3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 3D

修学院離宮 甦る止々斎

先回の記事で修学院離宮へ行ったことを書きましたが、制作していた3Dが出来上がりましたのでスクリーンショットを何枚かアップロードします。アップするのは止々斎という建物。修学院離宮の創建当時に上御茶屋の浴龍池側に建てられた数寄屋建築です。今は存在していません。ここで、改めてというか修学院離宮についてざっと纏めてみます。修学院離宮は京都の北部、比叡山麓に、17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年)...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

「斎」は書斎の斎か、勉強になります。としますと、止々斎とは文人墨客がしばしば脚を止めて風情を愛でる、みたいな感じですかね。

3D制作で戸袋を作るのをしばしば忘れてしまいます。昔の人は雨戸と舞良戸が兼用で内側が明障子になっている場合が多く、用心も含めて雨に関係なく夜間は締めていたのではと思います。

露台はオマケで付けました。露台へ出る戸口を作ろうかと思いましたけどカット。

実際の止々斎の位置はちょっと岸から高く、外からヨッコイショ、っていう想定です 笑。

止々斎 * by 五反田猫
森 蘊さんの庭園や建物に関する本、良いですね。 私も好きでした。
止々斎の3D有難うございます、瓦葺の土間とは!
水位が上がった場合を考えてか、足が濡れても大丈夫!? とか、想像を掻き立てられます。

斎号は、部屋が転じて書斎・居間の意味で、医者や芸術家に与えられたと聞きました。 構造から考えれば、書斎、居間なのでしょうね。 座敷から庭を見た開放感は素晴らしいのですが、風雨の時が気になってしまいます。
雨戸などはあるのでしょうね。

正面左に露台がありますが、ここへのアクセスが気になります。 瓦の土間から入れるのか、それとも外から回ってお供が待つ場なのか、色々 想像して楽しんでおります。

第二弾 不肖、「3D京都」が非公開エリアの飛香舎をご案内します。

引き続き、第二弾として御所の非公開エリアの飛香舎(ひぎょうしゃ)をご案内します。後宮を中心とした俯瞰図。ここも、建築仕様は文献、一部平面図、妻側からの立面図、限られた写真等を使って3Dに仕上げました。省いた建物、わからない部分は想定復元と不正確な面も多々ありますが全体としての飛香舎の雰囲気は醸し出しておるのではと思っています。再掲ですが、飛香舎の位置を確認します。赤く囲ったところが後宮で北、奥にある...

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NoTitle * by 梅村京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

>年末まで京博で飛香舎(藤壺)の調度 の展示がされております。

そうなんですか、情報ありがとうございます。
先週、京都へ行ってきたばかりです。公家屋敷で調べたいことがありまして。丁度、時代祭りがあったんです。知らなかった・・・情報に疎い自分です。

 >つきづきしい、
おぉ、雅な言葉ですね。これも意味知らなかった。教えて頂いてありがとうございます。

NoTitle * by 梅村京一朗
はむこたん様 コメントありがとうございます。

そうですよ、>若紫を、源氏の君が見初めるシーンに繋がる前あたりでしょうか。ハイ。

でも、流石に盗み見する光源氏が登場したら、頑張って作った飛香舎の3Dが台無しですよ! 笑。

藤壺 * by 五反田猫
藤壺の雰囲気が良いですね、年末まで京博で飛香舎(藤壺)の調度 の展示がされております。 つきづきしい記事を有難うございました。

NoTitle * by はむこたん
『犬君が雀の子を逃がしたの』と言う若紫を、源氏の君が見初めるシーンに繋がる前あたりでしょうか。

細かく再現された3Dと一緒に、源氏物語のお話にもトリップできて、楽しませていただいています!

NoTitle * by 梅村京一朗
大原様 コメントありがとうございます。
そうでしたか、めでたいことですね。
来年の御大礼にも記念公開されるかもですね。

恩赦もあるようですし、新しい帝の下、日本が平安であるよう願っています。

NoTitle * by 大原かずのり
9年前の、御即位20年記念京都御所特別公開で入れたんですね。なので平成最後の特別公開!というのを待ってるんですがw
それとも新しく即位された記念に公開!とか。

もし公開されたら、梅村さんの素晴らしい投稿に大期待です^^

NoTitle * by 梅村京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

御所の後宮が一般公開されるときがあるんですね。知らなかった。次回はいつあるんでしょう? 一応、私もアンテナ張ってますが、大原さんの方が早耳そうだから、そのときは教えてくださいね 笑。

NoTitle * by 大原かずのり
後宮エリアは数年前の公開で訪問しましたが・・・・それほど記憶に残ってないです^^;
この投稿を見てから訪問たかったですね!
黒漆塗に赤漆塗飾金具をつけた蔀戸が好きですw

不肖、「3D京都」が非公開エリアの皇后御常御殿をご案内します。

後宮の三殿、皇后御常御殿・飛香舎・若宮姫宮御殿が完成したので記事を添え掲載します(一部内部も)。当初は第一期制作には含まれていなかったのですが東西対屋を想像復元したせいもあって後宮まで一気に行ってしまった感じ。皇后御常御殿は飛香舎と密接に繋がり、且つ、若宮御殿の南廂が廊下代わりという面もあって三殿作りました。で、ないと、源氏物語や枕草子に描かれた平安京の王朝美が描かれませんからね。藤壺の庭も雰囲気出...

