3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 公家屋敷

謎の人物X氏より新たなミッションを受け宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました 後編

引き続き後編ですが、〇〇卿(メールではそう呼ばせて頂いておりますが、実際にお会いした時は言いませんよ 笑)と会食した際、公家の廣幡家の話が出ました。私の方から切り出したのですが、「廣幡家といえば公家でも摂家に続く家格の清家家の名門なのに本邸が御所から1キロ以上も離れていたのは何故ですかね?」。お公家さんの本邸の殆どは現在の京都御苑にあった公家町と御苑の西に接する烏丸通、同じく御苑の北に接する今出川通...

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No Subject * by -
澪標様 コメントありがとうございます。
第54回京の冬の旅のHP貼り付けて頂きありがとうございます。光照院の一番上に出てくる書院が桂宮邸の遺構ですかね。欄間が何となく桂宮邸風です。本堂も昭和天皇即位に使われた建物も何となく近代和風な感じですね。
>なぜ、二条城に移築した後も残り続けたのか、また他の現地に残った桂宮邸がどうなったか気になりませんか?

そうなんですか、残っていたんですね。朽ち果てるままにしていたのか?何か理由があるのですかね?その理由教えてください。隣の中山邸跡も明治天皇の産湯に使われた祐井が残ってると聞いてます。他にも遺構が残っているかもです。

No Subject * by 澪標
ご無沙汰しております。
三井家は新政府に色々と貢献していますから、移築したのは雑役を担う者たちが集う部屋では無いと思いますが、いくら貢献があったとはいえ商人ですから、天皇が使用するような部屋ではなく、高級女官が使った煌びやかな障壁画がある部屋ではないでしょうか?
話が変わりますが、第54回京の冬の旅で見学した光照院(旧常磐御所)に、大正時代に京都御所の近くにあった桂宮邸を移築した書院がありました。
係員に話を聞いてみると、二条城に桂宮邸を本丸御殿を移築した後も跡地にはいくつも建物が残っていたようで、その一部を寄付されて移築したようです。
ウィキィペディアによると、桂宮邸は1847年(弘化4年)に桂宮家が京都御所の北(今出川御門内)に建てた御殿の主要部を、1894年(明治27年)に明治天皇の意向により、二条城本丸に移築したものということですので、単純計算でも20年近く主要部以外は残置されていたみたいです。
なぜ、二条城に移築した後も残り続けたのか、また他の現地に残った桂宮邸がどうなったか気になりませんか?
https://ja.kyoto.travel/specialopening/winter/2019/special/public01.php?special_exhibition_id=35

No Subject * by 京一朗
澪標様 コメントありがとうございます。
ご無沙汰ですね。

リンク先拝見しました。
まさか福井県の小浜市に幕末の御所の遺構が移築されているとは思いませんでした。情報ありがとうございます。
最初に三井家が拝領した御殿は、10畳と7・5畳の2部屋ですね。御所のどこだろう?当ててみてください 笑。拝領ということですからそれなりに立派なものを頂いたと思います。
外観はかなり改築されていますが中はどうなっているか興味尽きないですね。

No Subject * by 澪標
以前は戦時中の京都御所における建物疎開に調べていただきありがとうございました。
今回、京都御所が明治時代に建物の払い下げを行なっていたという絵図をされていますが、三井家が10畳と7・5畳の計2部屋を拝領し、東京に移築していたのを小浜市に、三井家が小浜藩の両替商だったなどの縁で、調度品とともに市に寄贈されたという記事を見つけました。
下記にネットニュースのリンクを貼っておきます。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/927310
ご興味がおありと思い、以前のお礼としてはささやかではございますが、お伝え致します。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 (最終話)  哀しからずや染殿町

「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅」もついに、というほどでもないですけど「最終話」を迎えました。当初、その(四)ぐらいで終わるだろう、と思っていた読みも完全なる私の甘々でした。思いのほか、御苑外の公家屋敷って多かったですね。数を稼ぐため、結構、Wikipediaに頼ってしまい申し訳ありませんでした。いずれ機会があったら個々の公家さんをもっと掘り下げてみたいと思ってます。さて、タイトルにも書きました...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。
>京都の家元で茶道研修をしていた時に、早朝に染井の水を汲みに行きました。

いろんなことされてますね。京都は地下水の都でもありますから、御所でも築地塀の中と外では高さ違うんですよね。明治のころまで京都は多くの掘割に水が流れ、内裏も公家町もたくさんの泉水がありましたから、高低差を緻密に設計した用水が流れていたと思います。

庭田家だと、和宮様のお付きの女性いましたよね。

江戸の当時からすでに参内行列は人気があって庶民も手弁当片手に見物したとか、屋台も出たそうです。公家の姫たちも物見からその様子を見るのが気晴らしだったとか。江戸時代、公家町が意外とオープンだったのは、公家、庶民それぞれに見るのが楽しかったんでしょうね。

そうそう、後桜町上皇(女帝)様など林檎を集まった庶民たちに配った逸話がありましたね。

染殿町 * by 五反田猫
いつも興味深い記事を有難うございます。

>梨木神社
30年以上前、京都の家元で茶道研修をしていた時に、早朝に染井の水を汲みに行きました。 女性に力仕事をさせる訳にも行かず、巨大なポリバケツをリヤカーに積んで早朝5時前(寅の刻に汲むのが最上らしい)に汲みに行きました。
早朝でも近隣の人から、料理屋、豆腐屋など、結構 多くの人でにぎわっていたのですが、今ではどうなったのでしょうね。 当時は、そんなマンションは無かったので時代の変遷を感じます。

>庭田さんの建物
流石に宇多源氏のトップですから、立派なものですね。
こうした建物が、御苑の中に再興出来ると、とても良い観光資源になると思っています。 建物だけでなく、参内の行列などがあれば、とても素敵でしょうね。

No Subject * by 京一朗
Hakkaさん
コメントありがとうございます。

Hakkaさんに「好きなシリーズだったので少し寂しい」とのコメント頂いてとても嬉しいです。連載した甲斐があります。

お公家さんは昔から興味もってましたが、一つには、いつも戦後大名とか武士ばかり取り上げられてきたので判官びいきな面もあります。

これからも京都を自分なりの視点で書いていきたいと思ってます。
Hakkaさんも為になる情報発信、今後も期待しております。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

公家屋敷の旅、終わってしまうんですね。好きなシリーズだったので少し寂しいですが、また3Dの方も楽しみにしております。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(十) 今出川通界隈

前記事で、御苑外の公家屋敷シリーズもその(十)で最終話となる旨お伝えしましたが、どうも無理筋に思えてきまして二話に分けることにしました。いつもの気まぐれで申し訳ない・・。ということで今回は御苑の北に接する今出川沿いの公家屋敷跡、及び室町時代に足利義満によって建立された相国寺七重塔のあった塔ノ段町近辺にあったと思われる六角家の屋敷跡を巡ってみたいと思います。            &n...

