3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.4-部屋紹介-後宮編」をアップしました。

ご案内の通り「京都御所3D案内 Vol.4-部屋紹介-後宮編」をYouTubeにアップしました。視て頂けたら嬉しいです。でも、書きながらやっぱり気になるのは新型コロナウイルスの感染の広がりです。世界に感染が広がっているし国内でも全国の公立小中学校が休校に入ります。北海道は非常事態宣言を出しています。今はもう感染を防ぐ水際作戦は失敗し、いかに市中感染、クラスター(集団)感染を抑え日本全体にパンデミック状態を引き起こさ...

... 続きを読む

No Subject * by -
五反田猫様
丁寧な解説ありがとうございます。
丁寧過ぎて余計混乱してしまいました すみません冗談です 笑。
一つ自分なりに感じるのは、
例えば、京都御所の記事で天皇陛下に触れるときは、いつも帝、と書きます。天皇と書くと何となく御所に合わないというか馴染めない・・・自然と帝になってしまうのです。やっぱり御所が雅だからそうなるのかな、とも思ってます。

光格天皇様は傍系の宮家出身なので、逆に天皇の権威を高めようと努められた御方です。今の御所があるのもこの方の御蔭かと思います。

それにしても太上天皇号はホント、不思議と使われましたね。その辺も何でだろう? とつい思ってしまいます。

称号 * by 五反田猫
京一朗さん
称号の問題は難しいですよね、私も専門ではありませんがご参考まで。
今では当たり前の「天皇」「皇后」という名称。
天皇という称号は村上天皇以来900年近く絶え(後醍醐天皇、安徳天皇という例外を除く)、光格天皇で復活しました。
ですからそれ以前の江戸時代の天皇の称号は「**院」です。以後、仁孝天皇・孝明天皇の2代にも諡号
面倒くさいのは、「上皇」にあたる「太上天皇」
これは天皇号が絶えていた時期にも、太上天皇号は変わらず用いられていたので、ご存命で隠居された場合には「太上天皇」(略号は上皇)
ですから江戸期の上皇は、108後水尾上皇、109明正上皇、111後西上皇、112霊元上皇、113東山上皇、114中御門上皇、115桜町上皇、117後桜町上皇、119光格上皇となります。

皇后は、江戸時代にはおられず、正室にあたる最上位が「中宮」で、皇后は明治になり復活しました。

「准后」は、もっと面倒で、女性に限りません。
太皇太后・皇太后・皇后の三后(三宮)に准じた処遇を与えられた者という地位の称号です。
男性の場合には、臣下でも摂関を経て隠居後に准后になる場合があります。(名誉会長のようなものでしょうか?)
江戸期でも、摂家出身の男性の准后がおります。
皇族で帝位につかないが、生母や父などで准后になる場合もあります。
江戸時代では皇族女子(内親王)が准后になります。院(天皇)の御生母などは、後に格上の皇太后、女院になる場合もあります。
そして京一郎さんがお書きになった後宮出身
中宮には皇族以外でもなりますので、中宮でも御生母の場合は女院になる場合もありました。
女院になると「**門院」という院号がつき、女院御所に入られます。
以上ご参考まで

No Subject * by -
五反田猫様
コメントありがとうございます。
五反田猫さんも武漢ウィルス気を付けてくださいね。
皇后の件ですが、
私の中では、皇后、中宮、女御、更には准皇后と混乱している面があります。皇后=中宮、その下が女御、准皇后は追号とか・・・よくわかりません。安政度内裏を見ると後宮部分を切り離している指図が意外と多いです。後宮の方は准皇后御所として半ば皇太后の御所のような感覚がしてきます。独立状態ですね。調べたら幕末の孝明名天皇は九条凪子を妃とされ皇后にしようとしましたが、幕府に断られたとのこと。何なんでしょうね。普通、王&王妃で宮廷が成り立つと思うのですが、正室なのに皇后の地位が曖昧なのは、やはり幕府の影響でしょうか?

