3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 近衛家

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(八)

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

木戸邸の屋根の先ですけど銅板で葺かれていますよね。数寄屋造りにはよく見られる屋根ですが何時頃から始まったのかな、と思ってます。ちなみに、江戸中期に現在のような桟瓦が作られ一気に普及しましたが(おかげで幕末の公家屋敷はみな桟瓦になってしまいましたが)、面白いのは数寄屋造りには桟瓦が似合うんですよね。そこへ銅板を加えれば又違った高級感が出てきます。

利休の生きた頃は、まだ桟瓦がなく本瓦葺きでしたが、それだと重い感じだし、そうなると茅葺か杮葺きの二択しかなかったのかなぁ、と思ったりします。お寺の本堂を見て桟瓦だと安っぽく感じますが、それが数寄屋の屋根なら見事に軽妙感がでる。素材も活かし方次第ですかね。

言われてみれば法服、確かにそうです。思い出しました。紹介頂いた装束のHP拝見しましたが、東京美術学校の制服もこんな感じだったんですね。

何かの写真で、冠と三角帽を交ぜたような頭巾を被った岡倉天心を見たことがありましたが、そうか、この法服シリーズだったんですね。

もう、ネクタイにスーツも飽きましたから、日本発の新しい装束を生み出せたらいいですね。

No Subject * by 五反田猫
いつも興味深いお話しを有難うございます。

近衛家三本木邸の遺構が木戸孝允所縁の建物として残っているのですね。 屋根は四方寄せなのでしょうか、屋根の上にある構造物が面白いですね。

桜木邸は、天理教さんの河原町大教会なのですね。
天理教さんは雅楽の支援をされておりますね、わりとフレンドリーで、私の町内にも教会がありますが餅つきなどでお世話になっております。
本旨でない話しで恐縮ですが、教服は明治の法務官の制服に似ていますね。
http://www.kariginu.jp/kikata/igyou-syouzoku.htm



No Subject * by 京一朗
Hakka様

屋敷地の坪数間違えました。3千坪でした。自分で記事に書いておきながら、公家シリーズでいろんな屋敷を取り上げ混同してしまいました 笑。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

>内部に入れないとのことだったので断念しました。

そうでしたか。私も外から撮らさせて頂きましたが(多少、苑内に入り東側から撮りました・・・)。室内はやはりダメでしょうね。
ここも明治天皇の行在所ということで一棟残されたと思います。

当時は2千坪近い敷地を有していたようです。鴨川の流れも綺麗だったでしょうね。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

先日、京都に行って来ました。旧木戸孝允別邸も行ってみようかと思ったのですが、内部に入れないとのことだったので断念しました。かつてはかなりの規模のお屋敷だったそうですね。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(二)

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No Subject * by 京一朗
Hakka様コメントありがとうございます。

ブログ拝見しました。例の、とか言ったら失礼ですが、ちょくちょく伺うブログ主さんとはありがたいです。友好親善ですね 笑。その(三)アップしたので宜しかったら覗いてやってください。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

古い城址などであれば古老に聞けば情報が得られたりする場合がありますが、公家屋敷跡ではそうもいかないようで、さぞご苦労されたようですね。

それでも、古地図と照らし合わせての痕跡探しはとても面白そうですね。

第三回も期待しております。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

そうですね、前も五反田猫さんから教えていただきましたね。30石でも蔵米の方が安定していていいですね。仮に30石の知行地だと実収入15石ほど。領民は三世帯ほどですかね 笑。

「華族建家坪数控」を読んでいると公家の家令のいろんな署名見比べますけど、五摂家の家令はさすがに達筆ですね。さっぱり読めない崩し文字もあれば、楷書で書いていてすごく解り易いのもあります。字も下手な自分よりさらに下手?という人もいる。名前もいかにも、という人もおれば”山田孝男”君みたいな今時の名も。幕末の資料を見ていると、別に維新じゃなくても、当時の人々も確実に近代の感覚へ意識が変わっていると思いますね。

石井家の御屋敷ですけど明治30年頃の写真です。雨樋とかもあって結構改造されていると思います。建てられた当時はもう少し瀟洒だったのでは?と思います。

No Subject * by 五反田猫
いつも興味深いお話しを有難うございます。
前のお話しも含めてのコメントです。

>三十石公卿
これは蔵米支給なので、作柄にかかわらず三十石全部貰えますので、知行で言えば六十石並ですね。とは言え、当然に少ないので、親兄弟、親戚で、能力があれば朝廷に出仕し役料を貰うのが普通です。 能力があれば同じ家でも何人も出仕できる点が、武家と違う点ですね。 武家でも幕末は人材登用で能力次第で、採用するようになりましたが、朝廷は 下級公家や地下は、結構 実力主義なのです。

>石井家
珍しい写真を有難うございます。 下級公家の屋敷の資料は少ないので参考になります。 御師や神官の家と言っても通じるくらいの雰囲気ですね。 破風は簡素ですし、屋根瓦は普通のものです。 切妻の棟割長屋風で、チープ感があって、三十石公卿ってこんなものだと納得してしまいました。

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