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追記 * by 京一朗
五反田猫様、

記事のなかの冷泉家ですけど、”直系子孫”から”嫡流子孫”に訂正しました。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 いつもコメントありがとうございます。

冷泉家のご当主と面識があるとは知らず失礼なこと書きましたかね・・・。

現在のご当主ですけどBSで拝見したことあります。お婿さんであるとは知っていましたがどこぞのお公家さんの子孫にあたる方ですか?

私のなかでは公家社会は養子にでたり、また入ったりと女系で継いでいるお家もけっこうあり、元を辿れば皆公家の出ということであまり女系に拘りはなかったのかな、と思ってます。

戦国時代、上冷泉家は北陸へ下向していましたが、そのときは大事な古典籍の山はどう守っていたんでしょうね?

馬や荷車に積んで避難したのか、内裏に置かして頂いたり?とか、どうなんでしょう? まだ戦国時代は耐火性に優れた蔵はあまり無かったと思いますし。

六角氏ですけど、どうしても鎌倉、室町期の守護大名を連想してしまい、公家さんイメージ少ないですね。家禄30石もまだ蔵米ならそれなりに安定してますけど知行30石だと収入ゼロもあり得るし暮らしも大変だったんだろうなぁ、と平公家の苦労が偲ばれます。

でも、私なりの価値観のなかでは六角氏>徳川宗家なのですよ。日本の貴族は帝との距離で決まると思ってますから。

あれこれ * by 五反田猫
京一郎さま、 まさにお名前に相応しい京の公家屋敷のお話し、写真と合わせて楽しみました。 有難うございます。

>冷泉さん
ご当主とは和歌関連でご面識がありますが、「冷泉家は二番手主義」だと仰っていたのが印象的でした。
和歌宗家は、長く二条流、京極流だったのですが、結局 トップに立つと風当りも強くいのですね。 明治になって二条流の中心 三条西家は歌道宗家の役割を終え、地道に歌道をつないだ冷泉家は、現代では定家の流れを伝える家となりました。 現代のお公家さん達のご子孫は女系が多いのですが、冷泉さんの所もずっと女系ですね。 それでも代々 優秀な男性が婿として入られるので、それも素晴らしいと思います。

>竹内家、六角家
足利将軍家の侍が、公家になった家で、こういう家の存在自体、室町時代は公家と室町武家の境目が曖昧になっていたのでしょうね。 お公家さんでも将軍についてって戦死したり、御所よりも将軍家に入り浸って親を嘆かせたりなど。
江戸になると固定化しますが、それでも武士から公家侍への転身は続いているのですね。

次回でまとめになるとの事で楽しみです。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(九) 陰陽師 VS 吉田神道

公家屋敷の跡を巡る旅 その(九)では公家のなかでも特別に異能な存在である吉田家とその分家・萩原家、そして土御門家、そして久世家と西大路家の五家を取り上げます。そのなかでも、吉田家は吉田神道の総本家であり江戸時代、全国の神社、神職の任命権を持つ絶大な権力を持ちました。一方、土御門家は平安時代の陰陽師としてカリスマ的存在の安倍晴明の子孫であり、江戸時代、朝廷に天文、暦道で仕え国家に変事が起きたときは吉...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

御師の屋敷ですけど、拙ブログで、「新選組のまぼろしの本営・不動堂村屯所を想像復元してみる」 https://3dkyoto.blog.fc2.com/blog-entry-223.html と題して伊勢の御師屋敷を参考に平面図ですけど再現してみました。宜しかったら読んでみてください。

稲住神社は絶対メジャーにはならないです。現地に行かれたら分りますが何か妖気が漂っている・・・雰囲気ですから。

神道の変遷 * by 五反田猫
現代の神道(神社本庁系)では経典や戒律などの縛りが希薄なのが特徴ですが、吉田神道では仏教や儒教に対抗できるように、経典やドグマを整備したのですよね。
明治維新では廃仏面のみが印象に残りますが、江戸期の教派神道である吉田神道、伊勢神道なども、ほぼ廃絶されたのですね。
お伊勢さんに行くと、江戸期に存在した御師の屋敷は消滅。
吉田家の明治以降の衰微を見ると、同様なのだと良く判りました。 「魔王尊」とは、何やら封じられているのでしょうか? これも珍しいものを有難うございます。

色々と気になる記事は沢山あるのですが、とりあえず御礼まで。

>土御門家
まさに仰る通り、天地明察! 西欧の科学を取り入れて日食を見事予測し、正しい暦を復活。 これぞ江戸の陰陽術と思いきや、科学は独占出来ず、当然 カレンダーも同じ。
明治以降は大きく衰退しましたね。

稲住神社のお話し有難うございます。
不審者と誤解されたようで、お気の毒様でした。
京都の清明神社は大人気ですが、本来はこちらのお社の方が所縁は深そうですね。 

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(八)

引き続き、京都御苑外にあった公家屋敷跡の旅、その(八)を書きます。鷹司家は書いたので、残る鴨川沿いの九条家、近衛家、有栖川宮家、鴨川を渡った丸太町通沿いの近衛家桜木邸、澤家、桑原家の六家を周ります。                                 © OpenStreetMap contributors 青く囲った所が訪ねた屋敷跡です。改めてですけど、今回のシーリズでは、基本、京都御苑外にあった...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

木戸邸の屋根の先ですけど銅板で葺かれていますよね。数寄屋造りにはよく見られる屋根ですが何時頃から始まったのかな、と思ってます。ちなみに、江戸中期に現在のような桟瓦が作られ一気に普及しましたが(おかげで幕末の公家屋敷はみな桟瓦になってしまいましたが)、面白いのは数寄屋造りには桟瓦が似合うんですよね。そこへ銅板を加えれば又違った高級感が出てきます。

利休の生きた頃は、まだ桟瓦がなく本瓦葺きでしたが、それだと重い感じだし、そうなると茅葺か杮葺きの二択しかなかったのかなぁ、と思ったりします。お寺の本堂を見て桟瓦だと安っぽく感じますが、それが数寄屋の屋根なら見事に軽妙感がでる。素材も活かし方次第ですかね。

