3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

Entries

お宅にも程がある!? その(三)

お宅にも程がある・・・その三で終わる予定でしたが残る未掲載の公家を数えたら13家ほどあったのでその(四)までいきます。それまでよろしくお付き合いくださいませ(笑)。

さて、その(三)の冒頭を飾るのは、山科家です。同家は明治維新で多くの公家が東京へ移っていたあとも、冷泉家とともに京都に残った数少ない公家です。(諸般の事情によりその後京都に戻った公家は三十数家あるそうです)。

同家は、羽林家の家格を有する公家で藤原北家四条流。家名は家領があった京都山科荘に由来する。現在の山科区ですね 家業は装束・衣紋で江戸時代には高倉家(藪家)とともに装束色目を担当しました。江戸時代の家禄は300石です。中流公家ですね。

山科家といえば戦国時代に活躍した言継(ときつぐ)が知られています。言継の残した日記「言継卿記」は
戦国時代の京都を中心とする畿内の情勢を知る上で必要不可欠な一級史料として知られています。また同家は代々内蔵頭を輩出して朝廷財政を担ってきた側面がありまして、日記のなかでも、70過ぎの老躯に鞭打ち、信長のいる安土城に下向、御所の諸儀式の費用の工面を督促したりしてます。信長も言継卿には一目おいていたようです。言継卿は医道にも優れ、町娘が目の病に罹ると必死になった助けてあげるなど、庶民的な側面もあって、何かとエピソードに尽きない御仁です。戦国の京を舞台にした老公家と町衆の触れ合い・・・そんな筋書きで時代物がドラマ化できると思うのですが、テレビ局の方、どなたかやってみませんかね?

では山科家の不動産紹介に写ります。
山科家1
敷地は548坪ありますね。ほぼ標準といったところですか。内、本宅は220坪。後、物置や供待の小屋や井戸その他で23坪、物見も10坪ほどありますね。何を見ていたんでしょう?そうそう山科家の位置は、冷泉家の直ぐ右隣。現在唯一残る公家屋敷ですよね。ですから御所の北、同志社大学に飲み込まれている感じです。家屋敷の規模ともに冷泉家とほとんど同規模です。南向きですから間取りも多分よう似てるでしょうね。実際、前に冷泉家の家屋敷を3Dで製作したとき総建坪は260坪ほどでしたから瓜二つかもです。
二枚目ゆきます。
山科家2
総建坪267坪。ドンピシャリ!冷泉家とまったく一緒です。関係ないですけど、家令の長瀬さん、署名の字がちょっと真っ直ぐじゃないですよね。すんません余分な事いって、でも親しみ感じますね。

次に姉小路家です。姉小路家といえば、幕末、暗殺された公知(きんとも)で有名ですよね。暗殺された御所の北東角・猿が辻も知られています。同家の屋敷は道を隔てた御所の東側、猿が辻と目と鼻の先です。
ちょっと解説しますと、天保10年(1839年)、公卿姉小路公前の子息として生まれる。安政5年(1858年)、日米修好通商条約に反対し、廷臣八十八卿の指導者として活動しました。文久2年(1862年)9月、右近衛権少将となり、幕府への攘夷督促の副使として、正使三条実美とともに江戸に向かい、勝海舟と共に江戸湾岸の視察などを行う。のちに国事参政となり、三条とともに攘夷派の先鋒となったが、文久3年(1863年)に深夜朝議からの帰途、京都朔平門外の猿ヶ辻で刺客に襲われ自宅で卒去、享年25でした。公家としては若くてもとても気骨のある方だったようで攘夷派でありながら海舟とともに江戸沿岸の視察を行なうなど時流に柔軟性をもった優秀な公家でした。残念な人材ですね。維新後、生き残っていればきっと出世していたことでしょう。明治以後子孫は伯爵を授けられています。

さぁ、その姉小路家の不動産の紹介です。
姉小路家1
敷地が564坪、うち建屋瓦葺本宅が230坪、二階も4坪ほどあります。二枚目いきます。
姉小路家2
長屋12坪ほど、土蔵二箇所、湯殿など二箇所、雪隠六ヶ所、納屋などです。長屋がそのまま長屋門みなってる感じですね。でも御所と直接接しているいから少なくとも四脚門かも。建坪は〆て277坪。

