3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 鳥羽離宮

ミラノ発オンラインマガジンに3D京都のCGが載りました

ついに「3D京都」がグローバルデビューしました!などと”小っ恥ずかしい”こと書いてしまいましたが、実はイタリアのミラノで発行されている「SirK online magazine」というオンラインマガジンの5月号に小生の作りました3D作品のCG画像が二枚掲載されました。正確には、サバットリ・ラウラ(SABATTOLI   Laura)さんというイタリア人の女性学者の方が同マガジンに寄稿されました日本の「布団」について書かれた記事のなか...

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No Subject * by 京一朗
たっつん様

コメントありがとうございます。
元々、失われた京都への憧れからブログを始めましたが
外国の方でも日本の歴史や文化に関心をもって頂けることをとても嬉しく思っています。

今回のラウラさんも源氏物語絵巻を見たのがきっかけで日本に興味を持ち留学までされました。

自分の力量もまだまだ未熟ですので、
レベルを上げ、外国の方の眼にもとまるよう3D作りに励みたいと思っています。

No Subject * by たっつん
おはようございます。

CG画像の掲載おめでとうございます。
しかも、海外ということで凄いことですね。

これからのご活躍をお祈り申し上げます。

No Subject * by 京一朗
kotodayori 様 コメントありがとうございます。

文章よりも3DCGの方が視覚的に分かり易いですから、それがたまたま目に留まったのかなと思います。

CGだけでなく写真や絵等の視覚的なものの方が世界には伝わりやすいと感じました。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

豊富な資料に基づいて3Dを作るのも逆にあり過ぎて下手なものつくれないなぁ・・・と思うと同時にまったく資料のないものを一から作る時は100%の空想ではなく「こんな感じだったんだろう」と思わせるような3Dを作れるよう目指していますが、時に集中力も必要ですし、なかなか前進しません・・・

でも、時間は有限ですから出来る所まで焦らずコツコツやっていこうと自分自身に言い聞かせています。

今回のラウラさんは源氏物語絵巻を見たのが縁で日本に興味を持たれたそうです。

その事を聞いた時、匂うがごとくの平安の王朝文化は、太陽王レイ14世も生み出せなかった独自な官能の世界だったと思いました。

鎌倉時代の白木の禅宗様が武士世界に浸透したとき、平安以来の王朝文化は断絶し、二度と第二の源氏物語絵巻は生み出せなかった・・・。

良くも悪くも、禅宗文化は現代に及ぶまで日本を老成の文化へと変えていったのではとふと思いました。

No Subject * by kotodayori
こんにちは、イタリアのマガジンへの3DCG掲載おめでとうございます。ブログ制作の励みになりますね。今は、ネットで世界中から見てもらえているのですね。これからも楽しみに読ませていただきます。
またよろしくお願いいたします。

おめでとうございます * by 五反田猫
京都や古建築が好きな人は多いですが、
単なるイメージイラストではなくて、資料にも辺り、建築に関する知識もあって作成されている3Dですから、海外の方にも響くものがあるのでしょうね。


No Subject * by 京一朗
Hakka様コメントありがとうございます。

「グローバルデビュー」などと調子に乗ったことを書いてしまいました。忘れてください。

> 外国人の視点での日本文化の考察は、私たち日本人にとって新しい発見がありそうな気がします。

そうですね、まったく仰る通りです。
桂離宮の名を世界に広めたのもドイツの建築家のブルーノ・タウトでしたから。

アメリカにも日本庭園専門の雑誌がありますし。

私個人も海外を旅したとき、日本的感性には独自なものがあるなぁ、と思いました。

古代世界において、神への御供え物として動物や人間の生贄を捧げる儀式が広く伝番していましたが、日本の縄文・弥生時代の神への捧げものはお米や野菜、乾物、昆布などの海山の幸でした。五穀豊穣を願う穏やかなものでした。

