3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 京都御所

YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.4-部屋紹介-後宮編」をアップしました。

ご案内の通り「京都御所3D案内 Vol.4-部屋紹介-後宮編」をYouTubeにアップしました。視て頂けたら嬉しいです。でも、書きながらやっぱり気になるのは新型コロナウイルスの感染の広がりです。世界に感染が広がっているし国内でも全国の公立小中学校が休校に入ります。北海道は非常事態宣言を出しています。今はもう感染を防ぐ水際作戦は失敗し、いかに市中感染、クラスター(集団)感染を抑え日本全体にパンデミック状態を引き起こさ...

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五反田猫様
丁寧な解説ありがとうございます。
丁寧過ぎて余計混乱してしまいました すみません冗談です 笑。
一つ自分なりに感じるのは、
例えば、京都御所の記事で天皇陛下に触れるときは、いつも帝、と書きます。天皇と書くと何となく御所に合わないというか馴染めない・・・自然と帝になってしまうのです。やっぱり御所が雅だからそうなるのかな、とも思ってます。

光格天皇様は傍系の宮家出身なので、逆に天皇の権威を高めようと努められた御方です。今の御所があるのもこの方の御蔭かと思います。

それにしても太上天皇号はホント、不思議と使われましたね。その辺も何でだろう? とつい思ってしまいます。

称号 * by 五反田猫
京一朗さん
称号の問題は難しいですよね、私も専門ではありませんがご参考まで。
今では当たり前の「天皇」「皇后」という名称。
天皇という称号は村上天皇以来900年近く絶え(後醍醐天皇、安徳天皇という例外を除く)、光格天皇で復活しました。
ですからそれ以前の江戸時代の天皇の称号は「**院」です。以後、仁孝天皇・孝明天皇の2代にも諡号
面倒くさいのは、「上皇」にあたる「太上天皇」
これは天皇号が絶えていた時期にも、太上天皇号は変わらず用いられていたので、ご存命で隠居された場合には「太上天皇」(略号は上皇)
ですから江戸期の上皇は、108後水尾上皇、109明正上皇、111後西上皇、112霊元上皇、113東山上皇、114中御門上皇、115桜町上皇、117後桜町上皇、119光格上皇となります。

皇后は、江戸時代にはおられず、正室にあたる最上位が「中宮」で、皇后は明治になり復活しました。

「准后」は、もっと面倒で、女性に限りません。
太皇太后・皇太后・皇后の三后(三宮)に准じた処遇を与えられた者という地位の称号です。
男性の場合には、臣下でも摂関を経て隠居後に准后になる場合があります。(名誉会長のようなものでしょうか?)
江戸期でも、摂家出身の男性の准后がおります。
皇族で帝位につかないが、生母や父などで准后になる場合もあります。
江戸時代では皇族女子(内親王)が准后になります。院(天皇)の御生母などは、後に格上の皇太后、女院になる場合もあります。
そして京一郎さんがお書きになった後宮出身
中宮には皇族以外でもなりますので、中宮でも御生母の場合は女院になる場合もありました。
女院になると「**門院」という院号がつき、女院御所に入られます。
以上ご参考まで

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五反田猫様
コメントありがとうございます。
五反田猫さんも武漢ウィルス気を付けてくださいね。
皇后の件ですが、
私の中では、皇后、中宮、女御、更には准皇后と混乱している面があります。皇后=中宮、その下が女御、准皇后は追号とか・・・よくわかりません。安政度内裏を見ると後宮部分を切り離している指図が意外と多いです。後宮の方は准皇后御所として半ば皇太后の御所のような感覚がしてきます。独立状態ですね。調べたら幕末の孝明名天皇は九条凪子を妃とされ皇后にしようとしましたが、幕府に断られたとのこと。何なんでしょうね。普通、王&王妃で宮廷が成り立つと思うのですが、正室なのに皇后の地位が曖昧なのは、やはり幕府の影響でしょうか?

こういう時こそ * by 五反田猫
京一朗さん いつも興味深い記事を有難うございます。
こういう時期だからこそ、記事や動画を拝見するとホットします。
ちょっとだけ気になったのが「皇后」という記載です。
江戸時代は中宮のみで皇后はおりませんよね。(死後の送皇后を除く)
現代感覚だと天皇の配偶者は皇后なのですが、当時は中宮、女院というのが相応しい気がしました。

世情喧しい時期ですが、どうぞお元気にお過ごし下さい。

YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.3 部屋紹介 中半編」をアップしました。

NHKのBSプレミアムに自分の作品が出たので、一昨日「無事、放送されました」と記事書きましたが、何と本日16日、二日も置かずに新しい記事を更新しました。ここ最近は更新頻度がメッキリ減っていたので「アレ?自分こんなに豆だったかな?」と、首を傾げつつ書いてます。これもNHKに載って有頂天になったからだと「分り易い」自分です。動画編集が少し楽しくなってきたので、YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.3 部屋紹介...

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YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.2 部屋紹介 前半編」をアップしました。

皆さんこんにちは、久し振りの動画アップです。今回の「京都御所3D案内 Vol.2 部屋紹介 前半編」では、京都御所の建物にはどんな部屋があったのか? その名称と用途をご説明します。幕末当時は何百もの部屋(間)があったので一回では紹介しきれず、前半、中半、後半、の三回に分けYouTubeにアップロードする予定です。初回は紫宸殿廻りの表部分についてピックアップしています。果たして盛時、どれほどの部屋があったのか見当...

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広いようで狭い京都御所

新年1月ももう半ばになって記事の更新が大幅に遅れ申し訳ありません。3D動画も続編がまだ出来てない・・・続編では御所の各建物の部屋名や用途等について、またその後では御所の室内から見た風景など、すでに失われた建物をメインにウォークスルーしようかと思ってますが3Dの場合、ちょっと集中力が必要なので少し充電してからにします。有名ユーチューバーなど毎日のように動画をアップしていますが、実際、編集にかかる時間...

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五反田猫様 コメントありがとうございます。
>「二重虹梁」は、背高になったから採用したのか、
そうですね、よく見たら二重虹梁ですね。江戸時代初期に御所の紫宸殿が現在の仁和寺へ移築され金堂となっていますが、内部も二重虹梁になっているそうです。軒先の垂木も御所だけ(紫宸殿)三重になっていて一般では許されません。やっぱり御所の格式故、このような二重虹梁を持つ回廊になったのかな、と思います。

江戸時代、御所の北東が大きく欠けていましたが、当時の人はあまり気にしなかったのでしょうか?自分だったら落ち着いておれないです 笑。幕末の公家町の絵図を見ても北東、鬼門に
あたる部分は空地もあります。江戸時代、北向き、南向き等は気にしなかったけど、鬼門だけは気にしたみたいです。そもそも城下町の武家屋敷でも拝領屋敷ですから北も南もないですよね。今は建築基準法で隣地から最低50cm離れて建てないといけないですけど、それだと、かなり狭く北側がジメジメします。北向きが嫌われるようになったのは明治以後かもしれませんね。

ご明察 * by 五反田猫
いつも興味深い内容を有難うございます。

なるほど、ご指摘されてみれば、回廊に対して日華門、月華門は、何となく背高な感じです
構造は、切妻屋根に「二重虹梁」という古式な特殊構造。
「二重虹梁」は、背高になったから採用したのか、これを採用したから背高になったのか気になる点です(笑)
 承明門と建礼門の距離は、近いなぁと思っていましたが、これもご指摘で納得です。
周囲が町屋と大路に囲まれているから、敷地が足らないと周囲を変更できない。
そうなると、限られた範囲で、復古した建物を配置してゆく。
結局 南側にしわ寄せが出てしまったのでしょうか。 本来ならば、承明門と建礼門の間には、馬場か松原などを設けたかったでしょうが、これは諦めためたのでしょうね。
こうした制限の中で、よくぞまとめられたものです。

御所が長方形になったのは、慶應になってからなのですね。
確かに、それ以前の絵図をみると、東北が欠けておりました。私達は、現在の御所しか知らないので、どうしても長方形だと思い込んでしまいますが、そうでなかった期間の方が長いのですね。

重ねて貴重な指摘と情報に感謝いたします。

謎の人物X氏より新たなミッションを受け宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました 後編

引き続き後編ですが、〇〇卿(メールではそう呼ばせて頂いておりますが、実際にお会いした時は言いませんよ 笑)と会食した際、公家の廣幡家の話が出ました。私の方から切り出したのですが、「廣幡家といえば公家でも摂家に続く家格の清家家の名門なのに本邸が御所から1キロ以上も離れていたのは何故ですかね?」。お公家さんの本邸の殆どは現在の京都御苑にあった公家町と御苑の西に接する烏丸通、同じく御苑の北に接する今出川通...

