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3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

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紫宸殿と清涼殿は繋がっていなかった!? 

今回は紫宸殿の東に位置する東軒廊と宣陽殿、西に位置する土渡廊を3Dで作ってみました。
その過程で例によって素人発想の「何でだろう?」と思う点が幾つか出てきて、その一つの疑問が記事タイトルの「紫宸殿と清涼殿は繋がっていなかった!?」になった訳です。
その辺は、後々書いていきます。

さて、眠気覚ましにCGを何枚かアップ。クリックすると何れも拡大します。

霧の京都御所
朝霧にむせぶ京都御所。私の好きな陰翳礼讃?です。



南庭から望む紫宸殿
おぉ!紫宸殿の左右が寂しかったけど建物が出来た。東の東軒廊と宣陽殿、西の清涼殿に繋がる土渡廊です。

むむっ?、紫宸殿の向かって右下になんかいますよ。米粒大でわからない。


ではズームアップ!
南庭から望む紫宸殿アップ
その謎の輪郭がわかってきましたよ。どうも女性らしい。ではもっとズームアップ。


紫宸殿と石原さとみアップ
女優の石原さとみサンでした!

なんで石原さんがここにいるの?
まさか、3D京都がお招きした訳ないよね?
もちろんです。
実は紫宸殿の簀子(濡れ縁、外周廊下)の床高さがどのくらいあるのか、石原さんに登場いただいて一目でわかるよう比較してみたのです。石原さんは背が高いと聞いているので身長170cmに設定。

どうです?床高は石原さんのはるか頭の上。かなり高いです。どのくらいあるかと言うと約2m40cm前後。前後というのは、手元に正確な寸法図面がないからです。縮尺率が記載されている立面図等を参考に作る過程で割り出した数値です。一般住宅の天井高さが2.4~2.5mありますからご自分の家の天井を眺めてみてください 笑。その高さがわかりますよ。
ちなみに平安時代はそんなに高くなかったと思います。

石原さとみさん、お疲れ様でした。女優業頑張ってくださいね。

では、今回の作品の位置を上から眺めます。

御所3D進捗図
赤く囲った所が3D化した建物です。これで、紫宸殿南庭の体裁がようやく整ってきました。


拙角ですから、増築した御所を四方から眺めます。
建礼門から見た御所全体
建礼門から見た御所全体の風景。

えっ?前回と変わらない?そんなことないですよ。後で細部入っていきますから、そこで御所の不思議?を紹介します。

日華門と宣陽殿
東から見た日華門と宣陽殿。宣陽殿、一見地味ですけど建物は結構大きいです。重要な場所です。これも後ほど。


紫宸殿周辺を俯瞰する
斜めからの俯瞰。まだまだ回廊や御殿が少ないから今一冴えないかな。


紫宸殿北から宣陽殿土渡廊等を見る
紫宸殿北から宣陽殿と土渡廊を眺めます。

宣陽殿の北側にはもう一つの紫宸殿に繋がる回廊「陣座」がありますが次回作る予定。

左から清涼殿と土渡廊と月華門
西から望む左から清涼殿と土渡廊と月華門。

以上四方から俯瞰してみました。

それでは各建物について、その用途やズームアップ、エピソードや疑問とか書いていきますね。

どこからいこう?そうだ、まずは東の宣陽殿からいこう。

東から見た宣陽殿
東から見た宣陽殿です。

舞良戸(まいらど、)等、引き戸が並んでいます。正直、この宣陽殿、全体のバランス、デザインが今一つかな、と思います。安政の造営時、当時は建物毎に大工衆が割り当てられましたから、ここはちょっと田舎の大工さんだったかな、なんて想像します。大工元締めの中井家に出来具合聞いてみたいですね 笑。

もう一枚、南庭から見た同殿、
紫宸殿と右に宣陽殿
東軒廊も見えます。

では、宣陽殿とは何ぞや?に入りますと、
平安時代の内裏から同じ紫宸殿の東にありました。
元々は「納め殿」と言われたように累代の重宝を納めた殿舎です。南北に20m、東西9.4m。意外に大きな建物です。(以下、一部の文は角川書店刊「平安京提要」角田文衛総監修)から引用しています。