言われてみれば法服、確かにそうです。思い出しました。紹介頂いた装束のHP拝見しましたが、東京美術学校の制服もこんな感じだったんですね。

何かの写真で、冠と三角帽を交ぜたような頭巾を被った岡倉天心を見たことがありましたが、そうか、この法服シリーズだったんですね。

もう、ネクタイにスーツも飽きましたから、日本発の新しい装束を生み出せたらいいですね。

No Subject * by 五反田猫
いつも興味深いお話しを有難うございます。

近衛家三本木邸の遺構が木戸孝允所縁の建物として残っているのですね。 屋根は四方寄せなのでしょうか、屋根の上にある構造物が面白いですね。

桜木邸は、天理教さんの河原町大教会なのですね。
天理教さんは雅楽の支援をされておりますね、わりとフレンドリーで、私の町内にも教会がありますが餅つきなどでお世話になっております。
本旨でない話しで恐縮ですが、教服は明治の法務官の制服に似ていますね。
http://www.kariginu.jp/kikata/igyou-syouzoku.htm



No Subject * by 京一朗
Hakka様

屋敷地の坪数間違えました。3千坪でした。自分で記事に書いておきながら、公家シリーズでいろんな屋敷を取り上げ混同してしまいました 笑。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

>内部に入れないとのことだったので断念しました。

そうでしたか。私も外から撮らさせて頂きましたが(多少、苑内に入り東側から撮りました・・・)。室内はやはりダメでしょうね。
ここも明治天皇の行在所ということで一棟残されたと思います。

当時は2千坪近い敷地を有していたようです。鴨川の流れも綺麗だったでしょうね。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

先日、京都に行って来ました。旧木戸孝允別邸も行ってみようかと思ったのですが、内部に入れないとのことだったので断念しました。かつてはかなりの規模のお屋敷だったそうですね。

絶対!住んでみたくなる鷹司家常磐井別邸

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(八) - を書こうと思って鷹司家の事を調べていたら、とても素晴らしいお屋敷の指図と出会い、急遽「絶対!住んでみたくなる鷹司家常磐井別邸」と題して単発記事で書くことにしました。ですから、その(八)はオアズケ、次回に回すことにしました。ほんと、カントのような規則正しい思索を守れない自分です。その、単独で書こうと思った鷹司家常磐井別邸とは何ぞや? どこに在った...

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No Subject * by 京一朗
TAKATSUKASA様コメントありがとうございます。

敢えて「鷹司」とか野暮な漢字変換はしませんが(笑)、記事に感想を頂きありがとうございます。少しでも楽しい気分をされたなら幸いです。暑い夏でも川床は涼しいと思います。ぜひ、鴨川で避暑を楽しんでください。あぁ、今は冬でした。半年後ですね 笑。

ダイアモンドソサイエティ * by TAKATSUKASA
楽しく拝見させて頂きました。ダイアモンドソサイエティの会員でもありますので、もし機会がありましたら、鷹司家の下屋敷跡でのんびり鴨川の流れを愛でられたらと思います。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

明治に入って常磐井別邸がどうなったのか気になるところです。能舞台はきっとどこかへ移築されたと思うのですが、これだけの別業建築が跡形もなく消え去ったのは残念なことです。京都を周って思ったのは、京都といえども三代遡れば家も土地の持ち主も変わって忘れ去られてしまう、ということが意外のほか多かったことです。とくに商業地ですけど。

その意味ではお公家さんはよく1000年間、帝の傍を離れず御守したと思います。

常盤井別邸 * by 五反田猫
常盤井別邸が、幕末の政治における重要な舞台であり、迎賓館であったとのお話し、有難うございました。
建物の構造から見ると、まさに仰る通りですね。
能楽は江戸時代は一般教養ですから、おもてなしとしても式楽としても使えますね。

住宅における三階楼は江戸後期から出て来ますね。
それだけ建築構造が発展したのでしょう。
一方で、街並みから見れば、飛び抜けた存在。
摂家の別邸でも無いと、建てられませんね。
鴨川沿いならば、東山や比叡も見えたのでしょうね。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(七)

五日の記事で油小路家の屋敷跡を訂正した事もあって「御苑外にあった公家屋敷の跡を巡る旅」シリーズもますます完結編が遠のきそうです。いつも横道それてしまうんですよね。でも、そんなことも言ってられない、その(七)いきますね。今回は、その(七)」として、坊城、愛宕、油小路、町尻、高辻、七条の六公家について屋敷跡地を巡ります。また六家も書けるかなぁと心配ですが頑張って書きます。さて、訪問先の位置図をアップ。青く...

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明治28年、京都には公家屋敷がまだ幾つも残っていた。

正月三が日も過ぎてもうおとそ気分も何処へやら? さぁ、気分を変えてブログの記事始めです。旧年からの続きもの「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(七)」を書くため、油小路家の事を調べていましたら、どうも屋敷跡の場所が御苑東の荒神口であることは確かなのですが、荒神口といっても荒神口通りに沿って結構広いので、前回まで示した、荒神口の地名の元ともなった護浄院(清荒神)の南裏手の推定場所は間違ってい...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

今年も宜しくお願いします。

自分の中では、旧年中に紫宸殿の高御座を作って御大典がどんなものかブログにも書いてみたいと思ってましたが年を越えてしまいました。

公家屋敷跡の巡礼旅シリーズも想定より続編が続き、かつ、その間にまた新たな屋敷跡、別宅跡とか見つけてしまう・・・という感じでなかなか解放してくれません 笑。でも、まぁ、楽しく書こうと思ってます。

浩宮様の大礼がつつがなく挙行されることを願ってます。殿下の髪にも白髪が見えますね。時の流れを感じます。

五反田猫様も今年も良き年でありますように。

謹賀新年 * by 五反田猫
京一郎さま

昨年は素晴らしいコンテンツを有難うございます。
本年もどうぞ宜しくお願いします。

明治維新は京都の公家にとっては大変革でしたよね。
朝廷側の中心にいた公家は明治維新では勝ち組のはずですが、時代の変化についてゆけない人や家も多かったようです。
特に二百年やってきた家職を棄てて、皇室の藩屏となり文明開化を率先せよと言われても、後者は大変な事だと思います。

東京に移った側も大変で、高位や蓄えの多い家はともかく、従来 武家の下級武士程度の収入だった平堂上が子爵だと言われても身に着いた貧乏はどうにもなりません。
東京への移動は、行列に紛れ込んで旅費を浮かしたり、東京での住まいが手配できず、新宿御苑の中に仮設住宅を作って頂き、ここに住まいした家もあったと聞きました。

今年は、御代替りの年、色々な事があると思いますが、良いお年である事をお祈り申し上げます。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

今年も宜しくお付き合いください。

京都の古図を見ていると意外な発見とかありますね。御所のある上京区の住宅地図もあるのでそれと照合しようかな 笑。

自分は主に公家屋敷のことを書いてますが、一つのものを追っていくと、予期せぬ展開とかあるものだな、と最近思います。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

新撰京都古今全図の地図、興味深いですね。

京都には名もない古民家が多く残されているので、その中にかつての公家屋敷があるかもしれないと考えると、わくわくしますね。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(六)

「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る」の初回現地取材をしたのが先月11月の初旬。もう一か月以上経って旅の記憶も忘れがちになってますが撮った写真とか見ながら思い出し書きしてゆきます。今回の訪問先は、伏見宮家、梶井宮家、日光御里坊、正親町家、山階宮家の五邸です。全部書けるか心配ですがとにかくやってみます。例によって各屋敷の位置図を載せます。                           © Open...