こういう時こそ * by 五反田猫
京一朗さん いつも興味深い記事を有難うございます。
こういう時期だからこそ、記事や動画を拝見するとホットします。
ちょっとだけ気になったのが「皇后」という記載です。
江戸時代は中宮のみで皇后はおりませんよね。(死後の送皇后を除く)
現代感覚だと天皇の配偶者は皇后なのですが、当時は中宮、女院というのが相応しい気がしました。

世情喧しい時期ですが、どうぞお元気にお過ごし下さい。

YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.3 部屋紹介 中半編」をアップしました。

NHKのBSプレミアムに自分の作品が出たので、一昨日「無事、放送されました」と記事書きましたが、何と本日16日、二日も置かずに新しい記事を更新しました。ここ最近は更新頻度がメッキリ減っていたので「アレ?自分こんなに豆だったかな?」と、首を傾げつつ書いてます。これもNHKに載って有頂天になったからだと「分り易い」自分です。動画編集が少し楽しくなってきたので、YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.3 部屋紹介...

... 続きを読む

無事、放送されました。

12日(火曜)にお知らせしました、NHK・BSプレミアム「偉人たちの健康診断」・平清盛 体から黒煙? 怪死の真相、に自分の描いたイラストが使われる件ですけど、昨日13日夜、無事、放映されました。番組の中では画面一杯に大きく取り上げられ、画面右下のクレジットには「CG制作 梅村京一朗 3D京都 監修 川本重雄」と表示され、やぁー、うれしかったです。使用されたCG、アイソメ図(等角投影図)は平清盛の住まいであった...

... 続きを読む

No Subject * by -
五反田猫様
コメントありがとうございます。

五反田猫さんから教えて頂けるまで、和歌と現代短歌の本当の違いについて分かりませんでした。学校では学びませんから。
詩人の中野重治が「花鳥風月」を詠うな、と言いましたが、五反田猫さんの言われる「現代短歌は単独で鑑賞できるものを重視しますが、古典和歌は披露される場(饗応や歌会)があって存在するもの」という解説を改めて伺って、成程なぁ、と頷いている次第です。
もっと日本の古典について理解を深めないといけないですね。

たとえば、普段している挨拶のお辞儀ですが、あんなに昔からペンギンのようにヒョコヒョコ頭を下げていたんですかね?何かあんまりみっとも良くないです。
外国人などよく日本人のお辞儀の真似をしたりしますが多少、侮蔑の感情が入っている感じがします。品のある所作とか、礼法とか昔の日本人にはあったと思います。
幕末、アメリカを訪問した幕府の侍たちの立派な挙手、振る舞いに感心したとか聞いたことあります。いろいろと温故知新を掘り返すのが大切だな、と思いました。

五反田猫さんも新型コロナには気を付けてくださいね。

色々な事があったのですね * by 五反田猫
残念ながら番組は見られませんでしたが、お話しを伺うだけでも興味深いです。
川本重雄先生は、建築の専門家ですが、生活 特に饗応という観点で貴族邸宅を研究されており、独自の視点がとても興味深いです。
和歌の世界も共通したものがあり、現代短歌は単独で鑑賞できるものを重視しますが、古典和歌は披露される場(饗応や歌会)があって存在するもの。何か共通したものを感じます。

京一朗さんも、文献も御覧になり指図から3Dをおこされているので、専門家の話から対応が容易に出来るのですね。これも素晴らしい。
アイソメ図というと聞きなれませんが、まさに絵巻に出てくる寝殿の図。
屋根を取り払って内部を描き、斜め上からの視点で関係する人物を描く。

>インフルエンザや感染症
清盛も、当時最先端であった中国との貿易。 利益の面でも技術の面でも得るものは多かったのでしょう。 同時に疫病も呼び込んだのは、奇しくも現在の日本と同じですね。
コロナウイルスは密閉環境で感染するので、むじろ隙間風の吹く開放環境の方が感染防止には良いかもしれません。 2月の和歌関連のイベントが2つありますが、現状ですとどうなるか不明です。とは言え、出来るだけの準備をしております。
京一朗さんも、どうぞお元気でお過ごし下さい。

