3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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飛雲閣は聚楽第の何処に存在したのだろう? 前編

前回も申しましたが、あくまで「飛雲閣は聚楽第に存在した」、ということを前提に「事実」はわからないままですが、今回は自分なりに論点整理して飛雲閣の数奇な物語?に取り組んでみたいと思います。
何度も書きますが、飛雲閣が聚楽第からの移築か?いまだ事実は定まっていません。ただ西本願寺の寺伝を根拠とするものであり、これまでの修築によれば移築の痕跡はなかった・・・従って移築ではなく、最初から同本願寺の回遊式庭園である滴翠園とセットで元和3年(1617)の同寺火災前後に建てられた、とも言われています(本願寺関係者は特に)。建築史学会でもどちらかというと移築否定(聚楽第)の見解が多いです。ですが断言はできないレベルです。
世情、よく言われる「この建物は聚楽第からの移築、伏見城から移築」との伝承は、俗にいう「自分のところに箔をつけたい、自慢したい、格を上げたい」といった希望的伝承も多く、桃山から江戸時代初期にかけて立派な建物のことを指す形容詞として「聚楽・伏見から移築」、という使われ方をされた側面もあったと思います。諸説ありますが3Dから作った感想も交え整理してゆきますね。

まず、実際に飛雲閣のサイズがどれ程のものかといいますと、図で表しますね。

金閣&飛雲閣(真上)
同縮尺で並べた金閣と飛雲閣です。
みれば判りますが、建物は飛雲閣が大きい(江戸期に増築された茶室を除いても)。廊下で繋がっている風呂の「黄鶴台」も飛雲閣の一部に含まれます。黄鶴台及び渡り廊を含めた正面の長さはゆうに40mを越えます。
一方、池は圧倒的に金閣の鏡湖の方が大きい。
これで見ると、どうみても飛雲閣の方が池とのバランスが取れていません。池が小さすぎる! しかも同閣は舟入と言って直接屋内に小舟が入れる仕組みになっていて池での舟遊びを前提にした庭園楼閣です。当然、舟遊びですからそれなりの池の大きさが必要です。金閣との比較でみれば、金閣の池より大きくても不思議はありません。

この比較から想像できるのは、飛雲閣は上記・西本願寺の滴翠園とセットで最初から建てられたものではない、と思えてくるのです。どう思われます?

以上のことから『最初から西本願寺に建てられた』には疑問符が残ります。

他にも、本願寺の江戸時代図絵には飛雲閣のことを「御亭」と書かれていますが、厳密に言うと、亭とは元々、一階建ての東屋のことを指し、屋根が二重でも一階だけならあくまで亭です。一方、「閣」の方ですが、これは二階建て以上の楼閣のことを指し、二階に床が張られ実際に人が登楼できるものを言います。だから金閣、銀閣も同じく「閣」と呼んでいますよね。ですから絵図の御亭は本来なら御閣、または御楼閣と表記してもよいのですが亭のままです。
これは、ひょっとして元々滴翠園には確かに「御亭」は存在したが焼失し何らかの経緯で飛雲閣が移築された。そんな仮説も成り立つ訳です。また、亭であるならば、このサイズの池にも合います。元々、親鸞以降の本願寺系の寺では庭に東屋の「亭」を設ける
慣習はありました。

後、重要なのは現在の同閣の正面が北向きだということです。それと南面が全面・壁で引き戸、障子等がまったくないのです。これは普通の書院等にはほとんどないことで、これも大きな特徴です。
これらのことから、元々は、南向きに建てられたけど移築の際北向きに変更された、これが移築説の根拠の一つとなっています。確かに、回遊式庭園の中心となる本閣であるならば南向きが妥当だとは思います。しかし、当時、大きな屋敷においては書院が北向きになることはごく普通にありました。現代の南向き信仰ほどには南にこだわってはいなかったのです。ただ、仮に元は南向きに建てられたとしても相対する北側が全面・壁なのはこれまた不思議です。書院造は開放的ですからね。ひょっとして移築された現在の場所が境内の隅に位置し、境内外からあまり見られないよう鎧板壁に覆われてしまったかもです。

せっかくですから、飛雲閣と金閣の3D比較も載せて置きますね。

金閣&飛雲閣(正面)
正面から。


金閣&飛雲閣(側面)
側面から

『飛雲閣は聚楽第から移築された?』

この根拠は、本願寺に遺る江戸初期の文書『紫雲殿由縁記』(寛永15年成立、延亨4年増修)に豊臣秀吉の遺構だと記され、これが聚楽第からの移築遺構との説が長く現代まで流布されてきたものです。移築を示す根拠はそれ以外には何もありません。実証的な証拠もありません。そもそも、徳川幕府とは親しかった東本願寺に比べお西さんの方は秀吉との縁浅からずで幕府とは仲はよくありません。それなのに、幕府を刺激するような「聚楽第から移築」を寺の公の文書に記すのも得にはなりませんよね。また、箔をつけるとか、自慢するとか、そんな意図も天下の本願寺には意味ないことですからね。その点で言うとポロリ、本音の真実かもです。
建築史から見ると、飛雲閣は秀吉の天正時代頃よりも様式が新しく、その点で移築説を否定する意見も多くあります。しかし、二階・歌仙の間は古式を残し秀吉のころを彷彿とさせます。二階及び三階の摘星楼は移築の可能性あり、一階は多用されますから江戸期の改変あり、という解釈も有りです。