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NoTitle * by 梅村京一朗
おぉ、ここにも勘違い男がいた!

なんてことはありません。失礼しました 笑。

改めましてコメントありがとうございます。
今でも京都には公家風の苗字の方がいるんですね。
霞会館の京都支所の会員の多くは公家の末裔で、30家以上数えるといいますから、居てもおかしくないと思います。

でも、”山本”さんという苗字の公家さんもいます。それだと「どこの山本さん?」になってしまいますから、もっと公家らしいカッコいい苗字に改名されたら? などと思ってしまいますが、勝ってなこと言うな! ですよね。

たまに拙ブログを覗いて浅き夢でも見てください。


NoTitle * by -
うーむ、じっと画像を見ていると、私の前世か先祖も公家だったような気がしてきました。
しかし、京都の高校時代、明らかに公家風の苗字の子が何人かいましたが、なぜかみんな背が高くて「シュッとした」顔つきでした。今から考えると、奴らは・・・じゃない、彼や彼女たちは、どんな血統だったんだろうと不思議に思います。
やっぱり平凡な見かけの私は、公家とは無関係だったのか・・・・
せめて3Dの中で「漣の宮」となって妄想させていただきます。

京都御所3D現場顛末記 対屋編 その三(3DCG)

何か急に蒸し暑くなりましたね。眠っていたエアコンをつけました。さて、顛末記も、その(三)として3Dに仕上げた東西の対ノ屋を掲載します。中の、明治天皇が住まわれた御局だけでも内部の三間作ろうかと思いましたが、列女伝の絵の内容もよくわからず今回はパス。また何れ作ろうとかと思ってます。折角の3Dだから外観だけの動画でもいいから作り込むのがその醍醐味?かと思うのですが今まで5個ほどしか作っていません。どうして...

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NoTitle * by 梅村京一朗
五反田猫様、
ふと思ったので書きます。

3Dで作ってみて思った一つに、紫宸殿前の南庭の狭さ!です。東西南北に100m満たさないです。これでは儀式の荘重さは演出できません。平安京の朝堂院など500mありましたからね。

寛政の復古内裏で朝廷も頑張ったけど、如何せん江戸期の限界かぁ・・・です。

NoTitle * by 梅村京一朗
五反田猫様コメントありがとうございます。3Dの対屋が実物とどれ程似ていたか? はわかりませんが、長~さだけは実感ですね。

皇后宮御常御殿も完成しましたが、その過程で飛香舎の資料も集めています。調べていくうちに「こここそ平安朝の雅なのだ」と思うほど、その全体構成にシビレテいます。

一つの独立した後宮のための儀式空間。そんな感じですね。

そうそう高御座の資料も集めています。なんか上手に作れたらいいなぁ、と思ってます。ご皇室に不敬になるのでは・・・と、ちょっと心配してますが、紫宸殿にはなくてならない玉座ですからね。

対屋 * by 五反田猫
対屋の3D有難うございます。
左右対称な点は御所らしいと思いますが、こういう長局の建物を見ると江戸期の建物なのだと思います。
平安・鎌倉ですと、建築技術はあっても、暖房の面でこれだけ大きな建物は、とにかく寒くて住めないと思います。
それが畳が出来て、暖房器具も増え、服飾も暖かくなって、大きな建物でも住めるようになったのだと想像しています。

こういう想像も、3Dの映像があってこそです。
文字ではなくて映像の力は凄いですね。

京都御所3D現場顛末記 対屋編 その(二)

台風で半日停電しました。幸い水道は影響ありませんでした。読者の皆さんは大丈夫でしたか?お互いに気を付けましょうね。さて、対屋編 その(二)では引き続き文献に基づく対屋の復元を試みる訳ですが、その前に内裏図でいくつか「何故だろう?」と思ったことがあったのでちょっと触れてみます。参考内裏図は宝永度のものです。ではアップします。宝永度内裏図(中井正知氏蔵)。図中の赤く囲った所に「井戸」と印し幾つもあります...

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寛政内裏だったのでした * by 五反田猫
京一朗さん ご教示有難うございました。
掲載写真の表紙に天明とあったので、勘違いしましたが、
この時に作られたのは寛政内裏だったのですね。

となると従来(宝永内裏)と異なる、江戸初の復古様式に内裏なのですね。
だから、今までのやり方と異なり、幕府と内裏で共同作業での設計になったのですね。 そのやりとりが具体的に判るお話しは大変参考になります。

松平定信は、尊号事件でも判るように、合理主義の政治家で、始めは復古様式は、金がかかるからと却下。
当然 内裏方は、反発し、復古様式を主張
定信は上京して説得するが結局 内裏の意向を取り入れる事になったと聞いています。