No Subject * by -
AzTak様コメントありがとうございます。
過分な言葉を頂き恐れ入ります。
果たせない夢だからブログで作ってみようと始めましたが何とか途中、休みつつもここまで続けてきました。私は AzTakさんの鉄のような意思で続けられている日々のブログこそ尊敬しております。きっと何か突き動かせるものがご自身にあるからだと思います。私も少しある気がします。

素晴らしいです * by AzTak
NHKの番組内で使用され、しかも、その作品を見ながら重鎮の住まいの先進性についての解説まであったようで、素晴らしいことだと思います。真似しようにもできない高みを極めたレベルだと思います。
ただただ仰天する場なりです。

お知らせ NHK・BSプレミアム「偉人たちの健康診断」に3D京都のイラストが出ます。

告知が遅れましたが、タイトルの通り、明日、2月13日(木)の夜8時から放映されるNHK・BSプレミアム「偉人たちの健康診断」・平清盛 体から黒煙? 怪死の真相、に自分の描いたイラストが採用され出ることになりました。イラストは平清盛の本邸であった六波羅泉殿の寝殿内部を描いたアイソメ図(等角投影図)で、私たちが想像するより意外と小振りな寝殿でした。この寝殿で清盛は高熱に魘され亡くなったと言われています。その黒煙...

... 続きを読む

No Subject * by -
五反田猫様
コメントありがとうございます。
やっぱりメディアに出ると嬉しいですね。励みになります。今回は、川本重雄先生の推薦があってNHKにでましたが、拙ブログでも「見ている方は見ているんだなぁ」とホント思いました。そうですね、継続は力なりですね。きっと定期的にチェックしてる方もみえると思いますが、ブログの更新頻度にムラがあるワガママな自分で申し訳ないです。色々と迷走するときもあるかと思いますが、コツコツ続けていきたいと思います。

ついにメジャーデビュー! * by 五反田猫
継続は力なり、見ている人は見ておりますね。
BS歴史番組は予算も限られているので、大道具を使うよりCGは有効なのでしょうね。 それも自分達で作るよりは、出来の良いものなら使おうというのも合理的とおもいます。
CGでも趣味のイラストの如きものを描く人は多いですが、資料をきっちりとあたり作る人は稀ですから、その辺りでお声がかかったのでしょうね。
BSは視れないので残念ですが、その内 地上波で放送してくれるのを待ってみます。

YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.2 部屋紹介 前半編」をアップしました。

皆さんこんにちは、久し振りの動画アップです。今回の「京都御所3D案内 Vol.2 部屋紹介 前半編」では、京都御所の建物にはどんな部屋があったのか? その名称と用途をご説明します。幕末当時は何百もの部屋(間)があったので一回では紹介しきれず、前半、中半、後半、の三回に分けYouTubeにアップロードする予定です。初回は紫宸殿廻りの表部分についてピックアップしています。果たして盛時、どれほどの部屋があったのか見当...

... 続きを読む

広いようで狭い京都御所

新年1月ももう半ばになって記事の更新が大幅に遅れ申し訳ありません。3D動画も続編がまだ出来てない・・・続編では御所の各建物の部屋名や用途等について、またその後では御所の室内から見た風景など、すでに失われた建物をメインにウォークスルーしようかと思ってますが3Dの場合、ちょっと集中力が必要なので少し充電してからにします。有名ユーチューバーなど毎日のように動画をアップしていますが、実際、編集にかかる時間...

