3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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平等院鳳凰堂を模した鳥羽離宮-勝光明院について

まず、前回の訂正です。
鳥羽法皇が宇治の平等院鳳凰堂を模して建立された勝金剛院と・・・書きましたが同院の正しい寺院名は勝光明院でした。間違えてすみません。
さて、以前、鳥羽離宮は五つのブロックから構成されていると書きましたが、今回の勝光明院は鳥羽法皇の二番目に建立された御堂で御所である北殿の東にありました。保延二年(1136年)のことです。ちなみに同離宮の内、最初に建てられた証金剛院(白河法皇の発願)を除いて残る四院はすべて鳥羽法皇の建立でした。

当時、同勝光明院が平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)を模して建てられたのも、それだけ当時から華やかで平安時代の仏教建築を代表する一つとして評判を呼んだんでしょうね。

その勝光明院ですが、どうやって3Dで作ろうかと思案中です。やっぱり、鳥羽離宮からは、この勝光明院、そして同離宮の中心的な御所であった南殿、後、多宝塔や三重塔などは作らないと離宮の概容が表現できないよなぁ・・・と。
でも鳳凰堂って、とても複雑な建築なんですね。もう軒の斗栱(組物)や垂木、妻飾、木鼻、後、高欄など細部まで丁寧に作ったら一ヶ月じゃできないですねぇ・・・。そこを、いかに時間を短縮して見栄えも良くするか?それを考えつくまでに一週間はかかるかも・・・です。まぁ迷案?を出して作ってみます。

ということで、今回は勝光明院と言うよりも規範になった平等院鳳凰堂について前触れしておきたいと思います。
まずは平等院鳳凰堂の写真から。
平等院鳳凰堂写真
ちょっと傾いていますかねぇ?真っ直ぐ撮ったつもりでも平衡感覚がないのかな? 
それにしても幾多の天災や戦乱を潜り抜け、よくぞ残ってくれたと思います。鳳凰堂がある御蔭で日本の建築史にどれだけの貢献をしたことでしょう!
平等院の記事については、多くを杉山信三先生の著書「院家建築の研究」から引用させて頂きました。

鳳凰堂は藤原頼通により天喜元年(1053年)建立されました。
建立以前から宇治の地には親である道長の別業がありました。道長の没後、頼通がそれを寺に造り変えました。当初、本堂といわれた御所兼御堂に頼通は晩年のほとんどを過ごしました。本堂には宇治川に架かる釣殿もありましたから、院家建築といわれるお寺と寝殿造をセットにした建造物だったんですね。頼通は80歳まで生き、当時としては、とても長命だったんですよ。晩年は様々な病に苦しみましたけど。

頼通を通じて阿弥陀堂(いわゆる鳳凰堂)、法華堂、多宝塔、五大堂、不動堂、さらに子院群や御所である小松殿、富家殿など、多くの建物が建立されました。保元の乱で敗死した頼長もこの小松殿によく逗留したようです。小松殿の寝殿指図も杉山信三先生の著書「院家建築の研究」に載っています。富家殿には白河法皇の行幸も幾度かありました。また、頼長の家族や父・忠実が保元の乱のとき、一時、身を寄せていたこともあります。

それでは建立当初の平等院の想像図を掲載します。
引用元は2000年に開創950年を記念して開催された「国宝・平等院展」の展示解説本です。一般書店には流通されてないと思います。管理人も古本屋さんから購入しました。
その本の表紙はこんな感じです。
平等院展冊子
この冊子に復原想像図が載っています。ちょっとサイズが大きいので左右に分けて表示します。

まず鳳凰堂のある左部分から。クリックすると拡大します。
平等院伽藍図左

そして間を挟んで、各建築群の名称を番号順に記載した建築物一覧表を載せます。
平等院各伽藍名称一覧
とにかく、番号を振らないと整理がつかないというほどの規模です。さすが藤原摂関家の全盛時のお寺です。

次に右の部分。まるで屏風を切り分けたようですね。
平等院伽藍図右
さぁ、番号に従って往時の平等院を回遊してください。  
 
後、平等院のその後を少し。保元の乱以降、平等院もあまり使われなくなり除々に寂れてゆきました。でも保元の乱の少し後、後白河天皇の行幸があり、この時はさすがに大掛かりな修理を加えたようです。でも、その後は藤原氏の「氏の長者は平等院の御所を使わない」ということに何故かなり、藤原定家の明月記には、元久二年(1205年)に宇治の御所群が焼失したことが記載されています。

そして現代に残るは鳳凰堂のみ・・・ということです。

これは余談ですが、歌人として有名な定家の住んだ家の指図というものがあるので、また機会があれば3D復元とかしてみたいと思っています。

以上、平等院の前触れです。

さぁ、鳥羽離宮-勝光明院の3Dに取り掛かろう!

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コメント

こんにちは 

梅のコージ様は斎藤氏ですか~ 斎藤道三で有名な美濃斎藤氏も実盛から繋がっている、という説もありますね。しかしあの木曽義仲と勇猛に戦った斎藤実盛公のご子孫とは驚きました。

>効果はいかに?

効果はそこそこと思いますが、ブログやこういった物は宣伝力とともに忍耐力持続力が物を言いますし大切な事だと思います。

さて

>当時、同勝光明院が平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)を模して建てられたのも、それだけ当時から華やかで平
>安時代の仏教建築を代表する一つとして評判を呼んだんでしょうね。

これはその通りでしょうが、同時に鳥羽天皇の対抗意識もあったのは確かでしょうね。平等院の壮麗さというのはまさに藤原氏の象徴、鳥羽離宮こそが一番素晴しい建物群であるべきだという意識はあったと思いますね。

ちなみに『太平記』巻三には六波羅探題の兵により後醍醐天皇を平等院に遷した記述や、巻十四では宇治の戦いで大楠公が放った火で平等院が悉く焼けた事が記述されております。恐らくこれが平等院の終焉の記述かと思います。現在は鳳凰堂及び鎌倉時代に建立された観音堂が古い建物と言えます。

それと梅のコージさんがアップしている写真はデジカメですよね? デジカメならフィルム代は掛からないので一ヶ所のアングルで複数枚撮影した方が良いでしょう。私の場合もデジカメにクセがあるので、水平と右傾き・左傾きで平均5~6枚撮影しています。

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2017年5月8日更新

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