3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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鳥羽離宮の南殿間取図を載せます。

鳥羽離宮の3D製作もいよいよ佳境に入ってまいりました。
今まで、何度も離宮のことを書いてきたので、かなり重複してると思うんですけど、「こいつ、また同じこと書いてる」と思わないでくださいね(笑)。ブログによっては記事中の下線をクリックすると、その場でブログ内の過去記事へ案内してくれる、という便利な所もありますが、管理人もおいおいブログの勉強して「おぉ!」と言われるようなレベルになりたいと思っています。

さて、離宮の中心的な御所である南殿+証金剛院の3Dがだいぶ完成してきました。明後日?ぐらいにはアップできると思います。

今回は御所がメインなので自分的には、まるで京都御所を造っている気分でした。
いままで、京都御所の3Dとか見たことないので、自分もいい勉強になるし参考にもなると思います。
自分的には屋根の桧皮葺がいい感じを出していると思います。
実はこの桧皮葺のテクスチャですけど、岡崎市の伊賀八幡宮が屋根を葺き替えたと聞いて、さっそく写真を撮りに行きました。自分で言うのもなんですが、結構、京都御所の雰囲気が出ていて自分でも満足してます(満足してるのは屋根の桧皮葺です。他はまだまだです)。

この京都御所も明治の始めには荒れはじめ、同地を訪ねられた明治天皇がとても悲しまれ、ちゃんと保存するよう政府にお命じになったそうです。その御蔭で今も、たとえば、寝殿造りっどんな感じ?と、聞かれたとき「京都御所ですよ」と答えることができます。
また、平等院の鳳凰堂が残ったおかげで、今も平安時代の朝廷・貴族の極楽浄土がどんな建築だったかわかり、院政期の離宮群を再現するにもとても参考になります。

指図(間取り図面)は残っていても、意外とわからいのが寸法関係で、たとえば床の高さとか。当時、貴族のの寝殿は階段が五段だったので、5×25センチで1m25センチか?などと想像しながら3D作ってます。また屋根の高さも、平安時代の寝殿の高さとか、いまだに論争のまとです。
ただ明確に言えることは、現在の京都御所より、かなり低かったことです。
イメージ的には国宝でもある宇治神神社の拝殿かな。そこは鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれています。

さて、ここで鳥羽離宮の3D製作の工程表をまとめますね。
以前にもアップしました離宮の俯瞰図を載せます。そこの青く囲ったところが完成済みピンクが未完。というか現在製作中で、9割方できてます。クリックすると拡大します。
鳥羽離宮3D工程表
画面下のピンクの南殿が完成真近です。

これで見ると離宮の全体像の3Dは、まだまだ描けませんけど、この南殿で済ませようと思ってます。自分的にも記念となる作品に仕上げたいと思ってます。

ちなみに青マルは、金剛心院、勝光明院、そして三重塔、多宝塔などです。後、経堂、九体阿弥陀堂あたりも・・・と思いますが・・・。そうだ、九体阿弥陀堂だったら以前作った法住寺殿の三十三間堂がリメイクして載せれるかも・・・とか、まだ未練があります(笑)

次にアップする写真は、その南殿の間取り図です。
鳥羽離宮南殿間取図 

ご覧の通り雁行型の典型的な御所です。平安初期の内裏など、各御殿が左右対称でしたが、院政期には国風文化が世を風靡し、また、築庭・庭園の技術も高まった故か雁行型になってゆきます。
というか、人間の本性として日当りのいい南向きがいいですよね。そうすると自然に雁行形になるかもです。イギリスなどでは意外と西向きの家が人気あると聞きました。夏場など夜の十時になっても明るいイギリスでは西陽をたっぷり浴びることのできる西向きがいいんでしょうね。イギリスも家は夏向きかも?です。

次に寝殿の拡大図を載せます。これは、近衛天皇の仁平二年(1152年)、鳥羽南殿で行なわれた鳥羽法皇の五十の宝算の賀の宴がのときの着座表が残っているので寝殿の復元が可能な訳です。
鳥羽離宮南殿間取拡大図

まず特徴的なのは寝殿の中心が仏様だということです。天皇、法皇、そして美福門院はその後ろに座してみえます。周りを高僧、そして凡僧?の座。公卿など、かわいそうに弾きだされ、簀子(スノコ)、いわゆる濡れ縁に座らされてます。また女房衆が侍っていますが、その座の高麗というのは畳の縁が高麗という文様のことを指します。ちなみに、皇族など高位の方は、繧繝縁畳という畳に座られたそうです。何と読むんでしょうかね?
後、紫座とありますが何でしょうね?当時、紫は高貴な色として珍重されましたが。
後方に台盤所とありますが、多分、台所だと思います。宮中では、女房の詰め所ともされました。朝餉は読んで字のごとく。北東に反渡殿とありますが普通に反り橋のことです。また西側の西対には先の斎宮であった方の御座・御所です。法皇の内親王だった方ですかね>
透渡殿も壁がない柱だけの廊下のことです。
そうそうこの寝殿には珍しく塗り籠の部屋がありません。貴重な品物は他の御殿にしまわれていたんでしょうね。
また、これは最初に書かなければいけないことですが、寝殿の母屋は五間、一間が当時の2.4mとして12m。これに各庇、孫庇とか付きますから桁行22mほど、奥行は17mほどですかね。当時の寝殿のサイズは大型が7間。庇も含めて30m近くあったんですね。現在の京都御所の紫宸殿の幅は約30mほどです。

以上、寝殿の説明でした。


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コメント

 

taka様、

いつもながら詳しいフォローありがとうございます。もう「そだったのか!」と驚きの連続です。一体、その豊富な知識は何処から泉のごとく湧き出てくるんだろう?と感嘆してます。
今回も、繧繝縁はうんげんべり、もしくはうげんべりと読むんですね。
紫座の推測もさすがです。院の近臣とは思いもよりませんでした。 院の近臣とは、官位を飛び越こえた存在なんですね。まるで徳川将軍のお側用人みたいですね。

また、いろいろ教えてください。

そうそう、黄緑は地下、縁なしは無位だそうです。なるほど、初めて知りました。
  • 梅のコージ 
  • URL 
  • 2012年11月29日 12時39分 
  • [編集]
  • [返信]

これも貴重な資料 

です。梅のコージさん の意欲溢れるチャレンジ精神と、資料の提供にはいつもながら頭の下がる思いです。

繧繝縁はうんげんべり、もしくはうげんべりと読みます。ご存知だと思いますが、天皇・上皇・三后・准后は繧繝縁を、大紋高麗縁は親王・摂関・大臣(准后宣下を受けない者)、小紋高麗縁は公卿、という具合に決められていました。

そこで大問題なのはここに書かれている字です。梅のコージさん も書かれていますが、私もこの高麗というのは畳の縁の事だと教えられました。これが非常に問題なのです。何故か? と言いますと、宮中においても院政においても所謂席次というのは君主から見て左が官位が高く右が官位が低いというのが原則ですが、それと同様に重要なのは君主に近いか? 遠いか? も重要な位置づけになります。

で、紫座というのを畳の縁の彩りだとすると、宮中儀礼の畳には紫縁というのがあります。これは小紋高麗縁より一つ下、殿上人が座る畳み(従五位下~正四位上)なのです。席次でいえばある意味分不相応な位置ですが、恐らくは院の近臣と呼ばれる殿上人で、官位を飛び越した席次で着座された可能性が非常に高いと思われます。

ちなみに黄緑は地下、縁なしは無位だそうです。
  • taka 
  • URL 
  • 2012年11月29日 11時25分 
  • [編集]
  • [返信]

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