... 続きを読む

No Subject * by -
五反田猫様 コメントありがとうございます。
>「二重虹梁」は、背高になったから採用したのか、
そうですね、よく見たら二重虹梁ですね。江戸時代初期に御所の紫宸殿が現在の仁和寺へ移築され金堂となっていますが、内部も二重虹梁になっているそうです。軒先の垂木も御所だけ(紫宸殿)三重になっていて一般では許されません。やっぱり御所の格式故、このような二重虹梁を持つ回廊になったのかな、と思います。

江戸時代、御所の北東が大きく欠けていましたが、当時の人はあまり気にしなかったのでしょうか?自分だったら落ち着いておれないです 笑。幕末の公家町の絵図を見ても北東、鬼門に
あたる部分は空地もあります。江戸時代、北向き、南向き等は気にしなかったけど、鬼門だけは気にしたみたいです。そもそも城下町の武家屋敷でも拝領屋敷ですから北も南もないですよね。今は建築基準法で隣地から最低50cm離れて建てないといけないですけど、それだと、かなり狭く北側がジメジメします。北向きが嫌われるようになったのは明治以後かもしれませんね。

ご明察 * by 五反田猫
いつも興味深い内容を有難うございます。

なるほど、ご指摘されてみれば、回廊に対して日華門、月華門は、何となく背高な感じです
構造は、切妻屋根に「二重虹梁」という古式な特殊構造。
「二重虹梁」は、背高になったから採用したのか、これを採用したから背高になったのか気になる点です(笑)
 承明門と建礼門の距離は、近いなぁと思っていましたが、これもご指摘で納得です。
周囲が町屋と大路に囲まれているから、敷地が足らないと周囲を変更できない。
そうなると、限られた範囲で、復古した建物を配置してゆく。
結局 南側にしわ寄せが出てしまったのでしょうか。 本来ならば、承明門と建礼門の間には、馬場か松原などを設けたかったでしょうが、これは諦めためたのでしょうね。
こうした制限の中で、よくぞまとめられたものです。

御所が長方形になったのは、慶應になってからなのですね。
確かに、それ以前の絵図をみると、東北が欠けておりました。私達は、現在の御所しか知らないので、どうしても長方形だと思い込んでしまいますが、そうでなかった期間の方が長いのですね。

重ねて貴重な指摘と情報に感謝いたします。

令和元年ももう残すところ僅か・・・近況等

5月に改元され令和元年も後少しですね。しばらく記事を書かずにいました。何をしていたかと申しますと始めた事業に関わっていました。二つの事業から成るものですが、一方のものはすでにほぼ順調に稼働しています。問題なのは残る一つで、この方は今、話が当初計画より膨らんでいて見直しを検討している所です。どんな事業? と気になる方もおられるかもしれませんが、現段階では片肺飛行なので控えさせて頂きます。つい先日、飲...

... 続きを読む

No Subject * by -
五反田猫様
お礼の返信遅れてすみません。
今年も宜しくお願い致します。事業の見通しについて甘く考えてました・・・。準備等で落ち着くまで暫くかかりそうです。

新たな道 * by 五反田猫
京一朗さん

新年おめでとうございます、良い一年を祈念いたします。

更新が無かったので、案じておりましたが、新たな出発をご予定でお忙しいのですね。 安心しました。

素敵なカフェです、こうして3Dになると判りやすいですね。
融資の説明、建築確認用?、従業員の教育など、色々に使えそうで、イメージと伝わりやすいです。

No Subject * by -
Hakka様 コメントありがとうございます。ご無沙汰しております。
自分も元々本が好きなので文章から想像力を働かせるのが好きです。YouTubeでは時々思わぬ動画が飛び込んできますね。AIが勝手におススメしてくれるんですかね?最近だとインディアンダンス。本場のインドでなく、何とロシアのカレリア共和国のダンスグループが登場してきました。切れ味いい踊りしていてお気に入り、チャンネル登録しました。Indian Dance Group MAYURI といいます。良かったらHakkaさんも見てみてください。

京都御所の動画続編もまだなので作ろうと思ってます。年越えてしまいますけど。

No Subject * by Hakka
こんばんは。

YouTubeは音楽関係の動画しか観ないのですが、先日知人にブログを書いているという話をしたら、「YouTubeもやりなよ」と言われました。私の場合、映像での表現はかなりハードルが高いため、当面はブログ一本で行こうと思っています。むしろ、最近はもう1つブログを立ち上げたいと思っているくらいです。実現するかは微妙ですが…笑

