3D京都

いにしえの京都を3DCGで再現します。史話、短歌も詠みます。

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洛中洛外図屏風に描かれた公家屋敷を訪ねてみよう!

今回、江戸初期の九条邸を3D制作するにあたって、
屋敷内の蔵をどう作るか、
当時の洛中洛外図屏風などを見た結果、
なまこ壁の蔵は見当たらず、
それでも下見板張りでは地味過ぎると、
初期の壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の継ぎ目に漆喰をかまぼこ型に塗るという
単純な四角のなまこ壁にしましたが、

ところが新たな洛外図を見たら何と!
「菱形」のなまこ壁がありました!!

なまこ壁発見

これです。丸で囲った部分。
花頭窓風の窓の左右に菱形の漆喰模様が見えますよ。

ということでさっそく九条邸の蔵も模様替えしようと思ったけど、
やめました 笑。

菱形の漆喰を見つけたのは、
「新発見 洛中洛外図屏風」 狩野博幸著 青幻舎刊の図版のなかから。

この洛中洛外図は東福門院(徳川和子)の入内行列(元和6年・1621年)をメインに描いた屏風で、
作風、作画時期からも、現在、岡山市の林原美術館に保管されている旧池田本の洛中洛外図屏風
とよく似ていて作者も同じではないか、とのこと。狩野氏によれば一説には越前・前田家に
伝来されたものともいわれています。

元和元年1615年には豊臣家が滅ぼされ、
寛永3年(1626年)の後水尾天皇の二条城行幸にかけてが
この洛中洛外図屏風の盛期で、それ以降の同屏風は年代が後になっても
左隻の二条城行幸の場面がメインに描かれたようです。

ちなみに洛中洛外図屏風は海外に渡ったものを含め現在、150前後はあるとのこと。
そして6隻の完全な形では40~50ほどとのこと。

初期の洛中洛外図屏風で一番最古は町田本の1525年頃のもの(室町幕府の管領・細川氏を
メインに描いている)。
そして1626年の後水尾天皇の二条城行幸までの約百年、時の権力者の推移とともに
様々な屏風が描かれました。

戦国期と江戸初期の京都の街並み



上は大阪市美術館が所蔵するもので祇園祭礼を描いたもの。戦国時代を抜けたばかりの街並みは
屋根がほとんど石置きの板葺きです。
それに比べ、下の屏風は(個人蔵)は三階建ての瓦葺きの蔵が散見するなど江戸時代に入って繁盛期
を迎えた京の町を描いています。 出典:別冊太陽「京都古地図散歩」平凡社より。


また、当時の瓦葺きの町屋は本瓦葺きでしたので、


桃山時代の本瓦葺き商店



上掲の古写真の店(桃山期の町屋の唯一の遺構だったが戦後取り壊された)のように
今日の私たちが想像する京町屋より、より重厚で建ちも高く格子も太いがっしりした町屋だったようです。
出典:近世風俗図譜 洛中洛外(二) 小学館刊 谷直樹解説文中に掲載。

話はちょっとずれましたが、
この100年に及ぶ屏風図の歴史のなかで個人的な好みから見て、
建物が一番華やかで意匠性に富んだ屏風は、
東福門院(徳川和子)の入内行列を描いた狩野氏紹介の屏風。
次に同時代の林原本(旧池田本)かな。
後水尾天皇の二条城行を一番精緻に描いているとされる
サントリー美術館のものは、
私も見ていませんのでなんとも言えませんが、
見た範囲内ではそう思います。

この前ブログでも紹介した内裏の清涼殿?に二重楼閣が載っているのは
この東福門院(徳川和子)の入内行列版と林原版だけに共通しているものです。

寛永の内裏(楼閣付)


これは林原版のものですが、
大体、禁裏御所に二階建て楼閣を建てること自体が、
当時の京洛では驚天動地だったでしょう。
東福門院(徳川和子)の入内時に、禁裏御所に櫓が建てられた記録がありますから、
この屏風の楼閣がそうかもしれませんね。

朝廷に幕府の権力をより強く見せようとしたからかもしれません。

さて、ようやく前置きは終わって
本題の「洛中洛外図屏風に描かれた公家屋敷を尋ねてみよう」に入ります。

幾つかの屏風を頼りに中には公家屋敷?と思われるものもありますが、
位置的なもの、公家の装束・冠を被った人物が屋敷内にいること等を目安に探しました。

で、一つ解ったのは、初期の戦国時代に描かれた町田本や上杉本(織田信長が上杉謙信に贈ったもの)には
室町幕府の公方屋敷から管領の細川氏居宅や他の武家屋敷、
また幾つかの公家住宅、つまり公武の個人宅名の書き込み・張り紙したものが多く載っているのに、
その一方で寺社の掲載が少ないのです。とくに町田本。
おそらく応仁の乱後の荒廃期、
主だった社寺は焼かれ、
代わりに、
権威を示す室町幕府及び朝廷の御所・屋敷群自体が
一つの名所、京のシンボル、ランドマーク的存在だったからだと思います。

