3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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山陰の旅 萩、秋吉台、山口編

旅も四日目、ついに維新回天の地・萩に到着しました。ここも是非一度訪ねたいと思っていた所です。いつか行ってみたいと思っていたら歳月ばかりが流れてしまった・・・そんな距離感を感じさせる観光地の一つだと思いましたね。地理的にも不利かな。市街自体には前日の午後には着いてました。

萩の第一印象は、日本海の内湾に面した自然豊かで穏やかでのんびりした地方都市。ここが維新胎動の長州藩の地、吉田松陰や高杉晋作、木戸幸一、伊藤博文など幕末を代表する志士たちを輩出した土地とはとても思えないほど、幹線から外れた、はっきり言って「外れ感」のある小都市でした。だからと言って期待外れとかそうではなく、いい意味で城下町の風情を濃く残す街並みに魅了されました。この街はレンタサイクルにでも乗って市中をのんびり漕ぎ歴史に触れる、そんな滞在型の観光地であり、旅するバックパッカーたちにとっても一時のたまり場に最適? そんな国内的にも珍しい土地だと思いましたね。。

萩の菊が浜の澄んだ美しい海岸線を眺めていると、かつて、ここで英国と下関戦争が行われ、砲艦が飛び交った? 尊王攘夷を主導し京都の政局を握った? 長州征伐をめぐって藩内で主戦派と恭順派が血みどろの粛清が行われた?。 それら歴史上の出来事がまるで嘘のように感じられます。

元々、毛利藩は関ヶ原の戦いで負けたこともあって藩庁を日本海側という辺鄙な萩に置きました。幕府への遠慮もありました。それが幕末動乱を迎えると萩では藩をまとめることはできず山陽側の山口へ移転。その結果、萩は維新、明治以後の本流からは外れた都市になりました。まぁ、それゆえ、今も城下町の雰囲気をよく残している訳ですが。また同藩は関ヶ原で負けたこともあって領地が120万石から一気に四分の一の30万石に減らされました。しかし家臣団はリストラせずそのまま多くを抱えました。

そんな背景もあって、萩藩の大身の家臣たちの武家屋敷が並んだ堀内地区(旧萩城三の丸)も、萩では城下町の雰囲気を一番残していると言われますが、家老の長屋門や物見矢倉、長州独自の土塀も冬の日本海の風雪にさらされてきた面もあって所々塀は崩れ門も傷んでいて、大藩の割に地味で華やかさはありません。どこか退嬰の儚さがあります。多くの家臣を抱えて質素倹約に励まざるを得なかったのでしょう。また幕末に藩庁が山口に移され多くの藩士も移住、建物も移築されたことも、萩の寂れていった大きな主因でもありました。もう一つの菩提寺・天樹院は明治になって廃寺の憂き目にあってしまいました。

どこまで本当かわかりませんが、長州藩では正月の年賀のとき、家老が「今年は倒幕の機はいかに」と藩主に伺いを立てると、藩主は「時期尚早」と答えるのが習わしだったという、流説を聞いてますが、実際、萩に来てみると、「そう言いたくなる気分」は肌身に感じますね。だから藩士たちの鬱屈した気持ちが幕末一気に「志士」として吹き出たのでしょうね。

萩市域に入り最初に訪れたのは市郊外にある東光寺。藩主・毛利家の菩提寺でここは珍しく黄檗宗の寺であり、地方寺院には少ない立派な大雄宝殿や三門等の重要文化財も残りぜひ拝観したいと思っていました。境内へ入ると、意外に雑草に覆われ所々蜘蛛の巣や建物の傷みも散見され、「ここ、ひょっとして住職さん無住の寺?」と訝しむほど境内はちゃんと管理されていない雰囲気でした。市の予算が足りずここまで手が届かないのかな・・・?。(写真はクリックすると拡大します)



東光寺大雄宝殿
ちょっと荒れ気味の東光寺大雄宝殿



毛利家墓所
毛利家歴代墓所


幕末、藩庁が山口に移されたことも遠因でしょうね。明治になって廃仏毀釈の嵐のなか、薩摩藩など藩主の菩提寺さえ消滅してしまいましたが、まだこちらは残っているだけマシかな、とも思いましたね。

