3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 伏見宮家

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(十) 今出川通界隈

前記事で、御苑外の公家屋敷シリーズもその(十)で最終話となる旨お伝えしましたが、どうも無理筋に思えてきまして二話に分けることにしました。いつもの気まぐれで申し訳ない・・。ということで今回は御苑の北に接する今出川沿いの公家屋敷跡、及び室町時代に足利義満によって建立された相国寺七重塔のあった塔ノ段町近辺にあったと思われる六角家の屋敷跡を巡ってみたいと思います。            &n...

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追記 * by 京一朗
五反田猫様、

記事のなかの冷泉家ですけど、”直系子孫”から”嫡流子孫”に訂正しました。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 いつもコメントありがとうございます。

冷泉家のご当主と面識があるとは知らず失礼なこと書きましたかね・・・。

現在のご当主ですけどBSで拝見したことあります。お婿さんであるとは知っていましたがどこぞのお公家さんの子孫にあたる方ですか?

私のなかでは公家社会は養子にでたり、また入ったりと女系で継いでいるお家もけっこうあり、元を辿れば皆公家の出ということであまり女系に拘りはなかったのかな、と思ってます。

戦国時代、上冷泉家は北陸へ下向していましたが、そのときは大事な古典籍の山はどう守っていたんでしょうね?

馬や荷車に積んで避難したのか、内裏に置かして頂いたり?とか、どうなんでしょう? まだ戦国時代は耐火性に優れた蔵はあまり無かったと思いますし。

六角氏ですけど、どうしても鎌倉、室町期の守護大名を連想してしまい、公家さんイメージ少ないですね。家禄30石もまだ蔵米ならそれなりに安定してますけど知行30石だと収入ゼロもあり得るし暮らしも大変だったんだろうなぁ、と平公家の苦労が偲ばれます。

でも、私なりの価値観のなかでは六角氏>徳川宗家なのですよ。日本の貴族は帝との距離で決まると思ってますから。

あれこれ * by 五反田猫
京一郎さま、 まさにお名前に相応しい京の公家屋敷のお話し、写真と合わせて楽しみました。 有難うございます。

>冷泉さん
ご当主とは和歌関連でご面識がありますが、「冷泉家は二番手主義」だと仰っていたのが印象的でした。
和歌宗家は、長く二条流、京極流だったのですが、結局 トップに立つと風当りも強くいのですね。 明治になって二条流の中心 三条西家は歌道宗家の役割を終え、地道に歌道をつないだ冷泉家は、現代では定家の流れを伝える家となりました。 現代のお公家さん達のご子孫は女系が多いのですが、冷泉さんの所もずっと女系ですね。 それでも代々 優秀な男性が婿として入られるので、それも素晴らしいと思います。

>竹内家、六角家
足利将軍家の侍が、公家になった家で、こういう家の存在自体、室町時代は公家と室町武家の境目が曖昧になっていたのでしょうね。 お公家さんでも将軍についてって戦死したり、御所よりも将軍家に入り浸って親を嘆かせたりなど。
江戸になると固定化しますが、それでも武士から公家侍への転身は続いているのですね。

次回でまとめになるとの事で楽しみです。

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(六)

「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る」の初回現地取材をしたのが先月11月の初旬。もう一か月以上経って旅の記憶も忘れがちになってますが撮った写真とか見ながら思い出し書きしてゆきます。今回の訪問先は、伏見宮家、梶井宮家、日光御里坊、正親町家、山階宮家の五邸です。全部書けるか心配ですがとにかくやってみます。例によって各屋敷の位置図を載せます。                           © Open...

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No Subject * by 京一朗
higeさん
コメントありがとうございます。

そうですね、番組小学校の一つですね。各番組小学校には公家屋敷の門や御殿はもちろん藩邸やお寺の建物も移築され利用されました。

欧州の都市が一番美しく見えるスポットは丘から見下ろした風景だと思います。やはり屋根が統一されてますからね。街路を歩くと石畳は疲れる。落書きも多い。

高階宮邸の五層楼も長い江戸時代の建築規制(二階以上禁止)縛られた反作用で、地震も関係なくまさに解放感あふれたされた当時の人たちの高揚感を感じる思いです。

higeさんには今年いろいろお世話になりました。良き年をお迎えくださいね。

※ higeさんは髭生やしてみえるんですか? 失礼な愚門すみません。

日影小学校は * by hige
いつも興味深く拝見させていただいてます。

記事中の日影小学校は、日彰小学校ではありませんか。

http://www.kyotodeasobo.com/art/search/museum/gakureki/choshu-no-energy-kyoto-bangumi-shogakukou#.XCl8ZM3gpMM

この日彰小学校は明治2年に建てられた番組小学校の一つです。
この五層楼はもう残ってないようですね。
太鼓望楼であれば

https://blgid1974.blog.fc2.com/blog-entry-1111.html

な形で残ってるものがあります。

明治天皇が遷都されてから、京都御苑の公家屋敷が荒れ放題になって、それをお知りになった天皇が京都御苑の整備をお命じなったのだとか。
また、昭和になって、ビル化が進み古い建物が次々壊されたことがあったらしい。
最近でこそ古い街並みを残すことに注意が傾けられてますが、壊された遺産は戻ってきません。

そんな古い景観を京一郎さんが再現されるのが楽しみです。