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No Subject * by -
澪標様 コメントありがとうございます。
第54回京の冬の旅のHP貼り付けて頂きありがとうございます。光照院の一番上に出てくる書院が桂宮邸の遺構ですかね。欄間が何となく桂宮邸風です。本堂も昭和天皇即位に使われた建物も何となく近代和風な感じですね。
>なぜ、二条城に移築した後も残り続けたのか、また他の現地に残った桂宮邸がどうなったか気になりませんか?

そうなんですか、残っていたんですね。朽ち果てるままにしていたのか?何か理由があるのですかね?その理由教えてください。隣の中山邸跡も明治天皇の産湯に使われた祐井が残ってると聞いてます。他にも遺構が残っているかもです。

No Subject * by 澪標
ご無沙汰しております。
三井家は新政府に色々と貢献していますから、移築したのは雑役を担う者たちが集う部屋では無いと思いますが、いくら貢献があったとはいえ商人ですから、天皇が使用するような部屋ではなく、高級女官が使った煌びやかな障壁画がある部屋ではないでしょうか?
話が変わりますが、第54回京の冬の旅で見学した光照院(旧常磐御所)に、大正時代に京都御所の近くにあった桂宮邸を移築した書院がありました。
係員に話を聞いてみると、二条城に桂宮邸を本丸御殿を移築した後も跡地にはいくつも建物が残っていたようで、その一部を寄付されて移築したようです。
ウィキィペディアによると、桂宮邸は1847年(弘化4年)に桂宮家が京都御所の北(今出川御門内)に建てた御殿の主要部を、1894年(明治27年)に明治天皇の意向により、二条城本丸に移築したものということですので、単純計算でも20年近く主要部以外は残置されていたみたいです。
なぜ、二条城に移築した後も残り続けたのか、また他の現地に残った桂宮邸がどうなったか気になりませんか?
https://ja.kyoto.travel/specialopening/winter/2019/special/public01.php?special_exhibition_id=35

No Subject * by 京一朗
澪標様 コメントありがとうございます。
ご無沙汰ですね。

リンク先拝見しました。
まさか福井県の小浜市に幕末の御所の遺構が移築されているとは思いませんでした。情報ありがとうございます。
最初に三井家が拝領した御殿は、10畳と7・5畳の2部屋ですね。御所のどこだろう?当ててみてください 笑。拝領ということですからそれなりに立派なものを頂いたと思います。
外観はかなり改築されていますが中はどうなっているか興味尽きないですね。

No Subject * by 澪標
以前は戦時中の京都御所における建物疎開に調べていただきありがとうございました。
今回、京都御所が明治時代に建物の払い下げを行なっていたという絵図をされていますが、三井家が10畳と7・5畳の計2部屋を拝領し、東京に移築していたのを小浜市に、三井家が小浜藩の両替商だったなどの縁で、調度品とともに市に寄贈されたという記事を見つけました。
下記にネットニュースのリンクを貼っておきます。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/927310
ご興味がおありと思い、以前のお礼としてはささやかではございますが、お伝え致します。

謎の人物X氏より新たなミッションを受け宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました 前編

先日、謎の人物X氏より新たなミッションを与えられ宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました。謎の人物とは誰か? まったく分かりませんが今まで京都御所に関する文献・資料について「ここに、こんな資料がありますよ。一度調べられては?」とアドバイスを非公開経由のコメントで頂き、御所の3Dを制作する上でとても役立ちました。X氏がいなかったら3Dも途中で挫折していたと思います。同氏は御所に関して非常に詳しく並みの人...

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No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。
お公家さんも長い歴史で色々とありましたが仮に公家がいなくて武士ばっかりだったら、その分、戦国時代のように、国がもっと荒れたかもしれません。
時代劇は幕末や戦国時代物ばかり多くて、たまには公家さん主役の大河ドラマやってほしいですよ。信長や秀吉、家康と同時代に生きた近衛前久とか取り上げたら面白いと思うのですが。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様、
アップして頂いたPDF「戦時下建物疎開の執行目的と経過の変容」拝見しました。眼から鱗というか、全国的に建物疎開が行われていたことがわかりました。名古屋の栄の100m道路も疎開で家が除去されたから戦後出来た面があるみたいですね。
京都はちょっと油断していたんですね。大阪や神戸が空襲にあって慌てて京都も建物疎開したんですね。消防用道路とか確かに必要ですね。でも、この混乱のなかで御所も一部が解体されたのは残念です。戦争を何とか防げなかったのかと思います。今の北朝鮮を逆に見習ってノラリクラリな外交戦術もあってもよかったと思います。米大統領が共和党に変わるまで、じっと耐えるとか・・・。
為になる情報提供ありがとうございます。

女院御所は幕末時、上皇が不在だったのでなかったのではと思います。

昭和20年のどさくさ * by 五反田猫
京一朗さん

>御一新で真っ先に解体
>皇后御常御殿のある後宮エリア
そういえば、仙洞御所は残っているのに、女院御所が残っていないのも同様な理由でしょうか?
戻らないという意味に加え、文明開化で一夫一妻制の導入というのも理由かも、気になります。

昭和20年のどさくさは、戦中体験者の聞き取りでも、色々と聞いております。
東京では1943 年(昭和 18 年)12 月の閣議決定「都市疎開実施要綱」および翌年2月の「決戦非常措置要綱」に基づいて実施。記録を見ると5万五千戸とありますが、実際はもっと多かったように思えます。 それほど記録と実体がいいかげんなのですね。

京都の場合には、こちらに資料がありますが、東京、大阪の状況もみて、木造家屋は防火帯を作る事で急いで実施。 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/76/666/76_666_1509/_pdf

他の都市にも共通していますが、場所は決めたら町内会や挺身隊などボランティア組織が実行なので記録がないのだと思います。 公務員(軍人含む)や公共施設は、国民の範となるように進んで応じると言われたので先に進められたものも多かったようです。 御所の場合には、文化財ならば名古屋城のように記録が残りますが、皇室財産だったから却って記録が残っていないのかもしれません。なにしろ当時の天皇陛下は陸海軍元帥という軍人でもありましたので。



No Subject * by 大原かずのり
長きにわたり続いてきたものは、やはり魅力がありますよね。日本は天皇家はもちろんのこと、お公家さんも本当に歴史が長い。それだけに重みを感じます。

木造の例えはなるほどと。最近、尼崎城天守が再建されましたが、その陳腐なこと(苦笑) 木造再建の大洲城の足元にも及びません。

名古屋城天守木造再建に反対する人の心理、理解できませんね。お金の問題ではなく、長きに渡り育んだ、木造文化の問題ですよね。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

御所の建物疎開ですけど、ホント、解体した部材だけでも何処か倉庫に残していたら再建もできたのに・・・と残念です。

3Dで御所を作りながら一つ思ったことなのですが、御一新で、御所のどこから先に建物が消えていったといいますと、東西の対屋、そして皇后御常御殿のある後宮エリアだと思いました。
明治2年に明治天皇が東京へ奠都した際、もう戻る意味もないよう後宮部から壊したのか?あるいは、薩長の志士たちが、富国強兵のためには、女官に囲まれた御所は軟弱過ぎると思って一目散に解体したのか?なにか意味深な所があると思いました。

過去の記録 * by 五反田猫
いつも貴重な記録の紹介を有難うございます。
明治の御所払い下げの実体が良く判りますね。

>西洞院家 38円
当時は、城、武家屋敷、公家屋敷、寺(特に廃仏運動での堂宇)は、過去の遺物として積極的に取り払わられたようですね。
建物も、移築が目的ならば良い方で、酷いのは釘や金具など金属回収が目的の場合もあったようです。
西洞院家の屋敷は普通サイズですから、他も似た様なものだったのでしょうか。 値段が安いのは、もしかすると拝領屋敷だから政府に返納という意味があったかもしれませんが不明です。 御苑として整備され御所の建物が残っただけでも岩倉公に感謝です。

>昭和20年の建物疎開
この時点は、本当に混乱して記録が残っていませんね。 松本大本営への移転話もあり、敗戦後は資料も大量に焼かれましたね。
敗戦のドサクサで、物資の横流しもあったでしょうから、当時を知る人が居なくなると闇の中でしょうか。

それにしても、こうして資料調査の結果もまとめられ、 3Dで建物を復活されると、活き活きと見えてくるものがあります。


YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.1 飛翔」をアップしました。

皆さんこんにちは。三日遅れの暑中お見舞い申し上げます。京都御所の動画第一弾がようやくできあがりましたのでアップします。御所にはどんなBGMがいいかなぁ、とか、いろいろ思案の末の労作?です 笑。今回は空からの俯瞰をメインにした動画です。動画の終盤の方にちょっとしたサプライズも揃えましたので少し期待してください。動画は取り敢えず3本ほど作る予定です。まだまだ動画編集に慣れていないのでお見苦しい所もある...