NoTitle * by 梅村京一朗
五反田猫様 いつもお世話になります。

>建物そのものの話でなくて、組織の方が気になっております。

京都御所造営録の序説によれば、

寛政度内裏は幕府・老中の松平定信を総奉行として内裏造営が始まりました。
実務は幕府方の御附役(禁裏付き武家、口向方)を中心に、朝廷からは議奏以下の御造営御用掛が、幕府方からは京都中井役所(幕府京都大工頭)が任命され、それぞれ摺り合わせた内容を吟味し、上記、御附役が決定を下してゆく、という流れです。

ちなみに造営録の元本である造内裏御指図御用記ですが、朝廷の地下官人であり明法博士大判事であった「勢多 章純」が書き留めた造営記録で、幕府の
御附役の補佐役として参加しました。

造内裏御指図御用記 * by 五反田猫
ついに文献と確認されながら3D作成とは、専門領域に入ってまいりました。 立派な研究者だと思います。

>前回の質問回答
有難うございました。東西に対の玄関で身分に応じて使い分け。
御所らしい建物ですね、東が典侍、西が命婦なら、やはり東が上位という考えでしょうか。

>お伺いの流れ
掲載された資料の流れですと、幕府の造営担当(所司代の配下?)が、武家伝奏に伺いを立てる流れで、造営の作業そのものは幕府側が管理と実行なのでしょうか?
武家伝奏から、朝廷の修理職に申し渡す流れもあるので、建築作業は、幕府と修理職の二重管理だったのか、その辺りが気になります。 お判りの範囲でご教示頂けると嬉しいです。

建物そのものの話でなくて、組織の方が気になっております(笑)

NoTitle * by 梅村京一朗
大原様
コメントありがとうございます。お褒めも頂いて。
そちらは停電もなく何よりでしたね。次は25号が控えてますよ。用心しなければ。

大原さんも斗栱に拘りありますね 笑。
それにしても東本願寺の阿弥陀堂の四手先組?凄いですよね。

NoTitle * by 大原かずのり
半日停電とは大変でしたね^^;
こちらは無事でした。21号では瓦が数枚飛びましたが・・・・。改めて日本は災害大国だなと思いましたね。

丸見えトイレ、開放的ですね(笑)。でも意味は分からないですね^^;
黄塗や生円子塗というのも分からないです。しかしよく調べられていて、すごいです。

京都御所3D現場顛末記 対屋編 その(一)

これが ↓これに ↓なりました。記事、嫉妬を生まない御所の後宮システム 後編で描き添えました典侍等高級女官の住居(長局)である東西の「対屋」ですが、現京都御所には遺構は存在しません。明治維新後解体されました。ただ、一部の室、古材、及び襖絵が泉涌寺に移築されている、との事ですが、非公開なので確認することはできません。移築後の改造もあって、全体としての対屋がどのような建物だったのかは不明です。そこで無謀...

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NoTitle * by 梅村京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。

本瓦だったら、檜皮葺の次かもしれませんね。でも完成した名古屋城本丸御殿の屋根は杮葺きですね。戦災で焼ける前は本瓦でしたから創建時に戻ったということですけど、だと、やっぱり、杮葺きの方が格上?よく、わかりませんね。

東西の対屋には下家の北側に計四カ所の玄関があります。たとえば西対屋だと西端の玄関は「大御乳人(命婦の序列二位の女官)」が使用しました。東端の玄関は典侍が使用、という風にある程度身分に応じて使い分けされていました。

屋根の葺き方 * by 五反田猫
京一朗さん、いつも興味深い記事を有難うございます。

なるほど、木皮による葺きかたでも格の違いがあるのですね。
瓦が下というのも、故実が重視されてきた結果でしょうか。
防火の意味では、当然に瓦が良いのですが、せっかく瓦にしてもお隣が瓦でないと、結局 延焼するのでしょうね。

3Dを拝見して気になったのが、追加された建物の東西に飛び出た部分。 これは玄関なのでしょうか?
平面図を見ると東西両方についています。 こういう構造は面白いですね。

嫉妬を生まない御所の後宮システム 後編

後編では大奥からサヨナラして御所の後宮へいよいよ入っていきます。せっかくですから、前編に載せた東西の対屋の間取りを御所に当てはめてみます。内裏と東西対屋の俯瞰パース。何から書こうかな、ってとこなんですが、男性諸氏が「ハーレムかぁ、美女に囲まれて羨ましいなぁ」などと思ったらご法度!とんでもない間違いですからね。とくに日本の後宮は真面目ですから何より次代の帝をお産みなさることが一番の目的です。ですから...

