3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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古代出雲大社本殿を想像してみた。

夏に山陰地方を旅し出雲大社にも参拝しました。
本殿は神社建築としては全国でも最大規模を誇ります。(以下、写真をクリックすると拡大します)


出雲大社本殿写真



近年、その大社境内からスギの大木3本を鉄の輪で一組にした棟持柱(宇豆柱)が3本発見されました。


宇豆柱(古代出雲歴史博物館)
宇豆柱(古代出雲歴史博物館から引用)。
直径が最大で約6mもある柱穴には、大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界にも例のない掘立柱の地下構造も明らかになりました。柱の配置や構造は、出雲大社宮司の千家国造家に伝わる、「金輪御造営差図」に描かれたものとよく似ていて、調査により倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱の跡である可能性が高いとのこと。このニュースは歴史ファンにも幅広く知られ、同大社の社伝に伝えられてきた、平安時代には現在の二倍の高さ・48mもの高さを誇る巨大神殿があったという伝承を裏付ける物証の一つとして俄然・注目を浴びています。

季刊大林(大林組)の復元した高さ48mの神殿も出雲大社の社伝に基づき作成されましたが、今回のことで、ただの復元ではなく実際にあった巨大神殿の再建とも思えるほどリアル感を持って迫るものがあります。

出雲大社の本殿の復元想像図


さらに社伝によれば上古の時代には32丈、高さが96mもあったという伝承があります。俄に信じがたいですが、実際に48mの神殿の実在性が事実論として論議を呼んでいる訳ですからまったくの荒唐無稽とも断定はできません。

では、仮に存在したとしてどのような建物の構造と形であったか? また、そんな巨大な建物を重機・クレーンもない時代にどう建造したのか? まったく見当がつかないのが実情です。

そこで、改めて自分なりに本殿の変遷を振り返り、なんと無謀にも3D京都案の想像図を描いてみることにしました。

まず、上古からの本殿の大きさの比較図を正面から見る。(季刊・大林(大林組)の復元図に基ずく)。


三社比較


左から上古(古事記以前)の高さ96mのサイズ。季刊・大林の48m高をそのまま単純に96mに伸ばしたもの。
次に平安時代の16丈、48mの本殿(巷でよく引用される復元図)。そして江戸時代の延享元年(1744)に建立された現在みる本殿。高さは8丈の24mで上古サイズと比べるととても小さく見えるが、それでも7階建てのビルに相当し充分な高さ。それが96mともなると26階建てに匹敵し、あの日本の高層ビルの先駆けである霞が関ビルが1968年(昭和43年)に登場(36階建ての高さが147m)するまで歴史上一番高い建物ということになる。

ただ高さだけでいうなら飛鳥時代の大官大寺、東大寺七重塔、平安時代の法勝寺八角九重塔、そして109mと日本史上最高の高さを誇った相国寺七重塔等々の仏教塔婆の方が高いが、塔の場合、頭上の法輪の部分が塔の三分の一から四分の一ほどを占め法輪を除けばダーンと本体建物高さは下がる。また日本の塔は内部が床を張らない構造がほとんど(近世以前)で出雲大社本殿のように頭頂部に床を張って人間が入れる建物ではない。従って実質、同大社本殿が一番ということになります。

ちなみに日本の木造塔が地震大国なのに記録上、地震で倒壊したという実例はほとんどなく、では何故倒壊しなかったというと、各階が床を張らず積み木を載せたように分離され、心柱も基壇や構造材とは直接接着せず、それが地震のとき振り子のように建物の揺れを矯正する、いわゆる免震構造だったからだとされています。大社の48m本殿もそうだったかは不明です。また塔と神殿では同一には論じられませんからね。

次に横からみた復元図の比較。


三社側面比較
横からみた復元図の比較。
ここの上古時代のものも単純に48mを96m高さにズームしただけ。従って斜め直階段の長いこと!。200mはある。階段を上るだけでも大変。横風など吹いたらそのまま落っこちそうな怖さ。ホントに存在したの・・・? 思えて仕方ありません。

実在説が高まった平安から鎌倉にかけての48mサイズでも100mと信じられないほどの階段長さですが、本当にこんな長大な階段が存在したのでしょうか?
復元図を正面から見ると階段は真ん中から右側に懸けられてあります。中央は神様の通り道だから避けたということだと思いますが、これだと正直、重心が右に傾き建物自体の立地が不安定になるのでは?と素人ながら心配します。平安時代、同本殿は七回も地震・災害もないのに突然倒壊したとの古記録がありますけど、さも、ありなんです。

ちなみに平安時代の宮殿・社寺建築は中国等との交易を閉じ(民間は別)、所謂、国風文化の影響下、貴族文化に代表される優雅で繊細な建物が主流を占めました。従って細い柱や梁、焼きが不十分な瓦等の強度不足が特徴でした。従って当時の羅城門や大極殿などの巨大建築も地震・災害、そして耐久性も弱かったそうです。現在に至るまで平安時代よりも奈良、飛鳥時代の建築の方が多く現存しているのもそれが理由かもしれません。

