3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

 > 中院家

京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅 その(四)

帰ってまいりました。「京都御苑の外にあった公家屋敷の跡を巡る旅」。今回は、その(四)として中院家、入江家、広幡家、小倉家、河野家の五家について巡ってみたいと思います。京都御苑の外にあった宮家・公家屋敷跡の一覧図。                    © OpenStreetMap contributors青で丸く囲った所が訪問先。というか、その(三)から暫く間が空き旅の記憶が段々と薄れ気味・・・・どこまで書けるか心配ですが行け...

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TAKATSUKASA様 

コメントありがとうございます。

いろいろ公家繋がりで深いものがありますね。
河野さんの事ですけど誰の屋敷かわかりました!
今、記事に書いてます。ここでは明かしませんよ、お楽しみに 笑。

小倉家 河野家 * by TAKATSUKASA
相変わらず楽しく拝見させ頂いております。小倉家の第23代当主、小倉長季の実父は橋本實久で、實久の妹、伊与子が家慶時代に大奥で絶大な権勢を振るった姉小路で、更に實久の娘、経子は和宮親子内親王の生母という、なかなかに面白い血筋の方ですね。河野家は、どこでしょうね。読み方、漢字を間違えて交野家(かたの)とか河端家と高野家と書き間違えたのでしょうか。特に交野家は、ご推察されています西高辻家とほぼ同じ石高なので。そういうのを色々と調べてみたり、推測してみたりも、本当に楽しいものですね。

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hige様 

平安京オーバレイマップの紹介も合わせありがとうございます。

京都アスニーの復原模型や立命館大のバーチャル3D、書籍等では見知っているつもりでしたがネット上でバーチャル平安京マップが見れるとは知りませんでした。

やっぱり京都へ移住しないとダメですかね 笑。

冷泉家は以前行きまして写真もたくさん撮りましたが、外から室内を撮るのもダメになったのですか?

どんどん室内撮影禁止とか増えてますね。もう3Dで作って室内見るしかないですね。でも、それだと100年かかる。せめて御所と公家町の三十邸ぐらいは作ってあの世へ行きたいと考えております。

いつも為になること教えて頂きありがとうございます。

京の旧家 * by hige
 京の公家屋敷はいくつか残ってるみたいですが、京都御苑の中はひとつを除いて全滅ですね。
 江戸への遷都で公家も江戸へ移住。で御苑が荒廃。
 で、天皇が京都御苑の整備を指示。
 今の京都御苑がある。みたいな歴史があるようです。

 冷泉家の一般公開がありまして、行ったのですが内部は全面撮影禁止と言うことでしたので、入らずよそへ行きました。

 最近のカメラマンたちのマナーの悪さは私も実感しています。外人も含む一般人のスマホやタブレットでの撮影。
 なかなかむつかしい問題と思ってます。

 京のレトルトな建物や、昔はどうなのが興味深いです。

 で、ご存じかもしれませんが
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/

『文久改正内裏御絵図』を落札しました!

昨夜11時、ヤフオクで『文久改正内裏御絵図』を落札しました! 落札額は5500円。最初は2000円から始まって最後は5500円。無事落札できました。入札はほぼ6人ほどの間でデッドヒートし、最終は1万円越えかな、と思いましたが越えずになにより。絵図って結構人気あるんですかね。落札した絵図は、ちょうど「新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった!」で、証拠材料の一つに使った絵図ですからグットタイミング! 「京都...

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新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 後編

後編となりました。後編では中院家の指図に集中します。さて、問題の中院家の指図ですが、先回も書きましたように京都大学の「中院文庫」のなかに所蔵されています。中身は「当家拝領屋敷」として、明和度下屋敷一袋にまとめられています(図はクリックするとどれも拡大します)。年次的には明和度(1764年)から慶応2年(1866年)にかけて行われた中院家・拝領屋敷の替地の記録と、替地を証明する禁裏付き武家等の裏書きした証明文を添...

