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聚楽第・伏見城の遺構を探す旅 その(二) 果たして飛雲閣は聚楽第からの移築か!?

世に聚楽第の遺構といわれる建築物は幾つかあると思います。中には、それはないでしょう?というものもありますが、今回はある意味異色の楼閣・飛雲閣を取り上げてみたいと思います。

まずは普段は非公開で見学できない飛雲閣について管理人の持っている資料の範囲内でご紹介しますね。最初に飛雲閣のある西本願寺の境内図から。これは同本願寺の公式HPに載っている案内図です。
西本願寺境内図
この図で見ると左下の庭園・滴翠園のなかのまた左下に、まるでひっそり存在を隠すかのように佇んでいます。飛雲閣の正式な玄関は小舟で入る舟入之間ですから、図中上の百華園の池の方がはるかに広いですから、そちらにある方が舟で訪れるには醍醐味があっていいと思うのですが、聚楽第からの移築という言い伝えもひょっとして関係してるかもですね・・・・では、その飛雲閣を北から見た最もポピュラーな写真を一枚。
飛雲閣全体図
二階、歌仙の間の三十六歌仙像を描いた杉戸絵が見えますね。近年、修復されたものですから鮮やかです。一見、御簾に見えるのも実は絵に描いたもの。大胆で斬新なデザインですね。次に昭和41年に京都府教育委員会から刊行された「国宝本願寺飛雲閣修理工事報告書」から全体の立面図(北側)と一階の間取り図をアップします。飛雲閣の間取りについてはほとんど見たことがない方が多いと思うので参考になると思います。
飛雲閣北立面図
まずは正面の立面図。曲線を帯びた唐破風の屋根のあるところが正式玄関の舟入之間です。
飛雲閣一階間取り図
一階間取り図です。船で入って石段を上がったところが舟入之間。写真もあります。なお舟入之間も含め一部写真については本願寺出版社「飛雲閣ものがたり」(写真・荒木経惟)から掲載させて頂いています。
舟入の間
そして「飛雲閣ものがたり」の表紙です。
飛雲閣ものがたり表紙
舟入之間の隣が八景の間。資料によれば中国湖南省洞庭湖近辺の四季の景勝・八景を水墨画で流れるように襖に描かれた部屋です。間取り図の上にある茶室・憶昔(いくじゃくと読みます)は江戸中期の増築だそうです。
茶室憶昔
茶室・憶昔の写真です。次に八景の間を過ぎて飛雲閣の主殿にあたる招賢殿があります。下段・上段、さらに上々段の間まであります。上々段には誰が座るのでしょう?下段からは見えない位置、よほど高貴な方かも。もし、秀吉の聚楽第にあったとするならば、後陽成天皇の聚楽第行幸時、ここに御座されたかもしれません。
招賢殿
この招賢殿(他の部屋もそうですが)の鴨居及び長押(鴨居の上の横木のこと)の上の小壁(鴨居から天井までの壁)を見ると白い漆喰になってます。この小壁に二条城二の丸にみるような壁から天井まで一面に紺碧障壁画で飾られるようになったのは、慶長10年(1605年)、徳川二代目将軍の秀忠が将軍宣下を行った時の伏見城新造の御殿からではないかと思っています。ですから飛雲閣の白い漆喰の小壁を見ると、少なくとも慶長10年以前、秀吉の時代まで遡ることは十分ありえる話だと思います。二階の歌仙之間に上がると、さらにその感は深まります。
三十六歌仙の間
この歌仙之間の絵も近年修復されています。あまりにも古く黒く煤けたためですがそれだけ古いということですね。歌仙之間も同じく小壁は無地。天井は格天井で格子には黒漆と金工細工が施されています。雰囲気的にはちょっと信長の安土城内部を想起させる面があります。

くどいようですが、襖の中だけでは描ききれず松の大振りの枝が小壁まではみ出して天井にまで及ぶかという狩野派の障壁画の様式は徳川将軍の権威を諸大名に示すため、あの雄渾な絵柄になったものと思います。ですから秀吉の時代、小壁はあくまで壁、金箔張りの絵を描くキャンパスとは捉えていなかった・・・のではと思うのです。されにそこには関白という朝廷の臣下かから来る、御所を規範とした住宅の様式があったと思います。もし、豊臣秀頼が生まれてなくて、すんなりと家康に権力が移行していたら、今日いうところの絢爛豪華な「安土桃山文化」はもうちょっと地味になっていたかも・・・です。

さて、飛雲閣の三階に上がります。ここは八畳一間の「摘星楼」と呼ばれる展望部屋です。部屋のネーミングが何ともいえないロマンチックですよね。”星を摘む”なんて。誰が名づけたんだろう?よほど、風流な人ですよね。あぁ!もし、秀吉だったら?どうですかね?
三階摘星楼
床の間一面に金箔が張ってあります。

資料によれば、聚楽第には天守に秀吉の側室が住んでいたと言います。当時の訪問した大名や客人の日記に残されています。ただ、その天守が後にみるような五層の天守なのか、御殿に望楼を載せた、ちょうど飛雲閣みたいな二層以上の楼閣建築なのかは、いまだ文献上はっきりしません。しかし、この飛雲閣を見ていると、後世の増改築はあるにせよ秀吉時代の面影をそこはかとなく感じます。自分的には聚楽第からの移築だと思います。多分に願望もあるかもしれませんが・・・。

以上ざっと飛雲閣を案内してきました。せっかくですから付属屋も紹介します。
黄鶴台(浴室)
黄鶴台と言って飛雲閣から渡り廊下で繋がっています。普段、客人をもてなすときは舟入の間から舟で入ります。ここは浴室、蒸し風呂、今でいうサウナですね。
浴室(黄鶴台)
室内の様子です。豪華な蒸し風呂ですね。この室内写真は「飛雲閣ものがたり」から掲載させて頂きました。

最後に西本願寺に聚楽第の遺構では?と言われている他の建物をサラっと紹介します。参考にした案内図及び玄関等の写真は、世界文化社刊「家庭画報 西本願寺 荘厳の美」から一部掲載させて頂きました。まずは案内図から。
西本願寺玄関及び浪の間
この図のなかの玄関、浪の間、虎の間と呼ばれる部屋がその遺構だと伝わります。また異説では伏見城の遺構とも・・・。西本願寺玄関
玄関です。二条城二の丸御殿の妻飾りに似てますね。聚楽第の遺構はちょっと無理があるかも・・です。
次に、虎の間です。近年、修復されています。
虎之間
西本願寺そのものは元和3年(1617年)に火災にあっています。そのとき多くの建物が焼失したと言われており、その中で聚楽第の遺構となると可能性はかなり落ちてきます。しかし、飛雲閣については位置的なことも含め焼け残った可能性があると思います。以上、聚楽第の遺構を巡る飛雲閣編でした。

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