けたのですね~ やはり夏場というのは虫も多いですし、雨季に行くというのはあの地域では最悪の選択だったかもしれませんね。

三大聖地にゴアが入っているとは驚きました。質問ですが、欧米系のヒッピー達というのは現地に永住して子供を設けて住み着くという事もあったのでしょうか? そこの所はすごく興味があります。ちなみにゴアで驚いたというのは、『ボーンシリーズ』という映画がありまして私的には一番好きなスパイ映画ですが、CIAの殺し屋ジェイソン・ボーンが愛する女性と身を隠した先がゴアという設定だったので。映画の設定としては、欧米人でも割りと考え付く地名だったのかな? と思いました。

苦行する仏陀、迫力のある芸術的な仏像ですね。東南アジア諸国、中共、朝鮮、日本国にある綺麗な(というよりは綺麗事と言うべきでしょうか?)仏像とはやはり趣きが違いますね。

本来パキスタンはパンジャーブ人が主流ですから穏健なはずなんですが、やはり馬鹿なイスラム教徒の影響が精神的に大きな影響を及ぼしているのですね。本来イスラム教というのは世界でも1・2を争う素晴しい宗教のはずなんですよね。死肉をあさったりする酷い価値観を変えさせ、女性は顔では無く才能であるという考えを持ち、正統派カリフの時代にはバクダッドにギリシア・ローマ哲学の本や彫刻等もある程異文化に寛容だったそうです。

今のイスラム教徒は、昔の魔女裁判等をやっていたキリスト教徒の狂気に近いと言えるでしょうね。

ユーラシア大陸一人行 vol.9 目は口ほどに物を言う 横道にそれた編

vol.9では北インド編を書く予定でしたが、あまりにも横道にそれ、しかも、長い文章っになってしまったので、申し訳ありませんが、「vol.9 横道にそれた編」として掲載させていただきます。あしからず。 旅もvol.9となりました。後二回ほどで済ませようと思っていますので、本来の「3D京都」に戻るまでもう少しお待ちください。ホントに中年男の「自己満足&呟き」には困ったものです。でも、これで自分なりに整理がついて、「3...

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* by taka
梅のコージさんには娘さんが居るのですよね? 私はまだ親になった事が無いので親の気持ちというのも解かりませんし、結婚するほど人を愛するという気持ちもなんとなくしか解かりません。ですからなんとなくですが、今の日本というのは親子の関係というものが崩れてきており全くの他人となっているという風に思います。

例えば何をされるか解からない、と思うような感じになってきているのはこれは人に、人間に信用が無いという事ですよね? 「忙しくて乗せられない」、これは自分さえ良ければ他人はどうなっても構わないという感覚ですし、「バカなことやってるなぁ」というのも人を見下した感覚、つまり人間関係の基本たるものは先輩後輩であり尚且つ親子であるのですが、親たるべき年上や余裕のある人がそういう感覚を無くしてきているように思えます。

ですが反対にヒッチハイク等をする方も、逆に言えば子の範疇を越え始めたと言えるのではないのでしょうか? 例えば「どうしても自力では行けない、困ったなぁ」とヒッチハイクをするのと、「まあ、いつでも誰かが助けてくれるよ」とヒッチハイクをするのとは精神的な観点が違います。前者は子的な感覚ですが、後者はただの甘えであって子では無いと思います。

梅のコージさん は娘さんが小さい時、「あれがほしい、これがほしい」という願いを全て叶えたのでしょうか? 子供が欲しがる物を全て買い与えていては教育にならないのと同様、人生の先輩としては「世の中はこういう物だ、甘えていては駄目だ」と身を持って教えるのも大切な事だと思うのです。そこから責任感というものが生まれると思います。

中東や中央アジアの独裁政治は酷い部分もありますが、翻ってアラブの春を迎えた民主主義の国はどうでしょうか? エジプトでは多数派の名の下イスラム原理主義独裁化を推し進め観光事業をおこなっている人を弾圧し、コプト教徒もイスラム教徒に弾圧されて殺害されています。民主主義とは多数派の名の下少数民族を確たる理由なく殺害する事でもなければ、好き勝手にする事ではありません。

民主主義は権利とともに義務がうたわれます。政治に参画する自由があるのなら当然勉強をする義務があり、自分自身や自分の住んでいる地域だけでなく全体の事を考える責任があるはずですが、では彼等にその責任感があったのか? と思ってアラブの春を見ていました。

ユーラシア大陸一人行 vol.10 チベットの小学校で歌おう 北インド編

確か35年程まえの旅なので写真はありません。というか、一応、撮りましたけど当時はアナログでモノクロ、しかもネパールの川で溺れネガが傷んだりしてお見せできるレベルでありません。ただ、実家に残っているかもしれませんので、あったらアップしますね。 記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。 年末ということで、実家に寄り昔の旅の写真とか探していたら、何と、34年前?のインド鉄...