3D京都さんや他の方のブログを拝見しても思うことですが、自分の興味のある事柄を調べたり勉強したりするとき、やはり読み物であるブログが最も適したメディアである気がします。決してYouTubeを否定するつもりはありませんが、そこに関しては、これからも変わらないのかな、という気がしています。

ログハウスの設計、楽しそうですね。また御所や京都の方の記事も、楽しみにしています。

近況

こんにちは、しばらくブログの更新を怠っています。今月に入って、今、手掛けております事業の方が本稼働に伴う調整に手間取り、時間を取られております。10月半ば頃には落ち着き平常運転に戻ります。それ以降はブログを書く時間も余裕も出てきます。前にも書きました一日2時間の仕事量で賄える生活設計です。自分など、おこがましい事ですが、中途半端な記事を書くのも気が引けて、ズルズル更新しないまま日が経ってしまいました...

... 続きを読む

No Subject * by -
五反田猫様 コメントありがとうございます。
リンク情報拝見しました。高御座の模型が販売!されているとは夢にも思いませんでした。世間は広~いものですね。京都御所の精密なジオラマとかもるあるかもしれませんね。情報提供ありがとうございます。

高御座 * by 五反田猫
京一朗さん、こんにちは。
お忙しいようで、何よりです。

お暇な時にでも、こんなものがあってので紹介します。3Dデータではなくて、模型ですね。
かなり細かい作業になりそうです(笑)
https://www.tenyo.co.jp/toyhobby/catalog/onsale/t-me-009m.html

謎の人物X氏より新たなミッションを受け宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました 後編

引き続き後編ですが、〇〇卿(メールではそう呼ばせて頂いておりますが、実際にお会いした時は言いませんよ 笑)と会食した際、公家の廣幡家の話が出ました。私の方から切り出したのですが、「廣幡家といえば公家でも摂家に続く家格の清家家の名門なのに本邸が御所から1キロ以上も離れていたのは何故ですかね?」。お公家さんの本邸の殆どは現在の京都御苑にあった公家町と御苑の西に接する烏丸通、同じく御苑の北に接する今出川通...

... 続きを読む

No Subject * by -
澪標様 コメントありがとうございます。
第54回京の冬の旅のHP貼り付けて頂きありがとうございます。光照院の一番上に出てくる書院が桂宮邸の遺構ですかね。欄間が何となく桂宮邸風です。本堂も昭和天皇即位に使われた建物も何となく近代和風な感じですね。
>なぜ、二条城に移築した後も残り続けたのか、また他の現地に残った桂宮邸がどうなったか気になりませんか?

そうなんですか、残っていたんですね。朽ち果てるままにしていたのか?何か理由があるのですかね?その理由教えてください。隣の中山邸跡も明治天皇の産湯に使われた祐井が残ってると聞いてます。他にも遺構が残っているかもです。

No Subject * by 澪標
ご無沙汰しております。
三井家は新政府に色々と貢献していますから、移築したのは雑役を担う者たちが集う部屋では無いと思いますが、いくら貢献があったとはいえ商人ですから、天皇が使用するような部屋ではなく、高級女官が使った煌びやかな障壁画がある部屋ではないでしょうか?
話が変わりますが、第54回京の冬の旅で見学した光照院(旧常磐御所)に、大正時代に京都御所の近くにあった桂宮邸を移築した書院がありました。
係員に話を聞いてみると、二条城に桂宮邸を本丸御殿を移築した後も跡地にはいくつも建物が残っていたようで、その一部を寄付されて移築したようです。
ウィキィペディアによると、桂宮邸は1847年(弘化4年)に桂宮家が京都御所の北(今出川御門内)に建てた御殿の主要部を、1894年(明治27年)に明治天皇の意向により、二条城本丸に移築したものということですので、単純計算でも20年近く主要部以外は残置されていたみたいです。
なぜ、二条城に移築した後も残り続けたのか、また他の現地に残った桂宮邸がどうなったか気になりませんか?
https://ja.kyoto.travel/specialopening/winter/2019/special/public01.php?special_exhibition_id=35