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管理人のみ閲覧できます * by -

No Subject * by 京一朗
sazanamijiro 様 コメントのお礼遅れて申し訳ありません。

>あまりの完成度に絶句!
>もはやこの映像自体が文化遺産ですね。
過分なお褒め、軽い自分はすぐ舞い上がって喜んでしまいました。すぐその気になって勘違いしてしまうタイプなんです。
でも、嬉しいです、励みになります。ありがとうございます。

まだまだ完成度も低く、所々、動画がカクカクと流れが悪くなったり修正点があります。直して行こうと思ってます。
過去の動画も画質が悪いです。YouTubeの解像度も良くなって、御所の動画も以前より鮮やかになりました。古い金閣や相国寺七重塔など、もう一回、新たな動画に置き換えたいなぁ、と思っています。YouTubeのチャンネルもなぜか複数になってしまいアップ動画も分散してしまいました。

今回整理し、チャンネルは”3Dkyoto”に統一し、動画も再アップし直しました(金閣は除く)。ですのでアクセス数もリセットされてしまいました。でも、今後、ここをプラットフォームに動画を充実させていきたいと思ってます。

>御所から見て夏至の夕日の方向にある愛宕山>の山影が、ちらっとでも登場すればさらなる>感涙です。
京都へ行ったとき、山々の写真撮ってますけど中々、クリアーな写真がとれません。いい背景写真ができたら愛宕山をバックに作ってみるのもいいなぁ、思いました。けど、京都盆地から愛宕山視えるんでしたっけ?、確認もしなければ。
では、暑い夏、お互い夏バテに気を付けましょうね。

No Subject * by sazanamijiro
あまりの完成度に絶句!
もはやこの映像自体が文化遺産ですね。
もしわがままが許されるなら、いつの日か、御所から見て夏至の夕日の方向にある愛宕山の山影が、ちらっとでも登場すればさらなる感涙です。
(右京区の田舎者なので)

No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

お褒めいただき恐縮です。励みになります。
動画何とか作りました。
YouTubeだったら何かあっても動画が残るかもしれません。少し要領がわかったので次も頑張ります。
大原さんも楽しい盆休みお過ごしください。

No Subject * by 大原かずのり
最初からこの完成度は、さすがです!ドローン気分を味わえました。

特にお気に入りが、承明門が開いてシシンデンに向かう場面です。承明門から眺めるシシンデンが、特に好きなんですよね。

連日の猛暑ですが、3D動画を見たら涼しくなれました(笑)
実に心地よい動画ですね(^^)

京都御所、御殿の中から外を見てみよう。

前記事では、京都御所第一期3Dプロジェクトの完了に伴って外観を東西南北、空から、斜めから、といろんな角度から俯瞰した3DCGをアップしましたが、本記事では今度は「京都御所 ― 御殿の中から外を見てみよう」と題して、普段、御所の建物は外からしか見学できませんが、だったら3DCGを駆使して「中から外を見みよう、どんな風景が待っているだろうか」と興味もあってチャレンジすることにしました。きっと御殿の上から御所の...

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京都御所第一期3Dプロジェクトが完了、紫宸殿から飛香舎まで渡り廊下で繋がりました!

本題に入る前に一言。何気にトータル記事数を見ましたら400記事になってました。途中、サボったりしましたが何とか400を超えることができました。読者の方のコメントや励まし、応援を頂いたからこそ続けてくることが出来たと感謝しております。ブログの人気ページランキングを見ますと、いつも上位に位置している記事を見かけます。きっと、その記事を評価する方々が順位が下がらないよう、いつもクリックして頂いているからだと思...

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No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

激励の一文とても励みになります。自分で言うのも何ですが、こうして渡り廊下で結ばれると改めて御所の美しさを感じます。江戸時代だけでも8度の火災にあってますが、その都度、類焼の恐れがあっても渡り廊下で繋いできました。帝が土を踏まれずに御所を渡られる為とも思いますが、結果的にそれが御所の美しさに反映されていると思います。
これからもコツコツと3D作りに励みます。



No Subject * by 京一朗
五反田猫様
南禅寺勅使門のこと教えて頂きありがとうございます。
さっそく写真を拝見しましたが、品格があって立派な四脚門ですね。さすが御所から拝領した門です。明正天皇からどのような経緯で拝領されたものかわかりませんがこうして寛永期の御所の建物が残っているのは喜ばしいですね。

No Subject * by 大原かずのり
400突破、そして渡り廊下の繋がり、おめでとうございます❗
3Dでコツコツ、実に頭が下がりますね。

ブログを続けるのは実に大変だなあと、私のような稚拙ブログですら思いますが、これほどの3Dを駆使した貴ブログなら、一体どれだけ大変かと思います。しかしそのお陰様で、私は楽しませて頂いております。

今後の活躍、そして500目指して頑張って下さいね(^^)

日御門 * by 五反田猫
京一朗さん
詳しいお話しを有難うございます。

建春門になったのは、安政度御所からなのですね。
門院号があるから、つい昔からあったように勘違いしてしまいますが、それ以前は日御門だったのですね。ご教示有難うございました。
それならば、南禅寺勅使門として残っております。 門には「禁中日御門拝領 寛永第十八歳舎 辛己 九月如意珠日建立 住持比丘元良誌焉」
とあります。

こちらは唐破風はありませんので、後についたのですね。
http://www.nanzen.net/keidai_chyokushimon.html


追記 * by 京一朗
五反田猫様

日御門は幕末の安政度の御所から建春門と呼ばれるようになったとも。それと公家が通用門にした日御門脇の穴門は「日御門代」でした”代”が抜けてました。失礼しました。機会があれば、各御門の使用勝手について教えてください。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

ご指摘の建春門ですが、確認しましたら、近世では皇后が出入りされた門と書かれています。節会など重要な時だけ大臣、公家の参内が許されたとか。は北の遡平門は女御など高貴ま女性が出入りしたとか。宣秋門は公家の通用門で摂政、関白、宮、大臣が出入りし、一方で建春門は有職故実の大家・裏松固禅の考証ではまだ日御門と呼ばれ、その日御門の脇に設けられた穴門(日御門)が公家たちの通用門だったと書かれています。なんだか分からなくなってきました。儀式用とか日常用とか分れていたのでしょう?
将軍が建春門から入ったとは以前読んだ本の聞きかじりです上皇もここと書いてありましたがどうなんでしょう?唐門は武家にとつては一番格式ある門なのでココを通ったと思ってました。ここだと内侍所を通るのでホントにここかなぁ、とも思いました。

五反田猫さんご指摘のように施薬院は清め衣冠に装束を替える所ですからわざわざ建春門から入る必要もないですね。いろんな本をみて混乱、間違ってました。すみません、記事、訂正します。

武家ルート? * by 五反田猫
いつも興味深い記事を有難うございます。
何と400記事とは素晴らしいアーカイブです。

本旨と関係ない部分ツッコミで恐縮ですが、疑問がありご教示頂けると嬉しいです。

江戸の御所の参内は、公家衆は西側の宣秋門より入り、御車寄より建物に入ったと思います。
所司代や高家なども、西側に武家玄関がある事から、同様とおもいます。(諸役や出入り業者は清所門)

記事には将軍は建春門より入るとありますが、この場所は東側ですよね、
ここから入ると、建物にはどこから入るのでしょうか? 
徳川家茂が230年ぶりに参内した時には、中立売門脇の施薬院に入り、単の衣冠に装束を替え、宣秋門より入り、武家玄関?より建物へ入り、麝香間で控え、小御所にてご対面のようです。
それ以前で参内したのは、家康、秀忠、家光のみ。 この時のお話しで、当時の御所の構造は全く異なり、建春門入った辺りに将軍用の玄関や建物があったのでしょうか?


