3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 天皇

公家史観

今、「平成版 内裏・公家町御絵図」の中心となる紫宸殿の作成に取り掛かっているところです。3Dは多少の集中力が必要なので少し充電しています。私は「公家町再建プロジェクト」と題してカテゴリー欄のなかにチョコチョコ記事を載せていますが、具体的にはどう表現していくのか、ハッキリしたことはあまり考えていませんでした。それが最近、近世・幕末の内裏・公家町絵図を見比べているうち、「私の求めていた公家町はこうなん...

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新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 中編

中院家指図の核心に入っていく前に(大げさかな)、中院家についてどのような公家さんなのか少し触れてみたいと思います。中院家(なかのいん け、と読みます)は、大臣家の家格を持つ公家。摂家、清華家の次に位する立ち位置で同じ大臣家には嵯峨家(正親町三条)、三条西家、そして中院家の三家あります。摂家が5家、清家家が7家。その後に続くわけですから公家のなかでは中の上クラスですね(中院家の方、失礼な物言いですみません...

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「上皇様」とお呼びしてよろしいですか?

今月6日、天皇陛下の譲位などを検討する政府の有識者会議が、天皇陛下の退位後の称号を「上皇」とする方向で最終的な調整が進められる方向、との報道がありました。正式には太上天皇、略して上皇さまの尊号は江戸時代の光格上皇以来、ずっと空位のままでしたがこれで、もし平成30年、今上陛下が譲位されたら約二百年振りの「上皇」位の復活です。まさか、歴史上でしか接することができなかった上皇様を、この目で拝見できる機会が...

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先程の管理者専用への投稿は * by taka
ミスでした。すみません。

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NoTitle * by -
takaさんコメントありがとうございます。赤い皇族? ちょっと禁忌ですよ・・・笑。私も誰かなぁ・・・と気になる方はいます。戦後、バイニング夫人等の米国型民主主義の影響もあるかもしれません。現皇太子殿下がご結婚前に登山をされた際に随伴した記者の一人が「この御方のためなら命を投げ出してもいい!」とまで週刊誌に書いた記事を読んだことがあり、殿下は人を惹きつける天子の徳をもった御方だなぁ、と今も思っています。殿下は水運の歴史にも造詣が深く、山がちで狭い国土の日本において、いかに水運が重要な役割を果たしてきたか、きっと明察されたのでしょう。
後、これは私もご皇室に不遜ではと思いますが一つ気になったことがまります。
今般、秋篠宮家ご長女の眞子内親王様が一般人の小室さんと婚約されましたが、正直、今一盛り上がってない気がします。美智子皇后様のご成婚のときの「民間出身で初めて!」と戦後日本の民主主義の浸透を讃え盛大に盛り上がりましたが、今回は静かです。出雲大社の千家家へ嫁がれた高円宮憲仁親王の次女・典子さまの方がニュースで話題になったほどです。時代は普通の恋愛から高貴、名家なる成婚を望む一つの新しい潮流が出始めた気がします。時代の潮目といいますか、戦後民主主義が色褪せてきたかのかな?
願わくば、不敬ですが敢えて申しますと、眞子内親王様は旧宮家の方とのご結婚をして頂きたかった。旧宮家の存在が俄に皇室安定の先鞭となったかもしれないからです。
なんか、コメントの返事というよりも記事みたいですね。今度、コメント頂いたら記事に書こうかな?どうです。

NoTitle * by taka
遅まきながらコメントを。旧宮家の復帰というのは私は条件付賛成ですね。
現在非常に不遜ながらも言わせて頂くと、『赤い皇族』の一族の存在があり
非常に不愉快に思っています。革命論者の様な主張は致しませんが、粛々
とご退場願いたいというのが個人的な感想です。

現皇族ですらそのようなお方が存在するくらいですから、旧宮家に至って
は当然そのようなお方が存在する可能性も高いでしょう。誰とは言いませ
んよ。決してJOCのトップだなんて、そんな事を言うつもりは全くあり
ませんとも。

そして最近良くテレビ出演なさられておられる旧宮家の方、あの方も一見
愛国者・愛皇室者の様な顔をしていて実際はその正反対だと私は思って
おります。当然その様な方の宮家復帰等、獅子身中の虫を増やすだけだと
思っております。

しかし美濃部達吉をある程度評価している、とは驚きでした。似非愛国者
の中には彼の名前が出るだけで左翼扱いですからそこは凄いと思ってます。
天皇陛下に絶対忠誠という事は、陛下が大国主の決断をしたとして無条件
で賛成するのか? という危機感から来た愛国心から来たものだと思います。
最も息子さんの方はどうしようも無い方ですが。ただ彼の主張は実質
御前会議の存在がある時点で杞憂というか、戦前はある意味憲法違反状態の
政治制度が確立していたんですけどね。

