3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 平田篤胤

幕末裏面史 一枚の禁裏絵図を巡って 後編

前編では長尾名鳥が描いた「安政新造内裏全図」について他の絵図・指図も絡めて「禁裏絵図とはどんなものか?」、そのへんを書きましたが、後編では名鳥その人について足跡を追ってみたいと思います。前編でアップしました長尾名鳥の略歴を書いた唯一の情報がネットに上がっている旨を書きました。そして、ネット以外にも一つだけ滋賀県の大津市歴史博物館に名鳥の痕跡を残す資料が残っているとも書きました。どんな資料か? 同歴...

... 続きを読む

No Subject * by 京一朗
AzTak様
コメントありがとうございます。

平田篤胤は学問としての国学、神道だけでなく当時としては珍しく心霊を体系的に実証研究した人で、そのへんが教祖的なカリスマのイメージがあるのだと思います。

No Subject * by AzTak
後半に出てくる平田篤胤に興味があって、この記事を拝読しました。
実は西新宿の超高層ビルに職場があったとき、ごちゃごちゃした新宿から通うのが嫌で代々木から通っていました。決して共産党信奉者じゃありません。その道筋に高野辰之の旧居跡があったり、平田神社があったりしました。
当然のことながら、篤胤のことはスーパーマンのごとく書かれてあります。どんな人物なのか気になっていました。
今で言う原理主義者のような側面があったのかなあ、などと思いました。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

そうか、「なか濱」の長浜ですね。
江戸時代の近江は大名、公家、寺社、幕府などの所領が入り乱れて分かりにくい面がありますね。勤王家、国学者、志士も集まっていますし。商売上手ですし。大津宿が東海道で一番大きな宿場町とは今回まで知りませんでした。いつも思うのですが、愛知県から滋賀県へ入ると風土の違いを感じます。町や村と自然、田園がしっくり溶け合っているのです。

長尾名鳥大人の短冊が売りにでていたので速攻で買いました。最後の一枚?かも。

内裏図の文字と比較しようと思っているのですが、内裏図の方は楷書、短冊は崩し文字なので単純には比較できないなぁ、と首を捻ってます。

昔の短冊は長いんですかね。
お宝箱?に入らない 笑。

寒くなってまいりました。
風邪など召されませんようご自愛くださいませ。

幕末の宮廷 * by 五反田猫
これはこれは、興味深いお話しを有難うございます。
これだけ材料があれば、幕末時代小説がかけるくらいワクワクしますね。

平田篤胤の写真があって不思議に思ったのですが、そうした背景があったのですね。 国学者、神道と言っても色々な流れがありますが、平田篤胤の考え方は実は西欧の影響が大きいと私は思っています。 それは、西欧の科学的な考えも取り入れて天地の理を明確にしようという行動に出ていると感じています。この話は切りがないので簡単な感想にて、

実は、今回のお話しで一番気になって引っかかったのは、名鳥が居たという三井寺喜見院住職という記述です。
現在の三井寺に喜見院は無く、もう少し調べる必要がありますが、淡海対岸の百済寺に喜見院はあります。
名鳥の歌には、同じ湖東の「長浜」が出ています。
一方で、絵図の面には明白に「逢坂山下」とあるので、湖西か湖南の住人なのは間違いないですね。 もう少し掘り下げてみます。

それにしても、こうやって文献や、その周辺を調べると当時の人々が活き活きと見えてきますね。
そうしたものを見せて頂き、有難うございました。

再考 「坂本龍馬暗殺の黒幕は誰か?」 後編

前編の最後部分で「龍馬と親しかった佐々木高行が宴会の席で龍馬が酔いに任せて言った一言が、後の暗殺に繋がったのではないか?と思われる節があるのです。」と書きましたが、 その佐々木高行と龍馬が親しくなったきっかけの一つがイカルス号水夫殺人事件です。 同事件は、慶応3年(1867)7月6日深夜、長崎の花街、遊女屋引田屋の裏路地で、英国軍艦イカルス号の水夫、ロバート・フォードと、ジョン・ホッチングスが殺害された事...