No Subject * by 京一朗
Hakka 様コメントありがとうございます。
ご丁寧に祝辞も頂きとても励まされます。

非公開にした記事や下書きのまま残しているものも含めれば430記事ほどあります。

拙い記事ですが3Dで御所や他の建物を再現する過程で得た知識や自分なりの発見もあります。これらのことも参考にしてより納得できる京都の3Dを作っていきたいと思います。500記事まて達したらひょっとして読み継がれていくレベルになるかも、と思ったりしてます。ただ、fc2が消えてしまったらおじゃんですけど・・・。歴史ブログの大御所”しばやん”さんのようにWordPressの立ち上げも一つの手と思いますが、今はそれ以前のレベルなので、とにかく500記事達成に向けマイペースでやっていきます。

ところで、今朝は、地元の神社の祭礼の関係で山の上でのお籠り当番から帰ってきました。徹夜で太鼓を叩いたり酒のんだりお餅を配ったりし夜露に濡れたりとぐったりです。また8年後にあります。でも、長老から白狐に出会った昔話や伝説、知らなかったことなど聞かされそれなりに楽しくもありました。こういう昔話も段々と消えていのくでしょうね。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

戦前の住宅などで廊下の内部が畳敷と板敷で分かれているのはたまに見ますが、屋根の葺き方が左右で違うというのは、城や寺社を含め見た記憶がありません。さすが御所ですね。

3D第一期終了と400記事達成おめでとうございます。京一朗さんの記事は毎回内容がとても濃くて、勉強になります。このボリュームで400記事は真似できません。500記事達成まで、頑張って下さい。

アインシュタインが愛した京都御所-長橋局内観編

冒頭に書かずにはおれないので書きます。昨日、一人の放火犯によって、京都アニメーションのスタッフの方33名がお亡くなりになり、今も36名の重軽傷の方が病院で治療を受けておられます。火傷はとても痛ましく人に寄っては後々まで後遺症になって苦しむ場合も多いと聞きます。火傷から治ってもペンを握れない人も出てくるかもしれない。若い女性も多く、顔に火傷の後が残ったら可哀そうの一言です。昨日はNHKの取材の直前で、主要...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 いつもコメントありがとうございます。諸大夫の間ですけど、指図を見たら天井は猿頬天井と書いてありました。やはり部屋に応じて天井も差別化していたんだな、と思った次第です。

高麗縁の蘊蓄ありがとうございます。
>親王・摂関・大臣は大紋高麗縁、公卿は小紋高麗縁です。
う~ん、覚えても直ぐ忘れそうです 笑。
そのときは八条様のHPへ飛んでいきます。

繧繝縁も難しい字ですね。でも、今後の3d作りに活かしたいと思います。
色々と教えて頂き感謝しています。

車寄 * by 五反田猫
資料を見直すと以前拝観したのは「御車寄」とあり、諸大夫の間に続いているもので、ここでお書きのものとは違うかもしれません。

例により以下は、八條さんのページを参照です。
高麗縁には紋の大小があり。
親王・摂関・大臣は大紋高麗縁、公卿は小紋高麗縁です。

最上位の繧繝縁は最も格の高い畳縁で、天皇・三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・上皇が用いました。親王や高僧、摂関や将軍などの臣下でも、「准后」(准三宮)という称号が与えられると三宮扱いとあります。


No Subject * by 京一朗
五反田猫 コメントありがとうございます。  

車寄せを拝見されたことがあるのですか?一度、見てみたいと思ってます。参内殿の前、西側一帯は幕末の頃の御所でも空いている感じです。何か理由でもあるのかな?と思ってます。
高麗縁はわかるのですが、どこまでの身分がそこまでなのか?今一、わからないとこがあります。

参内殿 * by 五反田猫
いつも素晴らしい資料を有難うございます。
参内殿は現存していますが車寄せを除き、拝観は出来ませんよね。(最近は知らないのですが)
こうして3dで拝見出来ると、大変 参考になります。 障壁画を入れた大変結構な景色です。
内部の畳は、しっかりと高麗縁で、細かい所まで行き届いております。

御所の天井を比べてみました。

なかなか京都御所から抜けられません。このままではニッチな世界をひたすら突き進んでしまう・・・。などと多少は思いますが、「思えば遠くへ来たもんだ」というのが心境です 笑。後、二か月もあれば動画も含め御所の「第一期3D制作」が終えるかな、です。本日は、長橋局の内部を中心に3DCGが出来上がりましたのでアップしようと思いましたが、悪い癖で天井の事とか書き出して、それで一記事に纏まりそうなので3DCGは次...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

日本は何事も花鳥風月の国ですから動植物の名称も多いですね。アメリカだと空母のドナルド・レーガンとか人名もありです。

明治以後、花鳥風月は古いから歌うな、と唱えた詩人もいましたが、披講のように声や楽器に合わせて唱和すると本来の和歌の響きが伝わってくるようですね。現代の日本人ももっと風流を介さないと日本に生まれた意味が薄れていくような気がします。

天井 * by 五反田猫
いつも詳しい話を有難うございます。
なるほど、竿縁にも種類があり、猿頬ですか。
格子欄間にも良く合って、御所や書院も雰囲気が出ますね。

そういえば、建築用語には動物の名称が多いですね。  千鳥格子もあるし、螻羽、鯖の尾に懸魚など。 これからも楽しみにしております。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

皇室が質素、清浄にこだわったのは、皇室のプライドというか、武家文化への抵抗みたいなものもあったのでしょうか?

二条城や名古屋城の御殿を観ると、すごいなと思う反面、建築としてはやり過ぎな気がしてしまいます。桂離宮を絶賛して陽明門を酷評したタウトの気持ちがよく分かる気がします。もっとも、彼も自身の日本での作品では結構派手なことをやっていますが…笑

やはり建築はシンプルで美しいのが良いですね。

No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

日本建築の天井の位置づけですけど、建築家によっては書院造りの定型化で天井はあまり顧みられず置き去りにされてきた・・・という見方もあります。正直言って格天井と竿縁との格差が大きすぎて、その間にもっと中間的ないろんな形の天井があっても良かったな、とは思います。日本の場合は住宅は地味目に、一方、社寺で個性を出す、という面があって、おっしゃられるように内陣、外陣に赴きのある変化を与えていますね。

多彩な天井が生まれた近代和風建築が震災で建築規制が入って以降、萎んでしまったのは残念です。

No Subject * by 大原かずのり
猿頬天井という名前は知りませんでした。お猿さん高級感ありますね。

天井は面白いですよね。仏堂でも内陣と外陣で分けて作り、内陣をより格式高くしてたり。格式高くても品があり、ケバくないのが日本の天井のように思います。

京都御所から抜け出せないのはやはり、京一朗さんの前世が関係してるでしょう(笑)

アインシュタインが愛した京都御所-参内殿廻り外観

訂正します。(令和元年7月12日付)記事中にてアップしました長橋局の屋根の煙出し屋根の位置について間違っていましたので、正しい位置に置き替えました3DCGを再アップさせて頂きます。アドバイス頂いた読者の方、ありがとうございます。事前にヤフー地図の航空写真で確認はしましたがハッキリは見えませんでした。ところがGoogleマップで見たら明瞭に視えました。最近、Googleマップの拡大倍率ですけど上がったんですかね? ...

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アインシュタインが「これまで見た建築物の中で一番美しい」と讃えた京都御所 弐-参内殿内部

引き続き本編では参内殿の内部についてご紹介します。引用させて頂いた障壁画及び解説文は、宮内庁協力・毎日新聞社刊の「皇室の至宝 御物 障屏・調度Ⅲ」です。同書に載っている参内殿の障壁画は全体の一部のみですので、室内イメージの作り込み上、襖絵等について本来の位置から別の向きに設置しているものもあります。ですので、正確な室内ではなく、あくまで3D用に変更を加えました。ただ、それ以外については出来るだけ本物...

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No Subject * by 京一朗
sazanamijiro様 コメントありがとうございます。
御所も結構、漢文化というか昔の中国の文物を色々取り入れています。即位礼にも被り物など影響受けてます。紫宸殿にも古代中国の賢聖の画像32人が描かれていますよね。昔の教養人にとって孔子始め理想像を求めたのでしょうね。
自分的には清涼殿や小御所の大和絵が好きです。

No Subject * by sazanamijiro
おはようございます。sazanamijiroです。

御所に漢画とは、意外でした。
平安京に「古き良き中国」のノスタルジーを見る漢民族の知識人にも、かなりアピールしそうですね(^^♪

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

今は参内殿の隣り合わせの長橋局と奏者所を作っています。どれも現存していますが、参内殿以外は瓦葺になっています。再建時は杮葺きでした。ですので杮葺きで再現しています。
3Dを作りながら、たまに「ひょっとして、こういうことでは」と自分なりに感じる時があります。また機会を見て書きます。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

縁座敷に折上げ格天井、数々の襖絵… 見事な空間ですね!本当に参内殿の中に潜入した気分です笑。3Dでしか出来ないことですね。

襖絵や杉戸絵の解説も勉強になります。ありがとうございます。

アインシュタインが「これまで見た建築物の中で一番美しい」と讃えた京都御所 壱-参内殿外観

皆さん、あのアインシュタイン博士が京都御所のことを「これまで見た建築物の中で一番美しい」と日記の中で書き残しているのをご存じですか? 御所の事を調べていたら偶然、知った挿話です。アインシュタイン博士。アインシュタイン博士といえば誰もが知ってる相対性理論(物理的理論は別)で世界的に有名な方ですよね。ノーベル物理学賞も受賞し、天才、人類の叡智とまで言われた御仁です。その方が京都御所を一番美しいと讃えた、...