まあとにかく、宮家復興は『血統性』と『世襲王家』の両輪で行うべきで
しょうね。もし『血統性』だけ主張して伏見宮家を語ると、『西陣南帝』
の子孫はどうした、なんて事を言う人が出てきかねませんからね。

気泡の夢

もしこの御方がいなかったら「万葉集」は生まれていなかったかもしれない・・・その御方とは、天武天皇、壬申の乱で大友皇子を破り帝位についた方です。また、古事記、伊勢神宮もなかったかもしれない、と言われています。現代につながる日本の骨格、国柄を作られた方です。そんな偉大なる天皇の歌が万葉集にも幾つか載っています。そのなかで私が好きな長歌(五、七、五、七を繰り返し最後に七、七で終わる和歌)を一つ、み吉野の ...

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天武天皇、日本の「国柄」を創られた御方

今回は日本国の礎、国柄を創られた畏敬なる帝王・天武天皇(大海人皇子)について取り上げてみたいと思います。前々から天武天皇はその後の日本の「暮らしと文化」、衣食住の歴史にも大きな影響を与えた方と考えており、かなり自分的な推測、独断、学説的裏づけのない内容に基づきますが、自分なりに考えを整理したく書くことにしました。まず、天武天皇の系譜、事績について簡単に触れておきます。第四十代天皇。在位は673年~朱...

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一条天皇、道長、そして源氏物語

先日、本屋さんに寄ったところ、一冊の本の背表紙が目に留まりました。その小冊子には「一条天皇」とあり、その瞬間、なぜか吸い込まれるように本を手に取りました。すると何か、とても、たおやかな気持ちと香りを感じ、しばし瞑目しました。 遠く平安の御世が、今、自分の目の前に語りかけている感じでした。 考えてみれば、平安時代は不思議な時代です。常に怨霊たちに怯えながら、一方、和歌を交し合い交情を重ねていました、現...

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一条天皇と源氏物語 * by taka
とはこれまた風流と言ったところですね。私が良く聞く説として紫式部と清少納言はライバルであってかつ仲が悪かったが、その大きな理由は藤原道長をパトロンに持つ上東門院の女房であった道長派紫式部と一条院皇后宮の女房で彼女がパトロンであった伊周派清少納言の政治的な対立であった、というものがあります。

人間は単純ではありませんので様々な理由があるのが当然でそれも一つの理由とも言えますが、私自身は『源氏物語』を読むにつけ単純に紫式部は道長派として藤原道長に同調していたとは思いがたいものを感じています。もっとも今の作詞家や小説家が自分の体験を必ずしも描いていないのと同様、当時の和歌や物語から読み取るのは中々危険な事ではありますが。

例えば光源氏の出自、彼は桐壷帝の第二皇子として第一皇子に何かあれば帝位につくべき人であり、読書始めの段では「世に知らず聡う賢くおはすれば」と才能豊かでありながら、高麗人の観相、源姓賜るの段では「そなたにて乱れ憂ふ事やあらむ」と帝位に就けるなと言われ、さらに観相後は父桐壷帝から「無品の親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ」と外戚が居ない事を匂わせています。最初の桐壺だけを読むだけで如何に当時皇位に即いた人間の意志が尊重されていなかったか? 当時皇位を即くのが才能とは全く関係の無い政治的な背景だったか? それが良く解かる一文です。

また『源氏物語』では当時の女性がどの様な男性を理想としていたかが良く解かります。例えば絶世の美男である貴公子と言えば在原業平、源融、全て皇室の血筋であり摂関家出身で世に聞こえる貴公子はいません。皇室の血筋で今で言う超イケメンが理想の第一、次に息子の教育方法です。乙女に描かれている夕霧の元服について、世の人は「太政大臣の息子だから四位だ」と思っていたのに対して光源氏は「まだいときびはなるほどを、わが心にまかせたる世にて、しかゆくりなからむも、なかなか目馴れたることなり」として六位として大学に入れるというなんとも謙虚にして、女性関係とは対照的な生真面目さが光る一文があります。この事からすると、子育てに対する生真面目さや周囲に対する謙虚さが理想の一つであったと思われるのです。

貴族子弟には「蔭位制」があり一位の指定は従五位下以上の官位が授けられるのが常で、大学出身と言えば周囲から「苦労人」と哀れまれるのが常です。藤原道長が誤字脱字だらけと書かれておりますが、『古事談』巻六で大江維時が花の名を漢字で書いた所当時の貴族達がこぞって字の読み方の教えを講う、そこまで学力が低下していたのが実情でした。