次に舟橋家です。同家は第40代天武天皇の皇子舎人親王の子孫で清原氏の流れを汲む堂上家。船橋家とも記す。 家格は半家、極官は正二位・侍従・少納言・式部少輔で、代々天皇の侍読(家庭教師)を務める。家業は明経道です。江戸時代の家禄は400石、明治になって子爵を授かっています。ちなみに幕末の舟橋在賢(あきかた)・康賢(みちかた)父子は廷臣八十八卿列参事件に加わっています。舟橋家の不動産をご紹介したのも、実はその提出書類の文体が楷書的にとても丁寧にきちんと書いてあったから、自然とキーボードが動きました(笑)。やはり、いくら江戸時代とはいえ、公文書は楷書体で書いてほしいですね。
舟橋家1
で、さっそく中味を見ますと、敷地624坪、内、瓦葺本屋屋敷が72坪、表部屋3坪、離れ9坪、御輿部屋5坪、あと鎮守社や土蔵二箇所、後、板葺き(杮葺?ではないと思います、板厚の厚いのは本当に板葺です)の馬屋や井戸屋形、湯殿雪隠など〆て115坪。敷地の割りに家屋敷が少ないですね。半家という家格からですかね?

次に松崎家をご紹介します。今回調べた範囲内でもっとも敷地面積がせまいお家です。なんと敷地45坪です!現代人でも勝てます!なぜ、そんなに狭いんでしょう?なにかありそうです。
同家は慶応3(1867)年に、甘露寺勝長の三男万長が松崎家を創立しました。幕末、朝幕の力関係で朝廷の勢いが増し、絶えてあまりなかった公家の分家がなされました。松崎家もその恩恵を浴した訳ですけど、家禄は領地ではなく蔵米30石、現代で言うならば米1石6万円として年収180万です。少ないです!貧乏公家とは松崎家みたいな蔵米持ちの公家のことをいうんですね。ちなみに、維新で興福寺の大乗院門跡など同寺の子院の公家の子息たちが還俗して明治になって華族に列せられてますが(俗にいう奈良華族26家ほどあった)、その多くは華族の体裁を保てず後に爵位を返上する家も出てきたそうです。

そうそう、松崎家ですけど、先ほど甘露寺勝長の三男万長と書きましたが、正確には万長は堂上家の堤家の次男で孝明天皇の稚児をしていた関係から天皇の特別な思し召しにより松崎家を起こすことができたといいます。また、万長の場合、孝明天皇の密子という噂もあり、このへんのことから取り立てられたのかもしれません。ちなみに稚児から新家を創始したのは西四辻家(万寿丸)以来実に87年ぶりのことです。

では松崎家の一枚目です。
松崎家1
敷地を見るとやはり45坪とあります。これでは家来の住む場所もありません。板葺の建屋20坪。土間5坪。雪隠一坪? ホントにこれだけでしょうか? なんか哀しすぎます。堂上家ともあろう者が・・・
二枚目ゆきます。松崎家2
なんというか長屋とかわらないですね。おそらく急場しのぎで賜った屋敷だと思います。松崎家が明治以後どうなったかは寡聞に存じません。ただ奈良華族をはじめ一部の公家は東京に移っても、ホントに公家の長屋みたいな場所があった、そこに暮らしたそうです。松崎家もそうでなければいいのですが・・・

さて次に摂家の鷹司家です。同家は鎌倉時代中頃、藤原氏北家嫡流の近衛家実の四男兼平が祖。家名は平安京の鷹司小路に由来する(兼平の邸宅が鷹司室町にあった)。江戸時代、家禄1000石のち1500石。維新後、公爵になりました。