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No Subject * by 京一朗
higeさん
コメントありがとうございます。

そうですね、番組小学校の一つですね。各番組小学校には公家屋敷の門や御殿はもちろん藩邸やお寺の建物も移築され利用されました。

欧州の都市が一番美しく見えるスポットは丘から見下ろした風景だと思います。やはり屋根が統一されてますからね。街路を歩くと石畳は疲れる。落書きも多い。

高階宮邸の五層楼も長い江戸時代の建築規制(二階以上禁止)縛られた反作用で、地震も関係なくまさに解放感あふれたされた当時の人たちの高揚感を感じる思いです。

higeさんには今年いろいろお世話になりました。良き年をお迎えくださいね。

※ higeさんは髭生やしてみえるんですか? 失礼な愚門すみません。

日影小学校は * by hige
いつも興味深く拝見させていただいてます。

記事中の日影小学校は、日彰小学校ではありませんか。

http://www.kyotodeasobo.com/art/search/museum/gakureki/choshu-no-energy-kyoto-bangumi-shogakukou#.XCl8ZM3gpMM

この日彰小学校は明治2年に建てられた番組小学校の一つです。
この五層楼はもう残ってないようですね。
太鼓望楼であれば

https://blgid1974.blog.fc2.com/blog-entry-1111.html

な形で残ってるものがあります。

明治天皇が遷都されてから、京都御苑の公家屋敷が荒れ放題になって、それをお知りになった天皇が京都御苑の整備をお命じなったのだとか。
また、昭和になって、ビル化が進み古い建物が次々壊されたことがあったらしい。
最近でこそ古い街並みを残すことに注意が傾けられてますが、壊された遺産は戻ってきません。

そんな古い景観を京一郎さんが再現されるのが楽しみです。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(五) 河野じゃなく阿野さんだった!

「別に間違いを見つけるために150年前の幕末京都にタイムスリップした訳じゃなかった。でも結果的にそうなった」。こんな書き出しで今回のその(五)は書いてみようと思います。結果から先に言いますと、タイトル通り「河野じゃなく阿野さんだった!」ということです。その(四)で相国寺東隣の「塔之段薮下町」にあった公家・小倉家そして河野家を訪ねましたが、実は河野家という姓の公家は存在しないということを旅の記事を書きなが...

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No Subject * by hige
あれま そうでしたか。
前にも紹介しているのでしたか。
これは失礼しました。
年取ると物忘れが激しくて。

No Subject * by -
hige様コメントありがとうございます。
さっそくアクセスしてみました.

平安京オーバレイマップは先回教えて頂きました。「なかなか興味深い記事があります」というのはひょっとして別の記事のことですか?

こちらの勘違いだったらすみません。

オーバレイマップは平安京と現代が比較でき見ていても楽しいです。でも、作るのに大変だったでしょうね。

No Subject * by hige
 すでにご存じかもしれませんが
 http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/
というなかなか興味深い記事があります。

 先般、冷泉家内部の一般公開があったのですが、内部の撮影は全面禁止だと云うことで、観覧しませんでした。

 京都といえど文化財がそのまま残っているところはなかなかないようで、京一朗氏のアプローチはすごく興味深いです。

No Subject * by -
五反田猫さま
コメントありがとうございます。

河野さんの事ですけど、前半、御苑外で訪ねたお公家さんは、山本、石野、石井、小倉、入江さん、と、どちらかと言うと公家らしくない姓が多かったので、河野もアリかなとそのまま現地を訪ねました。これが大炊御門家とか聞けば一発で公家変換できますが、そういう名は御苑内に多いんですよね 笑。

でも、ネットで「山本家」と検索するとグーグルでもトップページの一番に載ります。それだけ歴史的重みがあるんでしょうね。

来年の大嘗祭では一部、ベニア板が使われるとか、一世一元のそれこそ日本の将来を占うような大事な祭祀なのに何か悲しくなってきますよ。合板では神気が滞ってしまう・・・。

「もっと他にケチる所いっぱい在るだろう!」といいたくなりますよ。日本がどんどん溶解していくようで堪りません。

すみません、思わず愚痴ってしまいました。

「磯高の冠」、ググってみました。有職故実に拘った家なんですね。勉強になります。

いつもながら丁寧の調査です * by 五反田猫
資料をしっかりあたるのは重要ですよね。
特に、崩し字を翻字する時には、専門家でも間違いますので。

こうして、関連資料を当たられて、実地も見られて、頭が下がります。

今回 資料に出た勧修寺流の「某家」は、ご子孫にご縁があって、色々と教授頂きました。息子さん方は今も立派に御用を御勤めされております。
江戸末の宮中の絵巻を見ると、勧修寺家は「磯高の冠」という他家と違う冠をかぶるのですぐに判ります。 こういう他家と違うのは、大名もそうですが、大変大事だったみたいですね。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(四)

帰ってまいりました。「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅」。今回は、その(四)として中院家、入江家、広幡家、小倉家、河野家の五家について巡ってみたいと思います。京都御苑の外にあった宮家・公家屋敷跡の一覧図。                    © OpenStreetMap contributors青で丸く囲った所が訪問先。というか、その(三)から暫く間が空き旅の記憶が段々と薄れ気味・・・・どこまで書けるか心配ですが行け...

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No Subject * by -
TAKATSUKASA様 

コメントありがとうございます。

いろいろ公家繋がりで深いものがありますね。
河野さんの事ですけど誰の屋敷かわかりました!
今、記事に書いてます。ここでは明かしませんよ、お楽しみに 笑。

小倉家 河野家 * by TAKATSUKASA
相変わらず楽しく拝見させ頂いております。小倉家の第23代当主、小倉長季の実父は橋本實久で、實久の妹、伊与子が家慶時代に大奥で絶大な権勢を振るった姉小路で、更に實久の娘、経子は和宮親子内親王の生母という、なかなかに面白い血筋の方ですね。河野家は、どこでしょうね。読み方、漢字を間違えて交野家(かたの)とか河端家と高野家と書き間違えたのでしょうか。特に交野家は、ご推察されています西高辻家とほぼ同じ石高なので。そういうのを色々と調べてみたり、推測してみたりも、本当に楽しいものですね。

No Subject * by -
hige様 

平安京オーバレイマップの紹介も合わせありがとうございます。

京都アスニーの復原模型や立命館大のバーチャル3D、書籍等では見知っているつもりでしたがネット上でバーチャル平安京マップが見れるとは知りませんでした。

やっぱり京都へ移住しないとダメですかね 笑。

冷泉家は以前行きまして写真もたくさん撮りましたが、外から室内を撮るのもダメになったのですか?