その系譜を今も日本人は心に宿していると思います。

海外の方から色んなヒントを頂き、日本文化の再発見に触れてみたいと思っています。

No Subject * by Hakka
こんばんは。
海外デビューおめでとうございます。外国の方の目に留まるなんて、凄いことですし、嬉しいことですね。

ラウラさんの記事も面白そうですね。外国人の視点での日本文化の考察は、私たち日本人にとって新しい発見がありそうな気がします。

日本庭園なんかも、外国人の方達が興味を持ってくれたお陰で、最近では少しずつ日本の若い方たちにも関心が広がっているのかな、という気もします。

No Subject * by 京一朗
AzTak様 コメントありがとうございます。

小生もマガジン掲載の写真を見てどれもプロ級だなぁと感心しました。ミラノ、あるいはイタリア内でも評価の高いマガジンかなと思いました。

たまたま自分の3DCGがラウラさんの眼に留まりましたが日本文化の紹介に少しはお役にたったかな、と手前味噌ですが喜んでいます。

No Subject * by 京一朗
遠太 様 コメントありがとうございます。

仰る通りブログは国を越え世界と繋がっていますね。日本に興味を持っている方も沢山みえるんだなぁ、と思いました。ブログのタイトル名に英語表記を付け加えた方がよりいいかなと思いますが、肝心の英語力がないので差し控えています・・・。

第二期鳥羽離宮の3Dパノラマ画像です (後編)

前編に続き鳥羽離宮の後編をご紹介いたします。 鳥羽離宮も、あれこれ数えて12回ほど記事を書いてます。もちろん、同離宮は、何回書いても語り尽くせないほど広大で興味の尽きない離宮ですが今回でひとまず完結させて頂きます。PCの負担の件もありますから。 それでは前置きはこのへんにして、早速、後編のアップを致します。 まず、鳥羽離宮の湖面に揺らぐ竜頭船と貴族?たち。 竜頭船は箱根神社の竜頭船をお借りしました。 貴...

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寒くなってきましたね * by 梅のコージ
takaさま、
こちら愛知は初雪?が降りました。
朝、起きると屋根にうっすらと積もっておりました。
寒いには違いないのですが、なにか歌心を誘うものがあります。
そんなこと言ったら、東北や北海道の大雪み見舞われている方々に申し訳ないですけどね。

改めて、3Dについて評価頂きありがとうございます。本当はもっと完成度を高めたかったのですが、我が技術とパソコンの能力が足りませんでした。

おいおい腕を磨き、パソコンも能力アップします。

ところで、足利氏がこちら愛知県の三河の八条院の地頭職だったとは知りませんでした。地元では吉良様は名君と言われて銅像まであります。

室町のころはバサラ大名の佐々木道誉とかのさばって下克上の戦国へと突き進んでいきましたね。

日本にとって幸せだったのは、武士の棟梁が皇室の男系子孫である源氏と平家に束ねられていたことですね。

もうちょっと、道誉のような人間が増えていたら、とんでもないことでした。やれやれ、綱渡りの日本ですね。

では御身大切に頑張ってください。

鳥羽離宮、見事な出来です * by taka
本当に素晴しい技術力をお持ちで羨ましい限りです。また鳥羽離宮をこの様に復元していただき、まさに感謝感激の言葉でいっぱいになります。

残念ながら南北朝の兵乱で南朝方の拠点の一つであったために焼失してしまい非常に残念な気持ちでしたが、このように実際に在りし日の姿を見る事が出来て感動しています。

ところでこれに伴って今年3月28日の記事、院政期 八条院領と長講堂領、非常に興味深く読ませていただきました。特に後白河天皇の上皇時の勢力拡大の失敗に対する考察は非常に興味深いですし、これは主要な要因の一つであると私も同じ考えです。

この頃の事を語ると長くなりますので、室町幕府に対する疑問について。答えは簡単です。足利家はs下野足利荘はじめ、三河においても足利一族の大半が八条院領における地頭なのです。また高師直こそ「王など必要ない」等と妄言を並べ立てていますが、大半の考えは公家社会保守主義=後醍醐天皇vs武家社会保守主義=朝廷からの任命→武家源氏棟梁政治足利尊氏という対立軸に過ぎません。

従って当初は後の守護大名における荘園を没収するような過激な行動はしていませんし、恐らく八条院領没収という考え自体そもそも思いつかなかったのではないのではないか?と考えております。

また仮にそういう構想を思いついたとしても、承久の乱後の足利側が言う簒奪者の北条氏と同じ手法を取るのか? といわれると、そうではないと思います。



第二期鳥羽離宮の3Dパノラマ画像です (前編)

第二期の鳥羽離宮の3Dパノラマ画像が出来ましたのでご紹介します。 離宮全体ではいろんな角度から撮ったので、前編、後編の二回に分けて掲載します。 今回は、主に離宮の左サイト、西側の南殿(証金剛院)や勝光明院、北殿などの俯瞰パノラマ及び個々のクローズアップ画像など紹介します。 この鳥羽離宮の3Dファイルですけど、全体で700MBほどにもなりました。ですから実は離宮の全体像を同時に離宮内に配置することは出来ませ...