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実は京都御所は江戸城より豪華だった! 後編

ちょっと間が空きました。すみません。前編に引き続き記事タイトルの実は~に迫っていくわけですが、そのまえにお見せしたい御所の古写真とか色々ありまして幾つか紹介します。ネット初公開?のも含まれるかもですよ。ちなみに、前回記事以来、戦前まで残っていた御所の建物の屋根について情報を得るため宮内庁公文書館へ行って参った次第ですが、頂いた情報・「京都御所屋根之圖明治十三年七月改正」以外にも予め同公文書館の目録...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

>ところで、写真が2枚一組なのは、立体視出来るようにですか?

私もわかりません。壬申検査では御所のもっといろんな所を撮った写真を見たかったのですが、どうしても紫宸殿や清涼殿などの御殿になってしまいますね。当時の御所の暮らしぶりが分かるような台所や局、詰所などの写真が残ってないのは、当時からすれば当たり前の風景で珍しくもなかったのでしょうね。
現代でもごくに普通のことが後世、貴重な資料になることもあるでしょうね。

御所の古写真では結構、内侍所を寫したものがありますが、当時もやはり特別な存在だったんでしょうか?

橿原神宮に移築されましたが、同神宮の雰囲気もいいですね。

”日陰糸”さっそくググりましたが、見てみて「あぁ、あれかぁ」と葵祭の斎王代を思い起こしました。大嘗祭にも使われるんですね。

屋根の変遷 * by 五反田猫
京一朗さん

前回に引き続き、貴重な資料と、まとめの話を有難うございます。 こうして資料と合わせて、数値化出来るデータを見せて頂けると、御所の屋根や構造がとても良く判ります。

明治の写真は、私も拝見した事があるのですが、結構 瓦葺が多いですよね。 装束も、明治になって直垂が参内用に正式化された時期があり、これも武家風な感じなのです。
(ところで、写真が2枚一組なのは、立体視出来るようにですか?)

一方で、ご指摘のような清浄さという考え方。
これは、外国人のブルーノ.タウトが、檜皮で自然に溶け込む桂離宮と、豪華な日光東照宮との対比でも指摘したのですが、まさに仰る通りなのだと思います。
白木の美しさ、なるべく自然であるものの美しさを表現するのが宮廷文化なのだと思います。
今年は御大礼の年でもあり、そこで出てくる装束に用いられる「日陰の糸」などは、まさにその好例ですよね。

これからも、お話しや3D楽しみにしております。
どうぞお元気でお過ごし下さい。

No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

>銅屋根は中韓にはほとんどなく、日本的だなあと思いましたね(朝鮮通信使も銅屋根を記録し、その贅沢さは異常と記録していました)。

それは知りませんでした。銅屋根も腐食してからがいい趣だしますね。
中国あたりだと紫禁城など、釉薬で焼いた黄金色の屋根が沢山葺かれていますが、あの黄金色の瓦一枚でもとても値が高いそうです。

将軍も、皇帝もまざまざと権力を見せつける感じですね。

檜皮・杮葺き職人ですけど、最近は建物の復原もあって徐々に増えているそうです。

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No Subject * by 大原かずのり
京一朗さんの執念と情熱に拍手です!
4m、縦2.5mとは、ととととんでもない大きさですね(笑)^^;
しかし情報入手のために努力を惜しまずの姿勢に頭が下がります。

武家上流階級は銅瓦屋根が好きだったイメージがあります。日光に立ち寄りましたが銅瓦の連なりが見事でした。特に奥社は銅だらけ^^;
銅屋根は中韓にはほとんどなく、日本的だなあと思いましたね(朝鮮通信使も銅屋根を記録し、その贅沢さは異常と記録していました)。

しかし、やはり京都御所の魅力は檜皮葺きなんでしょうね。おっしゃるように、優美なライン、柔らかさ、優雅さ、これは檜皮や杮でなければ出せないように思います。
維持はますます大変でしょうが受け継いでいってほしいですね。



実は京都御所は江戸城より豪華だった! 前編

24日、皇居の本丸北に位置する宮内庁の公文書館へ行ってきました。同館は宮内庁書陵部に属し明治以後の宮内省・宮内府・宮内庁が作成又は取得し,同館に移管された特定歴史公文書等を所蔵している所です。同じ書陵部には明治以前の代々皇室に伝わってきたものを中核とする古典籍・古文書類を所蔵している図書寮があります。どちらも同じ書陵部の建物の中にあります。以前、数度、図書寮の方へは行ったことがありますが公文書館の方...

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読者の方から情報を頂きました!

情報を下さった方ありがとうございます。とても有益な情報です。さっそく、前記事の屋根の記述について間違いがわかりこの場で訂正させて頂きます。宣秋門側の切手番所。切手番所の屋根ですが、前記事では「入母屋の屋根は明治以後に改造に伴って付け足され、下の庇の方が創建当初からあった寄棟屋根」というふうに書きましたが、それは間違いでした。頂いた情報の古写真から、最初から写真で見るような入母屋屋根に庇が付くもので...

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どなたか教えてください!

本記事では「賄い部屋」を作る予定で準備を進めていますが、今、屋根の形状をどうしたらよいか思案に暮れています。どんな箇所? と聞かれれば一口では言い表せません・・・。日本建築にとって屋根の占めるウェイトはとても大きいものがあると思います。その屋根について分からない点が多く自分の不甲斐なさを情けなく思っているところです。最初に一言、お願いさせて頂きますと、近代以前の日本建築に詳しい方教えてください!と...

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戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 武家溜まり間

「溜まり場」と「溜まり間」とどう違うのだろう? そんな軽い疑問から始まった武家溜まり間(正確には溜まり之間)の3Dが完成しました。溜まり場、というと何となく良いイメージがありません。○○の溜まり場になっている、最近だと”半グレ”の集団がたむろしている場とか、という感じ。語源を調べると「仲間がいつも寄り集まる一定の場所」とか「なすべき物事が処理されず、しだいに増えていったりとどこおったりしたままである」と...

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戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 武家玄関&休息所

大台所廻りの一つ、武家玄関及び式台、休息所が完成しました。武家玄関・式台及び休息所位置図(出典:京都御所 完-大正3年/日本皇道會編)上記周辺詳細図。赤く囲ったところが該当する建物です。この武家玄関・式台は御所に伺候する幕府方のトップ・禁裏附武家の出入りする所です。禁裏附は役料千石、公家の摂家よりも威張っていたといいます。ここから奥・東に向けて幕府武家方の口向役人、即ち金勘定から日々の暮らしの用向き、...

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No Subject * by 京一朗
分部光隆様 コメントありがとうございます。

武家玄関は御所に勤務する幕府方口向役人のトップ・禁裏附旗本の出入りする玄関で直ぐ隣の内玄関が部下たちの入り口だと思います。摂家や宮家は隣の参内殿から上がり帝に年賀のご挨拶とかしました。大名・高家は、現在の御所の見学でも最初に目に入る諸太夫の間の車寄せから入ったと思います。
将軍は御所の東側にある唯一の門、また唯一の唐門でもある建春門から入ったようです。

そうすると所司代はどこから上がったか迷う所ですね・・・。調べておきます。

洋館は一度3Dで作ってみたいと思ってます。洋館は色んなデコ・スタイルで飾っていますが建物自体は直線、曲線含め左右対称が多いので
意外と作り易いかもです。和風建築の反りやむくり屋根の方が表現しずらい面があると思います。

流石に明治宮殿や伏見宮等の宮邸まで3Dで作るとなると、来世になってしまいます 笑。

宮内庁の公文書館には明治以後の皇室関連の書籍や記録が沢山残っています。もちろん明治宮殿や他の宮邸、離宮など多くの写真も保存さています。

同公文書館のHPのデーターベースで”写真”で検索すると公開されているものが見られます。

宜しかったら見てみてください。

No Subject * by 分部光隆
誤りがありました。千駄ヶ谷時代の徳川宗家邸です。十万坪の敷地に屋根がひしめき合う大邸宅だったようです。

No Subject * by 分部光隆
大変勉強になりました。ありがとうございます。

武家玄関は京都所司代や高家が使用していたのですかね(他の記事で既にご説明済みでしたら申し訳ありません)。将軍は車寄からでしょうかね?

