3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

Entries

お宅にも程がある!? その(二)

前回に引き続き「お宅にも程がある」編です。
今回はまず、久我家から。同家は村上源氏(中院流)の総本家にあたります。公家としては清華家、摂家に次ぐ家格ですね。江戸期700石の家禄を有し、明治以後、華族としては侯爵を授けられたました。いわば堂上源氏の名門ですね。戦国期の前など足利家と源氏の氏の長者を争ったほどです。戦前からの女優の久我美子は同家の出身のお姫様です。

久我家が明治維新までに輩出した公卿の数は35名。うち太政大臣まで昇った者7名、右大臣まで昇った者4名、内大臣まで昇った者6名を数えています。

では一枚目をアップします。
久我家1
幕末、久我家の屋敷は、御所の北西、道路を隔てて徳大寺家と接していました。文書によれば、土地は約1120坪。内、本宅は500坪、土蔵が六ヶ所もあって40坪ほど。鎮守社もありますね。
二枚目行きます。
久我家2
長屋が70坪ほど。雪隠が20坪もあります。もちろん複数で湯殿も含まれてると思います。当時は家相の関係で雪隠(トイレ)や湯殿などの水周りは本宅外に独立して建てられ渡り廊下で結ばれた場合が多いですね。使用人たちは完全な野外が多くさぞ冬は寒かったと思います。そうそう、本宅が500坪とありましたけど、現在残る冷泉家の遺構が200坪ほどですから、その倍といった感じですね。ただ冷泉家でも広間など主だった表向きの建物は杮葺になってます。久我家の場合、屋根の葺き方の表記がないのでわからないですね。昨日。紹介した一条家では本宅の1000坪すべてが瓦葺でした。うーん、なんというか一条家は財政が豊かではなかったのですかね?表向き御殿は摂家でしたら桧皮葺か最低でも杮葺でしたから。まぁそれはともかく久我家は〆て640坪の建坪。建蔽率60%超えてるかも。結構立て込んでますね。

次は橋本家。橋本といったら以前、よく現今上陛下が皇太子時代、ご学友として橋本という方がよくテレビに出ていて、美智子妃との秘話など話されていましたが、その橋本家です。

同家は、羽林家の家格を有する公家。藤原北家閑院流。西園寺分家。江戸時代の家禄は500石。明治維新後、伯爵を授けられました。家業は笛。家紋は尾長巴で、いわば中流の公家ですね。

維新時の実麗(さねあきら)の実の妹、経子(つねこ、観行院)は、仁孝天皇に典侍として仕え、14代将軍徳川家茂に降嫁した和宮の生母となりました。和宮は、仁孝天皇崩御後は、橋本家で養育されたときもあったんですよね。ですからこれからご紹介する不動産には和宮様も住んでみえたかと思うとワクワクです(笑)
橋本家1
橋本家は御所の東に道路を接してありました。敷地は739坪。内、本宅が瓦葺で179坪。二階建ての物置が13坪。土蔵三箇所で16坪。これでみると土地の広さからみても清華家より少なく、同じ羽林家の冷泉家より少し多い感じですね。

では二枚目いきます。
橋本家2
何れも瓦葺の湯殿や物置、別宅など含め〆て約200坪。建坪では冷泉家とほぼ同じですね。ちなみに、この橋本家の玄関及び書院が嵐山・法輪寺に移築されています。明治以後、一時期、小学校などに転用されたんですよ。

さて次は摂家筆頭の近衛家です。同家についてはいまさら説明する必要もありませんから即、不動産部門に話をもっていきます。
近衛家1
土地の広さは約7500坪。さすが広いですね。ここに瓦葺の平屋本宅が1500坪もあります。さらに二階建て瓦葺が119坪、物見も兼ねた?二階建ての物置66坪。杮葺の平屋が約300坪。ここが主要御殿の広間や寝殿だったんでしょうね。それにしても摂家筆頭の近衛でさえも桧皮葺ではなく杮葺とは、ちょっと驚きました。後、長屋が200坪もあります。使用人たちのお局や下男小屋が連なっていたんでしょうね。後、湯殿雪隠で40坪、門も五ヶ所もあります。馬屋も30坪もあります。
二枚目です。
近衛家2
建屋は〆て2000坪を軽く超えますね。さすがです。

四軒目は明治の元勲・三条実美を輩出した三条家です。
同家は、藤原氏北家閑院流の嫡流にあたり、公家としての家格は清華家、華族としての家格は公爵家。家業は笛と香道。家紋は唐菱花(三条花角、三条家花角とも言う)を使用。通字は『公』・『実』・『季』。転法輪三条(てんぽうりんさんじょう)家とも称します。江戸時代の家禄は469石。

明治維新までに三条家が輩出した公卿の数は39名。うち太政大臣まで昇った者が5名、左大臣まで昇った者が5名、右大臣まで昇った者が8名、内大臣まで昇った者が7名となっている。大臣家の正親町三条家と三条西家を筆頭に分流も多くあります。

これからみても、明治維新時に公家の代表として三条実美が摂家でもなく、かといって中下流公家でもなく、微妙なバランスの上に御輿として担ぎ上げられた側面を感じます。

では三条家の不動産に入ります。
三条家1
土地だけで6000坪あります。さすが維新後の太政大臣。江戸期ならこんな広い土地は摂家だけでしたが、維新の元勲ということで広大な土地を拝領されたんですね。こんな面からも維新の論功行賞の片鱗が伺えます。一方、家屋敷は平屋瓦葺の本宅が320坪、離れが20坪、その他門五ヶ所、土蔵三箇所などありますが、土地の広さに比べ屋敷が狭いですね。急場で広い土地を拝領したけど、屋敷が焼失かなにかで少なかったんですね。ここも多分に大名の江戸藩邸跡の匂いを感じます。
では二枚目です。
三条家2
二枚目で見ると、やはりというか長屋だけで200坪。後、二階建屋もあり武家屋敷の拝領の線、濃厚ですね。空き地は5200坪もあります。俄か成金じゃないですけど、ちょっと、持て余し気味ですね。しかも、東京への遷都は内々で三条実美も知っていたことでしょうし、あんまり家には金かけてない感じですね(笑)。

以上、お宅にも程がある!? その(二)編でした。

ブログランキングに参加しています。気に入ったらポチッとよろしくお願いします。





記事のコメント待ってます。とても励みになります。下のコメントバナーをクリックして下さい。

関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

トラックバック

トラックバック URL
»»この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめteみた.【お宅にも程がある!? その(二)】

前回に引き続き「お宅にも程がある」編です。今回はまず、

左サイドMenu

たまに短歌

2017年5月8日更新

※ 短歌集はカテゴリー欄にあります。

タグ一覧


全記事(数)表示

全タイトルを表示

※表示しきれない記事タイトルは「前ページ」で見れます。

今日の運勢

今日の言葉

京都お役立ち情報

アンケート

ご意見・メールお寄せください

名前:
メール:
件名:
本文:

マーケット情報

プロフィール

梅村京一朗

Author:梅村京一朗
(けいいちろう)、
寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

ブロぐるめLite


写真提供 ホットペッパー.jp
Powered byリクルートWEBサービス
developed by 遊ぶブログ

右サイドメニュー

最新記事

カテゴリー

  ※ 表示しきれない記事タイトルは「前ページ」で見れます。

人気ページランキング

開始日:2016/11/6

ブログパーツ

キーワード別記事リスト

最新コメント

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索・買物に利用して下さい

人気ブログランキング

FC2カウンター