3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

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修学院離宮 甦る止々斎

先回の記事で修学院離宮へ行ったことを書きましたが、制作していた3Dが出来上がりましたのでスクリーンショットを何枚かアップロードします。アップするのは止々斎という建物。修学院離宮の創建当時に上御茶屋の浴龍池側に建てられた数寄屋建築です。今は存在していません。ここで、改めてというか修学院離宮についてざっと纏めてみます。修学院離宮は京都の北部、比叡山麓に、17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年)...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

「斎」は書斎の斎か、勉強になります。としますと、止々斎とは文人墨客がしばしば脚を止めて風情を愛でる、みたいな感じですかね。

3D制作で戸袋を作るのをしばしば忘れてしまいます。昔の人は雨戸と舞良戸が兼用で内側が明障子になっている場合が多く、用心も含めて雨に関係なく夜間は締めていたのではと思います。

露台はオマケで付けました。露台へ出る戸口を作ろうかと思いましたけどカット。

実際の止々斎の位置はちょっと岸から高く、外からヨッコイショ、っていう想定です 笑。

止々斎 * by 五反田猫
森 蘊さんの庭園や建物に関する本、良いですね。 私も好きでした。
止々斎の3D有難うございます、瓦葺の土間とは!
水位が上がった場合を考えてか、足が濡れても大丈夫!? とか、想像を掻き立てられます。

斎号は、部屋が転じて書斎・居間の意味で、医者や芸術家に与えられたと聞きました。 構造から考えれば、書斎、居間なのでしょうね。 座敷から庭を見た開放感は素晴らしいのですが、風雨の時が気になってしまいます。
雨戸などはあるのでしょうね。

正面左に露台がありますが、ここへのアクセスが気になります。 瓦の土間から入れるのか、それとも外から回ってお供が待つ場なのか、色々 想像して楽しんでおります。

創建時の「修学院離宮」を再現してみました。

まずは修学院離宮の景色で一番よく知られる上茶屋の浴龍池越しに見た離宮の写真を一枚。今回は再現ということですが、実際は離宮内に今も現存する建物、そして廃絶した建物を案内図や航空写真地図に配置して二次元的に再現したものです。それなりに往時の姿を想像する手立てにはなると思いますので読んでみてください。で、離宮について概要を述べておきますね。修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや...

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もう一つの桂離宮

当ブログへ来られた方こんにちは。例によって現在進行形で公家・九条家のお屋敷の3D作りをしていますが、愚痴言いますと、お屋敷全体のセットですから、建物のパーツをいくつも作る必要があります。ですからふぅふぅ言いながら作っていて、完成は7月になりそう・・・・。でも各パーツを作ることによって、今後の3D作りの再利用につかえ時間短縮も可能・・・とひとり自分で期待してます。さて水曜がきました。そこで今回は「も...

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後藤久太郎氏から「小壁」について指摘がありました。

ご無沙汰しておりました。管理人の梅のコージです。 訪問者の方からもご心配や励ましのメールを頂きとても感謝しております。今後もライフワークの一つとして波はあるかもしれませんが頑張ってゆきますので今後とも宜しくお願い致します。 さて以前、「小 壁」の誇り・・・もしくは矜持、というタイトルで装飾小壁についての考察と起源について私見を述べましたが、とくに起源について、宮城学院女子大学教授の後藤久太郎先生から...

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二条城と相国寺七重塔と平安京朝堂院の夢のコラボです

きょうはタイトル通り、現実にはありえない「二条城本丸と相国寺七重塔と平安京朝堂院の夢のコラボ」をお送りします。もし時間というものがパラレルに存在するならば「これもありかな?」とも思いますが、そんなこと考えていると頭がぐるぐる回り出しそうなのでやめておきます。3Dという世界のもと、今後もコツコツと京都の失われた建物を再現し、京の盆地をそれらで少しずつ埋めていくのが管理人の密かな目標というか願望です。...

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寛永度二条城本丸を3Dで造ってみました、天守閣も御殿もありますよ!

寛永度の二条城本丸の3Dが完成しました。正確には一部省いている部分もありますが、そこは、いつか二条城全体を造る時の楽しみに取っておきます(笑)。二の丸御殿から土を踏まずにそのまま珍しい二階廊下を渡って二の丸から本丸へ歩いて渡り、なおかつ渡り廊下で天守閣まで濡れずに行ける・・・これもこれも、後水尾天皇を迎えるための徳川幕府の壮大なる舞台装置です。とくに二階廊下とか造ってみたいですね。今回の本丸作成では...