御所の中を所司代は籠で移動できたと言う話が「幕末の宮廷」(高額なのでCiNiiで引用論文を読む程度ですが)にあったかと思いますが、実際の武家玄関の写真を見ると色々と想像が膨らみますね。公家の秩序に照らすと四位侍従以下の諸大夫たる怪き譜代大名に公家はどれだけ悔しい思いをしたでしょうか。

話は全く変わりますが、いつか明治宮殿や東京の旧伏見宮系の諸宮家の邸宅や代々木時代のの徳川宗家の邸宅も3Dで再現された様子を是非見てみたいです。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。

台所廻りの武家関連建物ですけど、玄関横(南)の武家溜まり之間が完成しました。後ほどアップしますので、もうちょっと賑やかになると思います。

同じ玄関棟等ですけど、檜皮葺バージョンも作ってみました。比較すると面白いかも。3Dならでは?というところですかね。

No Subject * by 京一朗
五反田猫 様 コメントありがとうございます。

御所の建物を3Dで作っていると御所風というのが何となくわかる気がします。

屋根の格付けでいうと明治以前は寄棟より切妻屋根の方が格が上なんですね。江戸城の本丸御殿など主要御殿以外は寄棟が多い印象です。

御所は蔵以外、意外と寄棟が少なく、最も格上の入母屋が多いのは、やっぱり御所の拘りだと思います。

他にもいろいろありますが、

我々が考えている以上に御所は拘りの宮殿だと思います。

ところで、簾懸渡翠簾直打四尺の現物はどんなものでしょうか?
また機会があったらネットで見れる所とか教えてください。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

玄関棟が加わって、一気に雰囲気が増しましたね。入母屋が連続する様が見事ですし、杮葺と瓦葺とのアクセントも美しいです。

桂離宮や修学院離宮もそうですけど、皇族ゆかりの建築は武家の御殿と違って過度な装飾がなく、それでいて美しいのが良いですね。

武家玄関 * by 五反田猫
京一朗さん

いつも興味深く、勉強になるお話しを有難うございます。

禁裏附旗本や高家など、「幕末の宮廷」でも出て来ますが、幕府の威を背負って凄かったでしょうね。
その専門玄関ですから、当然に二条城書院の大玄関のようなものを想像していたのですが、何と杮葺きですか。
実は、明治の古写真は見たので、「やはり武家玄関は瓦葺き」と思い込んでいました。 こうして資料を元にしたお話しを伺えると、大変勉強になります。 有難うございます。
二条城と違い唐破風や欄間が無いのが、御所らしくて良い感じです。

>簾懸渡翠簾直打四尺
これも凄いですね、実際に見てみると良く判ります。

ありがとう平成、ようこそ令和

本日、2019年5月1日、平成から新しい元号「令和」に改元されました。先の帝の上皇様による譲位を受け新天皇が同じく本日、即位されました。崩御に伴う践祚ではないので重苦しい雰囲気もなく、まるで新年を迎えるような喜びと躍動が湧きたちます。今上陛下は第百二十六代目の天皇にあたられます。本年は皇紀で言うならば2679年になります。心より新天皇の御即位をお祝い申し上げます。どうか令和の時代が上皇様も退位の儀で言われた...

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No Subject * by 京一朗
TAKATSUKASA 様 コメントありがとうございます。

一、巷の人間がご皇室の後継について心配するなど僭越だと思いますが、正直心配でなりません。もし女系の天皇に変わってしまったら、先の大戦で亡くなった多くの兵隊さん、民間人の方、そしてご先祖様に顔向けできません。どうか八百万の神々様、御国をお守り給えの心境です。

平成から令和元年へ * by TAKATSUKASA
事実上、秋篠宮家の悠仁親王殿下のみが皇統を継ぐ日嗣の御子であることに、少なからず不安も御座います。しかしながら後桃園天皇に御子が居らず、傍系の閑院宮家より光格天皇を戴き、その後も仁孝天皇、孝明天皇、明治天皇、大正天皇と日嗣の御子はお一人で紡がれてきた事実も、また現在の皇室事情と変わらないのではないかと。悠仁親王殿下ご成人の後、多くのお子様に恵まれ、明るい未来が訪れることに、期待するばかりです。

No Subject * by 京一朗
sazanamijiro様
ご丁寧に連絡頂きありがとうございます。

大目どころか拙ブログを紹介して頂きありがとうございます。


No Subject * by sazanamijiro
こんにちは、sazanamijiroです。

すみません、京一朗さんのネタを断りもなく勝手に使っております。
ただ今アップしましたので、まずいところがあっても大目に見てください(^^♪

No Subject * by 京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。

恐れ多くも御所の即位礼の3Dを作ってしまいました。一生に幾度もない改元のタイミングなので自分なりに何とかお祝いの気持ちを表したいと思いました。

上皇后は確かに初めて聞く尊称名ですね。皇太后とどう違うのか素人にはよくわかりません。秋篠宮様もてっきり皇太弟かと思いましたが皇嗣殿下となられましたね。どちらも”太”の字が無くなりましたが何か理由があったのでしょうか?。
でも、上皇后もいい響きです。

奉祝 * by 五反田猫
素敵な御大礼の3D 拝見しました、有り難うございます。 昨日は諸行事でテレビに釘付けになりたかったのですが、あれこれ用事があって録画をじっくりみたいと思います。 光格院以来の上皇様で、耳新しい事も多く、上皇の和語が「おおきすめらみこと」だと知りました。これは万葉集に例があるので伝統の読み。上皇后(じょうこうごう)というお名前ができたとの事です、大変 畏れ多いですが、新語なので和語では何と読むか不明です。皇太后様は「おほきさいのみや」と言う例があるのですが。 伝統と新たな事例、色々と学ぶことが多いです。

私も、個人的には京一朗さんと同じ意見で、京都で御大礼をして頂きたいと思いますし、桜町行幸図のように行列されたら素敵だと思います。

追伸 上皇后の和語も皇太后と同じく「おほきさいのみや」、皇嗣殿下の和語も東宮と同じ「ひつぎのみこ」なのだそうです。
   漢語をどういじろうが、和語の世界では変わらないのが、痛快です。

戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 清所編

前回の御台所に引き続き東に隣接する清所の3Dが完成しました。清所は囲炉裏があって魚を焼いたり身体を温めたり、食膳の用意・盛り付け、食事などする場所で現代で言うなら社員食堂。台所では大釜五つを使って沢山のご飯を炊き御所のみんなのお腹を満たしました。当時、御所での給食はとても有難いものでした。安月給の人が多かったから・・・です。念のため位置図を載せます。 御所の3D作成計画図。右が南にあたります。...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様 情報提供ありがとうございます。

連子窓というと何となく社寺の回廊の窓とか思い浮かべてしまうのですが、一般住宅でもいろいろ使われているのですね。参考HPとしてブックマークさせて頂きます。

木格子連子窓 * by 五反田猫
想像するに木格子連子窓ではありませんか。 
こんな感じでしょうか?
ハズレていたらすみません。
https://www.tanihata.co.jp/monyou/senbonkousi.htm

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。
>テラスというか、ウッドデッキというか..
そうですね。ウッドデッキと言った方が解りやすいですね。

台所の北側ですけど実際には禁裏附きの武家の各部屋が廊下を挟んで戸障子で仕切られてましたけど、今回は台所だけなので壁と格子窓でぐるっとまとめました。安政度の造営図誌の絵でみると格子窓の位置が結構高く描かれていたのでそうしましたが、作った後で高すぎたなぁ・・・と思いました。

指図の建具名について判読不明や何?という部分もあって自分もまだ勉強中です。”キ?コウシレンシ”? 何だろう? 連子窓?、他の所には”上コウシ”とかあってこれが小壁の上の明り取り窓かなぁ、と手探りです。どうか、教えてください 笑。

清所 * by 五反田猫
いつも興味深い内容の再現、有難うございます。

食堂のような普通の設備は、遺構が少ないですね。
それだけに、このような再現は参考になります。

北側の建物は、塗籠の中部辺りに、明かり取りの障子があるのでしょうか? 大きな壁面ですから、明かり取りがないとまっくらですよね。 下から高さがあるので、開閉が大変そうです。

テラスというか、ウッドデッキというか..
BBQがしたくなる雰囲気、または傘つきテーブルとイスでお茶をしたいですね。



No Subject * by 京一朗
sazanamijiro様
コメントありがとうございます。

sazanamijiroさんは洛中様だったんですね 笑。

簀子テラスには朝顔とか、いろんな花の棚や鉢植えもあったでしょうね。江戸時代の人は花好きでしたから。

今は想像できない御所の普段の暮らし振りなど3Dマンガで描きながら浸っています。

sazanamijiroさんは毎日でも御所へ行ける?と思いますので、いろんなネタを探して記事にしてください。楽しみにしてます。

No Subject * by 京一朗
Hakka 様
コメントありがとうございます。
嬉しいと言って頂き嬉しいです 笑。

>煙出しの下見板ですが、無塗装という選択肢は無しでしょうか?京都の冷泉家住宅にも、無塗装の下見板張りの部分があるようなので…

そうなのですか、以前撮った冷泉家の写真見直しましたら内玄関の横の角あたりそれらしき板(縦の羽目板ぽいですね)が漆喰壁にありました。

改めて冷泉家の写真を見ましたら漆喰壁の長押塀や石の井戸もそっくり!いろいろ共通点があるなぁ、と思いました。

ただ、公家屋敷は屋根が”むくり”好みですが御所はみな反っていますね。一か所、兜屋根風の廊下があったような・・・

昔の建物は興趣があって尽きないですねぇ。やめられませんわぁ 笑。

No Subject * by sazanamijiro
かつて、旧大極殿跡の並びに邸宅があったsazanamijiroです。
(実は、昔住んでいた狭い借家の位置が、たまたま大極殿跡のはるか真西にあることを発見しました(^^♪

