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3D京都

いにしえの京都を3Dで再現します。短歌、史話、公家さんも書きます。

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新発見!! 中院家指図は幕末最後の公家屋敷だった! 中編

中院家指図の核心に入っていく前に(大げさかな)、中院家についてどのような公家さんなのか少し触れてみたいと思います。
中院家(なかのいん け、と読みます)は、大臣家の家格を持つ公家。摂家、清華家の次に位する立ち位置で同じ大臣家には嵯峨家(正親町三条)、三条西家、そして中院家の三家あります。摂家が5家、清家家が7家。その後に続くわけですから公家のなかでは中の上クラスですね(中院家の方、失礼な物言いですみませんね)。村上源氏久我家支流。内大臣源通親(土御門通親)の五男通方を家祖とします。家名は、嫡流久我家の4代雅定が中院町(六条室町)に住んで中院右大臣と称したことから中院家と称するようになったそうです。

中院家系図(旧華族家系大成・霞会館)2
中院家系図 旧華族家系大成・霞会館編 より引用。


家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・有職故実。江戸時代の家禄は初め300石、後に加増されて500石。明治維新後は伯爵に叙爵されています。家格的には太政大臣にまでなれる家系ですが実際には摂家が独占し、唯一、江戸時代に中院通躬という方が右大臣になっています。
公家の経済が苦しくなった室町中期に当主だった通守は、経済的に困窮したことから朝廷の重要な祭儀にも十分奉仕できず、家名を辱めることを恐れ自害までしています(応永25年・1410年)。戦国時代に入り、家領のある加賀で一向一揆が頻発すると、年貢を確保するため当主三代に渡って加賀へ下向。そのうち、通世・通胤の二代は在国のまま没するなど、家名を守るため苦労が絶えなかったようです。

江戸時代になってやっと落ち着き家禄も300から500石へと加増。500石というと公家のなかでは上位に位置します。千石を越えれば摂家クラス。近衛家など家禄は2860石ですが実際の実入りは1万石以上あったとか。
ちなみに前にも書きましたが幕末の近衛家の幾つもある屋敷のなかで、御苑内の本邸は敷地7千589坪。そこに瓦葺の主屋1531坪、二階住居119坪、杮葺きの平屋317坪、主屋だけでも計2000坪ほどあります。
これに長屋や物見、土蔵などの付属屋を加えると合計建坪2700坪ほどにもなります。公家屋敷としては別格です。
あの江戸城本丸の敷地が3万5000坪ほど。そのなかに御殿が1万2000坪前後を占め、その中でも大奥は6000坪といかに大奥の存在が大きかったかが分かりますが、その江戸城本丸御殿と比べても近衛家の屋敷は十分広大だったと思います。なんせ、徳川幕府の所領は400万石。近衛家はその千分の一にも満たないのですから。
後、九条家も別格。本邸敷地は1万坪を越え付属屋を含めた御殿建坪は4000坪を越えたとか。
この両家だけでも現在の京都御苑に残ってほしかったですね。桂宮御殿も二条城に移築せずそのまま御苑内に残してほしかった。これも残念。

後ほど詳しく説明する中院家の指図ですけど、
上記の流れで屋敷面積とか書きますと、御苑内の本邸は662坪ですが、今回の対象である下屋敷は1178坪あります。敷地が千坪を越えると公家の上位になります。建坪は合わせて386坪。これも上位にあたります。公家の平均的な敷地坪数は300から600坪。建坪は150坪前後。蔵米30石の最小家禄のお公家さんだと100坪を下回ります。また敷地自体が100坪にも満たない公家さんもいます。

現在、国の重要文化財になっている冷泉家住宅ですけど、幕末期で家屋敷が二邸ありました。内、本邸(現在に残る屋敷)の面積は494坪。重要文化財になっている建物部分は主屋が147坪、土蔵六ケ所で28坪、物置・長屋等で20坪、合わせて195坪。
中院家と比べると敷地で684坪少なく、建坪だと191坪少ないです。単純に主屋同士で比べると中院家311坪、冷泉家147坪と中院家の方が倍以上あります。昨今の分譲住宅が延床で30坪平均ですから、中院家はその十倍ということ。
何が言いたい?かと申しますと、要は中院家屋敷が残ってれば冷泉家以上の文化財的価値がある、ということです。これも後ほど書きますが、幕末の王政復古が広がるなか、摂家を除いた一般堂上公家が京都御所と同じようにどこまで平安の寝殿造の復古を実現したのか?
その点から見ると、中院家の住宅はかなり復古形式に拘った形跡があるのです。つまり公家屋敷とは、いかに寝殿造の要素を残しているか?に尽きると思います。それが冷泉家住宅より価値がある、という私の考えです。残っていたならば・・・という切ない仮定のなかですが・・・・

