3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

Entries

お公家さん憧れの「殿上の間」と小話

清涼殿の南に孫廂のように突き出た南廂、いわゆる「殿上の間」が完成しました。
同殿は一見何の変哲もない地味な板敷きの間ですが、ここに昇ることができるかできないかで殿上人、つまり公家になれるかなれないかの証しの場なのです。昇ることができれば晴れて堂上公家の仲間入り。その意味で公家にとっては昇段試験の場。

ここは、清涼殿の南の一角。即ち、昇るといっても、御所内のどこの御殿へ昇ってもOKではなく、あくまで清涼殿の殿舎に昇ることが公家の証明。そういう場です。

殿上間では、大臣、大納言、中納言、参議等による公卿会議が行われました。昇殿できるのは従五位以上及び六位の蔵人で、蔵人が六位の地下官人でありながら昇段できたのは現在で言う書記官的役割で職務柄、例外的に昇れたのです。蔵人でも親子3代に渡って蔵人を務めると公家になる資格ができました。実際に公家に昇進した家も幾つかあります。

という訳で、その殿上の間の3DCGをご披露する訳ですが、史料等探しているうちに改めて京都御所の明治以後、とくに昭和に入って平成の現在までの御所の変遷が気になりました。

以前、京都御所の移り変わりの記事ですでに御所の変遷を書いていますが、今回、もう一枚の変遷図を見たので、

① 戦前の建物疎開による撤去前の京都御所の平面図。

② 上記の撤去後の姿

③ そして、御所の渡り廊下を主とした復原工事が完成した昭和53年。現在の御所の姿。

以上の三図を載せどのように変化しているのか見比べてみたいと思います。

出典は、藤岡通夫博士の書かれた名著「京都御所」(中央公論美術出版刊、昭和62年版)です。
同書はなかなか手に入らない希少本ですが、それだけ内容は充実しています。

では、①から順番に、
京都御所戦災撤去前図

京都御所の戦前の撤去前の姿。黒い網目の建物が撤去対象です。わかりにくいですか?。
撤去は戦火による類焼を防ぐ目的がありました。
撤去前は御台所や武家、公家の詰所、宿直の部屋、非蔵人や地下官人の詰所兼仕事場、番所、女孺(にょじゅ)の長局等の実務、裏方の建物がびっしりと建っていました。能舞台もあったんですね。現在、御所を参観した折に御学問所の横を通って最後に広い場所に出ますが、そこがかつて撤去前の建物があったところです。

ちなみに、女孺とは、後宮において内侍司(ないしのつかさ)に属し、掃除や照明をともすなどの生活雑事に従事した下級女官のことをいいます。

そして②の平面図、

撤去後の京都御所

戦前の実際の撤去後の京都御所。ぐっと建物が減ってますね。特に渡り廊下など撤去され御殿が単立で繋がっていませんよね。戦争時の時局とは言え、もうかなり寂しい姿です。このときは撤去というよりも「建物疎開」と言われました。ということは、バラバラにした建物の部材がどこかに残されているということでしょうか?もし、残されているなら何れは再建?どうなんですかね。

そして③の現在の姿、
一部復原・現在の京都御所

一部復原した現在の京都御所です。主として渡り廊下を復原しています。写真等で見る限り残っている部材の再利用というよりも新築ですね。まだまだ、撤去したままで復原されていない建物も多く今後のさらなる復原を望んでいます。

意外と、たとえば女孺の長局とか現在全国どこにも残っていません。こういう生活に密着した建物が残されていたなら当時の暮らしの文化とか知る上でとても参考になると思うのすが・・・。何も表ばかりでなく裏方も知りたいのですよ。御所の建物図面は残されていると思うので、今後も逐次復原していってほしいと思ってます。

さて、御所の変遷も見たし、さぁ、殿上の間に移るか。

で、まず、御所のどこ?と思われる方も多いと思いますので位置図を載せます。
清涼殿南廂作成図
清涼殿南廂の「殿上の間」位置図。赤く囲ったところが今回制作した「殿上の間」。

