3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

Entries

山陰の旅 日御碕、松江、津和野編

出雲大社の参拝を終え、日御碕神社へ行きます。島根半島の岩場の続く西海岸をほんの十数キロ、半島の西端にあっと言う間に着きました。こちらの神社は大社とは打って変わって鮮やかな朱塗り造りの社殿。ここは出雲大社の祖神にあたるところだそうです。ここには下の本社(日沈の宮:祭神は天照大御神。伊勢の天照大御神が昼を守る立場なのに、なぜ宮の名が日沈の宮?)と上の本社(神の宮:祭神は須佐之男命)の二つの本殿からなり、日沈の宮の名の由来が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し日御碕神社は夜を守れとの勅命を受けたのが由来だそうです。


日御碕神社下の宮
日御碕神社下の宮の拝殿と本殿


日御碕神社神社については出雲神話まで遡ると、また、とんでもない紙幅を占めるので何とか簡潔に書かなければと思うのですが・・・、いや詰めよう。同神社を訪ねたときまず印象に思ったのは、海岸沿いの高台を走る車道から谷へと下っていき狭い平坦地に鎮座していることでした。神社というと、背後の山をご神体とするなど下から見上げるものとの通念が普通ですが、ここは深い谷底、狭い境内と間近に迫る海の砂浜。もっと高台に海を見渡すような適地があると思うのになぜ、わざわざ谷底?疑問に思いながら逆にそこにこそ日御碕神社の成り立ちに関わる謎があるのでは?と思いましたね。祭神の須佐之男命の6代後の大国主命が出雲大社の祭神ですから確かに日御碕神社の方が親神ですね。

神社の宮司を代々司ってきたのが「小野家」です。現在も子孫の方が宮司をされています。戦前は全国に14家あった社家華族(男爵)の一つで、先祖を遡ると須佐之男命の五世孫の天葺根命という神様。神話まで遡る由緒ある社家です。ちなみに天葺根命は大国主命のお父さんにあたる方です。三種の神器の一つ・天叢雲剣を天上界へと献上するため派遣された神様でもあります。

稲葉の白兎説話のように古代において、出雲の海と陸を巡って天津神系の神(支配者)と国津神系の神(支配者)との間で様々な争いが繰りかえされ、時に海上ルートから、時に陸上ルートからと兵士(眷属の者たち)たちが侵入し、相対したと思います。日御碕神社はその海上ルートの重要な上陸地だったかもしれない。あるいは敗走した者たちの隠された逃走ルートか?あるいは荒れる日本海の緊急避難地。もっと言えば、海を隔てた大陸からの来訪者(天孫系かも?)が岩場ばかりの半島でやっと見つけた上陸地だったか? だから祭られた?。とか、いろいろ想像が巡ります。


島根半島
島根半島海岸道路

ただ言えるのは大和も出雲もルーツは天照大御神とその弟の須佐之男命であり、元は同じ天孫族だった。だからこそ土着した出雲・大国主命たちも国譲りという形で矛を収めることができた、と言えます。

さて、急がねば。

出雲を後に宿泊先の玉造温泉へ。道沿いに広がる宍道湖はもっときれいかと思いましたが汚かった・・・。何ででしょう?、ヘドロが溜まっているのかなぁ?、藻類やプランクトンの大量発生かなぁ?といろいろ原因を考えていたら温泉に着きました。泊まった旅館はとっても美味しい料理とサービスだったので家族も大満足。ヤレヤレ。

翌日、二日目、ついにあの松江城へいくゾーと張り切って出発。ところが着いてみるとPはどこ?入城口あたりにはありましたが狭い。もう満杯。近くに立体駐車場もあるとのことでしたが、せっかくだからと城の堀を一周しながら探す。それでもなかなかない。結局、街中パークみたいな所に停めました。松山城は本丸以下結構広い城地と森に恵まれていますが、城の周りのビルや民家が堀に近すぎて、ギュウギュウ詰めな感じ。広場的な空間がないからかも。小泉八雲など武家屋敷街で知られる塩見小路もまさに行き交う車との探り合い・・・という感じ。でも城中へ入るとさすが古城の趣があります。天守閣までけっこう歩きます。



松江城天主閣
松江城天主閣


その天守閣、外観及び内部はだいたい想像していた通りなので最上階に上って松江市街を眺めてそれなりにいい気分。で、ここでペンを置いたら、ありきたりの旅日記になってしまうので、ここは3D京都、別な角度から日本の現存天守閣について一言。