では間取り図を紹介しますね。これも安政度、現在の御所のものです。

宣陽殿間取り図(部屋名付)
宣陽殿間取り図。写真のバランス上、横にしました。下方向に紫宸殿があります。

図のなかの大臣宿所は文字通り参議以上(従三位以上の大臣になれる上級公卿)の公卿の寝泊まりする所。時には公卿たちが集まって「日本書紀」の講読も行われたとか。宿所下の公卿座は三位以上の公卿が参内したときの控えの間。
宿所の右には納殿があります。ここに重宝が収められていたのでしょうか?平安時代はともかく江戸時代になってからは違うような気がします。たとえば、その左には議所があります。ここは国政の審議をした所。でも、江戸時は公家は国政には関係ありませんでしたから、もっぱら儀式等についての議論が交わされたかも。

他に次将座とかありますが何するとこでしょうか?今回は東京都立中央図書館と京都大学に残されている安政度の内裏図を基に間取りを確認していますが、文字も小さくボヤケ気味の箇所もあって、素人の私には判読不明な面もあります。字ずらから「次将座」と読んだのですがいかがでしょうか?
安政造営内裏図(紫宸殿付近)京都大学蔵
安政造営内裏図(紫宸殿付近)京都大学蔵。

で、次将で調べていくとありました。天皇をお守りする近衛府の中将のことを次将とも呼ぶそうです。また頭中将とも呼ばれ、あの源氏物語に出てくる光の恋の競争相手で義兄だった頭中将はここがモデルみたいですね。位的には四位の貴族がなったよう。

ということで、近衛の幹部武官の控えの間ということになります。
後、下段(これも判読し難し)とありますが何?位の低い公家の控えの間?あるいはノンキャリアの地下官人の控え所?今一不明。
隣、「侍官政」と読めましたが、これこそ何?わかりません・・・。

以上、間取りの各役割について説明しましたが、そこで自分なりに思ったのは、ここは上級公家の控えの間、宿所、議論の場、警護の武官の座、後、蔵的役割の納殿等多目的に使われた殿舎であること。

また、江戸時代、御所の西の建物は禁裏付き武家や諸大名、諸太夫のような高級公家の家司等の参内場所、事務所、後、その他生活に関わるよう用向きの窓口であったりしたのに対し、紫宸殿東の宣陽殿は公家・儀式の為のための詰所、つまり公家専用空間だった、というふうに東西分けていたのかな、と考えるわけです。

宣陽殿から東軒廊を見る
宣陽殿から続く東軒廊を見ます。
東軒廊は紫宸殿への廊下ですが床等なく敷石の詰められた土間の廊下。ここは節会のような儀式で紫宸殿南廂から降りてきた十二単の内侍が大臣に天皇のお召しを伝える廊で、大臣は衣冠束帯に身をただし「練歩」といって着衣を動かさないように歩く作法で紫宸殿にここから昇殿しました。それにしても「練歩」とはどんな作法でしょう?実際に見てみたいです。宮中儀式には私たちが知らない作法がいろいろありそうです。それらを見せるパフォーマンスとか見てみたいですよ。受けるかもです。

で、東軒廊にはもう一つ重要な役目があります。同軒廊の手前方向に方1mの御影石が埋め置かれています。
何するもの?と問えば、そうです。亀卜石です。ここで亀の甲羅を焼き吉凶が占われたのです。天皇の即位後の大嘗祭に使われる米の産地、斎田とか占ったそうです。

上記の文は京都新聞出版センター刊「京都御所 大宮・仙洞御所」から引用させて頂きました。

東軒廊と亀卜石
東軒廊と亀卜石。

さて、次は紫宸殿の西、土渡り廊の紹介です。字のごとく土間の廊下です。一部、板敷きの所もありますけどね。ここに冒頭言いました「紫宸殿と清涼殿は繋がっていなかった!?」との疑問?を抱いた場所です。

紫宸殿と左の土渡廊
紫宸殿と左の土渡廊。


土渡廊の潜り門
土渡廊の潜り門。

ここは現在の御所通年公開では通れませんが、以前だと春と秋の一般公開のときは、この土渡廊の門を潜って紫宸殿北廂に出ることができました。

一応、そのときの順路図をアップします。

御所一般特別公開順路

順路図を見ると、紫宸殿の西側を通り土渡廊を潜っていますよね。
私も何度か何の疑問も抱かず潜り紫宸殿北面に出てましたが、今回の3D作成の過程で分ったのですが、土渡廊には紫宸殿と清涼殿を繋ぐ長橋という板廊下が同土渡廊を遮る形で横切っています。

CGで見た方が判りやすいですからアップします。

土渡り廊と長橋
土渡廊と長橋。

こんな感じで進行を妨げています。
じゃぁ、なんで一般公開時、跨がずに普通に通れるの?