飛雲閣二階歌仙の間の格天井
二層歌仙の間の格天井 荒木経惟「飛雲閣ものがたり」本願寺出版社刊より引用。

飛雲閣三層摘星楼
三層摘星楼の内部 荒木経惟「飛雲閣ものがたり」本願寺出版社刊より引用。


『そもそも聚楽第には飛雲閣自体が存在しなかった。天守さえも存在しなかった?』


三井版聚楽第屏風
三井版聚楽第屏風からみた聚楽第の概要
(一、二扇の接合部と南二の丸や本丸西側、西の丸が描かれたと思われる六扇目が欠損している)


聚楽第を描いた「聚楽第行幸図屏風(堺)」、「聚楽第図屏風(三井)、「御所参内・聚楽第行幸図屏風」等にはいずれも天守は描かれていますが飛雲閣らしき建物は見あたりません。櫓等は二重、三重、三井の方には二重御殿(行幸御殿)も描かれているのにかかわらずです。西の丸が詳細に描かれている「瑞泉寺縁起」の西の丸には二層の楼閣が描かれています。これが飛雲閣かも?と思わせますが三層ではなく屋根も飛雲閣のような複雑さはないのでやはり違うかな、と思います。ここ西の丸の想定されている所は高台院堅町という町名が残り、ここには秀吉の妻・ねねが住んでいたと思われます。元々は本丸の北東に広い正政所の御殿があったようですが、淀君が鶴松を生んで以後ここは淀君の御殿に変わり、ねねは西の丸に移り、そして西の丸にいた秀次は北の丸に?という風に城内でもいろいろ御殿の主の移動があったらしいです。

瑞泉寺縁起
瑞泉寺縁起に描かれた聚楽第の西の丸、二層楼閣も見える(豊臣秀吉と京都、日本史研究会編・文理閣刊から転載)。

ここで聚楽第の規模、概要について改めて押さえておきたいと思います。正確ではありませんが、聚楽第の規模は本丸、西の丸、南二の丸、北の丸と堀を含めた主郭の南北が約700m、東西が500m。このうち本丸は堀内側で南北320m、東西220m、後、西の丸が堀内で南北80m、東西55mほど。目立つのは本丸を取り囲む堀が幅40mもあることです。

いろいろ資料に基づいて想像復元図を描いてみました。

聚楽第想像図(3D京都)
聚楽第想像図(3D京都)


ここには参考までにエリア外に同縮尺の金閣と飛雲閣及び池も載せてみました。たとえば、金閣だと池が西の丸を大きくはみ出ています。横に長い飛雲閣でもはみ出そうです。と、すると西の丸に飛雲閣が存在した可能性は低い、とか類推できます。

せっかくですから大阪城と二条城も同縮尺で比べてみますね。

まず、大阪城から、ここは本丸のみ。
大阪城本丸想像図
大阪城本丸想像図

見て驚くのは本丸の複雑な形状と巨大な掘とその広い幅です。これだと難攻不落と言われたことが真実味を帯びてきます。複雑な形状も上町台地と言われる大地上に築かれたゆえだとわかります。

一方の二条城も載せます。

二条城(寛永期)
寛永寺の二条城。

これで見ると二の丸を取り巻く堀の小ささというか幅の狭さです。これではすぐ落城してしまうでしょう。それでいて本丸を囲む堀は無用に広いですね。なんなんでしょう? もう誰も逆らえない盤石の幕府ということですかね。

では横に並べてみましょう。
聚楽第-二条城-大阪城図
左から聚楽第、二条城、大阪城の順。

これで見ると、各郭や堀の大小は当然ありますが目を引くのは、二条城の御殿と聚楽・大阪城の御殿との大小の差。徳川の二条城の御殿の方が一回り大きいです。


聚楽第の大広間の指図が伝えられていて、
聚楽第大広間間取り図(大熊喜邦著(豊公聚楽第の大広間)より転載
聚楽第大広間間取り図、大熊喜邦著(豊公聚楽第の大広間)より転載。

この指図に基づくと(京間)、大広間の母屋及び入側を含めて桁行十五間半(約29.6m)、梁行十間(19m)の約170坪。二条城の大広間が桁行十三間半(約25.7m)、梁行十五間(28.6m)の約222坪。聚楽第の方が約-25%ほど小さい。他の殿舎も同様の差異がみられる思います。従って上掲した各城郭の復元想像図においても聚楽・大阪城の御殿の方が細かく小さい感じになっています。

後、聚楽第の想像図を描くにあたっては、同聚楽第研究の先駆者ともいえる櫻井成廣氏の作成された「聚楽第内曲輪推定復元地図」を参考にさせて頂きました。

聚楽第復元想像図(櫻井成廣)


※ 長くなりそうなので今回は前編とします。次回、続きを書きますのでよろしく。 





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