それが、
桃山から江戸時代に入った元和・寛永期になると、
聚楽第や二条城、方広寺や豊国社など、社寺や豪壮な城・館の復興がなされ、
それらには張り紙や名称の書き込みがされていますが、
公家や大名などの個人宅名がほとんど載っていないのです。

もう有名社寺や京の町も復興がなされ、
いまさら個人屋敷名など名所図会には必要なかったということでしょう。

ですので、まず戦国期の町田、上杉本から探してみますね。

三条西殿

この屋敷は公家の三条西家です。
門前で鶯合わせをしているところで、
その鳴き声の優劣を競うものです。

もう一枚、

飛鳥井殿

上記二枚とも、近世風俗図譜 洛中洛外(一) 小学館刊より引用。


飛鳥井家。
こちらは蹴鞠をしている場面です。
蹴鞠といえば飛鳥井家というほど、
家職でしたからね。

で両家の屋根を見てみると、
飛鳥井家の方は上杉本に載っていて、
町田本の三条西家より50年ほど後のものなのに、
三条西家の屋根は高級な檜皮葺、
一方、より近世に近い飛鳥井家の寝殿の屋根は板葺き、
いわゆる「とち葺き」といって厚みが2~3センチほどもある
屋根で、しかも飛鳥井家の塀の屋根には石も置かれています。

どうみても三条西家に比べ見劣りします。

これには家格の差、
三条西家は精華家、大臣も何人も輩出してますけど、
飛鳥井家は羽林家で中クラス。

でも江戸時代は飛鳥井家が900石なのに対して、
三条西家は500石と石高では逆転しています。
蹴鞠の宗家としてどうも徳川幕府から優遇されたようです。

まぁ、それはともかく、
両家とも洛中洛外図に載っているほどですから、
当時の有力な公家であり室町幕府とも親密な間柄でした。

当時の応仁の乱以後の京は、
朝廷・幕府の権威も失墜し、領地からの年貢も途絶えるようになりました。
じゃ、乱後、京都の経済ははどう復興していったかというと、
織物や染色を始めとする高度な技術を必要とする手工業製品の生産の中心地
としての活路でした。
当時、京都の手工業製品は「都下り」の高級品として地方でとても人気があり、
戦国の乱世であるほど、地方の大名たちは自らの「箔付け」として盛んに買い求めました。

そうすると当然、手工業製品の原材料が京へ運ばれる流通ルート、
そして仲介する卸問屋が活躍するようになります。
当時は「問丸」と呼ばれました。

そしてここで公家の登場です。
三条西家の場合、どうやって家計のやりくりをしていたかと言うと、

当時、日常着に使われて麻の原料の苧(お)を京に運び込む際、
卸問屋(問丸)が仲介していましたが、
そのような問丸の元締め、本所が実は三条西家でした。
今でいう商売の許認可権をもっていた訳です。
問丸たちも商益を守るための後ろ盾・保証してくれる権威が必要であり
それが公家でした。
三条西家家にはこのような面からの収入もあって、
洛中洛外図に描かれている立派な檜皮葺の御殿が建てられたのでしょうね。

また、
繊維を紺染にする際に触媒として使われた紺灰は、
公家の押小路家が本所となっていました。

公家たちも応仁の乱で多くの領地を失いましたが、
乱世といえども公家の伝統的権威は必要だったのですね。
逆に乱世だったからこそかもしれません。
以上は、近世風俗図譜 洛中洛外(一) 小学館刊 の中の
下坂 守氏の著述「京都の復興-問丸・街道・率分」から引用させて頂きました。

後、上杉本の方から幾つかの公家邸をアップします。
ちなみに、
上杉本には多くの公家が記載されていますが、
公家だけでなしに内裏・公方・武家等の家、
およそ2500人もの人物が描かれており、さらに社寺・名所、動物、植物、祭など
多くの場面が描かれています。
狩野永徳の作といわれ国宝になっています。

万里小路邸
万里小路邸。左側の建物。


近衛邸
近衛邸。流石に摂家だけあって檜皮葺の御殿が二棟あります。
でも、屋敷を囲む塀の屋根には置石が・・・・予算が足りなかったのかな?
でも流石に庭は広く立派な感じですね。


入江邸
入江邸。入江邸の左隣は近衛邸。
御殿の屋根が近衛邸の方は檜皮葺き、入江家は板葺きの格差?がありますね。
子孫の入江相政氏は昭和天皇の侍従長として知られます。


二条邸
二条邸。



徳大寺邸
徳大寺邸。


常磐井邸
常磐井邸。



広橋邸
広橋邸。

絵中、左の屋敷が広橋邸。
通りでは、「御霊会」と言って、疫病神や怨霊を鎮めるための祭儀・行列が行われています。

甘露寺邸
甘露寺邸。

子孫の甘露寺受長氏は侍従、明治神宮の宮司として知られています。


花山院邸
花山院邸。
子孫の方が現在、春日大社の宮司をされています。


一条&日野邸
左は一条、右が日野邸。
一条家は摂家の高級公家ですが御殿の屋根は板葺き・・・・ですね。

同一条邸はちょうど広橋邸の上隣にあって、
同じ「御霊会」の後行列である神輿の神幸で賑わっています。
神輿の前を行く剣形の鉾は疫神を払うものとして信仰されていました。
なかでも毎年8月18日に行われる上・下御霊社の祭りが有名です。