No Subject * by 京一朗
澪標様 コメントありがとうございます。
ご無沙汰ですね。

リンク先拝見しました。
まさか福井県の小浜市に幕末の御所の遺構が移築されているとは思いませんでした。情報ありがとうございます。
最初に三井家が拝領した御殿は、10畳と7・5畳の2部屋ですね。御所のどこだろう?当ててみてください 笑。拝領ということですからそれなりに立派なものを頂いたと思います。
外観はかなり改築されていますが中はどうなっているか興味尽きないですね。

No Subject * by 澪標
以前は戦時中の京都御所における建物疎開に調べていただきありがとうございました。
今回、京都御所が明治時代に建物の払い下げを行なっていたという絵図をされていますが、三井家が10畳と7・5畳の計2部屋を拝領し、東京に移築していたのを小浜市に、三井家が小浜藩の両替商だったなどの縁で、調度品とともに市に寄贈されたという記事を見つけました。
下記にネットニュースのリンクを貼っておきます。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/927310
ご興味がおありと思い、以前のお礼としてはささやかではございますが、お伝え致します。

謎の人物X氏より新たなミッションを受け宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました 前編

先日、謎の人物X氏より新たなミッションを与えられ宮内庁書陵部公文書館へ行って参りました。謎の人物とは誰か? まったく分かりませんが今まで京都御所に関する文献・資料について「ここに、こんな資料がありますよ。一度調べられては?」とアドバイスを非公開経由のコメントで頂き、御所の3Dを制作する上でとても役立ちました。X氏がいなかったら3Dも途中で挫折していたと思います。同氏は御所に関して非常に詳しく並みの人...

... 続きを読む

No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。
お公家さんも長い歴史で色々とありましたが仮に公家がいなくて武士ばっかりだったら、その分、戦国時代のように、国がもっと荒れたかもしれません。
時代劇は幕末や戦国時代物ばかり多くて、たまには公家さん主役の大河ドラマやってほしいですよ。信長や秀吉、家康と同時代に生きた近衛前久とか取り上げたら面白いと思うのですが。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様、
アップして頂いたPDF「戦時下建物疎開の執行目的と経過の変容」拝見しました。眼から鱗というか、全国的に建物疎開が行われていたことがわかりました。名古屋の栄の100m道路も疎開で家が除去されたから戦後出来た面があるみたいですね。
京都はちょっと油断していたんですね。大阪や神戸が空襲にあって慌てて京都も建物疎開したんですね。消防用道路とか確かに必要ですね。でも、この混乱のなかで御所も一部が解体されたのは残念です。戦争を何とか防げなかったのかと思います。今の北朝鮮を逆に見習ってノラリクラリな外交戦術もあってもよかったと思います。米大統領が共和党に変わるまで、じっと耐えるとか・・・。
為になる情報提供ありがとうございます。

女院御所は幕末時、上皇が不在だったのでなかったのではと思います。

昭和20年のどさくさ * by 五反田猫
京一朗さん

>御一新で真っ先に解体
>皇后御常御殿のある後宮エリア
そういえば、仙洞御所は残っているのに、女院御所が残っていないのも同様な理由でしょうか?
戻らないという意味に加え、文明開化で一夫一妻制の導入というのも理由かも、気になります。

昭和20年のどさくさは、戦中体験者の聞き取りでも、色々と聞いております。
東京では1943 年(昭和 18 年)12 月の閣議決定「都市疎開実施要綱」および翌年2月の「決戦非常措置要綱」に基づいて実施。記録を見ると5万五千戸とありますが、実際はもっと多かったように思えます。 それほど記録と実体がいいかげんなのですね。

京都の場合には、こちらに資料がありますが、東京、大阪の状況もみて、木造家屋は防火帯を作る事で急いで実施。 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/76/666/76_666_1509/_pdf

他の都市にも共通していますが、場所は決めたら町内会や挺身隊などボランティア組織が実行なので記録がないのだと思います。 公務員(軍人含む)や公共施設は、国民の範となるように進んで応じると言われたので先に進められたものも多かったようです。 御所の場合には、文化財ならば名古屋城のように記録が残りますが、皇室財産だったから却って記録が残っていないのかもしれません。なにしろ当時の天皇陛下は陸海軍元帥という軍人でもありましたので。