どんどん室内撮影禁止とか増えてますね。もう3Dで作って室内見るしかないですね。でも、それだと100年かかる。せめて御所と公家町の三十邸ぐらいは作ってあの世へ行きたいと考えております。

いつも為になること教えて頂きありがとうございます。

京の旧家 * by hige
 京の公家屋敷はいくつか残ってるみたいですが、京都御苑の中はひとつを除いて全滅ですね。
 江戸への遷都で公家も江戸へ移住。で御苑が荒廃。
 で、天皇が京都御苑の整備を指示。
 今の京都御苑がある。みたいな歴史があるようです。

 冷泉家の一般公開がありまして、行ったのですが内部は全面撮影禁止と言うことでしたので、入らずよそへ行きました。

 最近のカメラマンたちのマナーの悪さは私も実感しています。外人も含む一般人のスマホやタブレットでの撮影。
 なかなかむつかしい問題と思ってます。

 京のレトルトな建物や、昔はどうなのが興味深いです。

 で、ご存じかもしれませんが
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(三)

最初から幻の旅とはわかっていたけど、流石にビルの下、駐輪場の下に公家さんの屋敷があったのか・・・と思うとちょっと辛いものがあります。目的はあっても目的のない旅。そんな京の旅は今回初めて。今までは、あそこの社寺に行こうとか、資料館に行って調べものしようかとか、それなりの目的がありました。でも、不思議なもので公家屋敷の跡を巡るなかで偶然出会う名もない史跡、寺社を見つけると新鮮な喜びが湧き上がります。副...

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写真のお借りありがとうございます。 * by 京一朗
hige様 ご丁寧にコメント頂き、また、府民ホール「アルティ」の庭の写真について利用させて頂きありがとうございます。

少しお公家さんの記事に偏り過ぎていると思いますけど、それが拙ブログの個性だと思っています。

>殆どのブログには©表示がされてます。これは世界標準での著作権表示だと理解しております。

そうなのですか。知りませんでした。著作権については気にしています。ブログ上も写真家の撮った写真や建築作品ですけど。

たとえば、非公開の建築については道路側からだったらOK。芸術作品(古美術、建築も含む)については美術展の図録のように普通の採光で正面から寫した画像等については、芸術表現の面は少ない、ということで、引用元を強調文字で表記しながら利用させてもらってます。、もちろん商用には使いません。

もし、指摘されたら削除。それでも使いたい時は、引用元さんに趣旨を説明しお願いあるのみです。よく素材サイトは利用してます。

私の場合の3DCG画像の掲載ですが、他のブログでの掲載も歓迎します。ただ、やはり「3D京都」と表記してほしいですね。画像自体は3D作品のほんの二次元の細切れなのでパクリなど心配してません。

>まとめサイトを極力訪問しないよう努めています。 URLにNAVERとあったら絶対に見ません。

そうなんですね。自分も気を付けます。いろいろ教えていただき勉強になります。

今後ともよろしくお付き合いください。


京都府公館(旧知事 公舎)庭園見学 * by hige
 ご訪問いただきありがとうございます。
 また拙ブログをご紹介いただきありがとうございます。
 なかなか視点の違ったアプローチと新鮮に感じて拝見させていただいてます。
 ご存知かもしれませんが、京都府公館(旧知事公舎)の庭園(府民ホール「アルティ」内)は期間限定の公開で、庭園の見学はいつもできるわけではありません。
 http://www.pref.kyoto.jp/bungei/machikado30.html
の広報のように、今年度は下記の日程のみ見学可能だったようです。
  10月20日(土)、21日(日)
  10月27日(土)、28日(日)
  11月10日(土)、11日(日)
   10:00~15:00
 御承前であればお聞き流しください。

 貴ブログに
 ※ ブログに掲載する3DCG、加工済画像等の無断転載は固くお断りします。
と書かれておられますが、殆どのブログには©表示がされてます。
 これは世界標準での著作権表示だと理解しております。
 色々画像をパクられた話とかをネットで見受けたり、大手おまとめサイト(ネーバーのような)も最近では訴訟で敗訴してたりします。
 なので、ググった時にはおまとめサイトを極力訪問しないよう努めています。
 URLにNAVERとあったら絶対に見ません。
 ブログでは大きなサイズの画像をアップするとパクられるとかで、小さな画像をアップするのが常識らしいです。
 また対策に画像に透過文字を入れたりするのがいいらしいとの話が多いですね。
 私はそんな細工はしていません。
 パクられるようになったら、いよいよ私の画像も一人前になったのかと思うかもしれないと。
 デジカメで撮った写真を、いつも茶の間で見ている地デジ用のでっかいテレビ画面で見てみると、その表現力に圧倒されます。
 でっかい画像はすごい、と思ってます。

 これからもよろしくお願いいたします。
 
 

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 いつも為になるコメントありがとうございます。
醍醐中将は立派な方だったんですね。華族の軍人と言えば前田侯爵家の前田利為陸軍大将も思い浮かびますね。東条首相と反りが合わず前線に出され戦死したと聞きますが、東条さんのことも悪くは言いたくないですね。負ければ敗軍の将は兵を語らずですから。

学習院大学には西園寺家の指図が一式揃ってます。立面図も一部あります。なので、これも3Dで再現したいです。御所の動画もまだだし、何から作ろうか迷ってばかりいます。今回の御苑の外にあった公家屋敷を巡る旅の記事も、これから公家町を作っていく前に取り上げておかなければ、と、衝動的に旅だった次第です。一邸あたりの文量もダラダラ書くのでつい長くなってしまいます。もうシリーズもので何回続くやらです。

醍醐中将 * by 五反田猫
現地を見ての詳しいお話し有難うございます。
醍醐家は建物の図面があって、精華の家の規模が良く判りますね。 長屋門があって、表長屋は二間間口に奥行き三間=六坪と見れば宜しいのでしょうか。 
母屋や奥の様子も判ります。
表門は中立売通りに北側で面し、東が烏丸通、西が室町通に挟まれているのですね。

海軍の醍醐重忠中将は、人柄を見込まれて昭和二〇年六月に潜水艦の第六艦隊司令長官に着任されました。
それまで米国駆逐艦に沈められ作戦可能な艦はたった九隻。意気消沈だった潜水艦部隊の士気が多いに上がったそうです。人づてですが当時のお話しを伺った事があり、大変立派な方だと印象に残りました。