で、次に松陰神社を参拝しました。あの有名な松下村塾も見学しその小さくて質素な建物に驚きましたが、境内全体の雰囲気は東光寺とは打って変わって立派に整備され観光客も多く賑わっていました。やはり萩は殿様でなく松陰たち志士が主役の土地なんですね。

松下村塾
松下村塾
松下村塾内部
松下村塾内部



後、いろいろ史跡が多すぎて回りきれず木戸孝允旧宅や高杉晋作誕生地は割愛しました。そのなかで屋敷全体が揃って残っている豪商の「菊屋家」は尋ねました。自分も建築が好きですからね。ここもやはり商家関連の民俗資料や生活全般の当時の什器や道具、家具調度品や美術品がガラスケースの奥に展示されているのでなく、当時、どのように使われていたのかがわかるよう部屋毎に置かれていました。リアル感ある見学でしたね。

菊屋庭園
菊屋庭園
菊屋室内
菊屋家室内
菊屋の蘇鉄
菊屋家の蘇鉄

日本庭園に蘇鉄が植えられるようになったのは室町時代の将軍・足利義政のころからと言われています。桂離宮にも蘇鉄が散見されますが、どうも当時の上流階級にとって南洋を思わせるエキゾチックさが気ごころを誘ったみたいですね。ちなみに蘇鉄を植えると縁起が悪いといいますがどうなんでしょう?菊屋さんの蘇鉄はとても立派ですね。ここまで育つのに何年かかったんだろう?


萩市街には武家屋敷の跡をとどめる塀や門は多く残っていますが、実際に住んでいた居住区、母屋の残っている屋敷は少ないです。とくに家老などの重臣屋敷については皆無に近いレベルです。


萩の土塀
萩の武家屋敷町の土塀




ですから宿泊先のホテルも含まれる堀内地区(旧萩城三の丸)の鍵の手道を自転車であてもなく巡り、土塀や門、生垣や果樹、花を眺めて風情に浸りました。なかでも口羽家の長屋門や長さが51.5mもある旧厚狭毛利家萩屋敷長屋、旧福原家萩屋敷門など見ました。

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

萩城模型
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の室内になぜか萩城の模型がありました。




復元された萩城総門
復元された萩城総門


さぁ、萩の歴史の中心.萩城跡を見学。ここは天守閣や櫓も残らず石垣だけの城(最近、総門だど復元)。物足りといえば物足りないのですが、ここは観光客も少なく緑豊かな城内には庭園跡や茶亭、堀沿いの道を自転車で散策するのはとても気持ち良かったですね。城内の石垣を左に折れ右に折れ進むと、二の丸東側の潮入門跡を出ると突然、萩の海が目に飛び込んできて、この開放感!素晴らしいものでした。岸に寄ると海の水はとても澄んでいて感動しましたね。全国、城多しといえども、こんなに城近く澄んだ海岸が接している城はここ萩城だけでしょうね(沖縄のグスクはあるかも)。ここの小浜、砂浜を仕切る石垣には一部銃眼のある塀が復元されていて、大河ドラマの「花燃ゆ」のロケ地にもなりました。ここはおススメです。


萩城跡
萩城天守台跡



萩城東園御茶屋庭園跡
萩城東園御茶屋庭園跡
萩城小浜の海
萩城潮入門跡をでると小浜の海が見えます。水が透き通っています。
萩城小浜
萩城小浜の銃眼付塀。ここは「花燃ゆ」のロケにも使われました。


城内の旧本丸跡には歴代藩主を祀る志都岐山神社が鎮座していて、そのすぐそばに「福原家書院」が旧地の三の丸から移築され残っています。福原家は代々家老を務め家禄1万1千石の大身の身分でした、万石を超える家老の屋敷また書院等の居住部が残っているのはたいへん珍しく貴重です。ところが、実際に見た書院は古ぼけていて数年後には朽ち果ててしまうのではないか・・・? と心配になるほど(ホントかなり心配)手入れされてません。江戸時代の寺の書院などくさるほど(言い方すみません)ありますが、武家屋敷、しかも万石クラスの武家書院は建築史的にもとても貴重であり早急に修理してほしいです。


福原家書院
今にも崩れ落ちそうな福原家書院


後、萩焼の工房も訪ねマッグカップとか買いました。萩焼は素朴な感じがいいですね。でも歪み度は全国一かも?