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コメントありがとうございます。 * by 梅のコージ
shimashima様

コメントありがとうございます。

唐・長安の大明宮の想像図とかベトナム・フエの阮朝王宮の午門の写真など見たことありますが、宇治の平等院鳳凰堂のような翼楼付の阿弥陀堂も中国の庭園建築の影響を受けているとは・・・そこまで深く考えていませんでした。勉強になります。

北京を訪ねたとき、故宮その他の古建築を観ましたが、人によっては中国の歴史建造物は北京を尋ねればそこにすべてある、とも聞いたり、

蘇州の庭園を見ても、溶岩のような庭石が多く、しかも積み重なって孔が空いているほど嘆賞される、とのことですが、日本の庭園感とはちょっと違うかもです。

日本の場合、平等院鳳凰堂とか、苑池を背景にした自然との一体感が柔和でより円やかな感じを醸し出している気がします。

平安期の離宮など、建築に左右対称の影響を受けていますが、もし、近世の日本で、朝廷の財力があったなら、上皇の離宮の院家建築の様相もどうなっていたんだろう?
より左右非対称で雁行型になっていたのかなぁ?

とか。

いろいろ想像してみました。

とても勉強になるコメントありがとうございました。

                         梅のコージ

鳳凰堂形式は水面から見るのがツボ? * by shimashima
湖面からの勝光明院の3D画像がいいですね。
宇治の平等院鳳凰堂のような翼楼付の阿弥陀堂は中国の庭園建築が元になったと言われています。
古い仏画にあるように、複廊といわれる1階吹き放しの2階建ての建物の前面が空を映す鏡池になっていて、建物を雲上にあるように見せるものです。
ベトナム・フエの阮朝王宮の午門にその形式が残っています。http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ab/09/kaientai1867/folder/1048327/img_1048327_43526888_4?1320059320

中国古代の陵墓園林の建築では陵墓の高い基壇の上にこういう楼閣が下図中央のような白河の六勝寺伽藍のように並び建ち、周囲の森の上に浮かんで見晴らしていたのです。
http://merosu.com/img/hosshoji2.jpg

宇治の平等院鳳凰堂の翼楼の2階の立ちが低いのは、池に舟を浮かべて遥拝した時に仏堂をより遠くで水平に長く伸びているように見せるためかもしれませんね。
平安時代の貴族たちはそうやって彼岸の阿弥陀堂を観想していたのではないでしょうか?

3Dでいろんな角度から再現して見ると気づくことが多くあって有意義ですね。

鳥羽離宮南殿&証金剛院の3Dが完成しました

訪問者の方、こんにちは。 まずは、御礼から。 ブログランキングの日本史部門で第二目標の五位以内、瞬間的には四位を獲得しました! 皆様のご協力ありがとうございました。 上位三位の方々のブログはとても素晴らしく、まだ新米の自分にはとても太刀打ちできませんが、皆様のネットを通じた応援をささえに今度はトップを目指して頑張ります。 今後もどうかご支援宜しくお願い致します。 と書いたら、何と、本日、9位に下がってし...

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平唐門を造りました * by 梅のコージ
takaさま、

こんな時間にすみません。午前零時を超えてしまいました。ブログにもアップしました鳥羽離宮用の平唐門や三間四面堂、六角堂、三十三間堂のお色直し?などに時間がかかり、コメント返信遅れて申し訳ありません。

改めて、院の近臣について深い説明を頂きありがとうございます。自分もいろいろ勉強になります。

前、雑学で、江戸時代までの天皇陛下は、玉体という天皇位の間は、病気でも滅多やたらにお体を触れなかった・・・とか聞いたことがあります。

こんな一面も上皇に譲位されたかも・・・です。

それでは、おやすみなさい。


瞬間四位 * by taka
達成おめでとうございま~す^0^/ そして鳥羽離宮南殿の3D画像アップ、ありがとうございます。やはりこういう分野がいまだに興味を持たれている方がいらっしゃる事に我が事の様に嬉しくなりますね。