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NoTitle * by 京一朗
はむこたん様
コメントありがとうございます。

源氏物語ですけどね、平安王朝の家具・調度品を作る予定なんですよ。なかなか進まないですけどね・・・、清涼殿に家具を設えたら「京都御所の御殿へ上がってみよう!」っみたいな動画作ってYouTubeにアップする計画なんですが年内にできるかなぁ・・・? まだ遠き道程ですよ。ところで今、はむこたんサンは今、どこを旅してみえるのかな?
では、おやすみなさい。

NoTitle * by はむこたん
頭の中で、源氏物語を思い出しながら
楽しませていただいてます。
命婦って名前かと思っていたら、女官の位なのですね。
初めて知りました・・・。

NoTitle * by 京一朗
雪乃様
コメントありがとうございます。

朝、そうそうpcを開いたら、ご丁寧に返信を頂き、今日も幸先よき一日になりそうです。過分なお褒めを頂き恥ずかしい限りです。ゲホとモゴの会話、創作頑張ってくださいね。折々、立ち読みしますね 。

訪問頂きました * by 雪乃
訪問頂きありがとうございます。
素晴らしいブログですね☆
京都を深く知ることが出来そうです。
お時間の許します歳にまたお立ち寄り頂ければ嬉しいです。

京都御所最大の建物・御常御殿を作ってみました。

お盆を挟んで暑い日差しも少し和らいだ感じですが、読者のみなさんはいかがお過ごしですか。そういえば、北海道の大雪山系黒岳では早くも初冠雪。何でも、8月の初雪の観測は2003年以来のことで、1974年からの統計では最も早いとのこと!。この天界と下界の違いは何なんでしょう?皆さんも暑さ寒さ?対策に気を付けてください。さて、前回の記事で御学問所の完成に伴い3DCGも二回に分けて掲載しようと思っていましたが、御所最大の...

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「鉢合わせはご法度」 - 御所の動線システム

暑中お見舞い申し上げます。毎日暑い日が続きますね。私の住む愛知県でもとうとう名古屋が40度に達しました。観測以来初めての40度越えです。皆様とも熱中症対策をしっかりして、この一夏を越えなければならないと思っています。普段、帝の住まわれる常御殿と大名と対面する小御所との間にある御学問所を作りました。御学問所は帝の学問の場だけでなく公家との対面にも使われました。小御所より一回り小さいです。ところがです。南...

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王政復古のクーデターが成功したのは実は小御所の間取りのせいだった!?

小御所までの3D完成に漕ぎつけました。後は御学問所と御常御殿。それに渡り廊を加えれば御所の雰囲気もかなり出て来るのではと個人的に期待しています。さぁ、今回取り上げる小御所ですが、幕末の慶応3年12月9日(1868年1月3日)に京都・小御所で行われた王政復古の最初の会議で実質クーデターが行われた舞台として知られています。、同日、先に御学問所で正式に王政復古の大号令が発せられ京都守護職・京都所司代の廃止、幕府の...

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NoTitle * by -
五反田猫様
コメントありがとうございます。
拙い3Dながらお褒め頂きこれもありがとうございます。「内覧をもつ関白の廃止、公家社会を二重支配していた「門流」の廃止で堂上公家が天皇の直臣である事が組織上も明確になりました。」、このコメントですが眼に鱗でした。勉強になります。直臣かぁ、だから門流外の公家は外様といわれ御所での詰所も別々になっていたのですね。

摂家を優遇することによって公家をコントロールする。幕閣も考えたものですね。英国みたいです。

また、いろいろと教えてください。

小御所会議 * by 五反田猫
京一朗さま とても素敵な小御所の景色ですね。

御学問所との比較の話も興味深く読みました。
どちらも、池に面しているのですが、随分と建物の雰囲気が違いますね。 

「王政復古の大号令」は、公家社会にも大きな影響を与えました。 内覧をもつ関白の廃止、公家社会を二重支配していた「門流」の廃止で堂上公家が天皇の直臣である事が組織上も明確になりました。
裏返せば、公家社会でも幕府と結んだ摂家による支配があり、これが朝廷の独立性を制限おりました。
それが無くなる事で、朝廷でも王政復古になったのですね。

NoTitle * by 京一朗
Hakka様
コメントありがとうございます。
お褒め頂いてなんか痒くなってきました 笑。
でも、ホント励みになります。

御所の庭園ですが一部3D化する考えはあります。
反り橋の図面もありますし。

ただ、拘ると限りがないので、第一期、二期工事みたいに分けて徐々に作っていこうと思ってます。

3Dは手間もかかるので夜更かししてしまう時もあります。妻からはいつも叱られています。最近は食事の後にお茶を出したりしてご機嫌とってます。

にしても、何か突き動かされるものがあって作ってしまうのです。

NoTitle * by 京一朗
はむこたん様
コメントありがとうございます。
とても励みになります。
私も御所の大和絵は大好きです。
二条城の金碧障壁画とは違った優雅さ、上品さがありますね。

NoTitle * by はむこたん
襖障子が鮮やかで、すごく映えますね。
見ていて物語が感じられて、ぜんぜん飽きません!

こんばんは * by Hakka
3D、襖絵までお見事ですね。一般参観では建物内までは見学できないので、参考になります。
同様に、隅々まで見学できない庭園も3D化して頂けたら…と、勝手な願望を抱いてしまいます。

Mysterious Japan ― 京都御所渡り廊を巡って

京都御所にはたくさんの廊下があります。殿舎間を繋ぐ廊下は「渡り廊」と言って廊下の”下”の字を使わない場合もあります。これは寝殿造では、廊下を渡り殿とか透廊と呼んだ名残があって、また、”殿上人”という言葉があるように、主に貴族階級(公家等)など、彼らが廊下を歩く訳にはいきません。”下”に下がるからです。とくに朝廷ではこの用語に拘った形跡があります。ですから近世の指図を見ても廊下の呼称が「廊下」や「渡り廊」...

