3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。随筆、短歌も詠みます。

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公家屋敷の遺構を探す旅 その(二)

旧一条恵観山荘は今は鎌倉の浄明寺、茶道宗編流止観亭として京都から移築されていますが、元々は京の西賀茂に後陽成天皇の第9皇子・一条惠観によって別荘として営まれたものです。京の離宮というと桂離宮が有名ですが、この恵観山荘は「もう一つの桂」、いや場合によっては桂をも超えるかもしれない、江戸期でも有名な山荘でした。とくに公家茶道の綺麗侘びを茶屋建築に反映させた数奇屋作りはとても風雅だったといわれます。しかも広大な敷地を西賀茂に占め、今、残っていれば有名な観光スポットになっていたことでしょう。その茶屋の一部が残り鎌倉に移築されているのです。いつか「もう一つの桂」として特集を書きたいと思っています。ちなみに旧一条恵観山荘については堀口捨己著「茶室研究」(鹿島出版会)に詳しく書かれています。
一条恵観山荘1
茶室内の間取り図です。
一条恵観山荘指図
それと室内の様子です。
一条恵観山荘室内
次にご紹介するのは何というお公家さんかわかりませんが某公家屋敷を移築した奈良県の森村家住宅(橿原市・重要文化財)です。ここは大名も宿泊した大庄屋で別座敷がその公家遺構だそうです。墨書によると別座敷は天保14(1843)年の建築。長押の釘隠(くぎかくし)、大床を持つ8畳の床、棚、書院を備えた座敷、北隣の休息の間、西の湯殿、南には縁側が備えられ、風雅な公家屋敷の風情が漂っているとのこと。
森村家住宅
慈照院は相国寺の塔頭の一つ。あの桂離宮を築いた八条宮智仁親王の墓所として知られます。そうした縁もあり、客殿は同宮家の親王で、後に臣籍となった公卿廣幡家の始祖忠幸卿が一時尾張藩主徳川義直公の養子となった縁があるので、二代光友公が、智仁親王妃常照院殿の、遺命により、八条宮家、廣幡家のため、寛文11年(1671)尾州総桧材をふんだんに使い客殿を建築したそうです。又、宝暦13年(1763)には京極宮家(八条宮・桂宮ともに同じ宮家)の旧殿を賜ってさらに栄えたそうです。さらに書院・棲碧軒(セイヘキケン)は。宮家の学問所を江戸初期に建築されたもの。寛永8年(1632)12月、智忠親王より下賜された。桂離宮内に建てられている古書院と建築方法、建築材が同一の江戸時代初期の草庵風害院造りだそです。
慈照院
京大和は現在、東山の地に料亭として営まれています。その京大和がある現在の地では天保年間(1830-1843年)の前後に、公家の鷲尾中納言がこの土地を購入し、建物を改築して「翠紅館」と命名、居住し、その後、西本願寺に寄進しました。それ以後しばらくは西本願寺の別邸として大切な御客様の接待用に利用されていたそうです。黒船の来襲により、国内に「攘夷」の嵐が吹き荒れた幕末、翠紅館は、三条実美、桂小五郎、坂本龍馬ら志士たちの会合の場所となりました。文久三年一月二十七日、土佐藩武市半平太、長州藩井上聞多、久坂玄瑞ら多数が集まり、さらに六月十七日には長州藩桂小五郎、久留米藩真木和泉守ら各藩の代表者が集まり、攘夷や討幕などの具体的方策を検討いたしました。これが世に言う「翠紅館会議」です。
ちなみに京大和を書いた書籍がありますのでご紹介します。「春秋 京大和翠紅館―平安から平成まで 京の雅」(思文閣出版)。
京大和
次に伏見大手筋の妙見さん(本教寺)を紹介します。
本堂は、約二百七十年前の建築で、享保年中(1716)、近衛関白家の寄進により別宅の「堀川御殿」が移築されたもので、千鳥破風に加え唐風の庇を持った華麗な建築美を見せています。本堂に祀られる本尊は、妙法蓮華経宝塔1塔、多宝・釈迦 如来、上行・浄行・無辺行・安立行の4菩薩、日蓮大聖人像、持国天・毘沙門天・広目天・増長天の四天王の木造十二体によって構成されています。これらは作者不明ですがいずれも文禄年間の作名があります。
また左側の須弥檀には、大覚大僧正、日親聖人、加藤清正の木像三体、右側には良正院督姫の自画像、鬼子母神像、十羅刹女像が祀られています、とのことだそうです。
妙見さん

山科の随身院です。本堂は、慶長四年(1599)に再建された桃山時代の寝殿造りの建物で、本尊の如意輪観世音菩薩像他諸仏を納めています。薬医門、玄関、書院は寛永年間(1624~31)の建築で、九条家ゆかりの天真院尼の寄進によります。書院の襖絵は狩野永納の時代のもので花鳥山水図・四愛の図が描かれています。奥書院も江戸初期の建築で、狩野派による舞楽図、節会饗宴図、賢聖図、虎の図が画かれています。本堂と表書院をつなぐ「能の間」は、宝暦年間(1751~64)九条家の寄進によるもので、平成三年(1991)に改修されています。また、総門と庫裡は宝暦三年(1753)に二条家より移築されたもので、庫裡は二条家の政所だったものです。本尊の如意輪観世音菩薩像は鎌倉時代の作です。また平安時代の仏師・定朝作と伝わる阿弥陀如来像は重要文化財に指定されています。その他、、快慶作と伝わる鎌倉時代の金剛薩埵(こんごうさった)像、薬師如来像(平安時代)、不動明王像(平安時代)等があります。
また、本堂・書院前の庭園は、苔が美しいことで知られ、随心院は「洛巽の苔寺」とも呼ばれます。また奥書院にも四季の花が美しい庭があります。またこの寺院は石楠花(しゃくなげ)や紅葉の美しさでも知られます。
随身院
旧賀陽宮邸は残念ながら現存しません。在りし日の写真のみです。この写真は大正天皇の即位の大典のとき、時の東久爾宮殿下の宿泊所となった賀陽宮家の本邸です。現在の日赤病院の地にありました。明治時代、京都に宮家の本邸があったのは、この賀陽宮だけです。そうした来歴もあり写真を掲載しました。とてもりっぱですよね。あ~残っていれば、と思ってしまいます。ちなみに賀陽宮家と久爾宮は同じ宮家、あの幕末史に名を残す中川宮が、いろいろあって東京には行かれず京都に留まり、賀陽宮家、久爾宮へと家号が変わったのです。少々ややこしいですよね(笑)
賀陽宮本邸
公家屋敷の遺構探しの旅 その(二)の最後は嵐山法輪寺です。
明治維新で公家屋敷の多くは解体されるか一部は移築されました。京都ですと、当時番組学校といわれた小学校の校舎や講堂にけっこう転用されました。伏見の伏見稲荷にもその遺構があり、今回の法輪寺の場合は公家の橋本家の玄関及び書院が移築されています。現在の地に落ち着くまではやはり小学校の校舎に使われていました。どういう経緯でまた法輪寺に移築されたかはわかりません。
それを聞こうと思って一度お寺に尋ねたことがあります。ちょうど住職さんが不在で要領を得ず、若い坊さんがキョトンとしていたのが思い出されます。何と思ったんでしょうかね(笑)。それにしても法輪寺から眺める嵐山一帯及び京都のパノラマは素晴らしいの一言ですね。最後にその写真を添えます。
法輪寺玄関
これは書院かなぁ・・・・
法輪寺書院?
素晴らしい眺めです。大文字山も見えます!
法輪寺パノラマ











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