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訂正 * by -
大さんでなく、近衞忠大さんでした。失礼しました。

NoTitle * by -
takaさん、コメントありがとうございます。
摂家の場合、玄関脇の詰所は客の案内とチェックが主ですが、それ以上に進物の受け取り業務が多かったとか。蔵なんか直ぐ一杯になったと思いますよ。近衛家さんは明治になっても常に来客が絶えず家人の方ももう、疲労困憊したとか・・・。華族の方も大変ですね。
今の近衛家の当主は近衛大さんでしたよね。この前、BSで見かけました。見るからにただならむ雰囲気で流石に名家中の名家ですね。
常に陛下のためお支えする気構えを持っている、というようなことを言ってみえました。
今度は文麿公のように時流の波に押しつぶされないようお願いしますよ、と、一庶民の私は思いますね。

NoTitle * by taka
お久し振りです。非常に見応えがありました。大臣家の指図というのは非常に珍しいですね。いやあ、ホント主さんには頭が下がる思いです。

七千坪というのは結構広大ですが、やはり江戸時代にはよくある副収入がそれなりに大きかったのではと思います。職業柄高家と繋がりも深い武家伝奏の役割を担い、朝廷運営に三代に渡って携われたのが原因だと思います。

主さんが以前書かれていた吉田神道の力の源泉もやはり神位ですから、やはりそれは重要な収入源だったでしょうね。

しかし大相撲問題、評議会の話題の時に 村上源氏 の邸宅の指図書が見つかるとは何か運命的な物を感じます。

前回仰られていた皇統問題については、改めて深く考えさせられますね。確かにそういう考え方もありと思いながら、皇家の苦難の歴史に思いをはせました。奈良時代後期から平安時代は藤原氏にあらずんば皇家にあらずだったのが、良くも悪くも律令制が崩壊して逆に「皇家にあらずんば藤原氏にあらず」になった。これも 後三条天皇様 のおかげですね。

ちなみに臣下から皇位に就かれた方は二柱でした。

ただ、だからと言って誰でも宮家というのも危険ではあります。例えば今の 近衛家 の当主は父系が 肥後細川氏 で政治家のあの方の実弟ですから(苦笑

新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 中編

中院家指図の核心に入っていく前に(大げさかな)、中院家についてどのような公家さんなのか少し触れてみたいと思います。中院家(なかのいん け、と読みます)は、大臣家の家格を持つ公家。摂家、清華家の次に位する立ち位置で同じ大臣家には嵯峨家(正親町三条)、三条西家、そして中院家の三家あります。摂家が5家、清家家が7家。その後に続くわけですから公家のなかでは中の上クラスですね(中院家の方、失礼な物言いですみません...

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新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 前編

少し久し振り、以前から収集していた公家屋敷の指図を眺めていまして、そのなかで二分割されている中院家の指図を一枚にくっ付けてみたら、どこかで見た覚えがある・・・と、そこから同家の指図が気になって調べていくうち、「どうも、この中院家指図は作成された時期と根拠が唯一明らかな幕末の公家屋敷。しかも明治4年の公家町を京都府へ返上する上知令直前の公家屋敷の姿を伝えるとても貴重な指図ではないか」と思われてきて、...

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No Subject * by 京一朗
Kuma83様 コメントありがとうございます。

中院家の指図についてですが、

京都大学附属図書館の資料名で、

中院家本 登録番号 262723 「中院家拝領屋敷図」11枚+袋1枚 マイクロフィルム43コマ分、

となっています。このときはまだマイクロフィルムにはなってなくて撮影を依頼、複写したものを郵送で送って頂いた経緯があります。

詳細については、同大学付属図書館の特殊資料掛までお問合せください。電話番号は 075-753-2640 です(変わっていなければです)。

以上ですけど、少しでもお役にたてれば幸いです。

No Subject * by Kuma83
京一朗さま

楽しく拝見させていただいております。
ブログを拝見し、中院家の指図に非常に興味が引かれました。京都大学のアーカイブで検索したのですが、本文にあった「当家拝領屋敷」といものが、どこに収録されているかが分かりませんでした。
もし、差し支えなければご教授いただけませんでしょうか?

お宅にも程がある!? その(三)

お宅にも程がある・・・その三で終わる予定でしたが残る未掲載の公家を数えたら13家ほどあったのでその(四)までいきます。それまでよろしくお付き合いくださいませ(笑)。 さて、その(三)の冒頭を飾るのは、山科家です。同家は明治維新で多くの公家が東京へ移っていたあとも、冷泉家とともに京都に残った数少ない公家です。(諸般の事情によりその後京都に戻った公家は三十数家あるそうです)。 同家は、羽林家の家格を有する公家...

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