薬師寺西塔等の再建で有名な宮大工の西岡常一氏(故人)は、釘一つとっても白鳳・飛鳥時代の方が太く室町、江戸時代へと近世になるほど細くなり建物の耐久性も下がったと言われております。今では30年持てば良いという考えの時代。木造建築の価値が下がり粗製乱造の住宅や街並みがどんどん増えています。法隆寺のように古代の1000年持たせるという建物志向は平安以降、暫時減っていったと思います。

だから、という訳でもありませんが、平安時代の出雲大社本殿が何度も倒壊したのも以上のような原因があったとも考えられます。

大林組のプロジェクトで復元想像された本殿は平安以降に特に発達した貫き(柱に穴をうがち梁等の水平材を通す補強方法)や継手(二本の柱を仕口といって複雑な入子を使って一本の柱に接合、通し柱にすること。柱以外の構造材も共通)の導入により48mの高さは可能として復元されたようです。もちろん、柱等の構造材も太いものを使った、との前提ですが。

では上古の96mは可能か?
上述したように貫きや継手も単純だった時代、それこそ古墳時代のように太縄でしばるとか横板や長押で柱同士を支えるような簡略な補強で建てることができたのか? かなり無理があり、ほとんど実現不可能だと言わざるをえないでしょう。

でも、それだと夢がない。
かなり想像が入りますが、たとえば、スギの大木3本を鉄の輪で一組にした棟持柱(宇豆柱)の存在。鉄は古来より「たたら」と言われた製鉄技術です。このたたら技法がとくに盛んだったのが山陰地方。技術も優れていました。出雲といえば山陰。この高度な鉄のたたら技術が上古大社本殿に活用され、建物の強度、巨大化が可能なものになった・・・・、というのは、私のかなり空想の入った96m説の根拠?となるものですが、まぁ、ロマンがあっていいじゃないですが 笑。

さて、こんな私の無理感の半端ない3D京都案による「上古出雲大社本殿96m」の想像図をアップします。

3D京都案の出雲大社本殿正面
3D京都案による上古出雲大社本殿の想像図。
基壇の上に誰か見えますか?小粒のように見えるのは出雲の豪族です。本殿との比較に登場しましたが、それにしても本殿は大きい! 上古においては本殿というよりも神殿といった方が何かシックリくる感じですね。神話に近いからかな。


寝殿の出雲族


本殿部の拡大。大林組さんの復元図をそのまま当用しました。豪族の長もみえます。
その長、上古の服装です。
出雲の豪族
出雲の豪族の長の衣服(原色 日本服飾史 井筒雅風著 光琳出版刊 より引用)



そして、横からの図、


3D京都案出雲大社本殿想像図(下絵)
横からみた本殿想像図。


と、3D京都案も含めた本殿の比較図。

出雲大社本殿の推移(3D京都案含)

どうでしょう?
えっ!ピラミッド?

そうです。ピラミッド型です。やはりというか下半身安定型のピラミッドが一番地震とか倒れにくいし安定していると思いこの形にしました。しいてモデルとなったのは、メキシコのユカタン半島に花開いたマヤ文明の象徴であるチチェン・イッツァのピラミッド。
チェチェンイッツカー遺跡
チチェン・イッツァのピラミッド。

チチェン・イッツァのピラミッドのピラミッドには階段があります。頂部には祭祀に使われたと思われる神殿空間があります。古代世界において、ピラミッドは各文明、各地域に何らかの形として普遍的に存在した建造物です。日本でも古代のピラミッドでは?と目されるものがあります。日本の場合は仁徳天皇陵ではないですが石ではなく土を盛ったもの、あるいは山を削ったもの、山頂に磐座を置いたもの、などが特徴とされています。日本の国土には建築に向いた石、岩山が少なかったことも「土」タイプになったと考えられます。

最近も、NHKが名古屋大学の学術検査チームによるミューオンという素粒子を使ってエジプトのピラミッドを透視、内部に30mに及ぶ空間を発見した、との番宣がありましたが、今後、しばらくピラミッドの話題が続くようですね。

とにかくピラミッドは世界に存在したということですから、出雲大社本殿だってピラミッド型で建ててもおかしくはないし、本殿をささえる巨木や懸け造りの技術、鉄の応用があれば可能かと、ということでこういう形にしてみました。

柱の色等も赤い朱塗りにしました。また、朱塗りの上には縄文・弥生風の文様が描かれ現在の本殿よりもよりシャーマン的な神秘性を帯びていたのでは、と考えています。

神殿に上がる階段も斜めに真っ直ぐ上がる階段では無理があり、踊り場を伴った直階段と直角に上がる折り返し階段のミックスにしました。

これにて完成!

どうでしょう? 荒唐無稽?

でも時間あったら3Dでも作ろうかなと思ってます。
まだ、「聚楽第にあったころの飛雲閣の内部」作ってないのですが・・・、
ムラキな3D京都です。


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