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お公家さん憧れの「殿上の間」と小話

清涼殿の南に孫廂のように突き出た南廂、いわゆる「殿上の間」が完成しました。同殿は一見何の変哲もない地味な板敷きの間ですが、ここに昇ることができるかできないかで殿上人、つまり公家になれるかなれないかの証しの場なのです。昇ることができれば晴れて堂上公家の仲間入り。その意味で公家にとっては昇段試験の場。ここは、清涼殿の南の一角。即ち、昇るといっても、御所内のどこの御殿へ昇ってもOKではなく、あくまで清涼殿...

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NoTitle * by -
五反田猫様
コメントありがとうございます。

そうですか、幕末の宮廷お持ちですか、ネタじゃなくなりましたね 笑。他にも「京都四民の生活」とか公家さんの事書いた本ありますが、やはり幕末の宮廷の右に出るものはないですね・・・。こうなると、もう公家の子孫の方に直接、取材するしかないかも・・・です 笑。

幕末の宮廷 * by 五反田猫
興味深い資料を有難うございます。
現在の御所は、昭和の建物疎開で、随分と損なわれたものなのですね。 資料から良く判りました。

『幕末の宮廷』は、江戸の宮廷の実態を活き活きと描いてくれて、私も愛読書の一つです。
公家収入は、トップの摂家でも、大きく違います。
近衛家の知行は、表高は2862石ですが、実収は2081石、税率が高いのではなく、領地が伊丹など、米どころで実収が大きいのですね。
一方で一條さんは表高2044石ですが、実収794石で、下橋さんのお話しの通り「800石も入りません」なのです。 領地によって、大いに収入が異なるし、当道座の収入がある久我家、蹴鞠の難波家など、地下でも平田家は事務方のトップで膨大な現金収入があったそうです。これらの家では維新後の方が苦労されたそうです。

京都御所待合物語

御所の陣座が出来ました。と、陣座、陣座とばかり言っていても銀座と言いかねないので、要は陣座とは詰所、待合室のことなので今風に「京都御所待合物語」としました。物語といっても特にないですけど、書いていくうちにひょっこり出てくるかもです。さて、まずは今回作った陣座、宮人座、床子座についてその建物位置を示します。陣座、宮人座、床子座の位置図。ここのスペースはまさしく紫宸殿南庭で行われる諸儀式の控室・待機室...

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NoTitle * by 京一朗
こんばんは takaさん
コメントありがとうございます。
いつもながら教えて頂きありがとうございます。
陛下と殿下の由来がわかりました。殿下はともかく陛下の語源はは知らなかった。

内裏ですけど、現在は紫宸殿の前を朱塗りの複廊と門がぐるっと囲っていますが、平安時代の正規の内裏を見ると、現在、外から見える築地塀の部分がそのまま複廊になっていたんですね。つまり、今の御所は築地塀を潜って朱塗りの回廊に入る訳ですが、平安時代は複廊が外塀だった。なんか上手くいえませんが、今見る築地塀の代わりに朱塗りの回廊で囲まれていた。それが本来の内裏。だとすると、とてつもなく大きく華麗な宮殿だったと思います。平安時代初期の律令体制はホント壮大な意気込みと実験を感じますね。

五反田猫さんの流派ですが、
聞きましたら、「御家流 桂雪会」だそうです。
なんでも、民間で伝えた流派で宮尾登美子の「伽羅の香」という小説にも出て来るそうです。

お香も「嗅ぐ」などという下品な言葉は今後使いませんので、ここだけの話しにしておいて下さい 笑。

では、おやすみなさい。



NoTitle * by taka
本当に 梅村様 の3Dは見事なできばえですね。しかも今回は尊敬する 光格天皇様 の即位図や即位式幟図が見る事が出来て最高です。

陣座の疑問はもう解けたでしょうか? 万が一の為に書いておきます。一応宣陽殿の議所は叙位・除目の会議の為の部屋みたいです。親王宣下・改元といった重要度のある陣座よりは一段下がるみたいです。やはり倉庫だからでしょうか?

建物って歴史学の中ではマイナーですけど、名称の語源とかにもなって何気に重要なんだなとこのブログを見るたびに感じます。例えば『陛下』というのは「宮殿の階段の下」が語源、『殿下』は「殿舎の階下」、『殿上人』も清涼殿の殿上間由来、つくづく歴史とは建造物とともに歩んでいるんだなとこのブログを見て実感しています。

そう考えると先立つ物が無い、という理由で日本の顔にして重要でもある大内裏再建を諦めたというのは残念な気持ちにさせられますね。とくに朝廷に仕える公卿にしても、例えば鎌倉時代では 西園寺家 は一国に匹敵する富を持っているとまで言われた家でしたが、自分の為だけに使って公の為に何一つしなかったのは残念ですね。

最近南北朝に凝っていてちょくちょく調べていたから分かりますが、鎌倉後期から室町は時代が安定しなかったので幕府が再建できなかったのはやむを得なかったでしょうね。

香道の事ですが、香道では「嗅ぐ」ではなく「聞く」ですね。「香りを聞く」という表現が適切です。香道の基本はこの『聞香』(ぶんこう)ですね。まああとは「六国五味」(りっこくごみ)とか、「銘香」と「名香」とか基本的な事を抑えておけばそれなりに話がしやすいです(汗)

あと流派の違いとしては、『志野流』は沈香だけ、『三条西流』は沈香以外も使用するって所も抑えておいても良いかもしれません。

紫宸殿と清涼殿は繋がっていなかった!? 