皇居東御苑から望んだ離宮、宮島とのコラボ、本当に素晴しい出来栄えで感激しました。やはり平家縁の宮島とのコラボは特別な感情が湧きあがります。

さて、前回の畳の件ですが、あれは『延喜式』と『海人藻芥』の中の畳事から出典しております。

>院の近臣とは、官位を飛び越こえた存在なんですね。まるで徳川将軍のお側用人みたいですね。

そこは非常に重要な部分であります。そもそも何故上皇・法皇にならなければいけなかったか? 何故院政なのか? と申しますと、それは天皇位におられる限り宮中での決まり事は守らなければいけません(徳川政権で言う秀忠ですね)。ところが退位された場合は宮中での決まり事を越えた存在で縛られる事はありません(大御所、家康です)。従ってそれなりの力さえあれば自由に席次も決められ、自由な意思で政治が出来るようになり大権を持てるようになり院宣が詔勅の上に行くといった事態になります。

そして治君の君を守衛し、摂関政治を打倒した中心勢力として活躍したのが所謂院の近臣です。側用人というのは幕府の公式アドバイザーですが、院の近臣は院の個人的なアドバイザーと行ったところと申したほうが良いでしょう。院の近臣の代表者として藤原道長の孫能長(最終贈太政大臣)や、夜の関白と異名を取った葉室中納言顕隆等がおります。

以上の事から考えると、やはり鳥羽離宮における院の側の紫座というのは院の近臣と見ざるを得ないのです。院の個人的アドバイザー→公式の納言以上の官職という道筋をたどるのが当時の流れだったのでしょうね。

さて、これから寒くなり風邪もひきやすい季節になりましたがお体に気をつけながら、無理の無い範囲で続けてください。

鳥羽離宮の南殿間取図を載せます。

鳥羽離宮の3D製作もいよいよ佳境に入ってまいりました。 今まで、何度も離宮のことを書いてきたので、かなり重複してると思うんですけど、「こいつ、また同じこと書いてる」と思わないでくださいね(笑)。ブログによっては記事中の下線をクリックすると、その場でブログ内の過去記事へ案内してくれる、という便利な所もありますが、管理人もおいおいブログの勉強して「おぉ!」と言われるようなレベルになりたいと思っています。 ...

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* by 梅のコージ
taka様、

いつもながら詳しいフォローありがとうございます。もう「そだったのか!」と驚きの連続です。一体、その豊富な知識は何処から泉のごとく湧き出てくるんだろう?と感嘆してます。
今回も、繧繝縁はうんげんべり、もしくはうげんべりと読むんですね。
紫座の推測もさすがです。院の近臣とは思いもよりませんでした。 院の近臣とは、官位を飛び越こえた存在なんですね。まるで徳川将軍のお側用人みたいですね。

また、いろいろ教えてください。

そうそう、黄緑は地下、縁なしは無位だそうです。なるほど、初めて知りました。

これも貴重な資料 * by taka
です。梅のコージさん の意欲溢れるチャレンジ精神と、資料の提供にはいつもながら頭の下がる思いです。

繧繝縁はうんげんべり、もしくはうげんべりと読みます。ご存知だと思いますが、天皇・上皇・三后・准后は繧繝縁を、大紋高麗縁は親王・摂関・大臣(准后宣下を受けない者)、小紋高麗縁は公卿、という具合に決められていました。

そこで大問題なのはここに書かれている字です。梅のコージさん も書かれていますが、私もこの高麗というのは畳の縁の事だと教えられました。これが非常に問題なのです。何故か? と言いますと、宮中においても院政においても所謂席次というのは君主から見て左が官位が高く右が官位が低いというのが原則ですが、それと同様に重要なのは君主に近いか? 遠いか? も重要な位置づけになります。

で、紫座というのを畳の縁の彩りだとすると、宮中儀礼の畳には紫縁というのがあります。これは小紋高麗縁より一つ下、殿上人が座る畳み(従五位下~正四位上)なのです。席次でいえばある意味分不相応な位置ですが、恐らくは院の近臣と呼ばれる殿上人で、官位を飛び越した席次で着座された可能性が非常に高いと思われます。

ちなみに黄緑は地下、縁なしは無位だそうです。

第一期鳥羽離宮のパノラマ3Dです

今夜も大河ドラマ「清盛」に鳥羽離宮のことが触れられていました。先週は後白河法皇が鳥羽離宮に幽閉されたお話でしたね。いよいよ清盛も最後の時が近づいてきました。何故か平家一門の物語は滅亡に至る過程がドラマチックで胸に迫るものがあります。ドラマ的に言うといよいよ佳境に入る、ってところですかね。 平家は京都に構えたことにより貴族化しました。足利氏もそうですけど。 ただ、日本の文化は、たとえば江戸の始めの寛永...