さて、ここまで書いて気付くのは、私の旅日記には食べ物が出てこない・・・。正直、グルメではなく会社役員をしていたとき、接待やお付き合いでそれなりにいろんな食を体験したのでもう思い残すことはない。ただご飯とみそ汁だけでいいような気分です。元々、学生のときに二週間ほど断食修行したこともあるほど、いかに食べ物の欲から解放されるか・・・と、今から思えばバカなこと考えていたなぁ、と振り返ってます。肉も好きではなかったのですが今は家族から説得され食べるようになりました。ですからブログに食べ物が出てきません。もっとも当ブログにそんなこと期待してる方は皆無に近いと思いますけどね 笑う。

ただ、ここ数年はゼリーにはまってます。とにかく大好きでスーパーでまとめ買いしたりするんですけど、毎回、レジで精算するとき恥ずかしいです。しかもマンゴ味ばかりですから。とくに若い女性の前では。何となくゼリーは女性の食べるもの、みたいな感覚があるからなんですが、「おまえが勝手に恥ずかしがってるだけでレジの女性などな~にも思ってないよ」というのが真実だとは思いますけど。自意識過剰かな。これから冬、店頭にゼリーが無くなっていく季節です。買いためておかなければ、と熊みたいなこと考えてます。

閑話休題。

萩を後に秋吉台へ向かいます。四国カルストは見たことはありますがここは初めてなので期待してました。秋吉台は秋芳洞の方が人気があるのかもしれませんが、鍾乳洞は以前、中国東北部の遼寧省(吉林省かも)にある巨大な洞窟を舟にのって進み天井からは滴がどんどん落ちてきてびしょ濡れになる、という経験をしたので、今回はパス。広大なカルスト台地がお目当てでした。

で、いよいよ山道を車で上り台地の入り口に到達したとき、もう感動しましたね。うねるような広大な大地にカルストの無数の矛がそそり立っている。これは完全に信州の霧ケ峰や美ヶ原を越えていると思いましたね。すぐそば秋吉台カルスト展望台があってここからの景色も素晴らしい。でも実は展望台を後にルート242号線を走る先々にもっと素晴らしい景色が見渡せましたが残念ながら途中停まれる駐車スペースがなかったのであっと言う間に景色が過ぎ去ってしまいました。残念。


秋吉台
秋吉台


でも、ほんの数分でも感動できたので今回はそれでよし、として、最後、山口市へとひたすら走る。

瑠璃光寺の五重塔は背後にこそ高い杉・檜に囲まれていましたが正面はないのでよく見えました。写真でみるとおりプロポーションもいい品のある素晴らしい塔でした。近くで見ると軒、柱と屋根を支える組ものの斗栱の構造もかなりシンプルで派手さはないですけど、それを補って余りあるほど、美しい塔身です。あぁ、見学できてよかった!。


瑠璃光寺五重塔
瑠璃光寺五重塔
瑠璃光寺五重塔アップ
瑠璃光寺五重塔の軸組。



で、もう新山口駅へ行ってレンタカーを返し新幹線に乗るだけ。
窓外に見る山口の市街はなんか品があるんですよね。かつては戦国大名の大内氏の拠点で小京都と言われた名残が今もそこはかとなく残っているんでしょうね。

それから山陽新幹線をひたすら東上、沿線ぞいの都市や住宅地はけっこう平地が少ないため山の方まで家が建て込んでいますが、不思議とそれが見ていて違和感がない。逆に高台を活かした造形的な面白さが感じられました。一つ一つはバラバラなのに、たとえば坂の町、尾道のように全体としてみるといい。美しいというよりも、街並みが山の形状に沿っているから結果的に統一感のある都市に見える。また山陽の個々の家もセンスの良さを感じたこともプラスしてるかも。この雰囲気は神戸まで続き、中国地方のハイカラさんはここでお仕舞です。