No Subject * by 大原かずのり
長きにわたり続いてきたものは、やはり魅力がありますよね。日本は天皇家はもちろんのこと、お公家さんも本当に歴史が長い。それだけに重みを感じます。

木造の例えはなるほどと。最近、尼崎城天守が再建されましたが、その陳腐なこと(苦笑) 木造再建の大洲城の足元にも及びません。

名古屋城天守木造再建に反対する人の心理、理解できませんね。お金の問題ではなく、長きに渡り育んだ、木造文化の問題ですよね。

No Subject * by 京一朗
五反田猫様 コメントありがとうございます。

御所の建物疎開ですけど、ホント、解体した部材だけでも何処か倉庫に残していたら再建もできたのに・・・と残念です。

3Dで御所を作りながら一つ思ったことなのですが、御一新で、御所のどこから先に建物が消えていったといいますと、東西の対屋、そして皇后御常御殿のある後宮エリアだと思いました。
明治2年に明治天皇が東京へ奠都した際、もう戻る意味もないよう後宮部から壊したのか?あるいは、薩長の志士たちが、富国強兵のためには、女官に囲まれた御所は軟弱過ぎると思って一目散に解体したのか?なにか意味深な所があると思いました。

過去の記録 * by 五反田猫
いつも貴重な記録の紹介を有難うございます。
明治の御所払い下げの実体が良く判りますね。

>西洞院家 38円
当時は、城、武家屋敷、公家屋敷、寺(特に廃仏運動での堂宇)は、過去の遺物として積極的に取り払わられたようですね。
建物も、移築が目的ならば良い方で、酷いのは釘や金具など金属回収が目的の場合もあったようです。
西洞院家の屋敷は普通サイズですから、他も似た様なものだったのでしょうか。 値段が安いのは、もしかすると拝領屋敷だから政府に返納という意味があったかもしれませんが不明です。 御苑として整備され御所の建物が残っただけでも岩倉公に感謝です。

>昭和20年の建物疎開
この時点は、本当に混乱して記録が残っていませんね。 松本大本営への移転話もあり、敗戦後は資料も大量に焼かれましたね。
敗戦のドサクサで、物資の横流しもあったでしょうから、当時を知る人が居なくなると闇の中でしょうか。

それにしても、こうして資料調査の結果もまとめられ、 3Dで建物を復活されると、活き活きと見えてくるものがあります。


結月ゆかりちゃん登場!

皆さんこんにちは、今、京都御所の3D動画の第二弾を製作中です。YouTubeに動画をアップするのは久し振りなので、改めてYouTubeの3D動画系の作品を色々とチェックしてみました。で、思ったのは意外と再生数が少ないんですよね。たとえば地方自治体が作ったPR作品ではお城の復元とかが多いのですが再生数を見ると多くても5万、10万越えはあるのかな?というレベルです。作品は流石にプロが作ったものが主流なので素晴らしい出来...

... 続きを読む

タクシー

タクシーと言えば映画のカーアクションやドラマのワンシーンとして出てきたりする。現実の社会では、タクシードライバーはひたすら運転席に座ってタクシー乗り場で客を待っている。今はガソリンスタンドもセルフが主になってきたけど少し前は店員たちが立って客が給油に寄るのを誘っていた。ドライバーが立ち話しているタクシーに乗車したいだろうか? 店員が椅子に座っているガソリンスタンドに寄りたいと思うだろうか? 少なく...