国内の城、近世現存12閣に限ってのことですけど、まず共通するのは地階から最上階まで床や柱、梁はあっても階毎に部屋がない。いずれもガランドウの何もない倉庫・空間があるだけ。観光客には上りやすく眺めはいいし混雑しない。だからどこの城もそう。実際は何も無い訳ではなく、昔の武士の鎧兜や槍・刀・火縄銃、古文書、古美術などが展示されていて美術館の役割も果たしていて歴史的・文化的価値は高い。だが何か足りない・・・。

床を見よう、敷居がある。確かにここには昔、引き戸や開き戸があって幾つもの部屋に区切られていた。で、城の観光化に伴って敷居だけが残った(長く太平が続いた江戸時代からか?)。しっかりと部屋があった当時は、各用途ごとに武器庫や火薬・弾薬、兵站などの備蓄倉庫、それに兵糧米の蔵、城主の居間、兵たちの寝所・生活の場、台所、様々な物を収納する納戸、等々いろんな部屋があったと思います。


松江城天主閣内部
松江城天主閣内部


もし、眼の前でそれらの光景を見ることができるとしたら、普段、私たちが抱いてる天守閣とは違って、より重厚でリアル感のある本来の戦いのための城を実感するのではないでしょうか?。 現代の天守閣は最上階まで一生懸命上って、そこから市街を見下ろし眺めに感動するのが役目ですが、上述した重厚感のある部屋割り、はたまた迷宮のようなワクワク感のある天守閣があってもいいと思います。全階は無理でも一部の階でも再現してみてほしいと思います(部屋の再現だけでなく、そこに本来ある物も置く)。話はずれますが、外国の城は多くが石や日干しレンガなどで築造されていますが日本は木造に板壁・土壁(漆喰)です。城の内部、室内空間がいずれも何もない状態だったら、悲しいかな木造・土壁(+漆喰)よりも石・レンガ造りの方が重厚感があって絵になるのです。エジプトのピラミッドの内部回廊を想像したらわかると思います。結局、人は建築というものに迷宮を求めます。ギリシャ神殿の遺跡に迷宮の名残を感じるのなら、じゃ、外国人から見た日本の迷宮は?

それは伏見稲荷の赤い鳥居のトンネル、渡り廊下(土間廊下ではありませんよ、あくまで靴を脱いで歩く床廊下ですよ。)がどこまでも続いているかのような御殿群、たとえば京都の有名社寺、京都御所とか。それらに外国の方は神秘性を感じると言います。外国は平野が広いのに高層建築を建て、狭い日本なのに単層の建物がグランドカバーのように広がる、なんか面白いですね。また日本の朱塗りの鮮やかな建築にも惹かれるみたいです。欧州など赤色の建物は少ない(キリストの磔刑の影響もあるかもしれない)ですし、そもそも、赤であって赤でないような朱色の鮮やかな中間色は見かけませんからね。

建築の素材に話を持っていくと、たとえば現代の豊富な建設・建築資材。それらによって多くの高層ビルや異形、クールモダンな建物が個性を競い合っています。時に建築家の自己主張と現実とが遊離するときもあります。また豊富な材料を使うということは、その豊富さ自体が建築装飾とも言えるのが現代建築。一方、単なる懐古趣味ですが、木と土と紙とか、単純な材料しかなかった江戸時代までの日本建築。でもそれ故に調和のとれた自然と和む街並みが保たれた。幕末、江戸を訪れた欧米人は江戸を「ガーデン都市」と呼び、その美しさを讃えています。それには連なる大名屋敷の等質でシンプルな建物たちと江戸城の内、外郭を囲った掘割の芝の美しさが合いまった合作だったからでしょう。材料がシンプルだから装飾できる過去の建築、材料が豊富すぎて装飾の余地がない現代建築アートの世界。

最近、スーパーコンピュータであっても「0と1」しかない二進法の物理的限界を見越し、量子コンピュータの世界がクローズアップされています。単純にいえば1と2に新た3が加わることによって一乗が二乗にさらに乗々と無限ともいえる演算世界が広がり、それがより高度な社会を生み出してゆく可能性が唱えられています。でも肝心な物質としての記録媒体はどうする?。 そこで、本当?信じられないような仮説として出てきたのが「石」。考えてみれば石は何千年、何万年と壊れない素材です。それを記録媒体にしたら半永久的に記録でき、より高度なAIができる? 荒唐無稽かもしれませんが、真面目に取り組んでいる研究グループもあると聞きます。

何が言いたいかと申しますと、素材文明への回帰です。いや回帰というよりも素材を活かす新たな文明の誕生です。それと建築が何の関係があるの? と問われれば「素材=装飾の復権」ということなのですが、強引に引っ張り過ぎたかな?