調べたら、公開時だけ長橋の一部を取り外すとのこと。なんだ一部、脱着方式になっていたんだ。案外、解りやすい方法ですよね。
この一部脱着はなにも一般公開の時だけでなく江戸時代、いや平安の昔から行われていたそうです。

正月の節会儀式のなかで、「白馬の節会」というのがあって一月七日、紫宸殿に天皇が出御されたときに白馬を引き出す儀式。
このとき、厩舎である右馬寮から引き出された白馬がここ長橋を通り抜けるため切馬道といって数メートル長橋が取り外しできるようになっていたのです。

でもそれ以外のほとんどは長橋が繋がった状態で保たれ、流石に今は普段から取り外されているそうです。

紫宸殿から土間に降りずに清涼殿へ歩ける廊下はこの長橋しかありません。
大事な唯一の経路なのに簡素な立ちの低い板廊下。手摺もありません。
誰が通った?まさか帝ではないと思います。

土渡り廊と清涼殿と長橋
土渡り廊と清涼殿と長橋。長橋が切れていない。


土渡廊は真ん中の壁と柱を挟んで左右に廊下のある複廊になっていて東西の端それぞれに門が二つづつあります。当然土間です。

土渡り廊の内部
土渡廊の内部。

紫宸殿南庭の回廊内は即位式などの公の儀式の場です。幟を立てたり、幕を張ったり幕屋(テント)を立てたり、椅子に座ったりと、地面、土間で行う儀式が多いです。従って土渡廊も土間になる訳です。

では、帝は徒歩で清涼殿へ行かれた?
そんなことはないと思います。雲上人といわれるご存在ですから。
徳川家光が二条城に御水尾天皇の行幸を仰いだとき、帝が地面を踏まずに天守閣まで上れるよう二の丸と本丸の間には二階橋の櫓が建てられたほどです。

ですから御所においても同様だったと思います。
現に紫宸殿北廂には露台と言って二階部をあるく渡り廊があります。

つまり、天皇は紫宸殿から直接、清涼殿には行かれなかった。他の渡り廊を経由して清涼殿に行かれた。そう、私は思います。
江戸時代、帝は清涼殿には住まわれませんでしたから迂回するのも解りますが、実際に住まわれていた平安時代の内裏においても土渡廊は土間でやはり長橋一つだけで繋がっていました。

平安期の内裏図をアップします。

平安時代内裏図(陽明文庫蔵)
平安時代内裏図(陽明文庫蔵)。

この図にも紫宸殿と清涼殿の間には門柱の印があってやはり土間廊下でした。

なぜ、清涼殿に普通の渡り廊下で繋がっていなかった?
直接、行けた方が便利なのになぜ迂回までした?

理由はわかりませんが、一つの理由として儀式空間だったから。警備上。あるいは清涼殿に後宮的要素があったから閉ざした?

でも紫宸殿北廂の木段を降り長橋を行けば清涼殿にたどり着ける。一応、門もあるけど結構オープンな間取りだった。

わからない。本とか調べたけど各殿舎のことは書かれていても渡り廊下についてはあまり書いてない。

興味ない方からみれば、紫宸殿と清涼殿は繋がっていなかった!?、と疑問を抱いても「それがどうした」となる訳ですが、
何か気になるんですね。

短歌的発想と言ったら笑われますかね。

折角ですから後CG何枚か載せますね。

土渡り廊と南庭回廊
土渡廊と南庭回廊。儀式空間として連続していることがわかります。


土渡り廊と長橋と年中行事障子
土渡廊と長橋と年中行事障子。

年中行事障子とは一年を通してある諸儀式を書き並べたもの。これなら忘れない?
ああぁ、そう、 障子の裏は何の壁もない外丸見え状態ですけど、そこには清涼殿の南廂があって、そこは殿上間になっていました。公家さんはここで出勤簿?とかとったんですね。
ただ、江戸時代もそうだっかはわかりません。

