今、塀フェチに凝っています。あれこれ、20塀ほど作ったかな? というのも、昔のお屋敷にとって塀はいろんな意味で欠かせない建築パーツでしたからね。身分の上下から、公家、武士、町屋、庄屋と、それらの階級に従って様々な塀が作られました。 日本建築にとって屋敷を取り巻く塀はステータスとともに低い家並に一定のアウトラインを引く水平志向の美しさがあります。同じ塀といってもコンクリートブロックだとガックリですけど。...
きょうはタイトル通り、現実にはありえない「二条城本丸と相国寺七重塔と平安京朝堂院の夢のコラボ」をお送りします。もし時間というものがパラレルに存在するならば「これもありかな?」とも思いますが、そんなこと考えていると頭がぐるぐる回り出しそうなのでやめておきます。3Dという世界のもと、今後もコツコツと京都の失われた建物を再現し、京の盆地をそれらで少しずつ埋めていくのが管理人の密かな目標というか願望です。...
寛永度の二条城本丸の3Dが完成しました。正確には一部省いている部分もありますが、そこは、いつか二条城全体を造る時の楽しみに取っておきます(笑)。二の丸御殿から土を踏まずにそのまま珍しい二階廊下を渡って二の丸から本丸へ歩いて渡り、なおかつ渡り廊下で天守閣まで濡れずに行ける・・・これもこれも、後水尾天皇を迎えるための徳川幕府の壮大なる舞台装置です。とくに二階廊下とか造ってみたいですね。今回の本丸作成では...
元和6年(1620)の徳川和子入内と寛永三年(1626)の後水尾天皇行幸は江戸時代の京都・二条城において最も華やかな盛儀でした。秀吉の後陽成天皇聚楽第行幸を上回る盛儀にしなければ徳川幕府の権威にもかかわることでした。何でも行幸時、御所から二条城までの2.6キロ間、各藩から呼ばれた警固の武士3300名が隙間なく路の両脇を抱え、各辻々にも大勢の武士が配置されました。後水尾天皇ご一行は9月6日から9日まで二条城に滞在され10日...
先回、寛永度の二条城天守閣を3Dで作成、アップしましたが、後でちょっと手抜きがいささか多く稚拙な作品になってしまったことを反省。そこで今回、改めて再築し直しました。もちろん完璧さを求めれば一ヶ月かかりますが、それではブログが毎日工事日記になってしまいますので、鑑賞に堪えられる範囲内で作ってみました。 さて、その3Dの作成ですが、参考にした元図があります。寛永期の頃、幕府お抱え大工頭の中井家に残る寛...
今回、初めて城郭の3Dに挑んでみました。取り合えず京都に絞るということで、候補としては、聚楽第、伏見城、二条城、淀城が挙げられましたが、比較的、天守の資料が残っている二条城にしました。したからといって全然、自信はなく初めての天守閣作成なので、例によっていろいろと簡略化してしまいました。ブログ仕様といったら叱られてしまうかなぁ・・・それでも頑張ったんですよ。先日作ったもののほうは初歩的ミスでデータそ...
コメント頂きとても励みになっております。
かれこれ三年程、京都の主に建築史関連の書籍や資料を集めてきました。
まだ全然精読していないので、家族からは何のコレクション?と
白い目で見られてます。
そんなとき「こういうコメント頂いたよ」と言えば、
家族も納得、自分も救われる思いです(笑)
これからもコツコツと3D作品を作ってまいります。
応援方よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
> どうもはじめまして。
> 明治時代の資料を検索してこちらにたどり着きました。
>
> なかなか手に入らない資料を見せて頂きありがとうございます。
> また3Dで作成されているとか。
> とても興味深いです。
> 私も常々過去の建物など再現されたものが見たいし、作ってみたいと考えていました。
> それを実現なさっているのはかなり感動モノです。
>
> これからもいろんな建物作ってくださいね。楽しみにしています。