あれ? そう松江城に戻ります。要はお城の天守閣にも、豪商や庄屋屋敷の各部屋によく見る立派な仏間や神棚、家具、その他生活用具などたくさんの民俗資料が部屋とセットで公開されていますが、そんな天守閣見てみたいんですよ。武家屋敷の遺構でも、これもどうちらかというと部屋には何もない。ただ企画通りの書院の間があるだけ。最近、復元されている御殿建築も、中を見学すると無地の襖を結構見る。なぜ無地?かと聞くと、詳細な資料がないから、とのこと。いかにも真面目な公務員らしい。でも、江戸時代の御殿は格式に寄って部屋の襖や床の間などに描く図柄はだいたい決まっていました。遠侍なら虎、大広間なら松に鶴とか。。将軍の御殿のように表、中奥、大奥とやはり絵の図柄は決まっていて踏襲されました。社寺、宗派によっても基本、種別、パターン化されてました。

ですから、なにも100%正確でなくても、「この部屋は鶴の間です」といえば、当時のパターン、筆致に従って鶴を描けばいいじゃないですか。その方が見ていて楽しいですよ。詳細な資料がないから「無地です」なんて、無粋過ぎると思うのですが・・・どう思います?。


小泉八雲旧居
小泉八雲旧居


さて元に戻って、天守閣を見学後、あの足立美術館へ行く予定でしたが、妻が松江城のお堀を一周する遊覧船に乗りたいというので乗船。風情がありました。でも美術館は諦めました。意外と松江から遠いのと仮に美術館へ行っても見学する余裕がありませんでした。同美術館から二日目泊まる津和野まで200キロを超える距離だったのです。こんなに遠いとは思わなかった・・・。山陰も広いというか長いですね 笑。また機会があったら同美術館へ行ってみようと思ってます。


遊覧船から望む天守閣
遊覧船から望む天守閣


足立美術館は、島根県安来市にあり、地元出身の実業家・足立全康氏が1970年(昭和45年)、71歳のときに開館したもので、近代日本画を中心とし130点におよぶ横山大観の作品と日本庭園で有名ですね。とくに庭園の方は5万坪にもおよぶ広大さで、米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキングでも13年連続で日本一に輝くなどつとに有名な庭園で知られてますね。正直、山陰地方の片田舎(失礼なこと言ってすみません)にこんな素晴らしい美術館があるとは驚きで日本も奥深いなぁ、と思ったりします。きっと地域的な不利を跳ね飛ばすような有能なマーケティングのスタップが懸命になって売り込んた側面もあると思います。


足立美術館庭園
"足立美術館庭園




足立美術館を断念しても津和野に着いたのはもう日暮れ前、国道226号線で下る途中、太鼓谷稲成神社の大きな赤鳥居がそそり立っていました。ちょっとビックリしました。そこからは、津和野の谷を挟んで同稲成社の朱塗りの懸造りの社殿が望め、ロケーションもバッチリ。いと麗しく鮮やかでした。


太鼓稲成神社
太鼓稲成神社



宿は津和野観光の中心・殿町通りに面し観光には便利。宿は間口は狭く奥行きは滅茶苦茶長く50mはある?ほどのウナギの寝床宿。こういう奥行き感はいいですね。で、ここにも外国人宿泊者がいました。白人系の家族。その家族の坊やの可愛いこと、天使のごとくでした? ここ津和野は海外のガイドブックにどう書かれているのでしょう? 小京都?。翌朝、目覚めるとそこに錦鯉がいた。と思うほど家老の武家屋敷街の掘割に泳いでいるコイのまた鮮やかできれいなこと!背景の石州瓦と白い漆喰のなまこ壁の長塀ととても調和してました。なんか津和野は、ここ殿町の掘割に泳ぐ鯉をみるだけでも価値がある感じ。改めて思ったのはここ中国地方は7000の人口の小さな町でもそれぞれに個性と美しさを引き出していること。このことは後々また書くかも。


なまこ壁と錦鯉
なまこ壁と錦鯉
津和野殿町
津和野殿町の街並み



清水寺のお宮さんバージョンの太鼓稲成神社にも寄りました。途中、昔の津和野城の櫓遺構もありました。車道を上ると鮮やかな社殿が眼に入りさっそく参拝。稲荷系は金儲け祈願するとそのキツネ様の見返り要求も強いと聞くので神恩感謝だけ。境内から見る津和野の小盆地はとても美しいものでした。中国山地特有の老年期に入った山並みは傾斜も緩やかで狭い谷盆地なのに伸びやかに感じます。そして、その盆地に佇む、ほど良い街並み。屋根は釉薬で焼いた石州の赤瓦で統一され、それがより景観を引き立てています。