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NoTitle * by 京一朗
大原様コメントありがとうございます。
インドは北から南まで変化に富んでいて旅好きには堪らないところですね。スリナガル、レー、そしてマナリへのルートはまさに異世界であの風景と谷独自の民俗は懐かしいですね。
今はもう変わっているのでしょうね。

ブログでも書いていますが、
私の旅はヒッピーたちが旅したルートをそのままなぞっただけです。それを放浪の旅と錯覚していたのです。

それでも、いろんな思い出もあります。

行けるときに行かないと後で後悔するかも。
大原さんも健康には留意して「自分の旅」を見つけてください。

NoTitle * by 大原かずのり
40年前のインドに行かれてたとは凄いですね!インドだけでなく革命前のイランや、今は危険なアフガンまで。

今の時代は情報が溢れ、少し調べればなんでも出てきますし、大体こんな感じかなと行く前に分かるものですが、当時はそれが全くないですよね。
でも、何も知らない中での旅っていいなと思います。
私が旅に出かけるようになったのは最近ですので・・・・。

スリナガルからレーを通ってマナリに抜けるコースはやはり過酷なようですね。私は持病がありますので医者には高所に行くなと言われてますが、しかし高所特有の美しい景色は一度見てみたいものです。


団体旅行もいいもんだ * by 梅のコージ
takaさま、
お返事遅くなって申し訳ありません。

今、羅城門の3Dを作っています。朱雀大路も一部作って、羅城門との対比、遠近でどう観えるか、など1/1の原寸で比較してみたいです。

さて、

「元々ヒンドゥーとイスラムの融合と言われていましたが、やっぱり礼拝は一日三回と決められていたのでしょうか? 」

答え:どうなんでしょう?シーク教徒が三回礼拝していることじたい知りませんでした。

「質問、レーの街とかあの辺はヒンディー語ではなくチベット語とかが多かったのでしょうか? それからヒンドゥー教徒との争いとかは無かったのでしょうか?」

答え:34年前でもヒンズー教徒のインド人がレーに30%ほどはいたと思います。今ならもっと多いかと思います。争いは聞いたことありませんね。

多神教はあまり争いはないですよね。

団体旅行ですけど、
地元のガイドさんや添乗員が行く先々で細かく説明してくれるので、短時間でその国の知識が豊富になります。

一人旅は、いろいろ経験はするけど、意外と知識の方はあまりたまりません。

旅人同士の情報は旅に特化した知識になりがちでしたね。

それでは、また。



明けましておめでとうございます * by taka
国家安寧、そして梅のコージ様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。

本年もどうぞよろしくお願いします。

明けましておめでとうございます * by 梅のコージ
taka様

改めまして 謹賀新年

今年もよろしくお願いします。

本年もお互いに良き年でありますように。

* by taka
本年も途中からですがお世話になりました。

来年も今年同様よろしくお願いします。

* by taka
面白く読ませてもらいました。

シク教の総本山を見たのも羨ましいですが、カシミール地方も行けたという記事を見て「いいなぁ~」なんて思ったりします。

シク教と言えばランジート・シンとインドのシン首相にタイガージェットシンが思い浮かべます。元々ヒンドゥーとイスラムの融合と言われていましたが、やっぱり礼拝は一日三回と決められていたのでしょうか?

それと地図の下の地名、アムリスサルでは無くアムリトサルです。

カシミールって地図で見ると北の方に位置していて高地なので「ゴツゴツした地域」というイメージがありましたが、緑豊かで印・パ・中が争うのも最もだと改めて認識しました。

質問、レーの街とかあの辺はヒンディー語ではなくチベット語とかが多かったのでしょうか? それからヒンドゥー教徒との争いとかは無かったのでしょうか? 助けてくれた彼女と良い仲になれなかったのは残念ですねw ネパールの顛末も楽しみにしています。

ダライ・ラマ法王猊下はフレンドリーな印象を持ちましたが、やはりそれも中共という野蛮な連中に国土を奪われたご苦労から形成された人格だと思います。

インドの特殊性はやはりカースト制度ですね。確かに仰るようにある程度の秩序性は保てるという良さがありますが、反面人材の無駄遣いという負の面もありますね。差別や階級というのは素晴らしい物です。学校や学生でもその身分によって階級がありましたね。昔は学生というのは尊敬の念を込めた身分だったと聞きましたし、軍隊では実務の能力があるものが上になる。そういう差別や階級は大いに結構で奨励するべきです。

ですが血筋の差別というのは、個の能力を阻害する日本の悪平等に匹敵する悪以外なにものでも無いですね。恐らく梅のコージさんが見たのは、バラモン・クシャトリアとアチュートの事だと思いますが、アチュートの子供でも非常に賢い子供が居ましたから、国を発展させるには思い切った政策が必要だと感じました。

ユーラシア大陸一人行 vol.11 皆でペタペタペッタン ネパール編

記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。除夜の鐘が煩悩を鎮め、午前零時、全国の神社は大勢の初詣客で賑わいます。神道の根本原理は「明清正直」と言われ、本来、願掛けの場ではなく、新嘗祭のように神々に感謝する正月の詣であると思います。平成25年(2013年)は「神宮」(伊勢神宮)の式年遷宮の年でもあります。20年ごとの建て替えられた古材は、全国の神社に譲り渡され、そこでまた再生...