えぇっ?これっぱか? と、思われるかも知れませんが、ここも、実は簡単にできるだろう、と気楽に考えていたらそうではなかった・・・・。やっぱり寸法がわからない、平面図はあっても立面図がない・・・。で、写真や他の図を引っ張ってきて何とか作りました。ですから100%正確ではありません。雰囲気はそれなりに出していると思います。

後、青や橙の囲み線がありますが、これは今後の3D化予定の建物。橙色は撤去された鍵の手渡廊の再現です。

さらに清涼殿内での位置を示す図。
殿上間と小板敷図

清涼殿の殿上間位置図。南廂です。
同図は国立国会図書館デジタルコレクション の「 京都御所略解」から引用したものです。あくまで平面図ですが、間取りだけでなく実際に使ったり置かれていた家具調度品も記載されてあって参考になります。ただし、寸法的には手書きのせいもあって無茶苦茶です。殿上間にもいろいろ置いてますよね。

前回の記事CGではまだ殿上間は載っていなかったのでその比較3Dも載せますね。
殿上間作成前
殿上間(南廂)の作成前。年中行事障子がポツンと一つ背後に建物もなく風に晒され状態です。

それが、
殿上間作成後
殿上間の作成後。

どうです? 廂一つとはいえ雰囲気が違うでしょう? それらしくなった感じです。

この殿上間のある南廂、冒頭でも書きましたが廂からさらに孫廂があるみたいに突き出てます。
上から見るとわかるので上空写真を一枚。

南廂を上から見る
南廂を上から見る。

どうです?突き出ているでしょう。屋根は実際はもっと細部が複雑ですが簡略化しました。
清涼殿は北廂もちょっと変形タイプ。ここも作らないと小御所等に続く渡り廊下が制作できないから頑張らねば。

さて、いきなり殿上間の内部。
家具もありません。板敷きでガラ~ンとしてます。
殿上間内部

左は壁がありません。知りませんでした。他の写真を見てようやくわかりました。ただし、蔀や引き戸のような何らかの建具が付いていると思うのですがわかりません。参観コースからも外れてますし。
ここが公家さん憧れの殿上間? と訝しむほど簡素な室内ですね。
右奥になんか窓のようなもの?木札?もありますね。ズームしてみましょう。

櫛窓と日給簡

おぉっ! 柱を挟んで櫛窓だぁ。左は?
これは日給の簡と言われるもの。そこに出勤する公家・殿上人の名が三段に書かれ、宿直等当番の者は出勤すると自分の名前の下に紙を貼り付けるシステム。さしずめ出勤簿、タイムカード?といったところか。
右の櫛窓は背後の母屋や西廂の鬼の間から殿上間が透けて見えるようになっている。覗き窓か、監視窓?用途は今一よくわかりません。とにかく寛政の内裏復古時に平安の昔にはこんな窓があったとの故実から作ったようです。実際の用はなかったかも。第一、江戸時代、普段、清涼殿には誰も住んでいなかったのですから。まぁ、素敵な公達が昇殿すれば女房衆が覗きにきたかも。
そうそう、そう考えると、これは源氏物語の世界ですよ!違うかな?。

もう一枚、南の壁がない方から見た殿上間。
清涼殿南廂を南から見る
清涼殿南廂を南から見る。

ここから建物内を見るというよりも、軒下をみてください。一応、左の段上の板敷きが沓脱、右は小板敷というもの。
世の中上手くできたもので、殿上人でなくても、許された者に限って上り口であるこの小板敷きまでは昇ることが許されたそう。名称はそのままズバリ「半昇殿」。なんか面白いですね 笑。ただし、現物を見たことがないので実際はどういう作りかわかりません。ここにはこういう物があるよ、という意味で付け加えました。参考までです。

後、西端の方に立蔀があります。CGにも載っていますが、これは西廂から木段を降りる女官の姿が見えないようにするための姿隠し。だと、思う。実際の形状もわからない。ただ、脇障子も含めてだいたいこのような形なのでこうしました。黒漆もしてないかもです。これも雰囲気作りの一環。