No Subject * by 京一朗
大原様、コメントありがとうございます。

東本願寺行って参りました。飾り金具がキンピカに輝いてきれいでした! 堂内の写真も撮りたかったですけど残念。ここでは、気づきませんでした・・・(撮影禁止)が通りませんでした。ガードマンさんがしっかり警備してました 笑。
下手なタイムスリップですけどお褒め頂きありがとうございます。

大原さんも組み物巡り頑張ってください。

No Subject * by 大原かずのり
お東さんに参拝なさったのですね^^
祖母の喉仏をお東さんに納骨してあります。

タイムスリップ画像は素晴らしいです(笑)
こんな感じで現代的な街と公家屋敷が目に見える形で共存していたら、さぞかし面白いでしょうね^^

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(二)

「アレ? 地面に足が届かない・・・俺、こんなに足短かっかったけ?」 自転車に乗ってさぁ公家屋敷巡りするぞ! と張り切った矢先、ホテルの前で立ち往生した。サドルを下げようとしたけど固くて下がらない。ホテルの人に下げてもらったけど、「何でまたこんなにサドルの位置高いん?」と聞いたら「あぁ、前日、外人さん使いましたから」との返事。そうかぁ・・・これがインバウンド効果って奴かぁ、と変なところで感心する自分...

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No Subject * by 京一朗
Hakka様コメントありがとうございます。

ブログ拝見しました。例の、とか言ったら失礼ですが、ちょくちょく伺うブログ主さんとはありがたいです。友好親善ですね 笑。その(三)アップしたので宜しかったら覗いてやってください。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

古い城址などであれば古老に聞けば情報が得られたりする場合がありますが、公家屋敷跡ではそうもいかないようで、さぞご苦労されたようですね。

それでも、古地図と照らし合わせての痕跡探しはとても面白そうですね。

第三回も期待しております。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

そうですね、前も五反田猫さんから教えていただきましたね。30石でも蔵米の方が安定していていいですね。仮に30石の知行地だと実収入15石ほど。領民は三世帯ほどですかね 笑。

「華族建家坪数控」を読んでいると公家の家令のいろんな署名見比べますけど、五摂家の家令はさすがに達筆ですね。さっぱり読めない崩し文字もあれば、楷書で書いていてすごく解り易いのもあります。字も下手な自分よりさらに下手?という人もいる。名前もいかにも、という人もおれば”山田孝男”君みたいな今時の名も。幕末の資料を見ていると、別に維新じゃなくても、当時の人々も確実に近代の感覚へ意識が変わっていると思いますね。

石井家の御屋敷ですけど明治30年頃の写真です。雨樋とかもあって結構改造されていると思います。建てられた当時はもう少し瀟洒だったのでは?と思います。

No Subject * by 五反田猫
いつも興味深いお話しを有難うございます。
前のお話しも含めてのコメントです。

>三十石公卿
これは蔵米支給なので、作柄にかかわらず三十石全部貰えますので、知行で言えば六十石並ですね。とは言え、当然に少ないので、親兄弟、親戚で、能力があれば朝廷に出仕し役料を貰うのが普通です。 能力があれば同じ家でも何人も出仕できる点が、武家と違う点ですね。 武家でも幕末は人材登用で能力次第で、採用するようになりましたが、朝廷は 下級公家や地下は、結構 実力主義なのです。

>石井家
珍しい写真を有難うございます。 下級公家の屋敷の資料は少ないので参考になります。 御師や神官の家と言っても通じるくらいの雰囲気ですね。 破風は簡素ですし、屋根瓦は普通のものです。 切妻の棟割長屋風で、チープ感があって、三十石公卿ってこんなものだと納得してしまいました。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(一)

たとえ、そこがコンビニだろうがマンションだろうが学校の校庭に変わっていようとも、足を運んで「あぁーここなんだぁ」と幕末・維新の頃確かに存在した公家屋敷に想いを馳せ、そこの空気を吸い遠く感慨に耽ようと、今回、旅立った「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅」。多少なりとも痕跡があるかも、と微かな期待はしていたが既に知られる冷泉家住宅等除いて現実は甘くない。何も無かった。本当に・・・泣。(少しはあっ...

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御所 紫宸殿の回廊と諸門を作りました

承明門に次ぎ御所紫宸殿を取り巻く回廊と諸門を3Dで作ってみました。この現在見る、京都御所の紫宸殿を取り巻く回廊と諸門は御所の焼失により安政度(1855年)に再建・造営されたものですが、そのお手本となった内裏は寛政度(1790年)に造営された御所で、安政度はほぼそのまま配置・形式を踏襲したものです。寛政度内裏の特徴は、紫宸殿の南庭に回廊と諸門を平安の古制に倣って復古造営したことです。それまでの桃山・江戸時代に...

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手に入りました!

今、京都御所の紫宸殿南庭の正門・承明門の3Dを作っています。承明門。御所を見学された事がある方だったら紫宸殿前の朱塗りの回廊もみられたと思います。その正面南の門が承明門です。朱塗りが鮮やかですね。御所の朱塗りはまた格別です。3Dのテクスチャに最適です。白い漆喰も継ぎ目なく続いているし、ホント、御所の建物・庭は職人さんたちの魂がこもっていて素晴らしいです。承明門ですけど、木子文庫のなかの図面を参考にし...

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Re: 京都御所渡廊及び附属建物復原工事報告書についての質問 * by 京一朗
> 私も京都御所に興味があるのですが、「京都御所渡廊及び附属建物復原工事報告書」
> には大台所や御末女嬬部屋の本来の姿が完全にわかる情報が掲載されていますか?
コメントありがとうございます。
お訊ねの件ですけど、残念ながら同報告書には大台所や御末女嬬部屋の外観がわかる箇所はありません。間取り図面自体載ってません。強いて言うなら長橋局の建物には平面図、立面図、外観写真等載ってまして台所の内部写真もあります。
お役に立てず申し訳ありません。

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公家町土地区画整理事業 決まる ③ 改めてこぼれ話

前回、公家町土地区画整理事業の割り当てが決まった段階で、何となく思った「こぼれ話」でも書こうかな、と思いましたが、予期せぬ「悩んでます」で書かずじまいでした。今日はちゃんと書きます(こぼれ話ですから肩肘張ることないけど)。ちなみに、拙ブログでたまに載せてます短歌ですけど「はてなブログ」に引っ越しし独立することにしました。短歌ブログのブログ名ですが、せっかくだから一つ捻ってやろうと思いましたが、結局「...

