表題の通り、室町時代に存在し、応仁の乱で地上から消えた相国寺の七重塔を中心に京都盆地の遊覧飛行をビデオ化してみました。 同七重塔は総高109mと木造塔としては文献に残る資料も含め史上最も高い塔でした。 存在した期間が71年間と短く三度も消失したため、どのような外観、内観、そして構造かまったくわかっていません。 ということは、無いものを有るものとして3Dで作るわけですから、もうやりかた次第、想像力も半端なく発...
これもブログ初期ですが、今、改めて最初に作った相国寺七重大塔をみて見ると、もう下手くそで見るに耐えないです。 そう見えるということは、自分なりに目が肥え少しづつ上達しているのかなぁ、と自分なりに思う次第です。 当ブログは基本、京都の失われた建築群を3Dで作成し掲載するのが趣旨ですが、 なかなか簡単なことではなく、今後も5年、10年と時間をかけて作っていこうと思っています。 本来ならブログというよりもホーム...
まず、前回の訂正です。 鳥羽法皇が宇治の平等院鳳凰堂を模して建立された勝金剛院と・・・書きましたが同院の正しい寺院名は勝光明院でした。間違えてすみません。 さて、以前、鳥羽離宮は五つのブロックから構成されていると書きましたが、今回の勝光明院は鳥羽法皇の二番目に建立された御堂で御所である北殿の東にありました。保延二年(1136年)のことです。ちなみに同離宮の内、最初に建てられた証金剛院(白河法皇の発願)を除い...
>効果はいかに?
効果はそこそこと思いますが、ブログやこういった物は宣伝力とともに忍耐力持続力が物を言いますし大切な事だと思います。
さて
>当時、同勝光明院が平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)を模して建てられたのも、それだけ当時から華やかで平
>安時代の仏教建築を代表する一つとして評判を呼んだんでしょうね。
これはその通りでしょうが、同時に鳥羽天皇の対抗意識もあったのは確かでしょうね。平等院の壮麗さというのはまさに藤原氏の象徴、鳥羽離宮こそが一番素晴しい建物群であるべきだという意識はあったと思いますね。
ちなみに『太平記』巻三には六波羅探題の兵により後醍醐天皇を平等院に遷した記述や、巻十四では宇治の戦いで大楠公が放った火で平等院が悉く焼けた事が記述されております。恐らくこれが平等院の終焉の記述かと思います。現在は鳳凰堂及び鎌倉時代に建立された観音堂が古い建物と言えます。
それと梅のコージさんがアップしている写真はデジカメですよね? デジカメならフィルム代は掛からないので一ヶ所のアングルで複数枚撮影した方が良いでしょう。私の場合もデジカメにクセがあるので、水平と右傾き・左傾きで平均5~6枚撮影しています。
またまた定番というか京都・東寺五重塔から定点観測した法住寺殿と方広寺大仏殿です。いくら京都の地形図を等高線にそって3D化したとはいえ一面のグリーンは「実際ありえん!」と思われるのは当然かもしれませんが、それでもこの信州の「美ヶ原高原」状態の京都盆地も良いものです。現実は一面の灰色のビルと住宅群が連なっているなか、夢のようなお伽の世界があったっていいじゃないですか! ということで今回も後白河法皇の法...
今日は春の嵐と呼ぶにはあまりにも暴風雨が吹きあふれた一日でしたね。中には強風で亡くなった方もみえました。大地だけでなく空も今の時代に震えているのですかね・・・。 さて人も亡くなったのに時候代わりに使ってすみません。ご冥福をお祈り申し上げます。 法住寺殿の方ですけど、初代三十三間堂や五重塔が出来ましたのでアップします。当時は朱塗りの寺院が定番でしたからそうしました。まだ最勝光院とか残っているので頑張っ...
ご無沙汰しております。更新を怠って申し訳ありませんでした。昨日は大勢の方のアクセスを今朝になって知り、驚きと感謝と、そして自分自身の怠惰を恥じ入る次第です。反省しています。まだ書きたいことはいっぱいありますので今後ともよろしくお願いします。 以前、相国寺七重大塔をアップしましたが、レンダリング、色付けの段階で配色が細かすぎて、結果、ブツブツの集合体のようになってしまいました。そこで取り合えず屋根瓦...
方広寺は、東山の地に大日如来(大仏様)を祀るため、1586年(天正14年)秀吉により奈良・東大寺に倣って大仏殿の造営が開始され、1595年(文禄4年)完成しました。1595年10月28日(文禄4年9月25日)の大仏開眼のため千僧供養会には、天台宗、真言宗、律宗、禅宗、浄土宗、日蓮宗、時宗、一向宗の僧が出仕を要請されました。千僧供養に出仕する千人もの僧の食事を準備した台所が、かの妙法院だそうです。東大寺の大仏より大きい18mの...
本物かな???と思っています。時代はそこそこありそうです。
当時の大仏殿の最大の丸瓦はどれぐらいだったと推測されるのでしょうか?
分かるようであれば、ご教授ください。
よろしくお願いします。
寒いし気分転換に銀閣に銀箔を貼ろう・・・としたんですけど、ふと、数年前NHKの「銀閣寺特集」を放映していたのを思い出しました。確か銀箔は貼ってなかった・・・けど、ある意味それ以上の貼り細工がしてあった・・・と。んで、さっそくネットで調べました。そしたらわかりました。往時の銀閣は何と二層の壁一面に、黒漆の下地、そしてガラス質の「白土」に「ミョウバン」を混ぜた白土が塗られていたのです。壁に光が当たると...
他の大学だったか記憶が曖昧です)へ送られていました。
拙ブログに来ていただきまして有難うございます。m(_ _)m
このような切り口で京都を捉えられて・・・素晴らしいですね。
リンクして下さって光栄です。有り難うございます。当方もリンクさせていただきました。
タイトルのバック写真・・・法勝寺八角九重塔なのですね。中国が出現したみたいです。現存していたら・・・
これからもどうぞ宜しく。
現在の岡崎、ちょうど動物園のある辺りに、あの巨大な法勝寺伽藍が屹立してました。院政期の白河法皇の発願で建てられました。今、NHKの大河でも話題になってますね。「王家」の呼称問題とか一部騒いでいますが、思うに正確に言うならば「院家」かな・・・。あのころ、いわゆる西欧の絶対王政は日本の天皇にはありませんでした。世俗的な権力を行使するために、わざわざ退位して上皇になるぐらいですから。帝という存在は祭司が...