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テンプレート変更しました。 * by 梅のコージ
takeさま、
いつもいつもメール頂きありがとうございます。

今回、鳥羽離宮のパノラマを掲載しましたが、もう、あまりにも広くて、金剛心院、勝光明院だけでは間延びしてしまいます。今、白川院の御陵の多宝塔を作っていますが、「一筆書きで、キーを押すだけで一発変身?みたいなことを考えてしまって、ついそっちの方に走ってしまいます。

国会議事堂ですが、
渡辺福三という方のデザイン設計を元に建築されたんですね。いつもながら博識に頭が下がります。今後とも、いろいろ教えてください。自分は本の飛ばし読みばかり得意で、読んでも忘れてしまいます(笑)

見事な * by taka
離宮のパノラマですね~ 概略図もアップしてくださりありがとうございます。

鳥羽離宮・勝光明院(平等院鳳凰堂のそっくりさん)が完成しました。

衆議院もようやく解散の運びとなりました。野田総理には「近いうちに・・・」に言われ続け、本当に年内?とヤキモキしていましたが、この師走、本当に約束を守ったわけですね。やれやれ、気ぜわしい年末になりそうです。 今回、鳥羽離宮の北殿に付属する勝光明院の3Dを作りましたが、テレビで国会議事堂を見てると、何となく勝光明院(実際には平等院鳳凰堂)と似てるなぁ?と思いました。なんか、似てるのは「左右対照だけだ!」...

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素晴しい * by taka
出来ですね~ 感動した、の一言につきます。まさに当時の皇族を中心とした新しい政治を作ろうと意欲に燃えた強い意志がこちらにもヒシヒシと伝わって来るようです。

これだけの壮麗な建物、芸術性に加えて院政の中心地という歴史的な価値がありながら南北朝の兵火で焼けたという事に対しては残念の一言ですね。

>>テレビで国会議事堂を見てると、何となく勝光明院(実際には平等院鳳凰堂)と似てるなぁ?と思いました。

日本の国会議事堂は渡辺福三氏デザイン設計を元にされています。今の日本の教科書は勝手に「1928年(昭和三年)に完成したロス市庁舎を参考にした」等と勝手に妄言を吐いているみたいですが、日本人のデザインで大蔵省建築局が所々改変したのであれば平等院は絶対に参考にしたと思います。

何故なら平等院の建物というのは、英国建築の所謂シンメトリー、とくにジョージアンスタイル建築にも通じるものがあるからだと思うからです。

民主党政権は本当に最低な政権でしたがw 惑星直列の年に解散してくれて良かったと個人的には思います。独身の私も一人ジックリ考えて投票しなければなりませんね^^

鳥羽離宮-金剛心院の3Dが完成しました!

鳥羽離宮-金剛心院が完成しました!昨日、一応、完成したのですが、見直す所が出てきて修正にちょっと手間取りました。やっぱり、和風建築は屋根の形状と色合いで決まりますね。今回も造ってみて、やはり入母屋屋根の軒の反りの曲線・角度が重要だと改めて感じました。今後も様々な屋根の形を作りストックしておきたいと思います。さて、金剛心院の各建築物の大雑把な寸法等の説明は、ちょっと前に書きましたので、今回は同心院に...

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コメントありがとうございます * by 梅のコージ
takaさま
コメントありがとうございます。

鳥羽離宮の3D、お褒め頂いてこそばゆいです(笑)。
これからも続けてまいります。

それにしても嫡孫維盛流の子孫の方とは恐れいりました!ルーツが平安時代にまで遡れるなんて素晴らしいですね。

実は当家ですけど、どこまで本当か?わかりませんが父から伝え聞くには、斎藤別当実盛 の傍流?の子孫だと聞いております・・・。

世が世ならば、梅のコージはtakaさまの家来筋だったんですね(笑)

それとブログ記事の見た目を少し変えカラフルにしました。バナーへのクリックも平身低頭、心よりお願いするよう表現を切実?なものに変えました。効果はいかに?

