3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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聚楽第・伏見城の遺構を探す旅 その(一) 聚楽第編

今現在、合間をみて再び二条の天守閣の3D製作にチャレンジ、今度は天守閣だけでなく本丸全体を再現しようと思って頑張ってます。完成したら、また東寺の塔から眺めてみたいです(笑)。そうそう二の丸の方は現存しさんざん紹介されているので今回は割愛。それと今、三つのちょっとしたシリーズ物を3D製作の合間に書こうと考えています。一つは今回の「聚楽第伏見城の遺構を探す旅」、数回に分ける予定です。も一つは京都の門跡寺院を尋ねる旅、仮題「もし門跡寺院がなかったら・・・京都・雅の源泉を尋ねて」。題名長いですかね?でも本当、みなさん、京都に門跡寺院がなかった場合を想定してみたことあります?もし、なかったら、あの京都独自の雅な雰囲気は今ほどは醸し出されていなかったかも・・・です。門跡寺院の院主は親王か内親王、または五摂家の子息が継いでいました。江戸時代、広い意味で京都の宮廷社会を支えていた藩屏ともいえる存在でした。後のもう一つのシリーズは、これは京都と全然関係ないんですが、管理人自身の若き頃のヨーロッパ、中東、西南アジア、インド、ネパール、中国を一人旅したときの思い出の記です。家族に今のうちに書けといわれたので、恥をしのんで書いてみようと思っています。まんだ初回いつになるか未定ですから、あんまりご期待はなさらずとも結構です(笑)・・・・でも、青春の頃の放浪の記憶は今でも我が人生において「心の財産」となっております。
さて前置きが長くなってしまいました。シリーズ「聚楽第伏見城の遺構を探す旅」の第一回いきます。聚楽第の遺構といっても明確に証明されているものはほとんどありません。あの秀次に切腹を申し渡した後、秀吉が徹底的に破却を命じたのですから無理もありません。そうしたなかで大徳寺方丈前庭にある唐門(国宝)が唯一聚楽第の遺構であると証明できるようです。同門は切妻造、桧皮葺の豪華な四脚門で、細部に渡って観賞すれば一日では足らないとして「日暮門(ひぐらしもん)」とも呼ばれるそうです。元々聚楽第の遺構と伝えられてきましたが、最近の調査で屋根裏の棟札が確認されたことにより聚楽第遺構が事実であることが証明されたとのこと。それによると、慶長八年(1603)に越後村上主・村上頼勝が、旧聚楽第にあった門を拝領して大徳寺に寄進したの「だそうです。ではその唐門から。
大徳寺唐門
う~ん豪華ですね。流石に日暮はともかく30分は楽勝で鑑賞できますね。西本願寺や二条の唐門より古い訳ですから、ある意味先駆的な装飾だったかもです。同寺には方丈なども聚楽第遺構の伝承がありますがさすがにそれは・・・という感じですね。
次にご紹介するのは山口県萩市の長栄山常念寺です。同寺は浄土宗の寺院で天文元年(1532)の創建と伝えられています。表門はもと京都聚楽第の裏門であったと伝承されています。毛利輝元が豊臣秀吉から与えられ、伏見の毛利邸に移築したものを、さらに輝元が萩築城前に当寺を宿所にした縁によって、寛永10年(1633)常念寺の表門として移築寄進したものである、とのこと。まずは写真から。
常念寺表門
門の形式は和様四脚門で両袖に潜戸がついています。屋根は切妻造り本瓦葺きで、桁行3.66m、梁間3.12mあり、規模的にはあまり大きくはないですが木割は太く流石に城郭門の雰囲気を残しています。また特に木鼻や板蟇股の刳形の力強さ、外にはみ出した桐・牡丹の蟇股彫刻の豪放さはよく桃山時代の特色を伝えているとのことだそうです。