戦国時代、鷹司忠冬を最後に一度断絶しました(1546年-79年)が、後に二条晴良の子の信房が鷹司家を再興し近代まで続きました。1743年、閑院宮直仁親王の皇子である鷹司輔平が鷹司家を継承しました。江戸後期から幕末にかけて鷹司家の当主が関白を務める機会が多く、特に鷹司政通は30年余りにわたって関白を務めました。また、信房の娘の孝子が徳川家光の正室となったことから、弟である鷹司信平は、松平を名乗ることが許され、天皇に仕える公家から、徳川家の旗本へと転身した、この武家の鷹司家は、代を重ねるごとに加増され、最終的には上野吉井藩主家となりました。
鷹司家は五摂家のなかでもとくに徳川家と親しく、半面、公家側の方からはちょっと白い目で見られました。血筋的には昭和天皇の内親王が嫁ぐなど現天皇家と男系、女系の区別は別としてとても近い関係にあります。では一枚目です。
鷹司家1
敷地は4800坪。瓦葺の平屋本宅が502坪、瓦葺二階建てが78坪、土蔵など120坪。雪隠など15坪、
鷹司家2
合わせて建坪729坪。近衛家の2500坪と比べるとかなり少ないですね。五摂家のなかでも一番少ないかもです。しかも本宅もすべて瓦葺、桧皮葺や杮葺もありません。幕末ともなると維持管理費がかかって皆瓦葺に替えてしまったのですかね?

では、その(三)の最後に中院家をご紹介します。
中院家(なかのいんけ)は、大臣家の家格を有する公家。村上源氏で久我家の分家。江戸時代の家禄は500石。家紋は六つ竜胆車。華族としての家格は伯爵。

村上天皇の第7皇子具平親王の子孫で内大臣を務めた源通親(土御門通親)の五男、通方を祖として創設されました。大臣家の一つとして鎌倉時代初期にその家格を固めました。。

中院通勝は江戸時代前期にかけての公家で二条派の歌人でもあり、細川幽斎(藤孝)に学んで和歌・和学を極め、歌書等を表しました。1579年(天正7年)正三位権中納言に至る。江戸時代中期には霊元院歌壇で活躍することとなる中院通躬がでました。 通富は江戸時代末期、国事に奔走し、明治維新後、参与となる。明治17年伯爵位を授けられました。現在、中院家の邸宅跡には護王神社が鎮座しています。

この中院家ですけど、江戸期の屋敷の指図が京都大学に残っていて、管理人もそのコピー持っています。いつか3Dで中院家屋敷を再現したいと思っているのですが、今回の不動産物件とどこまで一致するか楽しみです。
中院家1
敷地は1170坪。大臣家の家格のことだけはありますね。内、本宅平屋が310坪、二階が6坪、土蔵四箇所で23坪、後、長屋7坪、納屋26坪、湯殿雪隠12坪など。
中院家2
計386総建坪です。冷泉家を一回り大きくした感じですね。

以上、「お宅にも程がある!?」(その三)編でした。


ブログランキングに参加しています。気に入ったらポチッとよろしくお願いします。





記事のコメント待ってます。とても励みになります。下のコメントバナーをクリックして下さい。

関連記事
スポンサーサイト

コメント

管理人のみ閲覧できます 

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

トラックバック

トラックバック URL
»»この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

左サイドMenu

たまに短歌

2017年5月8日更新

※ 短歌集はカテゴリー欄にあります。

タグ一覧


全記事(数)表示

全タイトルを表示

※表示しきれない記事タイトルは「前ページ」で見れます。

今日の運勢

今日の言葉

京都お役立ち情報

アンケート

ご意見・メールお寄せください

名前:
メール:
件名:
本文:

マーケット情報

プロフィール

梅村京一朗

Author:梅村京一朗
(けいいちろう)、
寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

ブロぐるめLite


写真提供 ホットペッパー.jp
Powered byリクルートWEBサービス
developed by 遊ぶブログ

右サイドメニュー

最新記事

カテゴリー

  ※ 表示しきれない記事タイトルは「前ページ」で見れます。

人気ページランキング

開始日:2016/11/6

ブログパーツ

キーワード別記事リスト

最新コメント

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索・買物に利用して下さい

人気ブログランキング

FC2カウンター