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Re: はじめまして * by 梅のコージ
こちらこそはじめまして 武楽さま。
コメント頂きとても励みになっております。
かれこれ三年程、京都の主に建築史関連の書籍や資料を集めてきました。
まだ全然精読していないので、家族からは何のコレクション?と
白い目で見られてます。
そんなとき「こういうコメント頂いたよ」と言えば、
家族も納得、自分も救われる思いです(笑)
これからもコツコツと3D作品を作ってまいります。
応援方よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。


> どうもはじめまして。
> 明治時代の資料を検索してこちらにたどり着きました。
>
> なかなか手に入らない資料を見せて頂きありがとうございます。
> また3Dで作成されているとか。
> とても興味深いです。
> 私も常々過去の建物など再現されたものが見たいし、作ってみたいと考えていました。
> それを実現なさっているのはかなり感動モノです。
>
> これからもいろんな建物作ってくださいね。楽しみにしています。

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寛永度二条城本丸御殿の間取り図を作成しました。

元和6年(1620)の徳川和子入内と寛永三年(1626)の後水尾天皇行幸は江戸時代の京都・二条城において最も華やかな盛儀でした。秀吉の後陽成天皇聚楽第行幸を上回る盛儀にしなければ徳川幕府の権威にもかかわることでした。何でも行幸時、御所から二条城までの2.6キロ間、各藩から呼ばれた警固の武士3300名が隙間なく路の両脇を抱え、各辻々にも大勢の武士が配置されました。後水尾天皇ご一行は9月6日から9日まで二条城に滞在され10日...

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寛永度二条城天守閣を再築しました。

先回、寛永度の二条城天守閣を3Dで作成、アップしましたが、後でちょっと手抜きがいささか多く稚拙な作品になってしまったことを反省。そこで今回、改めて再築し直しました。もちろん完璧さを求めれば一ヶ月かかりますが、それではブログが毎日工事日記になってしまいますので、鑑賞に堪えられる範囲内で作ってみました。 さて、その3Dの作成ですが、参考にした元図があります。寛永期の頃、幕府お抱え大工頭の中井家に残る寛...

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「小 壁」の誇り・・・もしくは矜持

天皇家と徳川将軍家ってどう違うの?と言っても全然違うので今回は住宅史のある一面から、その違いをちょっと浮き彫りにしてみたいと思います。表記のタイトル「小壁」ですが「こかべ」と言います。まずはこの「小壁」とは何ぞや?から入っていきたいと思います。建築用語辞典によれば、鴨居から天井までの間の壁のことを「小壁」というそうです。じゃ、その小壁が天皇家と将軍家に何の関係があるの?となってくるわけですが、まず...

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Re: 内法長押上小壁の装飾 * by 梅のコージ

後藤さま、
ご返事遅れて申し訳ありません。体調の方もほぼ前に戻り元気になりました。
11月1日付でブログ記事をアップ致しましたので、宜しかったら覗いてみてください。
ありがとうございました。

>  装飾小壁の初見は、伏見城では無く、元和3年~造営計画が始まった徳川和子(まさこ)の入内に備えた御殿だと思われます。
>  川上先生が最初に伏見城説を日本建築学会の大会で発表されたのですが、この時後藤も装飾小壁・絵天井の初見は、伏見城では無く、元和の徳川和子入内御殿群中の小堀遠州が奉行を務めた御殿である由の発表を行いました。
>  川上先生と後藤の間で議論になり、伏見城の御殿の装飾小壁は内法長押の上の小壁で有ることは証明できず、史料上では元和の御殿であることで両者の見解が一致しました。
>  これについては、日本建築学会の大会の梗概集に載っておりますが、残念ながら日本建築学会のデ-タベースには入っておりません。もしご希望なら論文をpdf化してお送りしますので、PCのアドレスをお知らせ下さい。ただこれでは議論の様子は分かりません。当時の発表に立ち会った、当事者で無い在命の研究者にお尋ね下さい。例えば京都女子大学の斎藤英俊教授などは現役ですので答えてくれると思います。

内法長押上小壁の装飾 * by 後藤久太郎
 装飾小壁の初見は、伏見城では無く、元和3年~造営計画が始まった徳川和子(まさこ)の入内に備えた御殿だと思われます。
 川上先生が最初に伏見城説を日本建築学会の大会で発表されたのですが、この時後藤も装飾小壁・絵天井の初見は、伏見城では無く、元和の徳川和子入内御殿群中の小堀遠州が奉行を務めた御殿である由の発表を行いました。
 川上先生と後藤の間で議論になり、伏見城の御殿の装飾小壁は内法長押の上の小壁で有ることは証明できず、史料上では元和の御殿であることで両者の見解が一致しました。
 これについては、日本建築学会の大会の梗概集に載っておりますが、残念ながら日本建築学会のデ-タベースには入っておりません。もしご希望なら論文をpdf化してお送りしますので、PCのアドレスをお知らせ下さい。ただこれでは議論の様子は分かりません。当時の発表に立ち会った、当事者で無い在命の研究者にお尋ね下さい。例えば京都女子大学の斎藤英俊教授などは現役ですので答えてくれると思います。

寛永度二条城天守閣を造ってみました。

今回、初めて城郭の3Dに挑んでみました。取り合えず京都に絞るということで、候補としては、聚楽第、伏見城、二条城、淀城が挙げられましたが、比較的、天守の資料が残っている二条城にしました。したからといって全然、自信はなく初めての天守閣作成なので、例によっていろいろと簡略化してしまいました。ブログ仕様といったら叱られてしまうかなぁ・・・それでも頑張ったんですよ。先日作ったもののほうは初歩的ミスでデータそ...

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