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コメント

NoTitle 

take様
コメントありがとうございます。出雲大社本殿の3D制作を続けてますが、いろいろヤボ用もあって遅れ気味・・・。「清との密貿易に黄檗宗の大陸人を使う必要があったかと想像しますね」とは何か慧眼というか発想が素晴らしいですね。いつもながら敬服です。
明治維新時、1万石を超える諸藩の家老でも華族になれなかった人が他にもあったみたいですね。何かの事情ですかね?
  •  
  • URL 
  • 2017年11月21日 07時03分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

毛利公が本拠を山口に移したのは、まさしく現在にまで恩恵をもたらす英断だったと思います。津和野と並ぶ貴重な萩城下町が残り、観光産業にも大きく貢献していますから。

>藩主・毛利家の菩提寺でここは珍しく黄檗宗の寺であり

自分もそこは珍しく感じましたが、恐らく一つの理由はやはり黄檗宗が大陸直系の宗派だと。清との密貿易に黄檗宗の大陸人を使う必要があったかと想像しますね。

もう一つは毛利氏に柳沢一族の家臣が居る事が何らかの関係を及ぼしているのかもしれません。東光寺を造営したのは 毛利吉就公、ちょうど五代将軍綱吉の時代ですね。それに柳沢氏の治世について甲府時代には永慶寺が建立され、悦峯道章の綱吉目通りを実現させ、息子の吉里の大和郡山転封でも永慶寺を今の大和郡山市に移転させる程の信者でしたから。

福原家書院のありさまは非常に残念ですね。こういうのを見ても、いかに 安倍首相の忖度政治 が馬鹿げた妄想なのかが解かります。もう少し忖度していただきたいとこの写真を見てつくづく思います。

松陰先生の松下村塾を立派に整備しているのには感動しました。ですが松陰先生の思想は、ある意味弟子達とは対立していて弟子と名乗られるのには複雑な心境です(苦笑)

あと、別のコメの質問ですが、福原俊丸公は男爵貴族院議員になられていますよ。
  • taka 
  • URL 
  • 2017年11月16日 13時47分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

ぽむ様 コメントありがとうございます。いろいろ写真は撮りましたが、見てみると建築系の細部ばかり撮っていて、風景写真、斜めから寫した写真は少なかったです。もっと思い出の風景を撮らなければ。反省です。でも瑠璃光寺五重塔はどう見ても正面から撮りますからちゃんと残しましたよ 笑。
  •  
  • URL 
  • 2017年10月29日 23時37分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

京都の記事を探していたら、こちらのブログにたどりつきました。萩、長門は仕事でよく行っていたので、懐かしく写真を拝見しました。
特に瑠璃光寺五重塔は私個人の中では最も質素で美しいと思っていますので、写真を拝見し嬉しく思いました。

これからも楽しみにしています
  • ぽむ 
  • URL 
  • 2017年10月26日 19時40分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

AzTak 様
コメントありがとうございます。
確か以前、会津と長州が仲直りするイベントがあったと思いますが、会津の方が「萩へ行ってきた」なんて同郷の人に言えない雰囲気とかあるのでしょうかね? 今の萩は静かな地方都市でそっとしておきましょう 笑。
  •  
  • URL 
  • 2017年10月24日 23時14分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

萩は妻の祖先が住んでいた里です。ある和風旅館で天皇陛下(昭和天皇)が泊まられた部屋を見せてもらいました。『あなたたちもここに留まりなさい』と言われましたが、遠慮して隣の部屋にしておきました。素晴らしい部屋でしたし、素晴らしい旅館でした。
福原家の書院が今も残っていますか。確か、加賀藩は家老職にあった者もみな爵位を授与されたと思いますが、長州藩はどうだったのでしょう?はるか昔のことになりつつありますね。

私自身は福島県の出身なので、長州にはあまり行きたくなかったんです。ちょっと節操がなかったかもしれません。が、家庭不和を作り出すよりはマシかと。

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