後半では何から書こうかと逡巡してますが、御所の平面図・間取りにいつてもう少し触れてみたいと思います。また横道に逸れるといけないので出来るだけ簡潔に書きますね 笑。御所の帝が住まわれる常御殿の西側、少し奥まった所に「鍵番囲炉裏間」という板敷きの大きな部屋があります。赤く囲ってます。 図を見て頂くと中央あたり、常御殿そして御三間の下にあります。わかりますか?ココ、鍵番の詰所あるいは囲炉裏間としては...
やはり御所はすごいところですね。説明を読んでいるとつくづく思いました。
うちの母方の家系は、今出川通りの上七軒交差点から北へ少し上ったところの小地主だったようです。
普通の町衆なのでしょうが、(大きな声では言えませんが)代々あまり帝を特別視というか神聖視していた感じがしません。あくまでも「天皇はん」であって、おそらく戦前戦中も含めて、京都以外の土地での「天皇陛下万歳」的な意識が薄かったような気がしてならないのです。
そのうち、京都人の屈折した意識について考えてみたいと思っています。
コメントありがとうございます。
>御給仕だけでなくて、平公家から摂家方に声を掛ける事も出来ません。
そこまで徹底していたのですか・・・
なんか女官の命婦が帝に直接話してはいけない・・・の似たところがありますね。
幕府の巧妙な朝廷工作には恐れ入りました。
でも、人間の自尊心を徹底的に傷つけることは後々になって刃となって跳ね返ってきますね。
これは現代での社会、会社でも同じことが言えますね。経営者は不当な扱いを社員にしてはならない、と改めて思いますよ。
パワハラをする前に社員の適性を考え業務配置するのが結果的に企業の業績にも繋がると思います。非正規雇用が広がってから社員は”人財”であるという企業風土がどこかへ行ってしまった感があります。
囲炉裏の間が能舞台だったとは、全く知りませんでした。
灰に火箸で機密事項を書いていたのかと想像していましたが、大外れでした。 勉強になります、有難うございます。
>平の公家が五摂家の配膳・給仕役をしていた
御給仕だけでなくて、平公家から摂家方に声を掛ける事も出来ません。 摂家による門流支配は、公家のトップに公家を管理させるという、巧妙な管理体制で、これが朝廷の一体化や独立性を防いでいたのですね。その摂家も、江戸から高家がくると、建前上の身分が下なのに、摂家方がそれなりの扱いをしなければならない。こういう間接的な身分差を、現実の中で見せつける事で、幕府の権威は保たれておりました。 それがお書きになったような、列参事件のように朝臣という意識が出てくると、全てが崩れてきます。
結局、公家の中の「朝臣」という考え方が、日本の民、日本人という意識につながって、それが幕末の討幕運動につながったのでしょうね。 そういう意味では、貯められていた位置エネルギーが、運動エネルギーに変わったようなものですね。
コメントありがとうございます。
小生は「3D京都」の看板背負っているので京都の人の悪口書けません 笑。
今まで、京都でイヤな思いをしたことありますが、とても親切な方に出会ったこともあるし。
京都はずっと日本の中心でしたから政争で破れて殺されたり、戦で殺しあったり、三条河原で首がさらし者になったりと、色々ありましたから古都の光と陰があると思います。
明治維新で帝が東京に行かれてしまったのも影響してるかもです。
>京都人の屈折した意識について考えてみたいと思っています。
考えがまとまったら聞かされてください、参考にしますから 笑。