3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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幕末、京都は高層建築ラッシュだった!?

江戸期・慶安二年(1649)の幕府による三階建て禁止令により、原則、それ以降三階建ては、武家屋敷、町屋共に建てられなくなりました。京では本二階さえも通りに面しては建てなくなりました(これは町組による自主規制、ただし、通りから入った裏手には本二階を建てていた)。ちなみに屋根の低い厨子二階といわれる京独自の低い統一した町並みは、一つには町衆の大火の後の建設予算の節約の為そうなった側面があると言われています。では禁止のお触れが出る前はどうかというと、参考までに洛中洛外図から2枚ほど掲載しますね。この絵は二代将軍・徳川秀忠の娘・和子が朝廷に入内(興入れ)するときの京の有様を描いた絵巻で元和6年(1620年)ごろのことです。出典は青幻舎刊「新発見洛中洛外図屏風」から一部転載させて頂きました。
洛中洛外図2
どうですか?図中には所々三階建ての倉が見えます。図中にはありませんけど三階建ての町屋も当時ありました。これを見るととくに禁令などなかったんですね。さらにもう一枚。
洛中洛外図1
通りに面して花頭窓を開いた家もあります。華やかですね。安土桃山・さらに寛永文化の豪華さを表現してます。もし、このまま禁令が出なかったら京の町並みもかなり変わったものになっていたでしょうね。
長く続いた禁令も流石に統制の取れなくなった幕末、自然解消的に廃止されます。そうすると待ってました?とばかり火の見櫓や物見・望楼の形式を取りながら続々と高層の建物が明治初年にかけて建ち始めます。まずご紹介するのは山階宮の宮邸の望楼を移した日影小学校。
山階宮望楼
四層?五層?ですかね?地震大丈夫かなぁ・・・ってつい思ってしまいますけど、当時の文明開化の人々からすれば「大きなお世話」なのかも。とにかく全開の開放感が伝わってきますよね。
さらに続きます。
二条城
このシンプルな望楼は元は京都所司代の下屋敷にあったものを風雲告げる幕末・二条城に移築したものだそうです。さらに現在の円山公園にあった也阿弥ホテル。
円山公園
この写真自体は明治の中ごろだと思いますが明治初年から次々と建てましていったことが見て取れます。
他の望楼写真を一枚載せます。おそらく幕末の京都藩邸の跡の一つかと思います。京都の明治初期懲役場とあります。京都明治初期懲役場
先ほど山階宮邸から移した日影小学校の望楼をアップしましたが、ここで明治初年、京都で特徴的だった番組小学校という制度と多く建てられた望楼(防火・火の見櫓)のこと少し書きますね。参考にさせて頂いたのは昭和堂刊「京・まちづくり史」(高橋康夫・中川理編)のなかの大場修氏が書かれた「京都の小学校校舎、成立と発展のあゆみ」からです。
明治初年、京都府はすぐさま小学校の建設に着手、まず上下両京を33の番組に再編成し、64校の学校を建設しました。それが番組小学校といわれるもので全国に先駆けるものでした。なにしろ急な建設でしたから多くは旧藩邸跡や公家屋敷などを転用したようです。また学校には各番組の集会所及び地区行政所的なところがあって、建物はいずれもりっぱでした。四方が見渡せるよう望楼も多く建てられました。それでは以下にその望楼群を紹介しますね。
梅屋小学校望楼
まず、梅屋小学校。
嘉楽小学校望楼
次に嘉楽小学校。
有済小学校望楼
有済小学校です。さらに、
龍池小学校望楼
さらに龍池小学校とつづきます。他にも多くの小学校の望楼があった思いますけど、手元にある写真はこんな感じです。当時は圧倒的に二階建てでしたからきっと目立った存在だし、各地区のシンボルでもあったと思います。その意味で幕末の高層建築群といってもけっして大袈裟ではないと思うんですけど、みなさんはいかがですか?幕末のこんな側面ご紹介しました。なお古写真で彩色してあるのは淡交社刊「京都百年パノラパ館」から一部、転載させて頂きました。ありがとうございました。

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コメント

お礼 

さっそくのお返事ありがとうございました。写真集は持っていますが、資料所在調査報告はしらなかったので、大変参考になりました。ありがとうございました。
  • 深澤光佐子 
  • URL 
  • 2013年01月22日 21時26分 
  • [編集]
  • [返信]

Re: 3D京都を拝見して 

Fさま、
拙ブログを訪問していただきありがとうございます。

メール宛へ返信しようとしたらアドレスの後半部分が文字化けしていましたので、当ブログ経由で返信いたします。


お問い合わせの件ですが、手元にある山階宮関係の資料はブログに掲載した旧山階宮邸の移築写真と、後、吉川引文館から出版されている、学習院大学史料館 編『写真集 近代皇族の記憶 山階宮三代』だけです。もし、同写真集をお持ちでないようでしたら(持っていたらごめんなさい)、購入か、県図書館クラスへ行けば蔵書があると思います。

後、手元に、同じく学習院大学史料館から刊行されている「旧華族家資料所在調査報告」がありますが、そこに載っている山階宮家から臣籍降下され、華族となられた山階家、筑波家、
鹿島家、葛城家の各家の調査報告を参考にされたら、ひょっとして、山階宮晃親王までたどり着く資料が見つかるかもしれません。

同旧華族家資料所在調査報告、は、私も学習院大学史料館へ行ってコピーしてきました。ただコピーしたのは公家関係だけでしたので、臣籍降下された宮家出身の華族の資料はありません。一度、学習院大学史料館へ行かれてみるのも良いかと思います(これも、すでにコピー済みでしたらごめんなさい)。

以上です。お役に立てず申し訳ありません。どうか研究テーマの方、頑張ってください。

また、当ブログに良かったら寄ってください。

                                                                     「3D京都」管理人(梅のコージ)

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