... 続きを読む

NoTitle * by -
taka様、
コメントありがとうございます。お礼のコメント遅くなり申し訳ありません。紹介いただいたブログ読まさせていただきました。光格天皇様の事績が詳述されていてとても参考になりました。また、改めてtakaさんの博識には頭が下がります。

NoTitle * by taka
それにしてもコージさんの考察はかなり鋭い所をついてくる、とつくづく思います。当時坂本龍馬は才谷梅太郎という偽名を名乗って活動しており、近江屋に在住している事を知っている人物は非常に限られていると思います。

もっと突っ込んで言えば寺田屋事件で三人が暗殺されたと言われておりますが個人的には二人、一人は不運な事故死だと思っております。というのも中岡慎太郎は不幸にも亡くなりはしましたが、焼き飯を食べるほど一時期回復していたそうです。死因も恐らく出血多量という事であり、非常に怪しむべき人物と言えるでしょうね。記事の最後の方にも書かれていましたが、人間の価値観というのはそうは変わらないと思っています。龍馬主導の商業・政治活動でしたが、所詮は無礼討ちも自由に出来る上士とは違い郷士風情という事でしょう。

吉田神道が黒幕というのも的を得ていると思います。天明の飢饉時、偉大な光格天皇の時代の事は
blogs.yahoo.co.jp/rosetemjp/333841.html
このブログが詳しいですが、この動きに吉田神道という公儀御庭番に匹敵する組織が関わっている可能性も考えると、坂本龍馬暗殺にも大きな役割を果たしうるだけの力があった事は否定できませんね。

また日露戦争前に田中宮内大臣伯爵達が坂本龍馬を持ち上げ始めた、というのも日本伝統の御霊信仰、直接的な敗者を神として祀る、という文化的な面があったのかもしれません(つまりは元勲が勝者であり、坂本龍馬が敗者)

コメントありがとうございます * by 梅のコージ
さぶろた-様

コメントありがとうございます。

平田篤胤については膨大な著述を前にして表面的に捉えるだけでしたが、より詳細な内容を教授頂きありがとうございます。

また、土佐の隠れキリシタンの件も情報ありがとうございます。

山の民とはサンカのことかなぁ?と思いますが、昔は戸籍がなかったと言われますが、現代でもそんな人いるんですかね・・・?

後、てき屋と寺社の関係とか興味尽きないですね。

                     梅のコージ

土佐とキリスト教 * by さぶろた
長宗我部元親の時の戸次川(大野川)の戦いで、キリスト教大名の応援をして、長宗我部は負けてます。
仁淀川河口から少し上にいった右岸に「八十」ヤソと言う字地名がありそこには小さなヤソ神社があります。土佐にも一時期隠れキリシタンがいたのかもしれません。

バックアップのネットワークを広げた元は、霊能真柱が好まれてたこと。山で暮らす民には口コミですでに幽明一如の信仰は、救いのように広く広がってたと思います。

伊予大洲藩が天皇の東京行幸の先頭になったのは、彦根藩伊井家のような小藩に権威指南役を与えるやり方だと思いますが、平田篤胤の養子の鐵胤や矢野玄道が出た藩だったから選ばれた理由ももあるかもしれないな、と思ってます。

再考 「坂本龍馬暗殺の黒幕は誰か?」 前編

実は高杉晋作はなぜ、「NHKの大河ドラマで主役として取り上げられないのか?」 その理由を書いてみたいと思っていたのですが、 高杉のことを調べるうち、高杉と同様に、まるで役割を終えて彗星のごとく去っていった坂本龍馬の暗殺の謎がどうにも気になって調べてみました。 (坂本龍馬) そしたら、共に暗殺された中岡新太郎の黒幕説まで飛び出しているなど、諸説・混乱していることを知りました。 (中岡慎太郎)それら各黒幕...

... 続きを読む