年中行事障子アップ
年中行事障子のアップ。儀式内容がびっしり書かれてますね。儀式だからと言って軽んじるべからず。儀式を通して伝統と文化が継承されてゆくのですね。


土渡り廊と長橋(北から)
土渡り廊と長橋(北から)。


土渡り廊と紫宸殿階段を見る
土渡廊から紫宸殿木段を見る。

この長橋に繋がる縁(簀子)の木段の南隣には土渡廊へ降りる木段と門、それと簀子木段の間には白壁で隔てられています。
う~ん、何か簀子の木段と長橋って黒子が通る場所?あるいは下級女官の通り道?ナゾは深まるばかりです 笑。

以上、長文失礼しました。

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コメント

NoTitle 

taka様 コメントありがとうございます。地震の被害なくてよかったですね。
自殺ですけど、やっぱり大義に殉じた人は亡くなったしばらくは自らの傷みに苦しむかも知れませんが、大義には必ず現世で恩恵を受けた人や感謝している人たちの祈りが通じ天国に行くと思います。原爆を二度も、実験のごとく落としたトルーマンは地獄でしょうね。

現京都御所の土御門里内裏ですが、藤岡通夫先生の名著「京都御所」を飛ばし読みしましたが、やっぱり財政難が理由だと思います。というよりも、あまりにも多くの焼亡を繰り返した内裏・里御所の回数の多さにびっくりしました。また、それを数々の文献・古文書を調べて克明に記された藤岡氏の並々ならぬ努力、能力に脱帽しました。

やっぱりとくに南北朝に入って足利幕府の財政難もあって、もう元の大内裏の位置に建てる力はなかったと思います。

内野と言われた大内裏に内裏を再建するとしたら、正式の内裏を造る訳ですから、室町幕府は考えただけで身震いしたと思いますよ。当時も大内裏への郷愁はあったけど、先立つものがなかった、そういうことだと、私は思います。
  • 京一朗 
  • URL 
  • 2018年06月24日 19時57分 
  • [編集]
  • [返信]

目の付けどころが違いますね 

確かに紫宸殿と清涼殿、なぜ繋がっていないのか? 謎ですね。流石に自分でも解らないです(汗)

相変わらず見事な制作で食い入るように見ています。

ところで、現在の京都御所があの位置にある理由についてはどう思われます? 鎌倉時代安貞の火災で本内裏が何故再建されなかったか?

自分的には、鎌倉の大仏同様資金難だと思っているんですが(汗)
  • taka 
  • URL 
  • 2018年06月22日 17時38分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

五反田猫様 コメントありがとうございます。

そうですね。大阪北部地震で被害に遭われた方にお見舞い、そして亡くなられた方にお悔やみ申し上げます。亡くなられた中には九歳の女の子もいましたね。痛ましいです。

紫宸殿繋がりの件ですがよろしくお願いします。楽しみにしてます。

先回、コメントにあった和歌披講ですが、
さっそくYouTubeで検索して聴いてみました。厳かで雅びですね。正月の歌会始ぐらいしか聴いたことないので目から鱗です。短歌は書くものだけではなく詠み吟じ韻を踏むことなんですね。合唱もある。時に雅楽の伴奏もある! いいですね。五反田猫さん、かなり高度な日本文化を担ってみえますね。日本も安心です 笑。

また機会があったら、和歌披講を聴いてみたいと思います。そのときは宜しくお願いします。では御機嫌よう。
  • 京一朗 
  • URL 
  • 2018年06月18日 20時41分 
  • [編集]
  • [返信]

地震お見舞い 

北摂を中心に大きな地震、お見舞いを申し上げます。
  • 五反田猫 
  • URL 
  • 2018年06月18日 13時41分 
  • [編集]
  • [返信]

紫宸殿 

廊下や付属の建物が出来ると、雰囲気がとても良いですね。 最終的には、御大礼など、南庭での儀礼が見られると素敵です。

清涼殿から紫宸殿へのお出まし、なるほど言われてみると不明でした。 紫宸殿にお出ましになる自体が稀(御大礼と大嘗祭くらい?)と思うので、不便でも仕方がないと思いますが、どのようにするかは記録にありそうな気がします。
明治初期の絵図で、南庭へのお出ましには、庭に敷物が敷かれていたのを見ていますので、廊下以外にこのようなやり方もあるとは思います。
判るかは不明ですが、調べてみます。
  • 五反田猫 
  • URL 
  • 2018年06月18日 10時29分 
  • [編集]
  • [返信]

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Author:梅村京一朗
(けいいちろう)、
寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

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