また、感想とか聞かせてください。

それにしてもtakaさまは博識ですね!
ブログ始めたら絶対人気でますよ。
あっ! すでに始めていたり?かもかもです。

では、また、よろしくお願いします。

金剛心院の3D画像完成が嬉しいです * by taka
いざ実際に見てみると「こういう建物だったのか~」と改めて感心するとともに感動しますね。鳥羽離宮は藤原氏の専横から脱し、皇室主導の政治として本来のあるべき姿を取り戻した期の重要な政治の中心地ですからその中の一つの寺院をを見るだけでも胸がつまりますね。

ちなみに鳥羽離宮内の五つの寺院のうち、証金剛院だけが白河天皇時代の建物だそうですね。

大河ドラマ関係の記事ですが、私は一応伊勢平氏(嫡孫維盛流)の子孫と言われていますので平相国は尊敬しておりますし、個人的にはご落胤であって欲しいと思っています(笑)

それはともかくとして海外放送でkingという言葉を使わないように、という事を願っても無駄なように思えます。普段からNHKというのは韓流ドラマを推進してきており、竹島問題では国会質問中不可解な中断をしていたり、従軍慰安婦模擬裁判では先の昭和天皇陛下を諱で呼び捨てにした上に絞首刑等という放送を平気でしてきております。

このドラマにしても無理矢理歴史を捻じ曲げて王家という表現をした上に、批判が集中するや「我々がそういうのだから王家が事実だ」と反論する等厚顔無恥な連中です。しかも「物の怪の血が呼ぶ」と皇室に対してその様な表現をしている事自体、NHKという放送局がどういう放送局か? 解かると思います。

まあ、ナムドンセンワン(弟王)という呼称を使用されるよりはマシと思わないと駄目かも知れませんね~

鳥羽離宮-金剛心院の南側から見た3D作品をアップします。

まだ一部製作が残っているので、 取り合えず鳥羽離宮-金剛心院の南側から見た3D作品をアップします。 いかにファイルの重さを押さえ、かつ、それなりに見れる作品ができるか? 一人で出来る範囲内で作成してみました。 今回も作ってみて、後で「ここをこうすれば良かったのになぁ・・・」と反省することしきりです。 とにかく、ファイルの軽さと、見た目、クォリティーの高さとの両立、その辺の兼ね合いが難しいですね。 と言う...

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鳥羽離宮の3Dと絵図 * by taka
とても感激しています^^;

個人的に、後三条天皇・白河天皇は尊敬していましたので、両天皇関係の建物というのは思い入れがあります。

是非頑張ってください。

鳥羽離宮-金剛心院の間取図(指図)が完成しました。

当ブログ訪問者の皆様方、こんにちは。寒くなってきましたね。 そろそろ炬燵のほしい季節になりました。と、そんなことを書くと、「日本の家屋は夏向きじゃ」と徒然草の兼行法師さんが出てきて説教されそうですが、実際問題、平安時代にも炬燵はありました。けれど、限りなく火鉢に近い代物でした。しかも「寝殿造」には一部、塗り籠めの壁がありましたが、そこは主に納戸に使用。他の母屋周りは蔀や遣り戸で囲うだけ、隙間風もぴ...

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鳥羽離宮の3D製作を始めました。

タイトルの通り鳥羽離宮の3D製作を始めました。鳥羽離宮と申しましても五つの広大なブロックから構成されており、そのすべてを復原するのはとても手に負えないので、一部について3D化したいと思っています。まずは、手始めに御所の一つ田中殿に関係する寺院・金剛心院について再現してみます。同金剛心院は鳥羽離宮のなかでも規模、壮麗さにおいて当時から「一番!」と言われていた建築で、どこまで3D化できるかわかりません...

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御回復 * by taka
おめでとうございます。鳥羽離宮の3D、楽しみにしております。

よみがえる鳥羽離宮

最近のブログでは法住寺殿や伏見城など洛南の地域の建物を取り上げていますが、今回もまたまた真打登場というか、あの鳥羽離宮の登場です。ちょうど名神京都南インターが離宮跡とも被るので、いままで発掘調査もなされてきて全体概容がおぼろげながらわかってきました。ただ、細かいところになるとまだ不明な点が多く、建築史上もまたしかりです。太田静六氏の書かれた「寝殿造の研究」のなかに鳥羽南殿の推定間取り図が描かれてい...

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