藤原道長はこういう和歌を詠んでおります

この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることも無しと思えば

陽成天皇を廃位し、花山天皇を陰謀によって退位出家させ、摂関権力が最高潮に達した道長によって詠まれたいかにも自分の王朝と言わんばかりの増長した雅さも謙虚さもない和歌。私には『源氏物語』から、一つには浮名ばかり聞こえる男性に対する、もう一つは権力者、特に藤原氏に対する最大限の皮肉が見えてきます。

愛知県は元々寒いですけれど、今年は特に冷えますね~ 大阪も山側は真っ白ですよ。去年の12月は寒く無かったのですが・・・・・ 今年はホワイトクリスマスも夢では無いかも知れませんね。風邪等ひかれないようにしてくださいね^^

梅のコージさんは吉良の近くですか? それは非常に驚きました。『太平記』には様々な隠された要素があるのと同様、元禄赤穂藩士の事件についてもかなりの陰謀の匂いがあると個人的には思っていますがここは平安関係なので省きます。

戦国時代、天皇を支えた禁裏小番の公家たち

今日は戦国時代の内裏を取り上げてみたいと思います。 表題にあります「禁裏小番」とは、大納言以下の公家(公卿・殿上人)が5もしくは6番の小番(グループ)に分かれて内裏の当番宿直を担当したもので明治維新まで行なわれました。 その禁裏小番について今回取り上げるものですが、まずは当時・戦国時代の朝廷を取り巻く時代背景を説明したいと思います。 広義の意味では「室町時代」とは、足利尊氏が1338年に征夷大将軍に補任されて...

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* by taka
この記事については全く同感です。彼等の我慢と働きがあってこそ現在の皇室に繋がっていたという歴史は決して忘れてはならないですね。特に所謂摂関家清華家等の最上流の公卿達は自分達の生活が困れば有力大名の領国に下向して朝廷以上の収入を得ていたのに対して、皇室と禁裏小番の公卿・公家達は京都を動かず、あるいは山科家の様に下向したとしても朝廷への援助の為に頭を下げに行く、そういった血の滲む努力をしていたのですから驚かされます。

ところで 奥野高広氏 の著述は資料としては一級品ですが、その考え方には非常に大きな違和感があります。例えば現代、首相の仕事を貯金0で年収100万円で全てこなしているとします。そうなると首相の仕事は大きく滞り貧窮国となりますが、100万円の年収でもあるじゃないかと見るか? そんな年収しかないと見るか? で大きく見方が異なります。

歴史の資料を見ると後土御門天皇の玉体が放置されていた事は事実ですし、後柏原・後奈良両天皇の即位の儀式が思うように開けなかった事も事実です。その事実を差し置いて朝廷に七百五十貫文ばかりの収入があるからといって貧窮していなかったという論や、戦国時代の大名や武将達の免罪符には決してならないと思います。

例えば前田利家、彼は織田信長公の茶坊主を斬り捨てて出奔しましたが、永禄四年(1561年)の森部の戦いで活躍して帰参しました。その時の領地は三百貫文(もしくは四百五十貫文)と言われていますし、山内一豊に至っては岩倉織田氏の家老だったというだけで五百貫文の領地を貰っております。つまり朝廷の収入というのは、中堅所の武将の初任給とほぼ同等程度のものしかないと言えます。

織田信長公は権力基盤を獲得する為に朝廷を利用し、豊臣秀吉は朝廷権力に依存し、徳川家康は朝廷を畏怖していたと言えますが、三者三様に朝廷にはそれなりの力ある者として敬意と恐れを有していましたが、室町全般(戦国時代)は朝廷を軽んじるしか能がない武将達が蔓延った最悪の時代と言えるでしょう。

法住寺殿に三十三間堂や塔が出来ました。

今日は春の嵐と呼ぶにはあまりにも暴風雨が吹きあふれた一日でしたね。中には強風で亡くなった方もみえました。大地だけでなく空も今の時代に震えているのですかね・・・。 さて人も亡くなったのに時候代わりに使ってすみません。ご冥福をお祈り申し上げます。 法住寺殿の方ですけど、初代三十三間堂や五重塔が出来ましたのでアップします。当時は朱塗りの寺院が定番でしたからそうしました。まだ最勝光院とか残っているので頑張っ...

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万寿丸、禁裏を駆け抜ける!

みなさん、お寺や神社で稚児行列とか見られたことあると思います。七五三の行列が一番多いかな。その稚児さんですけど、もう少し上の中学や高校生の年齢の童形姿を目の前でみたらきっと驚くと思います。それが江戸時代、京洛の御所をその井出達で颯爽と使い番として駆け抜けた若者たちがいたんです。しかもイケメンです。今でいうジャニーズ系の眉目秀麗な少年たち。彼らは何者でしょう? まずは童形姿から。 どうですか、髪を稚児...

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