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No Subject * by 京一朗
分部様 コメントありがとうございます。

分部さんのようなとても若い学生さんからコメント頂きとても喜んでおります。よろしくお願いします。

冷泉家の敷地ですが890坪は間違いでした。正確には東西に21間、南北に22間の約500坪ほどです。「冷泉家住宅座敷及び台所ほか三棟修理工事報告書(京都府教育委員会刊)」で確認しました。

以前、公家町の面積・坪数を計算したとき、京都市編「京都の歴史 第七巻 維新の激動」に所載の”明治元年の京都絵図及び公家町”をベースに算出しましたが、絵図をそのままトレースして坪数を算出するのはとても誤差を生むと、今、反省をしております。

No Subject * by 分部光隆
京都の学生です。素晴らしいホームページを発見して感動しています。特に3Dの記事は毎回勉強になることばかりで本当に有益です。これからも楽しみにしております。

冷泉家についてですが、家の前の今出川通拡張の際に随分と土地を収公されたようです。冷泉布美子さんの手記に書いていたのを覚えています。冷泉邸の前はよく通りますが今は890坪もありそうにありませんね。

NoTitle * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。
素晴らしい趣味をお持ちですね!
私も雅楽とか好きですけど、和歌披講・・・とは雅な。まさか、冷泉家の歌会ではないですよね? 笑。本格的な活動をされているんですね。

普段から公家文化に接している方からコメント頂き本当にうれしいです。

拙い3Dではありますが、励ましを力に頑張ります。ちょうど明日は名古屋で3Dセミナーがあるので勉強してきます。

それでは、これを機縁に今後ともよろしくお願い致します。
                  かしこ

始めまして * by 五反田猫
歴史と伝統芸能が好きで、こちらのページに誘われ、拝見しております。 御所と公家町の3D再現は素晴らしいですね。 私は、伝統芸能では、お香、雅楽や和歌披講をやっておりますので、公家文化はご縁があります。 昔から、京都御苑の公家町に、一部で良いから再現して欲しいと思っておりました。3Dデータでも、こうして拝見出来ると嬉しいです。 日本は観光立国を目指しているならば、公家屋敷のいくつか再現し、参内行列を見せれば世界に向けた文化の発信になり、バッキンガムの衛兵交代のような人気になるのにと思っております。
これからも楽しみに拝見いたします。

コメントありがとうございます * by 梅村京一朗
お久し振りです。元気されてましたか!承明門の3Dお褒め頂きありがとうございます。今、回廊部作ってます。昨日あたりから蒸し暑くなって梅シロップ飲み始めました。昨年の残りですけど美味しいですよ。
地下官人のこと詳しく説明頂き感謝です。そうですか、小佐野家は甲府でしたか。

それにしても、形だけとは言え、平安朝の律令組織が幕末まで残っていたのは驚きですね。財務省も大蔵省のままでも良かったのに。

朝廷は石高収入10万石以外にも幕府や諸大名からの献金、公家の家職や免状
等により裕福な公家もいましたね。一時期は公家さんにも奢侈禁止令が出されたそうですから、公家=貧乏、という訳でもないですよね。30石蔵米は確かにそうでしょうけど。子供だって20人もいた子だくさんの公家さんいましたからね(死産含む)。今に残る桂離宮も桂宮家所領3000石で十分維持管理できたのでしょうか? そのへん、調べていくと面白そうですね。

NoTitle * by taka
地下官人の説明、詳しくなされていますね。地下官人はさながら実務官僚みたいな感じですよね。公務員でいう現業みたいな形だと自分は思ってます。

ちなみに 壬生家 は算術、真継家 は河内鋳物師の頭領という縁から鋳物師系統の権威、ですね。真継家 については 加賀藩 との間で鋳物師集団の今でいう税制特権について大揉めに揉めた経緯もあったそうです。江戸時代の朝廷は免状とかそういうのが主要な収入源だったみたいですが、こと収入に関する事となると 加賀藩 とでも渡り合うたくましさがあるんだなと感心します。

しかしこういうのを見るにつけて、本当に当時の朝廷というのは歪ですね。藤原国主体制を延々とひきずってる体制には、正直眉をひそめてしまいます。北小路家 や 押小路家 ですら地下ですからね。

まあ、歴史上の人物で嫌いな人を一人挙げろ、と言われれば 藤原道長 をあげますね。

そうそう、主さんの疑問ですが、件の 小佐野 は血筋的にも全く関係ありません。配偶者は 旧堀田伯爵家 ですが、本人は代々甲府の貧乏農家です。

公家町土地区画整理事業 区画決まる ①

公家町の土地区画整理事業について、公家の皆様方にパブリックコメントを募集したところ、一部の公家の方から「家格による屋敷地の面積差が大き過ぎる、是正してほしい」との意見も寄せられましたが、その意見の多くが五摂家との家礼に属さない独立系の堂上家だった、ということもあって紛糾する事態までは至らず、4月13日をもって事業スタートする旨、昨夜の説明会にて最終合意を取り付けました。本件は公家町という特殊性もあり...

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公家町土地区画整理事業事始め 補遺(絵図編)

予め申しました「公家町土地区画整理事業事始め」の補遺(絵図編)を書きます。前も書きましたが幕末はそれこそ日替わり弁当のように明日は何が起こるかわからない激動の時代でした。ですから京絵図や内裏・公家町を描いた内裏図なども頻繁に改訂版が出ました。しかし、1868年の慶応4年から明治元年に代わると絵図の改訂ラッシュも終わります。絵図というよりも本格的な京都の地図が刊行されるようになるのは明治10年以降です。明治...

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公家町土地区画整理事業事始め

皆様、今晩は。また、頭に花が咲くような記事タイトルを付けてしまいましたぁ・・・。初めて読まれ方からすれば「何これ?」と思われるといけないので、一言、説明を申し上げますと、現在は市民の憩いの場となっている京都御苑には幕末まで公家町が存在していました。その公家町を3Dで再現してみよう! そのためにはまず、当時の公家町の土地区画整理から始めなければ、というのが趣旨です。区画整理事業は誰も反対する人はいない...

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何と公家屋敷の玄関先を撮った古写真があった!

久し振りに、京都府立京都学・歴彩館(京都府総合資料館から名称が変わりました)の所蔵する『京の記憶アーカイブ』を覗いてみたら新しく目にする御殿、公家屋敷関係の古写真があったので紹介がてら載せます。すでに見られた方はパスしてください。最近は国立国会図書館をはじめ各地の図書館・資料館で古文書の電子コレクション化が進みネットでも一部見られるようになりました。では、まず、今回取り上げる屋敷の古写真の位置を航空...