今回は紫宸殿の東に位置する東軒廊と宣陽殿、西に位置する土渡廊を3Dで作ってみました。その過程で例によって素人発想の「何でだろう?」と思う点が幾つか出てきて、その一つの疑問が記事タイトルの「紫宸殿と清涼殿は繋がっていなかった!?」になった訳です。その辺は、後々書いていきます。さて、眠気覚ましにCGを何枚かアップ。クリックすると何れも拡大します。朝霧にむせぶ京都御所。私の好きな陰翳礼讃?です。おぉ!紫宸...

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NoTitle * by 京一朗
taka様 コメントありがとうございます。地震の被害なくてよかったですね。
自殺ですけど、やっぱり大義に殉じた人は亡くなったしばらくは自らの傷みに苦しむかも知れませんが、大義には必ず現世で恩恵を受けた人や感謝している人たちの祈りが通じ天国に行くと思います。原爆を二度も、実験のごとく落としたトルーマンは地獄でしょうね。

現京都御所の土御門里内裏ですが、藤岡通夫先生の名著「京都御所」を飛ばし読みしましたが、やっぱり財政難が理由だと思います。というよりも、あまりにも多くの焼亡を繰り返した内裏・里御所の回数の多さにびっくりしました。また、それを数々の文献・古文書を調べて克明に記された藤岡氏の並々ならぬ努力、能力に脱帽しました。

やっぱりとくに南北朝に入って足利幕府の財政難もあって、もう元の大内裏の位置に建てる力はなかったと思います。

内野と言われた大内裏に内裏を再建するとしたら、正式の内裏を造る訳ですから、室町幕府は考えただけで身震いしたと思いますよ。当時も大内裏への郷愁はあったけど、先立つものがなかった、そういうことだと、私は思います。

目の付けどころが違いますね * by taka
確かに紫宸殿と清涼殿、なぜ繋がっていないのか? 謎ですね。流石に自分でも解らないです(汗)

相変わらず見事な制作で食い入るように見ています。

ところで、現在の京都御所があの位置にある理由についてはどう思われます? 鎌倉時代安貞の火災で本内裏が何故再建されなかったか?

自分的には、鎌倉の大仏同様資金難だと思っているんですが(汗)

NoTitle * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

そうですね。大阪北部地震で被害に遭われた方にお見舞い、そして亡くなられた方にお悔やみ申し上げます。亡くなられた中には九歳の女の子もいましたね。痛ましいです。

紫宸殿繋がりの件ですがよろしくお願いします。楽しみにしてます。

先回、コメントにあった和歌披講ですが、
さっそくYouTubeで検索して聴いてみました。厳かで雅びですね。正月の歌会始ぐらいしか聴いたことないので目から鱗です。短歌は書くものだけではなく詠み吟じ韻を踏むことなんですね。合唱もある。時に雅楽の伴奏もある! いいですね。五反田猫さん、かなり高度な日本文化を担ってみえますね。日本も安心です 笑。

また機会があったら、和歌披講を聴いてみたいと思います。そのときは宜しくお願いします。では御機嫌よう。

地震お見舞い * by 五反田猫
北摂を中心に大きな地震、お見舞いを申し上げます。

紫宸殿 * by 五反田猫
廊下や付属の建物が出来ると、雰囲気がとても良いですね。 最終的には、御大礼など、南庭での儀礼が見られると素敵です。

清涼殿から紫宸殿へのお出まし、なるほど言われてみると不明でした。 紫宸殿にお出ましになる自体が稀(御大礼と大嘗祭くらい?)と思うので、不便でも仕方がないと思いますが、どのようにするかは記録にありそうな気がします。
明治初期の絵図で、南庭へのお出ましには、庭に敷物が敷かれていたのを見ていますので、廊下以外にこのようなやり方もあるとは思います。
判るかは不明ですが、調べてみます。

清涼殿を作ってみた 外観編

京都御所の清涼殿を作ってみました。とりあえず外観。多少、内部も作り込んでいます。ここ清涼殿と紫宸殿は江戸末期の安政二年(1855年)に再建された御所の殿舎のなかで最も平安朝の寝殿造の古性を伝える建物です。従って両御殿については外観のみならず、内部、そして部屋毎に設えた大和絵の襖障子や家具調度品などインテリアについても3Dで作る予定です。清涼殿の位置図です。紫宸殿の西北にあります。今回は渡り廊下までは作っ...