だらだら書きましたが、もう一つ中院家について書きたいことがあります。
これは現在の皇室の皇統にも繋がる面があるからです。


以下は、評論家・歴史作家の八幡 和郎氏の著書「男系女系から見た皇位継承秘史」を参考に自分の考えも含め書いてみたものです。

現在、皇位継承権を持つ皇族の方は、次代、天皇になられる現皇太子殿下、次に秋篠宮殿下、そして同秋篠宮ご夫婦のご長男である悠仁親王殿下の順となっていますが、悠仁様以外には宮家も含め継承権のある男系の親王・王がいないのが現状です。このままでは皇統断絶の危機さえ危ぶまれます。
その解決策としては女系天皇を認めようとする勢力、将来に任せよう、という日和見派、一方、旧宮家の皇族復帰を願う国民もいます。私もそのひとりです。
旧宮家11家は、元を辿ればすべてが南北朝時代に世襲宮家として立家された伏見宮家のご子孫が明治になって分家する形で宮家が成立したもので、女系賛成の方からみれば、現皇室と血の繋がりが薄い伏見宮系の天皇を頂くのは、あまり意味がないようなことを言っていますが、その伏見家には歴史上、幾度も天皇の皇女が降嫁。明治天皇の皇女の方々も分家された宮家の方々と結婚されてます。伏見宮家は世襲宮家としてイザという時に皇位を継げられるよう男系男子を守ってきました。そこへ時々に皇女が降嫁されることで、天皇家との繋がりをより深くしてきた、というのが皇室の伝統です。伏見宮系では今の天皇と血統が薄すぎると言っている女系・女性天皇賛成の人達は、まさに女性の皇女方が伏見宮家へ降嫁されてきた歴史についてはどう思っているのでしょう?。

宮家とは別に、
江戸時代には皇子などを摂家など有力公家の養子にするということが行われていました。たとえば、秀吉の聚楽第行幸でも知られる後陽成天皇はふたりの皇子を摂関家に養子として出しました。そして、それぞれ近衛信尋、一条昭良と名乗りました。
また江戸時代、新井白石は世襲宮家を増やし皇統をより堅固なものにしようと、新たに閑院宮家を創立しました。初代は東山天皇の皇子・直仁親王です。で、その子息が鷹司家を継いで鷹司輔平となりました。第119代天皇の光格天皇はその閑院宮家の出身で、現在の天皇陛下の直系の祖にあたられます。
伏見宮では血筋が薄いということであれば、同じ閑院宮家出身の鷹司輔平系の方が現皇室とは血統が近いということになります。そこはいくら血筋が近くても世襲宮家と臣下の公家では身分が違う、という人がでてきたら、だったら、天皇家へ一旦、猶子として入り改めて宮家を継ぐ。あるいは創設する。
あのNHK大河で篤姫が将軍家へ嫁ぐ前に近衛家の養女に入り、近衛家の娘という形で江戸城へ入ったのと同じで要は箔をつける、ということです。身分は違っても男系であることに変わりはありませんから。

そして、摂家へ養子に入った近衛家、一条家、鷹司家からは、また、それぞれ子が公家の養子に入るという繋がりで実は天皇の男系の子孫は多くいるのです。
ざっと挙げるだけでも華園、梶野、徳大寺、住友、室町、山本、千秋、常磐井、水谷川、醍醐、東儀、北河原、佐野、南部と公家を中心に大名、さらには地下官人の家までに及んでいる。単純に言うならば、これら子孫の方のほうが旧宮家より血筋的には近い。でも、何度も言いますが宮家ではない。
だったら旧宮家の方は?これも明治以後15家ほど臣籍降下され華族に列している。この方々もれっきとした男系子孫です。
でも臣下だろう?臣下からまた宮家に、皇族に復帰できるの?
と問われるなら、答えは、ハイ出来ます、です。歴史上、皇籍復帰された方も多くいます。源氏物語の光源氏も臣籍降下しましたが、後に嫡子が冷泉天皇になると、自分の父が臣下であることは耐え苦しく思い、光源氏への譲位を懇願します。しかし光源氏は固辞し、仕方なく冷泉帝は臣下を越える准太上天皇の位を父に授けた、という風に何も特別なことではないのです。

前も書きましたけど、直宮、宮家から臣籍降下した元皇族、さらに皇室に近い男系子孫と100位まで皇統譜を作り公布すればそれでご皇室は安泰、と私は思うのですが、単純過ぎますか?

そうそう、忘れていました。上記の男系公家には今回の中院家も含まれます。
ちょっとややこしくなりますが、戦前、最後の元老と言われた西園寺公望は徳大寺家の出身です。父の徳大寺公純は上記した皇別摂家の鷹司政通の子です。で、さらに徳大寺家からは子息が中院家へ、住友家へ養子に入りそれぞれ中院通規、住友吉左衛門公純を名乗り養家を継いでいます。

今回の中院家文庫に含まれる中院家指図は、住友家、中院家それぞれから寄贈された「中院家文庫」に含まれているものであり寄贈本、文献には住友吉左衛門の印が押してあります。
中院文庫には『中院一品記』を始めとする歴代当主の家記や有職故実の記録をはじめ、和歌の二条派宗匠の家系の一つでもあったので歌道に関する文献も多く、日本史や国文学を研究する上での貴重な史料群となっています。

以上、ざっと書きましたが、なんと言うか指図の解説の方はタイミングを逃してしまった・・・。
確か詳しく詳説すると書いたはずでしたが、申し訳ないですが次回にします。今回は、中院家及び皇統について私見を述べた中編とします。失礼しました。



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