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旅の手記が終わりました * by 梅のコージ
takaさま
コメントありがとうございます。

「ユーラシア大陸一人行」、ようやく終わりました。一ヶ月+αかかってしまいました。

ようやく、これで「3D京都」にもどれます。
羅生門の復元からはじめます。

さて、「質問、デリーではカースト制度だな~ という感じに直面した事はありましたか? それからデリーの衛生状態はどんな感じだったでしょうか?」

答え:カーストについては実際にそこで暮らしてみないとわかりません。当時はオールドデリーで我が物顔に牛たちがのっそりと歩いていたので、衛生面は察してください^^

「マジックマッシュルーム入りのケーキを食べた、というのは驚きでした。ってか相当やばかったみたいですね。普通の麻薬でもやはり体質で依存する人と拒絶する人と存在するのでしょうか? 少し気になりました。」

答え:自分の場合、とくに拒否反応がひどかっみたいです。ほかのひとは普通に楽しんでいましたから。

<平尾氏は弟ではなく親戚です。本も出していますが、夫
<人のスルジェ氏と死別して現在は閉館した。

そうなんですか。閉館したことは聞いていましたが。外国で結婚して暮らすのはたいへんみたいです。
それこそ、バルパライソで沈没した日本jん男性も、多分、まともな仕事はせず、売春婦の用心棒とかしているかもしれません。

「質問、山羊のチーズはどんな味でしたか? 美味しかったです? 次にヒマラヤ登山のシェルパとかは見かけました?」

答え:美味しかったですよ。というか、なんでも、そうだと思いますけど、出来立てホヤホヤは美味しいと思いますよ。冷めたすき焼きとかマズイでしょう。

では、こんなところで。










最終章をまとめています * by 梅のコージ
コメントありがとうございました。
「ユーラシア大陸一人行」もあと一回で終わろうと思い書いてますが、けっこう長文になってしまい、二回にわけようかと迷ってます。掲載写真もいろいろと探しているところです。いろいろの質問ですが、いましばらくおまちくださいませ。

* by taka
デリーに行ったというのは驚きましたね。ヒッピーに限りませんがあえて観光名所には行かない人も居るのですが。

ニューデリーは街自体が整然とした都市計画に基づいていますから、そのものが観光名所と行っても良いですが、流石にオールドデリーで精一杯だったみたいですね。大統領や首相官邸も素晴しいものですよ。

タージマハルは是非とも観てみたい建築物の一つですが、その記事を観て羨ましいと思うばかりです。

質問、デリーではカースト制度だな~ という感じに直面した事はありましたか? それからデリーの衛生状態はどんな感じだったでしょうか?

マジックマッシュルーム入りのケーキを食べた、というのは驚きでした。ってか相当やばかったみたいですね。普通の麻薬でもやはり体質で依存する人と拒絶する人と存在するのでしょうか? 少し気になりました。

タトパニ温泉は知っていますよ←(もちろん知識で)。ちょっと古いからだと思いますが、平尾氏は弟ではなく親戚です。本も出していますが、夫人のスルジェ氏と死別して現在は閉館したと聞きました。

あんな山奥にも売春があるというのは驚きですね。根源的な欲望はどこでも変わらないという事なんでしょうか。それとあのような地域でも人を助け、きちんとお金もくすねずに全額渡すような行為をする人が居る事に驚きました。田舍だから素朴なのか? それともネワール族は仏教徒だから自然に出てくる行為なのか? とにかく嬉しい話ですね。

ただ見栄とかで渡ったのは感心しませんね。勇気と無謀は違いますし、その人の持っている力や運動神経をキチンと把握しなければなりません。

質問、山羊のチーズはどんな味でしたか? 美味しかったです? 次にヒマラヤ登山のシェルパとかは見かけました?

ユーラシア大陸一人行 vol.12 旅のエピローグ ゴアの海で祖国を想う

記事中の写真はWikipedia、Google Earth、publicサイトから引用させて頂きました。ネパール東部のピラトナガルから再びインドへ入り、一路、カルカッタへ。 改めて地図を見ると、「カルカッタがない!」、調べると、現在では「コルカタ」というんですね。 30数年前は殆ど、英語表記の発音で、それに慣れ親しんでいた自分には少々混乱しますね。 現在は、より現地の発音に近い地名になっているとは知りませんでした。ほかにもマドラ...

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