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京都御所の六門と築地塀を作りました ② 3DCG編

さあて、本命、御所の六門と築地塀の3DCGを一気に掲載しますよ。CG画はすべてクリックすると拡大します。再確認ですけど、現在残る御所は、安政(1855年)築造で、築地塀で囲まれた面積約11万平方メートルの区域を占めます。御所の敷地は東西約250メートル、南北約450メートルの南北に長い広大な敷地面積です。その御所を囲む築地塀には計六の門があります。今回はこの門を作りました。一応、格式に基づいてそれなりに作りました...

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京都御所の六門と築地塀を作りました ①その前に

今回、京都御所の六門と築地塀を作りましたが、その前に、3Dで作る際に幾つか気づいたことや発見?というか実は後の祭り的ヘマや失敗の自己弁護用予防線として書きました。ですから、ここに書きました事を前提に、その②で、一気に3DCGを掲載しますのでどうか「また、やらかしたか」と思わず温かい眼でみていただけるとありがたいです 笑。さて、後の祭りの最大の案件からいきます。まず写真を見てください。御所の南に位置する正...

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御所 紫宸殿の回廊と諸門を作りました

承明門に次ぎ御所紫宸殿を取り巻く回廊と諸門を3Dで作ってみました。この現在見る、京都御所の紫宸殿を取り巻く回廊と諸門は御所の焼失により安政度(1855年)に再建・造営されたものですが、そのお手本となった内裏は寛政度(1790年)に造営された御所で、安政度はほぼそのまま配置・形式を踏襲したものです。寛政度内裏の特徴は、紫宸殿の南庭に回廊と諸門を平安の古制に倣って復古造営したことです。それまでの桃山・江戸時代に...

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御所の承明門を作ってみました

京都御所の承明門を作るのに一週間以上かかってしまいました。用事もあったりしたものですから。少しサボりもありましたが・・・。ブログ記事の間隔が空くと、何と言うか読者の方も減ってランキングも下がるのではと、小心者の私は心配になってきます。で、短歌部門は、はてなブログの「梅村京一朗 短歌集」で書くことにしたので、それもあって空いてます。はてなブログのですけど、いまいち、手ごたえがない感じ。まだ、始めたば...

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公家町土地区画整理事業 区画決まる ①

公家町の土地区画整理事業について、公家の皆様方にパブリックコメントを募集したところ、一部の公家の方から「家格による屋敷地の面積差が大き過ぎる、是正してほしい」との意見も寄せられましたが、その意見の多くが五摂家との家礼に属さない独立系の堂上家だった、ということもあって紛糾する事態までは至らず、4月13日をもって事業スタートする旨、昨夜の説明会にて最終合意を取り付けました。本件は公家町という特殊性もあり...

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京都御所の紫宸殿を作ってみました。

先日、「平成版 内裏・公家町御絵図」を残された指図、過去の公家町絵図と現在の京都御苑を比較検討して、史実に基づいたかつての公家町を再現してみようと、今、始動してます。新たな公家屋敷の指図も東京・京都へ行って探しまくった結果、幾つか、新規の指図を収集しました。ちなみに慶応4年即ち明治元年に刊行された江戸時代最後の公家町を描いた「文久改正 内裏御絵図」ですが、十六丁版と十六丙版があって、多分、丁版が最...

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聚楽第に在った頃の飛雲閣を想像してみた 内部編

以前書きました「秀吉の聚楽第にあった頃の飛雲閣 外観編」ですが、この度、やっと「内部編」を完成させました。聚楽第に在った頃、と銘打っているように、あくまで私の想像の範囲内での「模擬飛雲閣」です。本来なら北面二階の壁に描かれている三十六歌仙の絵も描いてありません。その代わり、「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」に描かれているように、秀吉の御伽衆であった大村由己が著わした「『聚楽行幸記」の記述にある、...

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京都盆地をリニューアルしました。

久し振り、京都盆地の3D地形の色直しをしました。これからもっと有効に活かそうと思いまして。あくまで、仮想空間ですけど、東西16キロ、南北20キロの範囲で実寸大で作ってあります。ですから建物を配置した場合でも、見た目の遠近感は出てくるとと思います。地形の凹凸はポリゴンが粗目なのであまり滑らかではありませんが、それでも前よりかは良くなっているかな。田園風景、それらを縁取る緑のテクスチャ(模様)は実はバングラ...

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YouTubeに古代出雲大社神殿をアップしました。

YouTubeに古代出雲大社神殿をアップしました。久し振りの動画ですが見てやってください。神代が終わって人間の時代になろうとした上古、神殿の高さは32丈、96mもあったと伝わっていますが、その姿形はわかっておりません。幻の神殿なのです。ピラミッドのパクリと思われるかもしれませんが、そうではありません。古代文明の黎明期にとって、そのピラミッドは神と人を繋ぐ共通の装置だったのです。エジプトのピラミッド、メソポタ...