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NoTitle * by -
レインボー様
コメントありがとうございます。
出雲大社神殿の復元の記事でもコメント頂き、その節も励みになりました。ありがとうございます。
最近、記事を書く関係で内裏・公家町の絵図をもっと見たいと思い昨日、「新修 京都叢書 本巻23冊」を購入しました。まだ届いてませんけど。本には絵図集もあり慶応4年から明治にかけての流れがまた少しわかるかな、と楽しみにしています。また、公家屋敷指図の収集もしています。幾つか探しだしました。東京・立川の国文学研究資料館にも何点かありそうなので行く予定です。それでは、ごきげんよう、です。

公家の家、火災など * by レインボー
>不思議と同川の左岸(下流に沿って)にはほとんどありませんでした。右岸より左岸の方が位は上?なのに。やっぱり京童にとっては鴨川を渡ったら洛外ということで、みんな無理してでも洛中が良かったのかな。

〇記事と写真、興味深く拝見しました
 公家の家、昔の屋敷を思い出させる写真でした。
 また、火災などいろいろと面白い考察でした。
 草々

『文久改正内裏御絵図』を落札しました!

昨夜11時、ヤフオクで『文久改正内裏御絵図』を落札しました! 落札額は5500円。最初は2000円から始まって最後は5500円。無事落札できました。入札はほぼ6人ほどの間でデッドヒートし、最終は1万円越えかな、と思いましたが越えずになにより。絵図って結構人気あるんですかね。落札した絵図は、ちょうど「新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった!」で、証拠材料の一つに使った絵図ですからグットタイミング! 「京都...

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新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 後編

後編となりました。後編では中院家の指図に集中します。さて、問題の中院家の指図ですが、先回も書きましたように京都大学の「中院文庫」のなかに所蔵されています。中身は「当家拝領屋敷」として、明和度下屋敷一袋にまとめられています(図はクリックするとどれも拡大します)。年次的には明和度(1764年)から慶応2年(1866年)にかけて行われた中院家・拝領屋敷の替地の記録と、替地を証明する禁裏付き武家等の裏書きした証明文を添...

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訂正 * by -
大さんでなく、近衞忠大さんでした。失礼しました。

NoTitle * by -
takaさん、コメントありがとうございます。
摂家の場合、玄関脇の詰所は客の案内とチェックが主ですが、それ以上に進物の受け取り業務が多かったとか。蔵なんか直ぐ一杯になったと思いますよ。近衛家さんは明治になっても常に来客が絶えず家人の方ももう、疲労困憊したとか・・・。華族の方も大変ですね。
今の近衛家の当主は近衛大さんでしたよね。この前、BSで見かけました。見るからにただならむ雰囲気で流石に名家中の名家ですね。
常に陛下のためお支えする気構えを持っている、というようなことを言ってみえました。
今度は文麿公のように時流の波に押しつぶされないようお願いしますよ、と、一庶民の私は思いますね。

NoTitle * by taka
お久し振りです。非常に見応えがありました。大臣家の指図というのは非常に珍しいですね。いやあ、ホント主さんには頭が下がる思いです。

七千坪というのは結構広大ですが、やはり江戸時代にはよくある副収入がそれなりに大きかったのではと思います。職業柄高家と繋がりも深い武家伝奏の役割を担い、朝廷運営に三代に渡って携われたのが原因だと思います。

主さんが以前書かれていた吉田神道の力の源泉もやはり神位ですから、やはりそれは重要な収入源だったでしょうね。

しかし大相撲問題、評議会の話題の時に 村上源氏 の邸宅の指図書が見つかるとは何か運命的な物を感じます。

前回仰られていた皇統問題については、改めて深く考えさせられますね。確かにそういう考え方もありと思いながら、皇家の苦難の歴史に思いをはせました。奈良時代後期から平安時代は藤原氏にあらずんば皇家にあらずだったのが、良くも悪くも律令制が崩壊して逆に「皇家にあらずんば藤原氏にあらず」になった。これも 後三条天皇様 のおかげですね。

ちなみに臣下から皇位に就かれた方は二柱でした。

ただ、だからと言って誰でも宮家というのも危険ではあります。例えば今の 近衛家 の当主は父系が 肥後細川氏 で政治家のあの方の実弟ですから(苦笑

新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 中編

中院家指図の核心に入っていく前に(大げさかな)、中院家についてどのような公家さんなのか少し触れてみたいと思います。中院家(なかのいん け、と読みます)は、大臣家の家格を持つ公家。摂家、清華家の次に位する立ち位置で同じ大臣家には嵯峨家(正親町三条)、三条西家、そして中院家の三家あります。摂家が5家、清家家が7家。その後に続くわけですから公家のなかでは中の上クラスですね(中院家の方、失礼な物言いですみません...

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新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 前編

少し久し振り、以前から収集していた公家屋敷の指図を眺めていまして、そのなかで二分割されている中院家の指図を一枚にくっ付けてみたら、どこかで見た覚えがある・・・と、そこから同家の指図が気になって調べていくうち、「どうも、この中院家指図は作成された時期と根拠が唯一明らかな幕末の公家屋敷。しかも明治4年の公家町を京都府へ返上する上知令直前の公家屋敷の姿を伝えるとても貴重な指図ではないか」と思われてきて、...

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No Subject * by 京一朗
Kuma83様 コメントありがとうございます。

中院家の指図についてですが、

京都大学附属図書館の資料名で、

中院家本 登録番号 262723 「中院家拝領屋敷図」11枚+袋1枚 マイクロフィルム43コマ分、

となっています。このときはまだマイクロフィルムにはなってなくて撮影を依頼、複写したものを郵送で送って頂いた経緯があります。

詳細については、同大学付属図書館の特殊資料掛までお問合せください。電話番号は 075-753-2640 です(変わっていなければです)。

以上ですけど、少しでもお役にたてれば幸いです。

No Subject * by Kuma83
京一朗さま

楽しく拝見させていただいております。
ブログを拝見し、中院家の指図に非常に興味が引かれました。京都大学のアーカイブで検索したのですが、本文にあった「当家拝領屋敷」といものが、どこに収録されているかが分かりませんでした。
もし、差し支えなければご教授いただけませんでしょうか?

洛中洛外図屏風に描かれた公家屋敷を訪ねてみよう!

今回、江戸初期の九条邸を3D制作するにあたって、屋敷内の蔵をどう作るか、当時の洛中洛外図屏風などを見た結果、なまこ壁の蔵は見当たらず、それでも下見板張りでは地味過ぎると、初期の壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の継ぎ目に漆喰をかまぼこ型に塗るという単純な四角のなまこ壁にしましたが、ところが新たな洛外図を見たら何と!「菱形」のなまこ壁がありました!!これです。丸で囲った部分。花頭窓風の窓の左右に菱形の漆喰模...

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近世の公家屋敷を代表する九条道房邸が完成。 その弐各部編-③

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近世の公家屋敷を代表する九条道房邸が完成。 その弐各部編-②

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近世の公家屋敷を代表する九条道房邸が完成。 その弐各部編-①

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近世の公家屋敷を代表する九条道房邸が完成しました。その一 全体編

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