再び京都に戻って、これまた聚楽第の遺構と伝える妙覚寺の大門を紹介します。ここはしだれ桜で有名でもあります。同寺は堀川通から上御霊前通を東に200mほど歩いたところ。左手に妙覚寺の大きな門が目に入ります。このいかにも城郭の門らしいゴツイのが大門です。妙覚寺はすぐ近くにある妙顕寺や西陣の立本寺とともに三具足山の一つ、北竜華と称する京都の日蓮宗の名刹とされ、かつて洛中の二条通衣棚にあった頃は、本能寺と共に織田信長の上洛時の宿所とされていたとのこと。戦国時代、京都は商人や町衆の間で日蓮宗がとても信仰を集めていたんですね。他宗からは恐れられ、天文法華の乱では京洛の21ケ寺が焼き払われてしまいました。でも、すぐに再び再建し、江戸期も隆盛しました。それにしても、日蓮宗のお寺って五重塔が多いですよね。江戸期も天明の大火では日蓮宗系の寺院の塔が幾つも焼失しています。さて現在地に移転したのは豊臣秀吉の命によるもので、天明の大火後に、現在の伽藍が再建されました。なお同大門は左右に潜り門を配した寺院には珍しい武家風の大型の薬医門となっており、寺伝によれば、聚楽第の裏門を移したものと伝えています。よく見ると、梁の上に伏兵を配置できる場所もあるんだそうです。では写真をどうぞ。
妙覚寺大門
次に紹介するのは、妙心寺の塔頭の一つ蟠桃院。普段は非公開でお寺の玄関部分が聚楽第の遺構を伝えたものだと言われています。非公開ですので残念ながら玄関の写真はありません。同寺は慶長6年(1601)、前田玄以が妙心寺79世一宙東黙を開山として創建しました。また、一宙の後を嗣いだ雲居希膺に帰依した伊達政宗が壇越となった事で伊達家の香華寺にもなりました。玄関ではないですが表門の雰囲気だけでもどうぞ。
蟠桃院
最後はこれは聚楽第ではなく京都東山の阿弥陀ヶ峰に営まれていた豊国廟の正門(極楽門)だったといわれる秀吉を祀った豊国廟の遺構である極楽門を紹介します。と書きながら念のため調べました。そしたら何と、近年の調査では、秀吉が建てた大坂城の極楽橋を移築したことが分かり、秀吉時代の大坂城の唯一の遺構として注目されていて、唐門を入り観音堂内部にはいると、天井絵にも建造当時の豪華さを感じることができます、とのこと。が~ん・・・です。秀吉の大阪城の遺構が残っていたとは・・・別の意味で感動ものです(笑)。そうそう遺構のある場所ですが、滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島です。同竹生島は神仏が一体化した思想の中で発展してきました。 江戸期は、「弁天堂」「観音堂」「都久夫須麻神社」などの塔頭を総称して宝厳寺といわれてきましたが、明治時代の神仏分離令により、今は「宝厳寺」「都久夫須麻神社」に分かれ、今回の唐門があるのは宝厳寺の方です。宝厳寺の本尊は弁才天で、江ノ島、厳島とともに三弁才天と呼ばれています。この弁才天は8世紀前半に行基が聖武天皇の勅命で彫刻し、堂宇を建立したといわれています。一方、都久夫須麻神社の方には伏見城の遺構があるというのですから、ちょっとややこしいです。
竹生島(ちくぶしま)自体は、長浜市の湖岸から約6キロメートルにあり、周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルの琵琶湖上で沖の島に次ぐ2番目に大きな島です。島の名前は「神の斎く(いつく)住居(すまい)」を意味し、その中の「つくすまい」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」になりました。
また、「竹生島」という漢字は、竹が生えているからという説や、島の形が雅楽などで使われる楽器の笙に似ていることから付けられたという説などがあります。
神の住む島といわれ信仰の対象として、また美しい島は琵琶湖八景のひとつとして、昔から多くの人に親しまれてきました。では写真をどうぞ。
豊国廟極楽門の遺構


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2017年5月8日更新

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