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古代出雲大社神殿を復元してみた その弐

寒いですね!北海道では玉突き事故で100台もの車が立ち往生したとか。たまに観光に訪れる分には素晴らしい北の大地ですが、現地の方にはたいへんな苦労ですね。怪我された方は少しでも早く快方されるよう陰ながらお祈り申し上げます。昨年、自宅に植えたイロハモミジの紅葉を心待ちにしていましたが、いざ晩秋を迎え色づいて真っ赤に染まったのですが、どこか「京都のモミジ」とは違う。そう、鮮やかさがなく少しくすんだ感じ・・...

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taka様
大晦日前日のお忙しいなかコメント頂きありがとうございます。
言い忘れましたが、板ガラスの来歴についてヨーロッパ、イスラム、中国、日本のそれぞれの角度から深い洞察をされ私も勉強になりました。とくにイスラムの月信仰について「なるほどなぁ」と唸ってしまいました。

こちらこそ大変お世話になりました。
来年もどうかよろしくお願い申し上げます。
taka様もご多幸ご健勝でありますように。

出雲神殿のほうですけど、動画の準備をしています。例によってというか熊野大社のヤタガラスがご案内する予定です 笑。
では。

素晴らしい復元ですね * by taka
まるで当時にタイムスリップしたかのようです。

年末を飾るに相応しいものだと思います。年末も結局騒動の連続でしたが、来年は是非良い年になってもらいたいですね。

本年も大変お世話になりました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

ブログ主様にとって来年が良い年であられますように。

それでは良いお年を

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レインボー様 
コメントありがとうございます。
虹は忘れたころにやってくる。
後、僅かで平成29年も終わりますね。
コメントのご縁でレインボー様も
さらに来年が良き年でありますように。

かなり奇天烈な神殿になってしまいましたが
お褒めを頂き嬉しい限りです。
遅筆ではありますが、コツコツとブログを重ねていきますので、また折をみてのぞいてくださいね。

鉄が主役だった * by レインボー
>では、なぜそんな強い勢力を持つ出雲が大和政権に国を譲ったのか?
 一つには出雲が多量の銅剣を抱えたころ、大和の方は銅剣を飛び越えて鉄剣にシフトしていた。鉄と銅の戦いならば鉄剣の方が圧倒的に強く結果、出雲は負けたのではと思ってます。

〇記事と立派な3D神殿図、拝見しました。
 出雲神殿、巨大ですね。感動しました。
 そして、鉄と銅の戦いがあったこと、やはり、鉄が主役だったのですね。参考になります。
 草々

古代出雲大社神殿を復元してみた その壱

前回、出雲の旅の縁もあって中古(平安時代)に高さ16丈(48m)にも達する高層の神殿が存在したことを裏付ける巨大な柱穴と柱の痕跡が発見され、俄に現実性を帯びたことから大林組が初めてその神殿を復元、ブログにも復元したイラスト図を紹介しました。(クリックすると拡大します)大林組の高さ16丈(48m)のCG復元図宇豆柱として大社境内に復元されている宇豆柱。発掘された宇豆柱(古代出雲歴史博物館)実際に大林組の復元図にも...

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秀吉の聚楽第に在った頃の飛雲閣を想像してみた 「外観編」

一応、飛雲閣の外観3Dができたので3DCG図をアップしてみます。今回はCG図をメインにアルバム風に載せます。飛雲閣についての「聚楽第からの移築説」や「聚楽第の何処に存在したのか?」、「そもそも存在したのか?」などの考察については次回私見も含め書いてみたいと思っています。まずは現在の飛雲閣の姿から、現在の飛雲閣聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅として天正15年(1587年)9月に完成されました。した...

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法勝寺フォト集

えぇ、今回は「法勝寺フォト集」と題して、CG写真を掲載します。いままで法勝寺については記事でいろいろと書いてきたので、ここは単純にCGだけ載せます。京都盆地を背景にしたもの、霧に浮かび上がる法勝寺、夜景と法勝寺、等々いろんな角度から。似たようCGもありますので辛抱して見てみてください。ちなみに京都盆地の背景写真ですが、4年前の雪降る寒い京都、某ホテルの展望スペースから撮ったものです。パチパチ一一心...

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院政期最大の建築・法勝寺金堂を復元しました。

先回は院政期を代表する法勝寺八角九重塔を復元しましたが、今回同じく法勝寺の金堂を復元してみました。これもブログ初期に作っていますが、今回、新たにリニュアールしました。今日の記事では八角九重塔も含めた3DCGをアップしようかと思いましたが、時間の制約もあって次回に譲ります。さて、金堂ですが、過去に記事も書いているので重複しますが、その点はご容赦を。法勝寺及び六勝寺ですが、1077年(承暦元年)白河法皇の法...

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八角九重塔にはどんな屋根が似合うと思いますか?

今回、法勝寺八角九重塔を制作するにあたっては、屋根を、あの平安神宮の鮮やかな緑に輝く「緑釉瓦」にしてみました。近年発掘調査された同八角九重塔の跡地からは、社寺の定番ともいえるグレー系の本瓦葺きの丸瓦が出土されています。従って、緑釉瓦の可能性は低くなってきましたが、それでも院政期を代表する塔建築であるということからあえて華やかな緑釉瓦にしてみました。文献等によれば「檜皮葺」だった時もあったみたいで、...

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