さて、ここで公家さんの出勤簿のエピソードが出てきたので、他にも幾つか当時の暮らしぶり、出勤風景とか小話を添えたいと思います。

小話のネタ本は、「幕末の宮廷:東洋文庫版」。著者というか口述者は下橋敬長という人。幕末の孝明天皇のころ、摂家の一条家に仕えた地下官人で、当時の朝廷や公家のありとあらゆるものに通じた博覧強記の人です。この本を読めば、御所・公家の世界がよくわかります。朝廷・公家好きな人には超おススメの本です。
その中から、少しとりあげます。


出勤といえば、お公家さんの場合、
上位クラスの大臣、納言、参議の場合は毎月朔日。十五日に御礼の参内、後は公事があったときぐらいが仕事で後は自由。一般公家の場合だと勤番が月に数回あります。宿直や警護など。ただ、関白や武家伝奏・議奏などの役職はほぼ毎日出勤。とくに関白は忙しい。基本、午前10時に出仕、午後3時までの勤務。ただ、すべての用向きが集まってきたり、急を要するときとか、時間外もけっこうある。今も残る八景の間が関白の詰所で幕末など深夜におよんだので?。

収入面でいうと、関白の役料が年500石、氏の長者手当というのがあってこれも500石、計1000石でかなりな実入り。

下橋敬長の仕えた一条家の場合、基本所領石高は2044石。不作のときは三分の二ほどの石高に減ったとか。。ただ、表高とは別に大名との縁戚等によるお手伝いという寄付金や子女を入れた寺院からのお手伝い金、たとえば、毎年、紀州徳川家から千石、水戸徳川家から千石、肥後・備前からも各千石、その他大名からもお手伝い金の実入りがあって、表高より遥かに多い収入があったそうです。そうか、だから、家臣も多く従え摂家の体面を保てた訳か。合点です。でも、これだと幕府にあまり物申すことは出来ないのでは?親幕府よりになるのでは?・・・と、心配にもなる。近衛家が親幕府というよりも薩摩など尊皇派寄りだったのも、同家の領地がとても豊かな地で(有名な酒蔵とか)実収入が1万石を越えていたと言われていますから、金銭的弱みを握られることもなく薩摩を支援できた面もあったと思います。

それにしても摂家と一般公家の格差が違い過ぎる!
岩倉具視など反骨精神はこの辺にあったかも。

ちなみに、維新後、御所は荒れるに任せ、桑畑にする話もあったそうです。
それを止めたのが岩倉具視で、彼は西欧一辺倒な明治政府とは違った、公家が古来より形式だけでも引き継いできた中央集権の律令体制の復活を内心目指していたと思います。
彼はもう一度、維新の立役者として見直す必要があるような気が最近してます。

そうそう、幕藩体制で外様大名もけっこういましたが、公家の世界にも外様がいて、御所にも外様の公家のための詰所がありました。

後は、朝廷といえば年中行事が多いですが、年始などほぼ一か月間様々な行事・参賀があったそうです。たとえば、「退職した女官のための参賀」とか。一般庶民でも年始の19日には参観が許され一日中御所にいてもよかったとか。参観する場合は上だけ裃で袴の着用は無用だったそうです。裃も貸してくれました。幅広く庶民も参賀に参加することができたんですね。

朝廷・公家さんの小話はこのへんで終わり。また、機会をみて書きます。

さぁ、残る3Dの紹介です。

北廂と殿上間と年中行事障子
清涼殿の北廂と殿上間と年中行事障子。天皇の四方拝の場、石灰壇も見えます。


年中行事障子越しに弘廂(孫廂)を見る
今度は年中行事障子越しに弘廂(孫廂)を見ます。

さらに、
年中行事障子のズーム
年中行事障子のズーム。年中行事という文字だけはハッキリわかります 笑。


年中行事障子と落板敷と鳴板
年中行事障子と落板敷と鳴板。

ここは一段低い板敷きになっていました。落板敷といいます。僅かな段差の階段が見えますが、これは「鳴板」といって板が固定されてなくて、ここを踏むと音がなり、それが参内を帝に伝える、という仕組みだそうです。

以上、お付き合いありがとうございます。


コメントの書き込み&閲覧はこちらから


ランキングアップします。ポチっと励ましの一押しお願いします!


にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ
にほんブログ村

※ お問合せのメールフォームは左サイドバーにあります。お気軽にどうぞ。

※ ブログに掲載する3DCG、加工済画像等の無断転載は固くお断りします。

関連記事
スポンサーサイト

コメント

NoTitle 

五反田猫様
コメントありがとうございます。

そうですか、幕末の宮廷お持ちですか、ネタじゃなくなりましたね 笑。他にも「京都四民の生活」とか公家さんの事書いた本ありますが、やはり幕末の宮廷の右に出るものはないですね・・・。こうなると、もう公家の子孫の方に直接、取材するしかないかも・・・です 笑。
  •  
  • URL 
  • 2018年07月04日 17時27分 
  • [編集]
  • [返信]

幕末の宮廷 

興味深い資料を有難うございます。
現在の御所は、昭和の建物疎開で、随分と損なわれたものなのですね。 資料から良く判りました。

『幕末の宮廷』は、江戸の宮廷の実態を活き活きと描いてくれて、私も愛読書の一つです。
公家収入は、トップの摂家でも、大きく違います。
近衛家の知行は、表高は2862石ですが、実収は2081石、税率が高いのではなく、領地が伊丹など、米どころで実収が大きいのですね。
一方で一條さんは表高2044石ですが、実収794石で、下橋さんのお話しの通り「800石も入りません」なのです。 領地によって、大いに収入が異なるし、当道座の収入がある久我家、蹴鞠の難波家など、地下でも平田家は事務方のトップで膨大な現金収入があったそうです。これらの家では維新後の方が苦労されたそうです。
  • 五反田猫 
  • URL 
  • 2018年07月04日 14時01分 
  • [編集]
  • [返信]

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

トラックバック

トラックバック URL
»»この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

左サイドMenu

ブログ内検索

短歌も詠います

短歌一覧はバナーを押して下さい。

タグ一覧


全記事(数)表示

全タイトルを表示

※表示しきれない記事タイトルは「前ページ」で見れます。

プロフィール

梅村京一朗

Author:梅村京一朗
(けいいちろう)、
寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

お問合せメール

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント

<>+-

ブロとも申請フォーム

アンケート

今日の言葉

京都お役立ち情報

短歌ブログランキング

マーケット情報

QRコード

QR

ブロぐるめLite


写真提供 ホットペッパー.jp
Powered byリクルートWEBサービス
developed by 遊ぶブログ

右サイドメニュー

カテゴリー

openclose

人気ページランキング

開始日:2016/11/6

ブログパーツ

キーワード別記事リスト

月別アーカイブ

カレンダー

06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索・買物に利用して下さい

日本史ブログランキング

FC2カウンター

ブログ開設より2017年12月25日までのトータルアクセス数は11万近くを数えました。お礼申し上げます。リセットされた状況は下段に説明しています。

泣く‼ カウンターがリセット!

SSL(暗号化)に対応するためカウンターを一旦削除。再設定したらリセットされ「0」に・・・大泣き‼

2017/12/25日までのトータルアクセス数(一人一日一回のみカウント)は11万近くありました。最近はSSL等の影響でfc2のカウント数と実際の解析によるアクセス数の乖離が大きくなっています。日によりfc2の2~3倍が正味カウント数となっています。2018年を迎えたら、さらに2.5~6倍もの開きになっています。キーワード検索も表示ゼロで、どんな記事、内容に関心があるのか?こちらでも把握できていません。良い記事を書くための参考にしたいのですが・・・残念です。とりあえず現況をお伝えしました。