それにしても85坪の簀子テラスには驚きました。長屋だった我が家がいったい何軒このスペースに乗るかな、などと想像してしまいます。

御所って、なかなかナウい(昭和世代なもので)造りだったんですね。
そのうちウン十年ぶりに御所行って、ブログのネタにしようと企んでおります。

「ブログ読者の皆さんはご存じないと思いますが、御所には簀子テラスなどもありました。旧御所のナラビに邸宅のあった私はそのへんのことはよく知っているのですが・・・・」
なんて書いたら、共通の読者の方から総スカンを食らいそうなので、我慢します。



No Subject * by Hakka
こんばんは。

清所が付いて、一気に立派になりましたね。自分が作った訳でもないのに、なんだか嬉しくなりました笑

煙出しの下見板ですが、無塗装という選択肢は無しでしょうか?京都の冷泉家住宅にも、無塗装の下見板張りの部分があるようなので…

戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ! 御台所編

皆さんこんにちは、御所の大台所(御台所)の3Dが完成しましたのでCG画像を幾つかアップします。タイトルが今回は「戦前まで残っていた京都御所の大台所廻りの3Dにチャレンジ!」と、”大台所”が”大台所廻り」”に変わっています。これは台所単体ではなく付属する清所や武家玄関、賄い部屋、そして渡り廊下等を合わせて再現する方が御所の構成美が引き立つと思いそうすることにしました。やはり御所の美しさは各殿舎を繋ぐ渡り廊下...

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No Subject * by 京一朗
kotodayori 様
コメントありがとうございます。

3Dですけど最近は結構楽しみながら作っています。作るなりの発見とかあって自分で満足してる面があります。小生のホームグランドは京都御苑。いつかバーチャル公家屋敷で埋めたいと思っています。

No Subject * by kotodayori
こんにちは、3D画像、イメージがわきやすくて、わかりやすいです。でも、大変な手間をかけられているのですね、ご苦労様です。そして、御所に下見板で張った壁や塀は見かけないのですね。いままで全く気付かなかったので、こんど入る機会があったら、見てみます。
また、よろしくお願いいたします。

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戦前まで残っていた京都御所の大台所再現にチャレンジ! 愚痴編

※ 書きながらどこかで読んだ記事だなぁ、と思ったら、2月11日の記事「御所の台所を見てみたい」とのコメントにお応えします-翻刻・安政御造営図志の紹介」と内容が特に前半被ってます。それでも、大台所の古写真を見たい一念でアレコレ調べました。なので愚痴が重なるかと思いますが読んで頂けると嬉しいです。こんにちは、今回は読者の方の「京都御所の大台所を見てみたい」とのご要望に応えるため同御所の大台所の再現にチャレン...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様

コメントありがとうございます。
家の用事で少しバタバタしてましたけど御所の大台所が完成しました。
といっても台所だけでは寂しく正確には大台所廻りの作成のなかで取り敢えず台所が完成した・・・という感じですね。

折角ですから、台所に続いて清所、武家玄関、溜まり間、賄い部屋、後、御拝廊下へ繋がる渡り廊下まで作ろうかなと思ってます。

これに、後御常御殿から対屋と皇后宮御常御殿へと繋がる渡り廊を作ると御所の見栄えもいいかなぁ、と思ってますが第一次でどこまで作るか思案のしどころです。公家屋敷も作りたいし、その合いに聚楽第とか再現してみたいとか、いろいろ浮かんできて頭が整理できてません 笑。

それにしても、ホント、国内に長局の遺構とかありませんね。長屋はありますが、所謂、女官や大名の奥女中が住んだ長屋です。徹底的にありませんね。その辺、日本人の建築の考え方とか探ってみたいですね。

生活空間 * by 五反田猫
いつも貴重な資料によるお話し、有難うございます。

台所や女儒部屋などは、遺構も少なく、資料も少ないですね。御所に限らず、城でも 本来は台所や中間長屋などの使用人が中心に使われた空間は、一番 機能していたはずなのですが、日常の生活空間との事で保存は考えられなかったのでしょうね。

今になれば、当時の生活や食事の重要な遺構になるのですが、殆ど判りません。 幕末の宮廷で、御所の給食制度があったから、当時の質素な食事の実態が判るくらいでしょうか。
こうして3Dで再現頂けると、歴史的遺構に、生活の息吹が通う気がします。

京都御所のことを書きながら色々思ったこと 後半

後半では何から書こうかと逡巡してますが、御所の平面図・間取りにいつてもう少し触れてみたいと思います。また横道に逸れるといけないので出来るだけ簡潔に書きますね 笑。御所の帝が住まわれる常御殿の西側、少し奥まった所に「鍵番囲炉裏間」という板敷きの大きな部屋があります。赤く囲ってます。 図を見て頂くと中央あたり、常御殿そして御三間の下にあります。わかりますか?ココ、鍵番の詰所あるいは囲炉裏間としては...

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No Subject * by 京一朗
sazanamijiroさん
コメントありがとうございます。

小生は「3D京都」の看板背負っているので京都の人の悪口書けません 笑。

今まで、京都でイヤな思いをしたことありますが、とても親切な方に出会ったこともあるし。

京都はずっと日本の中心でしたから政争で破れて殺されたり、戦で殺しあったり、三条河原で首がさらし者になったりと、色々ありましたから古都の光と陰があると思います。

明治維新で帝が東京に行かれてしまったのも影響してるかもです。

>京都人の屈折した意識について考えてみたいと思っています。

考えがまとまったら聞かされてください、参考にしますから 笑。

No Subject * by sazanamijiro
こんばんは、sazanamijiroです。

やはり御所はすごいところですね。説明を読んでいるとつくづく思いました。
うちの母方の家系は、今出川通りの上七軒交差点から北へ少し上ったところの小地主だったようです。
普通の町衆なのでしょうが、(大きな声では言えませんが)代々あまり帝を特別視というか神聖視していた感じがしません。あくまでも「天皇はん」であって、おそらく戦前戦中も含めて、京都以外の土地での「天皇陛下万歳」的な意識が薄かったような気がしてならないのです。
そのうち、京都人の屈折した意識について考えてみたいと思っています。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。

>御給仕だけでなくて、平公家から摂家方に声を掛ける事も出来ません。

そこまで徹底していたのですか・・・
なんか女官の命婦が帝に直接話してはいけない・・・の似たところがありますね。

幕府の巧妙な朝廷工作には恐れ入りました。

でも、人間の自尊心を徹底的に傷つけることは後々になって刃となって跳ね返ってきますね。

これは現代での社会、会社でも同じことが言えますね。経営者は不当な扱いを社員にしてはならない、と改めて思いますよ。

パワハラをする前に社員の適性を考え業務配置するのが結果的に企業の業績にも繋がると思います。非正規雇用が広がってから社員は”人財”であるという企業風土がどこかへ行ってしまった感があります。

門流 * by 五反田猫
いつも興味深いお話し有難うございます。

囲炉裏の間が能舞台だったとは、全く知りませんでした。
灰に火箸で機密事項を書いていたのかと想像していましたが、大外れでした。 勉強になります、有難うございます。

>平の公家が五摂家の配膳・給仕役をしていた
御給仕だけでなくて、平公家から摂家方に声を掛ける事も出来ません。 摂家による門流支配は、公家のトップに公家を管理させるという、巧妙な管理体制で、これが朝廷の一体化や独立性を防いでいたのですね。その摂家も、江戸から高家がくると、建前上の身分が下なのに、摂家方がそれなりの扱いをしなければならない。こういう間接的な身分差を、現実の中で見せつける事で、幕府の権威は保たれておりました。 それがお書きになったような、列参事件のように朝臣という意識が出てくると、全てが崩れてきます。
結局、公家の中の「朝臣」という考え方が、日本の民、日本人という意識につながって、それが幕末の討幕運動につながったのでしょうね。 そういう意味では、貯められていた位置エネルギーが、運動エネルギーに変わったようなものですね。

京都御所のことを書きながら色々思ったこと 前半

ブログを始めて6年と少し経ちました。今まで使った写真やCG、図は5700枚。結構ありますが、それでもfc2の無料ブログ上でのデータ使用量は全体の10%ほどです。自分は大判サイズの図を載せることが多いのですがそれでも10%。計算上だと100%使いきるには後50年はかかります。そのころはもう生きていません。そういう意味で言うとfc2は太っ腹だなと思います。沢山、写真を載せたい人にはお勧めですよ 笑。さて、今回はタイト...

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『令和』萬歳!!