... 続きを読む

No Subject * by 京一朗
形名さま コメントありがとうございます。
野兎を見つけた時はビックリしました。嬉しかったですね。
でも、兎系は走るの得意そうじゃないし、体はフワフワしていて柔らかいし、よく外で生きていけるなぁ、と思いますね。鷹なんかに襲われそうです。
何か、人間の知らない「火事場のバカ力」的な防御方法を身に着けているかもです。

No Subject * by 形名
こんにちは。
野うさぎは群馬県でも低地ではたまに見かけますね。森林や草深い場所は嫌うんだそうです。視界の利く草原を好むそうですが、きっと敵に襲われやすい為でしょうね。

YouTubeに「京都御所3D案内 Vol.1 飛翔」をアップしました。

皆さんこんにちは。三日遅れの暑中お見舞い申し上げます。京都御所の動画第一弾がようやくできあがりましたのでアップします。御所にはどんなBGMがいいかなぁ、とか、いろいろ思案の末の労作?です 笑。今回は空からの俯瞰をメインにした動画です。動画の終盤の方にちょっとしたサプライズも揃えましたので少し期待してください。動画は取り敢えず3本ほど作る予定です。まだまだ動画編集に慣れていないのでお見苦しい所もある...

... 続きを読む

管理人のみ閲覧できます * by -

No Subject * by 京一朗
sazanamijiro 様 コメントのお礼遅れて申し訳ありません。

>あまりの完成度に絶句!
>もはやこの映像自体が文化遺産ですね。
過分なお褒め、軽い自分はすぐ舞い上がって喜んでしまいました。すぐその気になって勘違いしてしまうタイプなんです。
でも、嬉しいです、励みになります。ありがとうございます。

まだまだ完成度も低く、所々、動画がカクカクと流れが悪くなったり修正点があります。直して行こうと思ってます。
過去の動画も画質が悪いです。YouTubeの解像度も良くなって、御所の動画も以前より鮮やかになりました。古い金閣や相国寺七重塔など、もう一回、新たな動画に置き換えたいなぁ、と思っています。YouTubeのチャンネルもなぜか複数になってしまいアップ動画も分散してしまいました。

今回整理し、チャンネルは”3Dkyoto”に統一し、動画も再アップし直しました(金閣は除く)。ですのでアクセス数もリセットされてしまいました。でも、今後、ここをプラットフォームに動画を充実させていきたいと思ってます。

>御所から見て夏至の夕日の方向にある愛宕山>の山影が、ちらっとでも登場すればさらなる>感涙です。
京都へ行ったとき、山々の写真撮ってますけど中々、クリアーな写真がとれません。いい背景写真ができたら愛宕山をバックに作ってみるのもいいなぁ、思いました。けど、京都盆地から愛宕山視えるんでしたっけ?、確認もしなければ。
では、暑い夏、お互い夏バテに気を付けましょうね。

No Subject * by sazanamijiro
あまりの完成度に絶句!
もはやこの映像自体が文化遺産ですね。
もしわがままが許されるなら、いつの日か、御所から見て夏至の夕日の方向にある愛宕山の山影が、ちらっとでも登場すればさらなる感涙です。
(右京区の田舎者なので)

No Subject * by 京一朗
大原様 コメントありがとうございます。

お褒めいただき恐縮です。励みになります。
動画何とか作りました。
YouTubeだったら何かあっても動画が残るかもしれません。少し要領がわかったので次も頑張ります。
大原さんも楽しい盆休みお過ごしください。

No Subject * by 大原かずのり
最初からこの完成度は、さすがです!ドローン気分を味わえました。

特にお気に入りが、承明門が開いてシシンデンに向かう場面です。承明門から眺めるシシンデンが、特に好きなんですよね。

連日の猛暑ですが、3D動画を見たら涼しくなれました(笑)
実に心地よい動画ですね(^^)

今、京都御所の3D動画を製作中です。

今朝、テレビを視ながら、そうだった今日6日は広島に原爆が落とされた日だった・・・、すっかり忘れていました。もう、あの日から74年目を迎えるのですねぇ、ただただ、亡くなった方のご冥福を祈るばかりです。今、世界の軍事状況は、核による破壊から、電磁パルス攻撃やレールガン、レーザー兵器、あるいは宇宙空間の軍事衛星からの地上への攻撃など次の段階へと移りつつます。今は生活インフラの多くを電気に頼っています。それ...

... 続きを読む