津和野展望
津和野盆地を俯瞰する。



つい最近に至るまで日本の多くの民家は屋根には桟瓦を葺いていました。本瓦葺きの簡略形です。江戸時代に考案されたものです。正直言って、そのグレー系の地味色で安っぽく見えるデザインは好きでありません。社寺でも桟瓦だと重みがありません。その同瓦が日本全体に広がっています。だから何処へ行っても同じで地域地域の個性がありません。最近の新しい分譲住宅など洋瓦、ガリバ、コロニアルなどの多彩な屋根で葺かれ、桟瓦は少なくなっています。

そんな中で、赤茶系の石州瓦は珍しく個性があります。普通の民家でも屋根にシャチホコが載っています。で、その本場、津和野から萩へ至る道程、石州瓦が当然多いのですが所々黒光りする釉薬で焼いた黒瓦が見受けられました。あの、とくに富山県に多くみられる黒瓦です。この黒瓦は雪が早く溶けやすいのが特徴で、富山県の特に飛騨から砺波平野を一望したとき、その黒瓦で葺かれた屋並は統一感があって美しいものでした。富山、あるいは北陸地方にとってはこの黒瓦が個性なんですね。

もっとも、昔は雪対策としては赤瓦が使われていたようです。福島県の会津若松城も江戸時代は赤い屋根でした。釉薬の発達が赤から黒へ変わっていったみたいです。

だからかなぁ?道すがら、石州瓦の赤が黒に取って代わられている家がけっこうありました。本場でありながら。旅人からすれば赤茶に輝く屋並の方が調和がとれて美しいのですが、現実にはより性能が良く利便性のあるものに変わっていくのですね(石州瓦自体が黒に変わってるのかもです)。


津和野の石州瓦となまこ壁
石州瓦となまこ壁



萩へ行く途中、とても感動した風景に出会いました。とくに特徴があったわけではないのですが、上述しましたように、その中国山地の緩やかな傾斜、小盆地、準高原が幾重にも重なったとき、「これが日本の里山なのだなぁ」と噛みしめる思いでした。同山地には地形に応じて集落や小都市があって、その特徴なのが石州瓦のように明るく調和した街並みと風景。他所の山間地域によく見られる閉塞感がないのです。一つ一つの民家も立派で個性があって見るのも楽しいです。社寺も同様に立派です。

どうして?なのでしょう(私個人の印象)。一つ思うのは、たとえば日本の社寺等の名所は山や森に囲まれていることが多いです。しかし、この中国地方は「人に見られること、眺められること、見上げられること」を意識した社寺あるいは建物が多いという印象。すぐ思い浮かぶのは、最近「天空の城」と呼ばれ人気のでてきた竹田城や点在する小領主たちの城、小京都と呼ばれる街、津和野の太鼓稲成神社、他にも珍しく田園越しに見られる吉備国分寺五重塔、 投入堂のある三仏寺、鞆の浦の弁天堂、厳島神社、全国でも姫路城を始めとして五重天主閣がもっとも密集した地域、坂の町・尾道、民家で言うならば映画「八つ墓村」のロケ地にもなった広兼邸などなど。

広兼邸
広兼邸


広い平野部の少ない中国地方がなぜ豊かで多彩な表情(建築等)をしているのか?よくはわかりませんが、一つは京都に近いこと、古代において朝鮮や中国等からの渡来人、帰化人が多く住み交易も盛んだったこと。瀬戸内海の恵みなど等あったと思いますが、他にも、やはり中国山地の特徴である老年期の山形が生み出す、適度な間隔と広さで点在する盆地や準平原に開けた個性ある都市群、緩やかな河川。これらは歴史的にも幾つもの地方領主を生み、それは戦いだけでなく、地産の商業ルート間での交易、文化面でも京の応仁の乱から逃れた公家が大名を頼りそこで文化サロンが生まれ、それがまた各領主に伝播して、そこに領地間の風土とも混じりあって芸能、文化の発展、交流も盛んに行われた地域だと思います。