本日、午前11時30分に新元号『令和』が菅官房長官より発表されました。初めてその名を聞いた時、「あぁ、いい響きだなぁ」と思ったのが第一印象でした。五月一日より、皇太子殿下の御即位と共に新しい令和の時代が始まります。とても喜ばしく慶賀にたえません。「令和」には人々が美しく心を寄せ合う中で新たな時代を切り開いていくという思いが込められているとのことです。典拠は奈良時代に完成した日本に現存する最古の歌集「万...

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No Subject * by 京一朗
五反田猫様
コメントありがとうございます。

万葉集はおおらかな歌が多いですね。そして韻をふんでいる。

「梅をかざして楽しく飲まめ」とか今の花見と変わらないですね。

改めて梅の花32首を読んでみて思ったのは梅の花を詠いながら実は桜の花を思い浮かべていた、そんな感覚です。

散歩道で咲く紅梅をみて美しいなぁ、と思うと同時に、つい出た言葉が「満開の粒」でした。梅は房、粒単位で咲くので満開なのにどこか空いている気がする・・・

桜の満開は来るべくして来たものと思います。

だから梅は頭にかざして踊り歌えが相応しく、万葉集には梅で良かったと思います。

No Subject * by 五反田猫
新元号の典拠は、万葉集の梅の宴の歌 三十二首
奇しくも、花見の季節で、梅が櫻に変われど、今この時にはふさわしいし、東京オリンピックまでの盛り上がりにも相応しいですね。(その後は...?)

三十二首から、浮かれ気分な歌をいくつか
「梅の花咲きたる園の青柳を縵(かづら)にしつつ遊び暮らさな 」 酔っ払いが、頭にネクタイ撒いた感じ!

「梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく成りにてあらずや」 梅見の後は、櫻で宴会の気分満々

「年のはに春の来らばかくしこそ梅を挿頭して楽しく飲まめ」説明不要

「万代に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし 」 御代替りに相応しい歌ですねぇ

No Subject * by 京一朗
Hakka様
コメントありがとうございます。

平成も今月で終わりますね。東日本大震災始めたくさんの災害がありました。昔だったら何度も改元されたでしょうね。一条天皇の御代(藤原道長の頃)も天災が多く一条帝の間に六度も改元されたそうです。
言霊にどれだけの力があるかわかりませんが、
新しい令和の時代が恙なく平安であるようにと願っています。

これは個人的なことですが、
学生時代に海外へ放浪旅をしたとき唯一持って行った文庫本が万葉集でした。

その万葉集から令和が紡ぎ出されたことをとても嬉しくてなりません。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

正直、ヤフーニュースで新元号を知った時は違和感を覚えましたが、漢字の意味や由来を知ったら、とても素敵な元号に思えてきました。

今まで日本の国書から選ばれたことがなかったというのも不思議ですが、そこも含めて、良い元号ですね。

平成が終わってほしくないような、でも早く令和が来てほしいような、複雑な気分です…

えっ!幕末の京都御所には1000人も勤めていた!!

先の記事で「京都御所ってどんな部屋があったの? さっそく見てみよう!」の補遺を書く旨お伝えしましたが、いざタイトルを見てみると「えっ!幕末の京都御所には1000人も勤めていた!!」、に変わりました。補遺は何処?とお叱りを受けるかもしれませんが、実は補遺の記事用に資料を漁っていましたら「幕末の御所にはこんなにも大勢の人が働いていたのかぁ!」と改めて驚き、「だったら一度、幕末の御所の職制と職務、人数とか調...

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京都御所ってどんな部屋があったの? さっそく見てみよう! 奥方編

前回に引き続き「京都御所ってどんな部屋があったの? さっそく見てみよう!」の奥方編を書きます。というか各部屋の名称と用途をまとめた図表をアップします。御所の奥向き、”後宮”の定義ですが、基本的には帝の正室である皇后(中宮)と皇后に仕える女官、女中の住むエリアだと思いますが、それとは別に帝に直接奉仕する典侍等の高級女官の住む”東西対屋”エリアがあります。江戸城の大奥ですと、正室、側室共に大奥に住みましたが...

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No Subject * by 京一朗
kotodayori 様 コメントありがとうございます。
また、過分にも評価して頂きありがとうございます。

自分で言うのもなんですが、結構、こまかく書いたと思ってます。「アレ、自分ってこんなに筆まめだったかなぁ」という感じですね。

ですが、その分、最近、出無精気味です・・・。
たまには旅に出ないとダメですね。

短歌も浮かばない・・・。刺激を求めて街へ繰り出そう! でいかないとダメですよね 笑。

No Subject * by kotodayori
こんにちは、御所の平面間取り図の図表、よくここまで詳細に調べられて書かれたと、感心しています。江戸城の大奥制度の記事も読ませていただきました、歴史の持つ面白さを再確認しました。これからも楽しみに読ませていただきます。また、よろしくお願いいたします。

No Subject * by 京一朗
Hakka様 コメントありがとうございます。
はい、いろいろ調べていくと御所内には何百人と働いていました。皆に給食、夜勤(宿直)にも夜食が出ました。大釜五つに沢山米を炊いたそうです。いろいろ上からの御下がりや役得のカラクリもあって、みんな御所に寄り添って生活してました。腕のいい脚本家なら面白い時代劇ドラマができそうです。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

前回の「表方編」も含めて、こうして一覧にして頂くと、御所がいかにたくさんの部屋で構成されていて、そこでいかに多くの人達が働いていたのか、ということが解る気がします。

同時に、これだけの部屋の呼称と用途を調べるのに、さぞご苦労されたことでしょう。完成版ではないとのことですが、「資料によって違う表記や意味合いの違い」をここまで纏められたことに、京一朗さんの御所にかける情熱が伝わってくる気がします。

私はどうしても俄の知識ばかりで記事を書いてしまっているので、勉強になります。

京都御所ってどんな部屋があったの? さっそく見てみよう! 表方編

皆さんこんにちは本記事に入る前に一つご紹介したいことがありまして先に書きますね。ブロガーの”しばやん”さんてご存知ですか?ブログの歴史好きな方ならきっと知ってみえるかと思いますが、人気ブログランキングの歴史部門で常にトップを走り、芸術・人文系全体でも最上位クラスを維持され、多くの読者さんからも支持のあるブログ「しばやんの日々」を運営されている、そう、その、しばやんサンがご本を出版されました!題して『...

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No Subject * by 京一朗
しばやん様
コメントありがとうございます。

>おかげさまで、この本はネットを中心によく売れているようです。

良かったですね、重版決定です!

私も一度、本とか出してみたい気はありますがそこまで頭が回るか心配です。

意外なところというか最近、イタリアの方からメールが届きました。小生のブログの3DCGを使いたいとのこと。ミラノで発行しているマガジンみたいです。いろんな人が見てるんだなぁ、と思った次第です。

ありがとうございます * by しばやん
京一朗さん、拙著を買っていただいただけでなく、ブログにも紹介していただき、感謝感激です。
気が付くのがずいぶん遅くなり、御礼が遅れてしまって申し訳ありません。
おかげさまで、この本はネットを中心によく売れているようです。私のような無名の著者で、しかも実名も肩書も伏せて上梓した本が、多くの方に買っていただけるというのは、昔では考えられないことです。ネットが社会の構造を大きく変えていることを感じます。
京一朗さんも、著作にチャレンジされてはいかがですか。喜んで購入させていただきます。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

指摘頂いた右近の陣についてですが、今回の間取り図に使った「翻刻 安政御造営図志」、長尾名鳥の「安政新造内裏全図」にも左近の陣座は記載されていましたが、紫宸殿の西側にあたる土渡廊及び長橋周辺には右近の陣座は載っていませんでした。紫宸殿に上がる明義門、仙花門は載っているので、もし右近陣座がここにあったら記載されていたと思います。

wikiには右近の陣は清涼殿の裏(西)にあった
校書殿の東庇にあったそうですが、安政度の復古内裏にも同校書殿は再興されていないので実質右近の陣座はなかったのではと思います。

紫宸殿西側軒の長橋など白馬の節会のときには取り外されたそうですから、やはり宣陽殿のある東の左近陣座が、摂関政治の頃の朝議の中心でもありましたから、左近陣座だけ復興したのかな?と思いました。

あくまで私の推測ですけど。
でも内裏全図等見ていけば、意外なところにあるかもです。また探してみます。

あまり、ご返答になってなくてすみません。

陣の座 * by 五反田猫
これは凄い、ここまで詳しい御所の図を見た事がありません。
C18,19の番所、内々と外様で、このように異なっていたのが良く判りました。

ところで、ご存知でしたらご教示頂きたい事があります。
左近の陣は公卿の本座のある宜陽殿に近い場所にあります。
一方で右近の陣が見つけられなかったのですが、これはどちらにあったのでしょうか?
見落としでしたらご容赦を。