以上、ざっと上杉本からピックアップしました。


次に桃山、江戸時代に入ります。



まず公家町らしい屋敷街から。
公家町(聚楽第行幸図)

天正から文禄にかけて内裏の周囲に豊臣秀吉によって集められた公家屋敷街ではと思われます。
内裏は堀で囲まれていますね。なんか珍しいですよね。

出典:雑誌「聚美」特集・豊臣の風景と洛中洛外図 聚美社刊 より。

上記屏風「新出八曲一隻 洛中洛外図屏風」は2009年に新潟県上越市で初公開された屏風で、
1588年の後陽成天皇の聚楽第行幸のみならず秀吉の御所参内が並立して描かれた
きわめて珍しい屏風とのこと。
豊臣政権下の理想とした繁栄する京洛を描いたもの。
現在残る洛中洛外図屏風のなかで多くが六曲一双なのに対して八曲と大きいのが特徴。


公家屋敷(秀吉聚楽第行幸図)

出典:こちらは青幻舎刊の「秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風」狩野博幸著から引用。

内裏を出てすぐの上下の屋敷は多分、公家だと思うのですが
誰かわかりません。
行列は正親町小路(中立売通)を通って聚楽第へ入っていることから、
当時の「中むかし公家町絵図」から想像するに上が菊亭家、下が日野家か?
どうでしょう。

さて、記事の冒頭に書いた「なまこ壁」。
それが描かれている「新発見 洛中洛外図屏風」 狩野博幸著 青幻舎刊、
に戻って、江戸初期の元和・寛永期の公家屋敷を探します。

というか、
上記、新発見の屏風、
それから舟木本、林原本(旧池田本)も含めて、
公家・武家の個人宅の書き込みがほとんどありません。
というか二条家ぐらいのもので、
実は林原本等を当時の絵師に注文したのが上層公家と言われており、
じゃ誰かという話になってくると。
屏風中に唯一公家邸名が書き込んである二条家がその発注者と思われるのですが
どうでしょう?

その林原本から二条邸をアップします。

二条家?

ちょうど内裏御所の右隣が二条邸です。
奥には二階建ての物見があります。
手元に大きな図がないのでとても小さいですが、その物見櫓も載せます。

二条家物見



一方の下図は徳川和子の入内行列を描いた「新発見 洛中洛外図屏風」狩野博幸著 青幻舎刊。

御所のすぐ西側、一条通りの北に武家(大名?)の大邸宅が載っています。
純金地の秋草図壁貼付け、同じく扇面貼り交ぜの襖などとても豪奢な内装となっています。

ちなみにこの新発見の屏風には公武だけでなく、
一般の富裕な商人等の家も金箔の壁貼付けや金屏風で飾られて、
当時、まだ徳川幕府の奢侈禁止令もでていなく、
豪華さを競った自由に溢れた京の街並みが垣間見えますね。

豪壮な武家屋敷

だれの屋敷かはわかりませんが余程、大身の大名かと思われます。


ちなみに江戸初期(慶長年間の1615年にかけて)の禁裏及び公家町の様子を描いた
「中むかし公家町絵図」を見ると、内裏の右下に高台院殿と書かれた屋敷地があります。

中むかし公家町絵図(1611~1615)


高台院とは豊臣秀吉の正妻・北政所(通称・おねねの方)のことですが、
秀吉の逝去後、ここ禁裏そばに広大な屋敷を構えていたんですね! 知らなかった。
もちろん徳川家康が豊臣政権を蓄勢するため、
北政所のご機嫌取りに屋敷をプレゼントしたものですが、

それにしてもこの広さ!
帝の禁裏の倍ほどもあります。
いかに家康が北政所を重視ししていたか実感しますね。

そして家康の思惑通り、
慶長15年(1615年)、豊臣家は大阪城とともに滅んでしまいます。

この広大な屋敷で北政所は何を思ったでしょう。
まさか「淀殿の豊臣家なんかいらないワ」と、そこまでは思わなったと思いますが・・・・

とにかく、
慶長から元和にかけては、
公家と大名・武家の屋敷が内裏回りに混在していて、
それが洛中洛外図にも反映されたのでしょうね。

で林原本(池田本)にも内裏そばに公家邸らしき屋敷もあります。
たとえば、このような図、

公家屋敷(池田本)


屋敷内には公家装束の人物が複数います。
また左下の門は内裏へと通じる出入り口の門かも知れません。

以上、駆け足で洛中洛外図を巡ってきました。
こんなにたくさん同洛中洛外図を見るのは初めてです。
もう・・・・たくさん・・・と思わないわけでもありません 笑。

最後までお付き合いいただいた方お疲れ様でした。



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