そこで思い浮かぶのはあのイタリアの「トスカーナ地方」。ここも都市国家、小領主たちがひしめき合い競合した結果、ルネッサンスを開花させました。地形的にもよく似た雰囲気があります。いわば中国地方は「日本のトスカーナ?」というイメージはちょっと言いすぎかな・・・。

「仰がれること、眺められること」を意識した中国地方の社寺や建築。そこには大陸との距離、渡来人の影響もある気がします。建築に対する意識が大陸的だからです。内に美を見出すより外に向け自己主張をする。だから同地方独自の華やかさがある。近代、明治から大正にかけて神戸等の六甲山の麓に別荘・郊外住宅地を展開した「阪神間モダニズム」の建築文化。それは西洋の影響以前において、実は中国地方に根付いていたもののような気がします。

長々と書きました。次は萩、秋吉台、山口へと向かいます。





関連記事
スポンサーサイト

コメント

NoTitle 

松江城や武家屋敷の無粋さ、言いたい事は解かります(笑)

だけど公務員の体質というか、日本社会にはびこる「無事これ名馬」的な体質で思い切って「この部屋は鶴の間だから鶴を書きましょう!!」と行動するのははっきり言って無理かと(汗) もちろんそういう人も居ないわけではないでしょうが、やっぱり公務員は民間人と違ってすぐ責任問題に繋がるという環境だから冒険が出来ないんでしょうね。「これ、本当はこうだから書き直せ」とか「曖昧な物に無駄な税金を使って」とか(苦笑)

それに上司自体が文化に興味を持っているからこれをやりたい、のではなく単に持ち回りでっていうのも問題ですよね。教育委員会等もエリートの総務に行きたいのに文化財課の課長にまわされた、とかそういった感じの人が上司についていた場合は専門職の部下もやる気がなくなります。

そうそう松江城の鯱は国内最大の木造の鯱ですけど、それは写真に撮りました? 石垣はやっぱり元が織田系武将が築城したので、典型的な穴太積ですよね。

山陰は細長いというのは同感ですね。元々島根県は出雲と石見に別れていて、石見弁は広島弁に近く同じ石見ですら石東(太田市等)や出雲弁とは別の文化圏というふうになるくらい離れてますからね。

津和野と言われてイメージするのは自分は城下町・亀井氏・モデルでタレントの森泉さん、森星さん姉妹ですね~ まあこの姉妹は正確には隣の吉賀町なんですが。恐らく西周男爵・森鴎外と同じ一族かも、という事でそういうイメージになりました。
  • taka 
  • URL 
  • 2017年11月16日 13時02分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

コメントありがとうございます。
行きと帰りは航空便、新幹線でしたが、それ以外はレンタカーでぐるっと巡りました。中国山地の真珠の小箱のような小京都を旅するのもいいですよ。日御碕もずっと岩場が続きいかにも日本海らしいダイナミックさがありました。でも冬は荒れた海に戻るのでしょうね。
  •  
  • URL 
  • 2017年10月17日 00時19分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

この記事の書かれてあるところでは、津和野だけ行きました。妻の親せきがいるので、次回以降の萩にも行きました。でも、出雲大社から松江までは行ったことがありません。そのうち、行く機会はいくらでもあるだろうと、後回しにしてきたのですが、ついぞ機会はありませんでした。
個人的には日御碕に立ち寄ってみたいものです。パック旅行で行くしかありませんかねえ。純粋な公共交通機関を利用する個人旅行は、時間のロスが多そうで、…。

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

トラックバック

トラックバック URL
»»この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

左サイドMenu

たまに短歌

2017年5月8日更新

※ 短歌集はカテゴリー欄にあります。

タグ一覧


全記事(数)表示

全タイトルを表示

※表示しきれない記事タイトルは「前ページ」で見れます。

今日の運勢

今日の言葉

京都お役立ち情報

アンケート

ご意見・メールお寄せください

名前:
メール:
件名:
本文:

マーケット情報

プロフィール

梅村京一朗

Author:梅村京一朗
(けいいちろう)、
寝つきの悪い夜は、いにしえの京を想いながら寝ます。すると鼓の音のように京の日々歳々が甦ってきます。・・・浅き夢みし男のブログ語りです。

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

ブロぐるめLite


写真提供 ホットペッパー.jp
Powered byリクルートWEBサービス
developed by 遊ぶブログ

右サイドメニュー

最新記事

カテゴリー

  ※ 表示しきれない記事タイトルは「前ページ」で見れます。

人気ページランキング

開始日:2016/11/6

ブログパーツ

キーワード別記事リスト

最新コメント

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索・買物に利用して下さい

人気ブログランキング

FC2カウンター